アニオタ、ひどすぎる舐めプをする
中国武術をインチキと決めつけ、その圧倒的な筋肉と体格を活かして潰して回るバリー・ロゥ。
そのバリーに対し、中国武術側の常春が「ハンデ」を付けると言い出したのだ。
これ以上ないほどの挑発だった。
バリーの余裕綽綽な顔が、見る見る険しくなっていく。
「……なあお坊ちゃん、俺、耳悪くなったんかな? 今、お前さんの口からクソ舐めた台詞が聞こえたんだけどさぁ」
「僕、ハンデをつけて戦いますから」
その言葉が、この『打假狼』を名乗る男の琴線を棒ヤスリでゴリゴリ擦るものであることを知った上で、常春はあえてそれを強調した。
険しい表情に加え、顔が徐々に真っ赤になっていくバリー。
そんなバリーをよそに、常春は李響に視線で下知を送る。
李響は広間の物入れにあるロープを持って常春へ歩み寄ると、それを常春にグルグルと巻き付け始めた。
両腕も巻き込んできつく巻き付け、堅く結んで固定した。
常春の上半身は簀巻き同然の有様となった。当然、腕は使えない。だが足は問題なく動く。
「はい。これがハンデです。それじゃあ今度こそ始めましょうか」
上半身ミノムシ状態のまま、常春はまた煽るような満面の笑顔を見せてそう言った。
バリーはもはや我慢の限界だった。
「——舐めんな小僧っ!!」
憤激に身を焦がしつつ、バリーは床を蹴って瞬発。怒気によるボルテージの高まりによって瞬発力がいつもより強靭になり、砲弾のごとくミノ常春へ突っ込んでいく。
両腕を翼のように大きく開きながら迫るバリー。最初に選んだ技は殴る蹴るではなく、スピードと体重、そして体の面積にモノを言わせたタックルだった。
両腕を広げているため、横に避けることはできない。逃げてもどこまでも追いかけ続け、腕力と体重にモノを言わせて押さえつける。……多くの「達人」を黙らせてきたバリーの得意技であった。
この小僧もきっと、避けられない。
こいつも今までぶちのめした奴同様の負け方をする。今日も圧勝だ。
生意気なミノムシ小僧の姿が、もはや吐息がかかりそうなくらい近くなる。
だが次の瞬間——その姿が消えた。
「は!?」
インパクトの寸前に一気に渾身の力を込めたバリーの体は、目標をロストして空回り。勢いのまま前のめりに転んだ。
床に転んだ痛み。しかしバリーはそれを感じとりつつも、事実として受け入れることがうまくできなかった。
——どういうことだ? あの小僧はどこに行った?
常春が消える直前までの距離は、もう側面へ逃げようとしても間に合わないほど近くだった。
普通に逃げようとしても、間に合わないはずなのだ。
なら、一体何をした? どうやって避けた? 不可解な現象に頭の中がパニックを起こす。
しかし混乱していても仕方がない。渦巻く迷いを気合いでねじ伏せ、勢いよく立ち上がって後ろを振り向いて、
間近まで来ていた常春と目が合った。
「っ!!」
驚きながらも、肉体はファイターとしてふさわしい行動を自然に、かつ迅速に刻んだ。鞭のような前蹴りを常春へ放つ。まともに当たればノックアウトは免れないほどの鋭く重いひと蹴り。
しかし常春の姿がまたも消えた——と思った瞬間に真横から重さの塊が衝突し、バリーは突き飛ばされた。常春は前蹴りを避けつつ側面へ移動し、重心移動の勢いを込めた体当たりを叩き込んだのである。
バリーは転がって受け身を取りつつ、一度常春から距離を離した。
起き上がり、構えをとり、その構え手越しに少年を睨んだ。
「どうですか? 足さえあればなんでもできるのが中国武術なんです」
この戦いが始まる前となんら変わらぬ、呑気っぽい態度でそう告げてくる常春。
無論、癪に触った。
バリーは静かな怒りを肚に溜め、すり足で常春へ近づいた。
ジャブ、ジャブ、フック、アッパー……これまで戦ってきた武術家が全く対応できなかったパンチの応酬を幾度もかますが、どれ一つとしてこの少年には当たりも擦りもしなかった。最小限の動きだけで避けられる。
(クソッ、一体どうなってやがるっ!)
まるで煙と戦っているみたいだった。
やけくそ気味に前蹴りを放つ。
だが常春はその前蹴りが持ち上がるのに合わせて高々と跳び上がり、バリーの両肩に着地。どっしりとした重みは感じなかった。まるで大きな綿がふんわりと肩に乗っかり、それがじんわりと重さを増していくような、染み入るような加重。
その動きを不気味に思うと同時に、確信する。最初のタックルもこうやって避けたのだと。
「蟷螂拳の身法『揶』です。相手の「気」を感じ取り、その「気」が向かう方とは逆の方向に逃げる」
「うるせぇ!」
高みから解説してくる常春に腹が立ち、体を振って落とそうとする。だがその「気」を直前で察知した常春は一瞬速くバリーの肩から背後へ降りていた。
「ぐぅっ!?」
ワンテンポ反応が遅れたバリーは、背後の常春から一発蹴りをもらう羽目になった。巨体が前のめりに流される。
体勢を整えてから、常春を強く睨む。
——自分は今、中国武術に押されている。
しかも子供に、しかも腕の自由が利かない相手に、良いように弄ばれている。
それを感じたバリーが胸に抱いた感情は、期待と激情だった。
この少年なら、自分の夢を叶えてくれるかもしれない。
しかしそれを認められない。認めたくない。もし認めてしまえば、今まで格闘技に取り組んでいた自分を否定してしまうことになりかねない。
そうだ。戦いはまだ始まったばかり。だからこれはマグレだ。これからあの小僧は疲れ果てて、あのキレのある動きができなくなっていく。スタミナで自分たち格闘家に叶うはずがない。
やっぱり中国武術なんてクソだ。
クソでなければならないのだ。
「このクソがァァァァァァ!!」
もはやカメラの前である事すら忘れ、バリーは燃え上がった。
牽制のジャブを幾度も発し、常春が避けるために顔を逃す位置を先読みし、そこへ渾身のストレート。もはやアマチュアに使っていい威力ではなかったが、バリーは構わず発した。
だが、先を読んでいたのは常春もまた同じだった。固定された回避のパターンをわざと作り、その中でバリーが狙ってきそうな隙を読んで、身を屈んで紙一重で避けた。大人と子供ほどの身長差を利用した回避の流れそのままに懐へ足を寄せ、その足に勢いよく重心を送り込んで発勁。ロープに包まれた肩口から衝突した。
「かふっ……」
極めて小さなモーションから繰り出された勁の体当たりは、バリーに息が一瞬詰まるほどのインパクトを与えて弾き飛ばした。
しかし、足を踏ん張らせて勢いをねじ伏せ、まだそれほど距離が離れていない常春のうなじに片腕を回した。捕らえた瞬間、もう片方の腕も回してしっかりホールドする。
これで逃げられない。過去に少しかじったムエタイ式の首相撲だ。首の後ろに腕を回して逃げられない状態から、執拗に膝を打ち込んでやる。相手は腕が使えないし、そもそもこれほどの至近距離では蹴りすらまともに使えまい。
バリーは勝利を確信しながら、膝を突き出した。
しかしその膝は、常春が胸中に抱えるように持ち上げた片足の指によって受け止められた。
防がれた。
だがそれだけではない。
(足が、動かない……!?)
常春の足指は、バリーの膝蹴りを受け止めると同時に、その膝にある経穴「伏兎」も刺激していた。そのせいでバリーの片足は電流を流されたように一時的に麻痺していた。
片足立ちでよろけるバリー。
そんなバリーの股下に、足を滑り込ませる常春。
その足へ重心を移し、肩口から体当たりを繰り出した。
バリーは麻痺した足に意識を奪われ、それ以外の箇所の「気」が薄まっていた。常春の体当たりは気の薄まった胴体に打ち込まれ、衝撃以上のショックをバリーに与えた。
「かは——」
あと少し勁を強めていれば、心臓が止まっていただろう。
呻きと気絶のみで事なきを得たバリーは、意識を闇の中へと沈めていった。




