アニオタ、進路にちょっとだけ悩む
光陰矢のごとし。
6月に入りたてだと思っていたら、いつの間にか7月になっていた。
高校一年生ならばもうすぐ夏休みだと喜べるのだろうが、常春の所属する二年生は必ずしもそうではなかった。すでに高校生活の半分を使い切り、そろそろ就職やら受験やらの事を考えなければいけない時期に来ているからである。
だが、この段階で明確に進路が決まっている者は少なかった。そういう人物は大体が有名大学狙いで、現時点から受験勉強に取り組んでいた。
昼休み。屋上前の階段の一段に、常春と頼子は隣り合わせで座りながら購買のパンを食べていた。
「常春はさ、進路どうすんの?」
頼子が不意にそう尋ねてきた。
数センチ開けて隣に座る常春は、んーと考える仕草を見せながら、
「まだ全然決まってないかなぁ」
「そっか、常春って結構成績良いみたいだから、大学進学とか狙ってるのかと思ってたけど」
頼子は期末試験の結果を思い出しながらそう言った。常春は掲示板に貼り出されていた総合得点順位で3位をぶっちぎっていた。28位の頼子とはえらい差だった。
「今の所、コレに焦点を絞って勉強したいって思うモノはないかな。教養をつけるだけなら、本を読むなりすればいいだけだし。頼子は進路どうするの?」
「ウチは就職かなぁ。お金に余裕があるわけじゃないし。なんかごめん、つまんない答えで」
「ううん、堅実だと思うよ。少なくともフラフラしてる僕より、明確に進路が決まってる頼子の方が立派だと思うな」
「……ありがと」
頼子は少し照れ臭そうにレモンティーのパックをあおる。
全て食べきった常春は、スマホを起動。ホーム画面に表示されているアプリケーションのアイコンをタップした。
今や世界に冠たる超大手動画配信サイト「ヨーツーブ」。日本のネットでは「腰痛部」という腰に悪そうなスラングで呼ばれているサイトにアクセスした途端、動画一覧が表示された。
常春という人間の視聴ジャンルやジャンル毎の頻度などをAIが学習し選出した動画は、主にアニメ関連、ときどき武術関連というジャンルだった。伊勢志摩常春という人間の本質を、動画サイトのAIははっきり暴いていた。
最初に出てきた動画を見て、常春は心が踊るのを感じた。
「お、更新されてる」
はやる気持ちの赴くままにタップしたその動画は、今をときめく大人気声優仁科透華が新しく配信したものだった。
そう。仁科透華こと中里初音は、声優であると同時にヨーツーバー……腰痛部の動画配信者でもある。
本人の趣味か、あるいは所属先の意向かは定かではないが、人気声優の彼女が配信した動画は、動画の種類にもよるが、一日で100万回再生を優にぶっちぎるほどの勢いがある。
更新は不定期。内容はゲームの実況だったり、お菓子の感想だったり、日常の中の小話だったりと様々だ。「お茶茶茶」一期のエンディング曲に合わせて踊った動画なんかは、アップした途端にネット上でドカンとバズった。常春も透華の真似をして姿見の前で踊り狂った。我ながらキモいと思った。
『えっと……今日は、ちょっと前に起きた、嬉しい話をしたいと思いますっ』
どうやら、今回は小話のようだ。
……平日のこの時間にアップしたのは、高校生という身分を知られないためかもしれない。
『皆さんは、自分が「本当だ」と思っていることを、周りから「嘘だ」って否定されたこと、ありますか? 必死に真実を言っても、信じてもらえなかったこと、ありますか?』
『わたしは、一度だけそんな経験がありました。わたしは一時期、それでとても悩みました』
『でも、ある人がわたしに言ってくれたんです。「周囲が信じるか信じないかが、そんなに重要なのか」と。「周りが何と言おうと、自分の中にある「真実」は絶対に殺せない」と』
『わたし、これを聞いて目が覚めました。わたしに必要なのは周囲の信用度を気にすることじゃなくて、自分の中の「真実」をねじ曲げずに戦い続けることなんだって、気がついたんです』
『以前、それを教えてくれたお友達に、わたしは本当に感謝しているんです』
『皆さんも、わたしと同じような状況になっても、どうか自分の中の「真実」を大切に持っていてください。それはきっと、あなたを先に進めてくれる、大切な道標ですから』
『——今日のお話は以上ですっ。ご清聴ありがとうございました。よろしければ、チャンネル登録をお願いしますね』
可愛らしく締めくくられたその動画を視聴後、常春は他人事ではない感情を覚えた。
視聴者から下衆の勘ぐりを受けない程度にボカされているが、今の話は間違いなく常春と交流した時の事だ。
自分が何気なく口にした言葉が、彼女の助けになったと知った常春は嬉しくなった。口元が自然と綻ぶ。
ふと、隣からチクチクした気配を感じとる。
頼子が、何だかぶすっとした顔で常春を見ていた。
「どうしたの、頼子?」
「べっつにぃ」
ぷいっ、とふてくされたようにそっぽを向いた。
首を傾げつつ、常春は再びスマホのディスプレイへ視線を落とした。
透華のその動画を引っ込めてから、気まぐれにスクロールする。
やがて、ある動画が目に付いた。
『Fake master getting destroyed——梁君山(Liang Junshan)』
翻訳すると「ニセ達人をぶちのめした」。
一番最後にピンインとセットで書かれた中国名は「梁君山」。……文脈から察するに、この梁君山なる中国名が「ぶちのめした」対象なのだろう。
不穏な匂いと、ほんの少しの好奇心から、常春はその動画を見た。
高画質カメラによって映し出されているのは、二人の男。片や2メートルを超える大男、片やそれよりも頭ひとつ分以上小柄で線の細い初老の男。
向かい合って立っている二人。余裕そうでいて立ち姿に闘気をにじませた大男と、静かな憤怒を表情に表す初老の男。いつ殴り合ってもおかしくない一触即発の雰囲気があった。
不意に、大男が口端を吊り上げて、煽るような中国語で言った。
『宣言してやる。俺は右手しか、しかもパンチ一発しか使わない。代わりにあんたは両手でも両足でも使って好きに攻めてきな』
『なんだとっ!?』
『ハンデだよ。こうでもしなきゃ、ただの老人痛ぶりショーになっちまって視聴者がつまらないだろうからな。エンターテイメントってやつさ』
『貴様……調子に乗りおって!! その慢心を後悔させてくれる!!』
感情の沸点を突き抜けた初老の男は、構えを取って燃える戦意をあらわにした。
互いに構え、出方をうかがうように沈黙する二人。
だが不意に、大男の構えに「穴」が生まれた。——それが精神的余裕からわざと作った穴であることを、常春は読み取っていた。
その穴にまんまと引き寄せられた初老の男の正拳が迫る。
大男は体をひねって、その正拳の外側へ我が身を逃す。それからほとんど間を作らず、相手の顔面にパンチを叩き込んだ。
カウンターが綺麗に決まり、初老の男が鼻血を散らしながらぶっ倒れた。
もはや勝敗は誰の目から見ても明らかだろう。
大男はカメラへ向かって、興奮したように英語で叫んだ。
『見たか! この俺の拳によって、また一人フェイクマスターの化けの皮が剥がれ落ちた! 俺はまだまだ止まらないぞ! この世に存在する中国武術全ての化けの皮を剥がし切るまで、俺は戦い続ける! それが、俺の格闘家としての天命だからだ! ——ご清聴ありがとう、チャンネル登録よろしく!』
動画はそこで終わった。




