アニオタ、歓迎できない客をニッコニコで招待する
「——とまあ、こんな感じの動画を見つけたんですよ」
場所は「至熙菜館」の地下にある大広間。常春は土曜日の午前中『正伝聯盟』神奈川支部の面々と茶を交えて会話をしている最中に、以前に見た動画を話題に出した。
中華円卓を囲う『三老』を含む会員の面々は、十人十色の反応を見せていた。
その中で最も激したリアクションを見せたのは李響だった。
「畜生、『打假狼』の狗野郎め、またしてもふざけた真似をっ! もし見つけたら俺が思い知らせてくれる!」
勢いよく立ち上がり、燃えるような怒気を見せた。
常春は愛想笑いを浮かべながら、
「まあまあ、落ち着こう李響さん」
「伊勢志摩老師は悔しくないのですか! この男は武術の真髄を見ないまま、全てを知った気になってこのような傲慢さを見せている! 一を聞いて百まで知ったつもりでいるこの男を腹立たしく思わないのですかっ!?」
しばらく収まりそうにない。そう思わせる怒りようだった。顔が真っ赤っか。
「落ち着こう落ち着こう……ところで李響さん、『打假狼』って何ですか?」
「ふぅっ…………い、伊勢志摩老師はご存知ないのですか?」
呼吸で怒りを一時的に鎮静化させた李響は、そう言って目を丸くした。
——ちなみにあの一戦以来、李響の常春への態度は一気に軟化した。まるで『三老』と同じ存在であるがごとく敬い、呼称も「日本人」ではなく「伊勢志摩老師」に変わっていた。
あれだけ対抗心を見せていたのが嘘のようである。
さらにそんな李響を見て、『三老』の一人である慧晃徳の無表情が、ほんのかすかだが微笑の形になったように見えた。……もしかすると、彼が何かしたのかもしれない。常春はそう考えた。
閑話休題。
同席していた孫麗剣が、常春の問いに答えてくれた。
「『打假狼』ってのは、格闘系ヨーツーバーのことさ。英語呼称は「フェイク・ハンター」。つまり「ニセモノ狩り」ってわけさ。あ、このアジア系のデカブツが本人だよ」
麗剣は動画の中の大男を指差した。
すると消去法的に、動画タイトルの「梁君山」なる人物は、もう片方の細い初老の男ということになる。
常春はおとがいに指を当てて、
「『打假狼』……そのハントする「フェイク」っていうのは、やっぱり」
「ああ。このデカブツ「中国武術なんかインチキだ」って豪語して、武術の「名手」を自称してる武術家を片っ端から叩き潰してその映像をアップしてるイキリ野郎だよ」
麗剣も気分が良くないのか、刺々しい言い方をする。
沈めていた怒りが再燃したのか、李響はフンと不快げに鼻を鳴らしてまくし立てた。
「あんな似非武術どもを名手扱いしないで欲しいものだ! やられた連中の套路を動画で見させてもらったが、明らかに文革以降に改悪された中国武術だ! この梁とかいう男の太極拳は防御に使う手の動きが横円ばかり! 古い太極拳は縦円の動きも積極的に用いるのだ! ふん、郭老師の太極拳を見せてやればいい! 他の似非達人どもなんか、恥ずかしくて引っ込むだろうさ!」
「よしなさい、響。その物言いは失礼だよ」
『三老』の一人、郭浩然がそうたしなめた。
「この二人が戦って、太極拳使いが負けた。それでいいじゃないか。確かに、この梁氏の敗北だけで中国武術全てがニセモノ扱いされることは心外だが、本物の武術はあんなものではないという真実は、我々が知っているじゃないか。それで十分だとは思わんかね」
「うむ! 周囲の反応を気にしてばかりいたら、早めにハゲてしまうぞ李響!」
浩然の二の句に、『三老』の一人である小樽景一が暑苦しく同意した。
言いくるめられつつも、なおも納得いかないと言わんばかりの表情を浮かべる李響。
常春は気まぐれに、この動画のコメント欄を覗いてみた。英語、中国語、スペイン語など、多様な言語のコメントで埋め尽くされているが、どれも問題なく読めた。
不思議なことに、コメント欄には彼を非難する声が少なかった。それどころか、『打假狼』に対する称賛の声もある。
——きっとそれは、相手が「達人」を自称していたからである。
「達人」であるならば、そもそも格闘技選手になど負けないはず。しかし負けた。ならばそいつは「達人」ではない。『打假狼』はそのインチキを暴いたのだ……そんな「勝負の世界である」という前提を置いての意見がほとんどである。
『打假狼』を非難する少数のコメントに共通するのは、「勝負の世界」を基準に語っていない「若者が老人をいたぶるなんて酷い」みたいな一般論。
どちらかと言うと、常春は『打假狼』称賛の意見に賛成である。
厳しいようだが、「達人」「名人」を自称するからには、それを証明できるだけの腕前がなければならないと常春は思っている。
なぜなら「達人」とは、長年にわたる修練だけでなく、数多くの実戦経験で養った海千山千の感覚も兼備した存在なのだから。それを名乗るからには、強さを証明する道からは決して逃れられない。
そう。「達人」という呼称は、挑発の意味合いも持つ。勝負を挑まれ、叩きのめされても、文句は言えないのだ。
だから、常春はどんなに強くなろうとも、自分のことを決して「達人」とは名乗らない。平和な「日常」を生きていきたいから。
——けれど一方で、「達人」だと周囲が決めつけてしまった結果、「達人」にされてしまったという悲しい人物も多い。もしかするとこの梁君山なる人物は、そういう類の人間なのかもしれない。
いずれにせよ、この『打假狼』の話は、ここで打ち切った方が良さげだろう。
常春が話題を切り替えようとしたその時だった。
「た、大変! 大変ですぅぅ!」
突然扉が開いたと思ったら、血相抱えて一人の少女……もとい少年が飛び出してきた。
優しく整った中性的顔立ちに、背中に垂れた太い一本の三つ編み。華奢で小柄なその体にTシャツとジーンズというラフな服装を通したその美少女のごとき美少年……曹宝仁は、開かれた薄型ノートPCを片手に血相抱えて入ってきた。
「何だい、騒々しいねぇ」と麗剣が眉をひそめると、宝仁は数回深呼吸して心を落ち着けてから、円卓まで歩み寄ってきた。
「こ、これを見てください」
電源がついたままのノートPCを円卓に置き、並んで座っている『三老』に見えるようにした。
つられて全員が、PCの画面を見ようと集まる。
同じく画面を見ていた李響は怪訝な顔をして言った。
「何だ、「説明会参加希望者用メールボックス」じゃないか。これがどうかしたか」
——この『正伝聯盟』は、一団体であると同時に、武術道場でもある。
しかし、普通の道場と違い、少し変わった入門方法をとる。
一年に二回、この地下室で「説明会」を開催する。
そこで一時間半ほどの間、中国武術の歴史と現状について講義するのだ。それから来場者に入門するか否かを決めさせる。
たとえ入門しなくとも、中国武術の事情を理解して帰ってくれるだけでも十分である。それが、正伝か、ニセモノかを見分けるきっかけになるからだ。
正直言うと、伝統的殺人拳に興味を持つ現代人は少ない。なので、説明会に参加希望があるだけ儲け物と言える。
メールボックスには、新しいメールが一件。つまり「儲け物」が来たのだ。
しかし、宝仁によって開かれたメールの差出人とその文章は、聯盟のメンバーを喜ばせなかった。
簡体字中国語で、次のように書かれていた。
『正伝聯盟へ
今年の夏に行われる「説明会」に参加したいと思い、こうして一報送らせていただいた。
だが非常に遺憾ながら、中国武術というものに、自分は胡散臭さを禁じ得ない。
なので、今回の説明会は、その胡散臭さを払拭できるものであることを強く期待している。
できなければ、返信は必要ない。
——————打假狼』
しばしの間、それなりに賑やかだった部屋に、縮こまるような沈黙が訪れた。
差出人の名前が『打假狼』であるところから、その上から目線なメールが意味するところを全員が理解した。
——これは「挑戦状」だ。
説明会にかこつけて、『正伝聯盟』の化けの皮を剥がしてやろうという意思が丸見えである。
中国武術を愚弄して回る災害『打假狼』の爪が、ここにまで及ぼうとしている。
来て欲しくないのならどうすればいいか? 簡単だ。返信を送らなければいい。地図を添付したメールを送らない限り、向こうは正伝聯盟神奈川支部の場所を知ることができないからだ。
だが、それをすれば、向こうはこちらを「逃げた」と考えるだろう。「できなければ、返信は必要ない」という文に、そんな匂いがする。
真っ先に憤慨したのは、やはり李響だった。
「上等だ! 来たければ来るがいいっ! 後悔させてくれるっ!」
そんな李響を、麗剣は比較的落ち着いた態度でなだめにかかった。
「響兄ぃ、落ち着きなって。こんなの相手にする事ないって」
「何故だ!? 向こうからノコノコとやってきてくれるというのだぞ! 奴の高慢ちきな態度を改めさせる好機っ!」
猛火のごとく燃える李響に対し、宝仁もまたオドオドした態度で口を挟んだ。
「ボ……ボクも、麗姉さんと同意見ですっ。ボ、ボク達『正伝聯盟』は、正しい形の武術を正しい形で広め、残すための組織なんですから。き、響兄さんのお気持ちは察しますけど、どうか抑えてっ」
『三老』の意見は、次のような感じだった。
景一「こういう元気が良い若造は嫌いじゃない! 一度招いてみてはいかがかな!?」
晃徳「反対する。過激で礼を欠く者に教える必要はない。余計な諍いを呼ぶ」
浩然「来てもらうだけでも私は良いと思う。別に入らなくても良いんだ、武術がどういうものかを知ってくれるだけでも構わない。そのための説明会じゃないか」
招待派:小樽景一、郭浩然、李響
無視派:慧晃徳、孫麗剣、曹宝仁
見事に真っ二つに意見が分かれた。
……否。常春がまだである。
六人の視線が、自然と常春へ集中する。
常春の意見がどちらかに傾けば、そちらの方向に行動がシフトする。そんな雰囲気があった。
常春はしばし思案する。
宝仁の言うとおり、この『正伝聯盟』は伝承のための組織だ。余計な争いに率先して参加する事は愚かと言える。
だが、中国武術というジャンルが、世界中から賛否両論であることもまた事実。
正直に言おう。——この『打假狼』、麗剣と宝仁には勝てるかもしれないが、その他五人よりは弱い。動きを見ればすぐに分かる。プロ格闘選手並みに鍛えられているが、それでも常春と李響、そして『三老』には及ばない。
孫氏の兵法でも、「勝てない戦いには参加せず、勝てる戦いに参加せよ」と言っている。
それを考えると、今回の一件は、中国武術の実戦性をアピールする絶好の機会ではないだろうか。まして、相手は世界的動画サイトに投稿している動画配信者で、チャンネル登録者数も万単位に達していた。お誂え向きの相手と言えないだろうか。
付け加えて、常春個人としても、『打假狼』のやっていることに対して思うところがあった。
答えは決まった。
「僕は、『打假狼』さんを招待する方に賛成します。——良い機会です、彼に異世界を見せてあげましょう。怒りではなく、笑顔と友誼をもって」
中国人は「狗」とか「狼」とかっていう単語を侮蔑的ニュアンスで使います。
カードキャプターさくらの小狼くんも、中国では小明くんに変更されてます。




