アニオタ、知識と技術にモノを言わせて人体をもてあそぶ
「————はっ!?」
バリーは意識を取り戻した。
頭を上げ、周囲を見回す。そこはさっきまで自分が戦っていた『正伝聯盟』神奈川支部の地下の広間である。
ふと、背筋に硬い石のようなものが接触している感触を知覚する。
振り向くと、そこにはバリーの両肩に手を置いたまま片膝を突き出した常春の姿があった。
「気がつきましたか?」
微笑む常春だが、バリーはなおも敵意を秘めた眼差しで睨んできた。
「……何をしやがった?」
「蘇生ですよ。さっきまであなたは気を失っていましたから、督脈——背筋を通っている経絡に並ぶツボを膝で思いっきり刺激して強引に目を覚まさせました」
バリーはバッと立ち上がり、常春と距離を取った。
「もう一回だ! もう一回俺と戦え! 今度は縄を巻きつけるなんてマゾめいたハンデは無しで、本気で俺と戦え!」
「あなたが僕にやられる光景は、もうカメラに納まりました。それで十分……というわけにはいかないんでしょうね」
「当たり前だ! 中国武術がこんなに強いはずがねぇ! お前、別の格闘技もやってやがったな!?」
「いえ、僕は蟷螂拳しか使えませんけど」
「デタラメだ! 俺は信じねぇぞ!」
常春はその頑固さに、ただならぬ匂いを感じた。
最初は、ただ中国武術を叩き潰して悦に浸っている愉快犯だと思っていた。
けれど、ここまで剥き出しの感情で中国武術を非難する様子は、過去に中国武術関係で何かあったということを示唆するには十分だった。
ならば、常春のすべきことは一つだけだった。
「そう思うなら、いくらでもどうぞ。安心してください、カメラはまだ回ってますしバッテリーも残ってましたから」
「ぬかせっ!!」
再び猪のごとく突っ込んでくるバリー。
鞭のごときジャブを打ってくる。常春は後ろへ退がりながらそれを弾いて防御。だが、それからほとんど間を作らずに、真下からアッパーカットが象牙のごとく振り上げられた。常春は紙一重で回避。
そこからバリーは、渾身のストレートへと変化させた。無骨な拳が空気を穿ちながら宙を突き進む。
そのストレートが常春の顔面を穿つ寸前、常春の姿が消えた。かと思えば、前足の脛にバットで殴られたような衝撃が走り、重心を崩されて前のめりに倒れる。
「『斧刃脚』」
常春はわざと技の名前をそらんずる。中国武術の技だと教えるためだ。
それを挑発と受け取ったバリーはすぐさま立ち上がり、今度は常春の腰めがけてタックルをしようとしてきた。2メートルという巨体が、まるで壁のような圧迫感を伝えてくる。
「『揶』」
しかし、常春は両腕を開いて中腰で突っ込んでくる大男を、跳び箱でも跳ぶような要領で跳び越えた。前に突撃しようとするバリーの「気」とは反対方向へ逃れることで、まるで陰陽魚が互いを追いかけ合ってグルリと回るように両者がすれ違う。
「野郎!」
バリーは即座にタックルを中断して振り返り、近づいてきてジャブを打ってきた。常春は頭を引いて避ける。
しかし、バリーのそのジャブの目的は殴ることではなく、常春の腕を捕まえることだった。ジャブはその用途を誤魔化すための隠れ蓑。
右腕を捕まえた。
当然ながら体重はバリーの方が圧倒的に上。重みを後ろへ込めた牽引に常春の小さな体は軽々と引き寄せられた。……いや、軽々過ぎた。まるでビニール袋一枚を引っ張ったような軽さ。当然である。常春が引っ張る力に合わせて自らバリーへ飛び込んできたのだから。
「ぐっ!」
バリーの生み出した牽引力は、常春の体当たりという形で戻ってきた。虚を突かれた驚愕も込みで強い衝撃を受け、バリーは掴んでいる常春もろとも床に転がることになった。
してやられた。しかし同時に、バリーは己の好機を見た。
(寝技で俺に勝てると思ってんのか!)
総合格闘技では寝技も積極的に用いる。対し、中国拳法には酔拳のような特殊な門派を除き、寝技が存在しない。床に転がっているこの状態はむしろ格闘技の独壇場。しかもバリーはまだ常春の片腕を掴んだまま。ここからいかようにも組み伏せに持っていける。
が、それを実行しようとする前に、常春がある行動に出た。
絡まり合って転がる二人。常春は転がる流れで自分が上向きになるタイミングに合わせて右足のバネを使い、下半身を跳ね上げる。同時に、真上に向かって右足、左足の順に円弧軌道の蹴りを鋭く放った。『翻天印脚』という蟷螂拳の蹴り技だ。
本来、伏せた状態から真上を蹴るための技だが、今回使ったのは別の用途だ。
空中で円弧を描いた蹴りは、そのまま下半円の軌道を描いてバリーの腹に直撃した。
「ぐはっ!?」
急所こそ外したものの、全体重の乗った蹴りはバリーの「気」が薄い部分を的確に打ち据えた。
バリーは再び気を失った。
「————はっ!?」
そしてまた蘇生する。
息を吹き返したバリーはまたも目覚めて早々常春へと躍りかかってきた。
掴みかからんと伸びてきた両手を低い身長を生かして屈んで避けつつ懐へ入り、拳をバリーの鳩尾へ添えた。そこから拳に捻りを加えつつ、錐をねじ込むようにグリンッ! と押し付けた。螺旋によってしつこく体に食らいついた拳はその圧力を筋肉の鎧を通り越して体内まで響かせ、常春の意図通り心臓にショックを与えて一時的に心停止させた。いわゆる心臓震盪である。
バリーはまたも意識を闇の底へ引っ張り込まれた。
「————はっ!?」
蘇生。
復活早々向かってきたバリー。その肉体の中にある「気」の薄い部分へ拳を叩き込み、衝撃以上の痛覚を与えて昏倒させた。
「————はっ!?」
蘇生。
以下略。
「————はっ!?」
以下略。
以下略。
何度も繰り返される気絶と蘇生のサイクル。
剛体・流体力学、人体生理学の粋を尽くして作られた本物の武術でしか味わい得ないそのサイクルは、バリーの心身の力を根こそぎ削り取っていった。
燃え続けていた戦意の炎も、時間とともに勢いを衰えさせていき、やがて消えた。
「……もう、勘弁してくれ。俺を、マトモな世界に戻してくれ……」
床に両手両膝を突いて青ざめた無表情で、バリーはかすれた声で降参の意思を告げたのだった。




