side槙村 修行編《3》
下地が去った後、槙村はいちおう滝行に励んでみたのだが、
「ぎゃーーーーー!! 死ぬ! マジ死ぬっ! 凍え死ぬっ!! 耐えられねぇっ!!」
延髄が凍りつきそうなほどの冷たさに襲われ、槙村はわずか2秒でギブアップしてしまう。
ジャブジャブと滝壺を歩き、滝の落水地点から大急ぎで離れる。
残留した冷気で、体が意思に反してブルブルと震える。歯の根が合わない。
ダメだ。何回やっても長く当たり続けていられない。
何度もチャレンジしているが、全くもって上達しない。
いい加減イラついてきた。
一度体を温めるため、槙村は滝壺から上がって日向へ避難した。
「くそったれ、こんな非科学的なことやってられっか! 科学の力で化けの皮はいでやる!」
そう毒づきながら、槙村は置いてあるスマートフォンへ手を伸ばそうとして、止めた。
「…………ちっ、やりゃいいんだろ、やりゃよ」
槙村はぶつくさ言う。
ここで検索に頼るのは簡単だ。けれど、それだと負けた気がする。だから、まだやりたくない。
しばらく日向で体育座りして体温を回復させてから、再び滝壺へ足を踏み入れる。
「何が「耐えられねぇ」だ。師範も言ってたじゃねぇか。「我慢大会じゃない」「耐えようと思うな」って。我慢しようと思うな、受け入れろ、受け入れろ、受け入れろ……」
念仏を唱えるみたいに言いながら、槙村は再び煙みたいなしぶきを上げる滝へと近づいた。
「受け入りゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
だがやはり、猛烈な冷たさと重さのダブルパンチで、今度は7秒で退散したのだった。
槙村の滝行は、夕方まで続いた。
滝に打たれて、体を温め、滝に打たれて、体を温め……と作業のごとく繰り返していくうちに、いつの間にか空は茜色に染まっていた。
そこでちょうど、下地が迎えにきてくれた。乾いたバスタオルを渡され、槙村はそれにくるまったまま滝を去った。
そのまま下地家に招かれ、家の風呂場を使わせてもらった。
熱いシャワーと浴槽で、芯まで冷えた体を温めた。
最初に着てきた服に着替えて脱衣所を出た後、鶴羽が言った。「夕ご飯、食べていきませんか?」と。
槙村はその言葉に甘えることにした。
メニューは豚の生姜焼きや、ミョウガの酢漬け、ナスの辛味噌炒めといった、体を温める効能を持った品々。槙村のことを気遣ってくれているのが一目で分かるメニューだった。しかも、全部鶴羽が作ったという。
下地、鶴羽、そして槙村の三人で食卓を囲う。
生姜の匂いで食欲が促進され、槙村はさっそく生姜焼きに箸を伸ばそうとしたが、それを鶴羽に止められた。鶴羽は悪い子をたしなめる母親のような口調で、
「まずは「いただきます」です」
と言われた。これは少々お行儀が悪かったようだ。
三人そろって、いただきますと言い、ようやく生姜焼きを口にできた。
「……美味いな」
槙村は思わず呟いた。
鶴羽は手を合わせて嬉しそうに、
「本当ですかっ?」
「ああ。そこらの飯屋より美味いと思うぞ。……んっ、このナスもいける」
お世辞ではない。本当に美味かった。
槙村は基本、食事は黙々とする。美味くても、わざわざ美味いと言うことは少ない。
つまり、言いたくなるほど美味いというわけだ。
「ありがとうございます。おかわり、まだありますからね」
喜ぶ鶴羽を眺めながら、槙村はひたすら箸を進めた。
「師範、食事はいつも鶴羽が作ってるんすか?」
「そうですね。私が作ることもありますけど、基本的に娘が作っていますよ」
「お父さん、ご飯が減っていますけど、おかわりはいかがですか?」
「ありがとう。お願いできるかい、鶴羽」
父から茶碗を受け取り、台所へと歩いていく鶴羽。足音がしなかった。
槙村はグラスの麦茶を飲み干して一息つき、改めて下地家の居間を見回した。
下地の家らしく、無駄なものがほとんど置いてない。引き戸の棚の上に、写真立てが三つ置いてあるくらいだ。
その写真立てを見る。鶴羽の面影を残した幼い女の子と、今とほとんど姿形が変わっていない父の姿が共に写っているところを見るに、家族写真だろう。
(あれ……?)
槙村はそこで気付く。
横一列に並んだ三つの写真立て。
左から右へ視線を移していくにつれ、写っている人数が四人、三人、二人に減って父と娘のツーショットになっている。
1枚目の写真立てを見る。下地の隣には、鶴羽に似た黒髪の美しい女性(下地の妻だろう)。その男女の前には、鶴羽と同じ顔をした小さい女の子が二人。
2枚目の写真立てでは、鶴羽と同じ顔の女の子が一人減っている。
3枚目の写真立てでは、下地の妻が減って、娘と父のツーショット。
これはどういうことだ——それを考えかけていたその時、コトンと茶碗が置かれる音。鶴羽がご飯をよそって戻ってきたのだ。
槙村はサッと写真から目を背ける。あまり他人の事情に首を突っ込むべきじゃない。ノータッチでいこう。
鶴羽が座ろうとして、止まった。その視線は、壁に張り付いた一匹の巨大な蜘蛛に注がれていた。
「うえっ、なんだありゃ?」
見た瞬間、鳥肌が立つのを実感した槙村。
鶴羽は対照的に嬉しそうな顔。
「アシダカグモ! お家を害虫の侵略から守ってくれる、寡黙で実直な軍人さんですわ! ああっ、お会いできて嬉しいです!」
言うと、鶴羽は壁へと駆け寄り、巨大蜘蛛に自身の腕を這わせた。
カサカサカサカサカサカサ。巨大蜘蛛は鶴羽の全身を高速で這い回る。
「うふふふっ」
鶴羽はこそばゆそうに笑い、
「ひぃぃぃぃっ!?」
槙村は真っ青な顔をして悲鳴を上げ、全身をかきむしる。
「お、おい馬鹿やめろ! 気持ち悪りぃモン見せんな! 全身がカユくなるし食欲失せんだよ!」
「まぁっ! アシダカ軍曹は気持ち悪くありません! ほら、もっと近くで見てくださいな! かっこいいでしょうっ?」
「うわーーーーー!! 馬鹿やめろ持ってくんなとっとと捨てろーーーー!!」
残念そうに巨大蜘蛛を引っ込める鶴羽。
……確信した。こいつ、見た目も性格も頭も抜群に良いが、変な女だ。
精神的に疲れてぐったりしながら、槙村は蜘蛛女の父親へ恨みがましい視線を向けた。
「……師範っ、あんた娘にどういう教育してんすかっ!?」
「あははは……」
下地は苦笑する。まるで諦めろとばかりに。
こうして、賑やかな夕餉の時間は過ぎていった。
虫嫌いの方、申し訳ないです……




