アニオタ、三人の達人と出会う
「あの……お茶が入りました」
その言葉とともに、大きな円卓の一席に座る常春の前に茶碗がおずおず置かれる。茶碗から立つ湯気には竹林を連想させる爽やかな香りがついていた。
「ありがとう。これは……阿里山茶かな?」
「あ、はい! えっと、よくお分かりになりましたね」
渡した人物は、ぱあっと驚いた顔を見せた。
優しく整った目鼻立ちに、瑞々しい頬。背中に垂れた太い三つ編み。全体的に華奢な体つきで、背は常春よりも低い。……先ほどまで常春が戦っていた仮面の素顔だ。
どう見ても美少女にしか見えないが、れっきとした「少年」なのだそう。小動物みたいにおどおどした態度のせいで余計に見分けがつきにくいのがまたタチが悪い。
ちなみに今は中国語で会話をしている。そちらの方が相手も楽だと思ったからだ。
常春は茶を一口飲んでから、
「僕は伊勢志摩常春っていうんだけど、君の姉弟子からうかがっているかな?」
「あ、はい、すでに存じております。えっと、ボク、曹宝仁っていいます。その、絹沢学園中等部に通っています。あの、一年生です」
宝仁はぺこり、と一礼する。三つ編みが跳ねて落ちる。
絹沢学園は、このS市にある中高一貫校だ。二年前までは男子校だったが、少子化による生徒数減少の対策として共学化された。それでもまだ年数が浅いため、男女比は9:1と圧倒的に男子が多い。
「絹沢って、確かテニスとバスケが強かったよね」
「ふえっ? え、えっと、あの、確かそうだった気が……」
ただでさえおどおどした宝仁の態度が、さらに慌ただしいものに。まるで触れられたくない話題に触れられたみたいだ。
常春の隣の席に座っていた麗剣がニヤニヤした顔で、
「ねぇ宝仁さぁ、こないだ告ってきたテニス部のイケメン主将とは付き合うのぉ?」
「うわーーーーわーーーーーー!! そ、それ人前で言わないでって言ったよねぇっ!?」
宝仁が超真っ赤な顔で大慌て。…………あぁ、なるほど、そういうこと。
確かに共学化してなお女っ気が薄い元男子校では、この美少女にしか見えない容貌はさぞ目を引くことだろう。性別の垣根を嬉々として飛び越えようとする者が現れても不思議ではないのかもしれない。
そんな感じで若者三人が談笑しているその部屋は、「至熙菜館」の地下にある一室。店内より倍近くの面積を持つ広間で、壁には剣や槍を始めとしたあらゆる武器が飾られている。さらには給湯室まである。
宝仁は麗剣ともう一人、郭浩然にもお茶を出すと、今なお顔を火照らせながら給湯室へと去っていった。
中華円卓を囲んで座る三人。常春は自分と向かい合う席にいる浩然と目が合った。彼は穏やかに笑いながら、
「元気な若い者達を見ていると、心の保養になるね」
「そういうものですか」
「そういうものだよ伊勢志摩くん。君も私くらいの歳になれば分かる」
浩然は手元の茶碗をすすってから、世間話をするような口調で、
「君は、その蟷螂拳を誰から学んだのかな?」
「張封祈という人物から学びました」
常春が師の名前を明かすと、浩然はその穏やかに細められた瞳をかすかに見開いた。
「ほう。あの人物から学んだと?」
「老師、ご存知なのですか?」
麗剣の問いに対し、浩然ははやる気持ちを抑え込んだような口調で語った。
「ああ。民国期の山東省にいた、天才的な蟷螂拳使いだ。その手法は稲妻のように疾く、当時中国の武術家にちょっかいをかけていた白人の格闘家たちを叩きのめして回っていたそうだ。そのあまりの手の速さから、ついた通り名が『閃電手』」
「へぇ……すごい人なんですねぇ」
給湯室からひょっこり顔を出した宝仁が感心したように言う。
浩然は考える仕草を見せ、
「しかし、彼が君に教えたというのが、少し信じがたいな。私の知る限りでは、張は西洋人や日本人を嫌っていたそうだからね」
「知っています。ですが、僕は間違いなく張に学びました」
「……そうか。確かにその蟷螂拳には、今の時代では滅多にお目にかかれない古い趣があった。それに、君が嘘をついているようにも見えない。信じるとしよう。君は『閃電手』の弟子だ」
「ありがとうございます」
常春は頭を下げる。
そこで、ドアの向こう側の階段を降りてくる足音がした。三人分だ。
やがてドアが開き、老人二人、若い男一人がこの広間に入ってきた。
「おお、来たね。さあさ、かけるといい」
浩然は親しみを込めた笑みで出迎え、彼らを席に座らせた。
老人二人は浩然を挟む形で、若い男は麗剣の隣に座る。
常春の隣にいる麗剣が、三人の老人を手で示して言った。
「伊勢志摩くん、紹介するわ。郭老師を加えたあの三人が、この『正伝聯盟』神奈川支部を統括されている達人『三老』だよ。……まず、郭老師の右側に座るのが小樽景一老師。遼寧省出身の残留孤児で、通背拳と燕青拳の達人さ」
浩然の右隣には、青ジャージ姿の老人がどっしり座っていた。
背は180センチと高め。一見細身に見えるが、よく見ると何か凝縮されているような感じがし、よく鍛え抜かれていることがなんとなく分かる。白い歯を見せた笑みを浮かべる顔は日に焼けていて浅黒い。老人らしくところどころシワはあるが、顔に現れている生気は二十代の若者にすら引けをとらないものがあった。すこし歳をとった熱血体育教師という印象。
「つづいて、郭老師の左に座っているのが慧晃徳老師。還俗した少林寺の元僧侶にして元最高師範。少林拳の達人だよ」
浩然の左隣の人物。
背丈は小樽よりも少し低いが、黒い唐装を身にまとう肉体は全体的に骨太で、まるで仏像が座っているような静かな圧力を感じさせる。少し伸びた坊主頭の下にある老人の顔はつねに無表情で、何を考えているのかをうかがい知ることは全くできなかった。
……常春は彼ら『三老』を見て、ごくりと喉を鳴らす。
一目見ただけで分かる。彼らは、いずれも自分と同等か、あるいはそれ以上の功夫を秘めている。一対一ならまだ勝てる見込みはあるが、全員でかかってこられたら逃げるだけで精一杯かもしれない。
「……んで最後に、アタシの隣のこいつは、小樽老師の弟子の李響。アタシらは響兄ぃって呼んでるわ」
「なんだ、そのオマケのような紹介は」
麗剣の取って付けたみたいな紹介に、紹介された若い男が不満そうに言った。
見た感じ、大学生くらいの歳だった。文句なしに男前といえる彫りの深い顔立ちだが、どこか気難しい印象を与えてくる面構え。長身で細身だがひ弱さは一切感じさせず、燃えたぎる生気が体幹でくすぶっているみたいだった。
どことなく、師である小樽景一に雰囲気が似ていた。しかし、小樽は明るい朝日のような印象だが、この李響なる若者は虫眼鏡で凝縮した直射日光を思わせる熱さと鋭さを印象付けてくる。
何より——さっきから常春のことをジッと睨んでいた。
威嚇、というとまた違う。強い疑惑を秘めたような眼差し。
なんだろう。何か彼の気に障ることでもしたのだろうか。
そこからの考え事を、浩然の言葉が打ち切らせた。
「さあ、これで役者はそろった。始めるとしよう」
文字数が長くなりそうなので、ここで一度区切らせていただきます。
しばらくしたら続きのもう半分を投稿しますので、お待ちのほどを……




