アニオタ、自己の責務を思い出す
場の空気が変わった。
さっきまでの和気あいあいとしていた雰囲気はすでに失せきり、常春一点に空気の塊が押しつけられているような圧迫感が生じていた。
それらを生み出しているのは、『三老』と呼ばれる達人たちに他ならない。
常春の心が、まるで条件反射のように臨戦状態となる。
その状態のまま、常春はゆっくり立ち上がり、改めて自己紹介をした。
「初めまして。僕は伊勢志摩常春です。本日はお招きいただき、光栄でございます」
「うん。まず『正伝聯盟』について説明しようと思うが……その前に、君が『閃電手』から学んだという蟷螂拳を、後から来たこの三人に見せてはくれないかね」
「分かりました」
常春は頷くと、すぐさま広い場所へと進み、蟷螂拳の基本の套路『小番車』を演じてみせた。
およそ50秒ほどで套路を終え、収式を終えた瞬間、小樽が拍手をしながら大きく太い声で称賛した。
「真厉害! 十代でそれほどまでに功夫を積んだ若者を見れる日が来るとは! いやはや、長生きはするものだな!」
「谢谢」
常春は拱手し、一礼した。席に戻る。
浩然はにこにこ笑い、晃徳は表情をまったく変えないまま小さく拍手をしている。『三老』の反応は軒並み好評のようだ。
だが、李響は相変わらず常春をジッと睨め付けたままだった。
それが気になったが、常春はとりあえず席に戻った。
「素晴らしい『小番車』だったよ、伊勢志摩くん。これで皆に証明された。……君が、我々『正伝聯盟』に関わる資格を持つことを」
浩然は一度言葉区切ってから、改まった口調で話し始めた。
「『正伝聯盟』とは、読んで字のごとく——中国武術の正しき伝承を守り、後世へ語り継ぐための組織だよ」
正しき伝承。
常春はその発言に、背筋を自然にピシッと立てた。
「悪貨は良貨を駆逐する、という言葉を知っているかね? ……中国伝統武術の現状を説明するには、その言葉が最も適当といえる。今や中国大陸には、真っ当な武術がほとんど残っていない。ある門派は文革で失伝に追いやられ、またある門派は実戦的機能性を抜き取られ、またある門派はただのスポーツに成り果てた。今や正統派中国武術は、その他多くの劣化武術の中に埋もれていってしまった」
次に小樽がウンとうなずき、熱く同意した。
「そうだな! まったくもって嘆かわしいことだ! ワシは文革前に本物の武術を学べたから、運が良かった方だな! 今や本物の中国武術は、日本の朱鷺と同じく絶滅危惧種といえよう!」
「……正統少林拳も、もう中国にはほとんど残っていない」
晃徳が、低く小さな声で言う。初めて彼の声を聴いた。
さらに浩然が続ける。
「中国武術が抱える問題はそれだけではない。……文革はたしかに終わったが、それで武術家の暗黒時代が終わったとは考えたくない。いつまた政変が起き、我らのような伝統を重んじる集団が睨まれるか分かったものではない。今なお殺人技法の伝承が中国でためらわれるのがその何よりの証拠だ。中国大陸は広大だというのに、我ら武術家の肩身は今なお狭いままだ」
彼らの懸念を、「考えすぎ」とは思えなかった。
中国人は数千年もの間、何度も王朝の代替わりを経験してきた民族だ。だからこそ、国や社会、政権というものがいかに儚く、脆く、移ろいやすいものであるのかを、数千年の経験則で知っている。
今の政権も、いつひっくり返るか分からない——彼らの懸念はもっともであった。
「だからこそ、我ら中国の武術家は考えた。この世界にいかなる試練や苦難が起ころうとも、武術という素晴らしい伝統文化を未来永劫存続できるシステムを作ろうと。
多くの国に根を張り、世界中に伝承の種を蒔き、優れた中国武術が残っていればそれを可能な限り手中に取り込み、どこか一箇所が政治的迫害にあえばその他の一箇所がそれをかくまい援助する……そう、まさに回教のように、武術という一つの主義を共有した相互扶助のシステム。それがこの『正伝聯盟』という組織なのだよ」
常春はそこで、彼らが自分を招いた本当の意味を知った。
「つまり、あなた方の目的は、僕の蟷螂拳を保護することなのですね」
「そうだ! 伊勢志摩少年、君が学んだ蟷螂拳は古き良き風格を濃く残した貴重なものだ! ワシらは是非ともそれを保護し、その伝承を途絶えさせることなく守っていきたいと思っとるのだよ! それをしないことは、武林の損失だ!」
うるさいほどハキハキ話す『三老』の一人、小樽景一。
「話は分かりました。しかし、僕もこの武術を伝承していないわけではありません。すでに僕は神奈川の米軍基地で、アメリカ兵や米国政府関係者たちに武術を教えています」
「その若さで大したものだ。しかし、そのアメリカ人たちは職務上の技術のみを求めているにすぎないのだろう。残念だが、技術のみを求める考え方では、中国武術の真髄を極めることはできないのだよ。我らの武術はただの戦闘術ではない。儒教、老荘思想、中医学という基盤の上に成り立った、一種の「学問」に等しいものだ。ゆえに、極めたければ技だけでなく、そこに含まれた歴史や精神性も学ばねばならない。それこそが「正しき伝承」なのだよ」
「……我ら聯合ならば、その「正しき伝承」の手助けが可能」
浩然の具体的な説明を、晃徳の手短かな言葉が補完する。
「うむ! ワシらはたしかに武術を広め、伝承を保護したい考えだ! しかし、無闇に人に教えて回ろうなどとは思っとらん! そもそも中国武術は、教えるべき相手を厳選してきた! それは正しい伝承を守るためであると同時に、簡単に人を死なしめ、使い方次第では完全犯罪すら可能となる危険な技術を教えるに足る人材を探すためなのだ! つまり伊勢志摩少年、君のその武術の全伝を教えるに足る人物の選別にも、手を貸してやれるということだ!」
さらに小樽が威勢良く補足説明した。
そんな『三老』の言葉を、常春は目を閉じて心の中で咀嚼する。
——たしかに、そのうち考えなければと思っていた。
常春とて、師から受け継いだこの貴重な蟷螂拳を、自分の代で終わらせるつもりなどなかった。きちんと情熱ある弟子を見つけ、その人物に伝えるつもりだった。
だが、そんな人物がなかなか見つかるはずもなく。いつしか常春の頭の中は日常系アニメのことばっかりになっていた。
今日、この『正伝聯盟』に招かれたのは、その責任と向き合う良いキッカケになるかもしれない。
「あらためて言おう。——伊勢志摩常春、我々のもとへ来ないかね?」
浩然のその言葉に対し、常春は口を開こうとして、
「——お待ちください、御三方!!」
ずっと沈黙を保ってきた李響が乱暴に立ち上がり、突然声を張り上げた。
「それはつまりこの伊勢志摩常春とかいう日本人を、あなた方『三老』と同じ立場に置くということなのでしょう!? 俺は反対です!」
李響は今度は常春へ鋭く視線を移した。
「そもそも、日本人の国術使いだと? 笑わせるな! 食い物も思考も身体感覚も生活習慣も我々と異なり、なおかつ考え方が浅薄で短絡的な日本人などに、深奥なる中国武術の真髄を身につけられるものか!」
その暴言に等しい言葉に対し、常春は気遣うような口調で言った。
「……あなたの師である小樽老師も、その日本人なのでは」
「小樽老師は良いのだ! 日本人と言っても、残留孤児だ。中国で生まれ育ってその文化や習慣に浸かったから、立派な中華社会の一員! だが貴様は違う! 確かに北京語は上手いが、日本人の気配が抜けていない! しかもなんだ、そのアホみたいなアニメキャラTシャツは!? 武術を舐めているのか!」
「アホみたいとは失礼ですね。これは「お茶茶茶」のやぶきたっていうキャラですよ。あと、武術はどんな格好でも出来るはずですが」
「ああ言えばこう言いやがって!」
バン! と李響は円卓を叩き、常春を指差した。
「おい、日本人! 宝仁を打ち負かしたそうだが、その程度でこの『三老』の皆様と肩を並べられると思ったら大間違いだ! 認めて欲しくば、力を示せ! 俺を戦って倒してみせろ!」
明らかに李響が勝手に話を進めているが、『三老』がそれを止める気配はなかった。
李響は『三老』を除けば、この神奈川支部においてトップの実力を持つファイターだ。
そして、そんな彼の言う通り、『三老』は常春が宝仁と戦うところしか見ていない。
李響という優秀な武術家とどれほどまでに戦えるのか、三人の達人は興味を持っていた。
武術とは結局、戦うためのものなのだから。
「……分かりました。受けて立ちましょう」
常春もそれを読んでいたからこそ、その挑戦を受けた。
李響くんは、別に日本人嫌いというわけではありません。普通に日本人の友達もいます。
ただ、「中国人とは文化が異なる日本人に、中国武術を真に極めることは無理だ」と考えているだけです。
そして実際、彼の意見は必ずしも間違っていなかったりします。
体の使い方や身体観の違いのせいで、日本人は中国武術を学ぶ上で結構ハンデがあったりするのです。
それを乗り越えるには、中国語や、中国の古代の思想や哲学を学んだりして、「中国人になりきる」ことがある程度必要なのです。
ちなみに共産主義は学ばなくて大丈夫です。




