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フェイク狩り

 格技用のパズルマットが一面に敷かれたその部屋は、入口から見て奥行き10メートル、横幅5メートルほどだった。壁には中華圏の刀剣や槍、またセピア色の遺影が飾られている。


 部屋の真ん中に置かれた応接用の簡易テーブルが、拳で激しく叩かれた。


「何だと!? 貴様、もう一度吐かしてみろっ!!」


 そのテーブルには、二人の人物が向かい合って座っていた。その片方の男が、ネイティブな中国語でそう怒鳴りつけた。


 灰色になった短い頭髪に、憤怒で歪んだ初老の顔。赤い唐装に身を包んだその体軀は、長身だが肉付きに欠ける細身。

 

 (りょう)君山(くんざん)。太極拳などの名手として、武術界に名の知れた人物であった。格闘系雑誌や武道雑誌でもときどき記事を出している。


 もう片方の男——大柄な体格をした男が鼻で一笑し、同じく流暢な中国語で返した。


「だから、言ってるだろ? あんたらの使う中国武術なんざ「(フェイク)」だってさ。頭ん中ネバーランドな日本人は引っ張り込めると思って日本で武館なんか開いたんだろうけど、俺は騙されんよ?」


 顔立ちこそ精悍で力強そうな東アジア人のものだが、サイズギリギリなシャツとハーフパンツが見せつける隆盛な筋骨と2メートルもの身長は、どう見ても一般的な黄色人種とはかけ離れていた。


 バリー・ロゥ。テキサス州出身の中国系アメリカ人。


 黒龍江省にルーツを持つ父親譲りの体格は、中国東北人特有の骨太さを持つ。それを総合格闘技のウェイトトレーニングで叩き上げた結果、要塞のごとき堂々たる巨躯へと至った。


 見た感じバリーよりも体格が貧相な梁が、火を吹くように怒声を吐いた。


「ふざけるな! ならば何故見学などと称してここに来た!? 我々の武術が偽物だというのなら、そもそも相手にしなければいい話だろう!」


「かもしれないねぇ。けどなぁ、俺の性分がそいつを許せないのさ」


 言うと、バリーはおどけた道化のように両手を広げ、


「発勁? 気? 柔よく剛を制す? 笑わせんなよ。そんなもんは全部嘘っぱちだ。中国人特有の白髪(はくはつ)三千(さんぜん)(じょう)と、気功と称して波動拳出す類の武侠小説によって醸造された「(フェイク)」。俺はなぁ、お前さんみたくそんな「(フェイク)」で客と金集めてる奴を見ると吐き気がするのさ」


「黙れっ!! ならば貴様は一体何がしたいというんだ!?」


「この話の流れで分からないかな? つまり俺が言いたいことは——実際に俺とやり合って実力を証明しろって話だよ」


 梁の顔が、何かに感づいたような表情を浮かべた。


「……そうか、どこかで見たことのある顔だと思ったら……貴様、噂に聞く『打假狼(ダージァラン)』だな!?」


「お、嬉しいね。チャンネル登録者が増えてる影響か、俺の顔も割れてきてるってわけか。なら話は早い。今すぐ俺と試合してくれよ」


「ふざけるな!! 誰が貴様のような無礼者と手を合わせるか!! とっととここから出て行け!! 二度とくるな!!」


「ああいいさ、出てけと言われれば出ていく。けどその代わり、俺はあんたを「(フェイク)」と見なすぜ。あんたはそれでいいのか? 中国武術は儒教の伝統を受け継いでいる。つまり祖先崇拝。祖先……つまり老師のメンツは、末裔であるあんたが引き継いでいることになるわけだ」


 ここでバリーは、二つの選択肢を暗に突きつけた。


 勝負から逃げて祖先代々のメンツを潰すか。

 勝負に負けて祖先代々のメンツを潰すか。


 酷いクソを選ぶか、マシなクソを選ぶかの二択。

 

 ちなみにバリーは「勝負に勝って祖先代々のメンツを保つ」という選択肢を入れたつもりはなかった。


 勝てるわけがない。そんな確信を抱いていたからだ。


「……いいだろう。貴様に身の程というものを思い知らせてくれる」


 食いついた。


 バリーはニヤリと笑い、立ち上がる。

 座っていたパイプ椅子とテーブルを端っこに退けてから、持ってきていた筒状のスポーツバッグからミラーレス一眼カメラと三脚スタンドを取り出し、道場の端に設置した。カメラを調整してから録画開始。


 録画中のカメラの前には、向かい合う大小の男。


「宣言してやる。俺は右手しか、しかもパンチ一発しか使わない。代わりにあんたは両手でも両足でも使って好きに攻めてきな」


「なんだとっ!?」


「ハンデだよ。こうでもしなきゃ、ただの老人痛ぶりショーになっちまって視聴者がつまらないだろうからな。エンターテイメントってやつさ」


「……調子に乗りおって!! その慢心を後悔させてくれる!!」


 二人は互いに構えを取った。


 梁の構えを見る。

 見たところ、体の中心は守れている。

 けれど、手足が構えの状態で凝り固まっていて、柔軟さに欠ける。下半身は浮き足立って落ち着きがなく、動きも鈍い。


 それを見た時点で、バリーは確信した。——ああ(・・)こいつ(・・・)やっぱり素人だ(・・・・・・・)


 対人練習を全く積まず、いざ実戦の場に立たされた者は、このような「固い構え」になるのだ。


 打って打たれての練習を繰り返すことで、格闘家は打たれることに対する精神的余裕を作り出す。そうすることで、試合時でも打たれることを過剰に恐れず、流動的で変化に富んだ防御を落ち着いて行えるようになる。


 ところが、中国武術ではそういう打って打たれての練習をする機会が悲しいほどに少ない。だから実戦では固くて変化しにくい動きしかできなくなる。


 さらに悪いことに、移動速度もノロマの一言に尽きる。常に動き回る相手と戦ってきたバリーにとっては、サンドバッグも同然だった。


 さっそく失望を覚えたバリーは、あえて構えに「穴」を開け、顔面への通り道を作ってやった。


 案の定、実戦での駆け引きに慣れていない相手は面白いほどソレに引っかかってくれた。梁は弾けるように飛び込み、重心の移動に合わせて拳を繰り出してきた。踏み込む足と同じ側の拳で突くソレは順歩捶(じゅんぽすい)という中国武術の突き技だ。


 形は良く練れている。だが、あまりに形通り過ぎた(・・・・・・)


 バリーは体重の乗ったその拳を腰の捻りだけで紙一重に回避してから、右拳を相手の顔面へ叩き込んだ。相手の突進力を利用したカウンターパンチ。


「おごぉ……!?」


 くぐもった呻きとともに、梁の細い体が後方へバウンドした。仰向けに倒される。


 梁は口元を押さえ、驚きと敵意を持った眼差しでバリーを見上げる。指の間からは鼻血が漏れていた。


「勝負あったな。まぁ、失神しなかっただけ、お前さんはタフだよ」


 バリーは慰めるようにそう言うと、今なお録画モードのミラーレスカメラへ向かって、火を吹くように英語で言い放った。


「見たか! この俺の拳によって、また一人フェイクマスターの化けの皮が剥がれ落ちた! 俺はまだまだ止まらない! この世に存在する中国武術全ての化けの皮を剥がし切るまで、俺は戦い続ける! それが、俺の格闘家としての天命だからだ! ——ご清聴ありがとう、チャンネル登録よろしく!」


 バリーはカメラの電源を切った。


 ミラーレスカメラは小さくて持ち運びが楽な分、バッテリーも小さく持続時間が少なめだ。


 しかし、中国武術ごとき、バッテリーが切れる前に倒せる。


 なぜなら、「(フェイク)」だからだ。


 少女ほどに小柄な老人が、雲衝くほどの大男を軽々と倒す……東アジア、特に中国大陸では、そんな武術家の伝説が数多い。


 だがバリーはそんなものは信じない。


 バリーが信じるのは、鍛え抜いた筋肉と、シンプルイズベストな格闘技だけ。


「……待て、無礼者」


「あ?」


 さっさと荷物をまとめて帰ろうとしていたバリーに、梁が鼻声で呼び止めた。


「確かに、今回は私の負けだ。それは、認めざるを得ない……だが、私一人を下した程度で、中国武術全てが軽んじられることは我慢ならん」


「おいおい、俺の事知ってんだろ? 俺はあんただけじゃない、多くのニセ達人をぶちのめしてる。そろそろ両手両足の指を全部使いそうなくらいな」


「だとしても……中国は広い。中国だけじゃない、世界中に同胞がいて、祖先の武術を細々と伝承している。貴様は砂丘一つを登り終えただけで砂漠全てを踏破した気になっている愚か者。一知半解(いっちはんかい)だ」


 はっ、とバリーは両掌を上へ向けて鼻で笑う。


「前にも同じような事を言った奴がいたな。それで? お前さん方はいつ「本物」っていうのを俺の前に寄越してくれるんだい? いるのならとっとと連れてきてくれ。いれば、の話だが」


「——『正伝聯盟(せいでんれんめい)』」


 梁は、その単語を口にした。


 聞き覚えのない単語に、バリーは首を傾げる。


「知らんのか。中国武術をさんざん貶す割に、不勉強なことだ」


 「Orthodox(正伝) kung-fu() union()……」バリーの口が、初耳の単語をそらんじる。


「そうだ。正統派中国武術の伝承を守る集団。彼らの実力は、私など比べ物にならない。本物の中国武術が知りたければ、その『正伝聯盟』を尋ねるがいい。……貴様のその増上慢(ぞうじょうまん)が続くのも、そこまでだ」


「……へぇ」


 バリーは少しばかり興味を抱いた。


「なら、教えてくれないか? その『正伝聯盟』って連中の根城がどこなのか」


 目的は単なる観光旅行、ついでに日本に巣食う「(フェイク)」を狩る。そのために日本へ来たつもりだった。


 が、これは少し面白い旅行になるかもしれない。


 そんな無自覚な期待を抱いていたバリーだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 待ってました。 新章、楽しみです
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