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アニオタ、同志の力を借りて飛翔する


 巨大掲示板に突如アップされたその写真を見た瞬間、田村(たむら)達二(たつじ)は自分の頭の中で「大切な何か」が千切れる音を聴いた。


 ——自分が今まで()していた声優が、見知らぬ男と抱き合っている。


 ライトがギラギラと輝く夜の街。ラブホテルの前で、長身のイケメンの腕に抱きつく仁科透華。


 奮発して十冊も買った写真集に写っているような露出低めの衣装ではない。胸の谷間を下品におおっ広げ、下着が今にも見えそうなほど短いスカートを履き、男に媚を売っている。


 何だコレは?

 なんだこれは?

 なんだこれはなんだこれはなんだこれはなんだこれはナンダコレハナンダコレハナンダコレハナンダコレハナンダコレハナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダナンダ——


 だんっ!! とキーボードを殴りつけた。


「っざっけんなぁ!! てめぇ誰だよ!? 俺の透華に何やってんだぁぁぁぁ!!!」


 筋肉にとぼしい痩せ形の体から、耳をつんざくような金切り声が発せられた。


「透華も何だよその格好はぁぁぁ!? そんなチャラそうな男に色目使ってんじゃねぇぞぉ!! ああああああああああああああああ!! クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 身を焦がすほどの憎悪と憤怒のおもむくまま、壁を覆うほどに貼り付けられた透華の写真を引っかき回す。AV女優の裸写真の上だけが透華の顔に変えられた、力作のコラの数々。


 その他の壁にも、天井にも、家具にも、びっしりと透華の顔が貼り付けられていた。まるで呪術の儀式場のようである。


 否。達二は呪われていた。——人気声優、仁科透華への異常な妄執に。


 労働基準法も守らないクソみたいな会社に毎日通い、失敗ばかりを部下に押し付けるクソみたいな上司に毎日尻を蹴り回され、心身ともにボロボロのありさまでボロアパートへ帰宅。


 帰りを待っていてくれる妻や彼女はいない。高校時代、勇気を出して渡したラブレターを相手の女子に晒されて笑い者にされて以来、女という生き物に不信感を抱いて生きていた。


 両親もパチンコや競馬狂いの馬鹿者で、週に何度も「仕送り寄越せ」と電話で催促してくる。おかげで電話が鳴るたび憂鬱でたまらない。


 過酷な現実の中、達二が二次元メディアという夢の世界に逃避することは、自然の流れだったのかもしれない。


 仁科透華は、そんな冴えないサラリーマンの前に舞い降りた、一人の天使だった。


 世間で騒がれているアイドルなんかブスに見えるほどの、現実離れした美しさ。まるで二次元の美少女が、ディスプレイから飛び出てきたようだった。


 女性不信であったはずの達二は、そんな美少女に心底惚れ込んだ。


 気がつけば、収入の大半を、透華のCDや透華の出演するアニメのDVDにつぎ込むようになっていた。


 すでに達二はアニオタではなく、透華の狂信的なファンと化していた。


 達二にとって、透華は神であり、生きがいであり、恋愛対象だった。


 俺は他のにわかファンとは違う。こんなに金をかけて推してるんだ。透華は、それを愛情という形で返すべきだよな? 


 そんな狂った考えを、達二は本気で抱いていた。


 自分はいつか、透華と結婚する。そうすれば、自分はこんなクソみたいな人生から一転して、幸せになれる。


 そのはずだったのに——裏切られた。


 透華は、他の男に雌犬みたいに媚を売っていた。


 しかも相手はガリガリでミイラみたいな自分とは違う、背も高く筋肉もそれなりにあるイケメンだ。その事実が達二をさらに惨めにする。


 その惨めさは、そのまま怒りと憎しみの源泉となる。


 衝動のおもむくまま掲示板に「死ね」と書きまくってから、事前に購入しておいた「お茶茶茶茶会」のチケットを衝動に任せて破り捨てようとした。


 だが、寸前でそれを止める。


 それは、自制心が働いたからではない。


 更なる憎悪を心の源泉から呼び起こしたからだ。


「……殺す。殺してやる。殺してやるぞ」


 ファン達に夢を与えるためのチケットの、悪魔的使用方法を思いついたからだ。


 達二はすぐにサバイバルナイフを購入。


 そして、現在——イベント当日。


 幸運にもステージに近い位置の座席を得た達二は、ステージの最前に出てきた仁科透華(クソビッチ)へ向かって走り出した。


 学生時代で50メートル走はいつもドンケツだったはずなのに、今日はかなりのスピードが出た。あっという間にステージ前へと到達。


 自分の胸ほどの高さのステージを一息で登り、


「死ねぇぇぇぇぇぇぇ!! このクソビッチがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 サバイバルナイフを振り上げながら、仁科透華へと突っ込んだ。


 アドレナリンが間欠泉(かんけつせん)のごとき勢いで分泌され、普段ではあり得ないほどの瞬発力を発揮。透華へ一気に肉薄した。


 予期せぬ事態に、恐怖の表情を浮かべる透華。その澄んだ眼差しには、狂気に満ちた自分の顔がくっきり映っていた。


 ああ、透華が、俺の姿を目に映してくれている。


 死ぬ前に、俺の顔をずっと見ていてくれ。俺の顔を魂に刻み込んで、来世になっても忘れられないようにしてくれ。


 だが、そのナイフの刃が透華に触れる刹那——後ろから髪の毛を掴まれて引っ張られる。


「かはっ!?」


 ナイフが外れた。そう思ったのと同時に、達二の背筋から全身にかけて雷に打たれたような衝撃が駆け巡った。


 その衝撃は痛みを感じる暇さえ与えず、達二の意識を刈りとった。






 ——常春が最初に達二の凶行に気づいたのは、すでに達二がステージに登り切った後だった。


 その手に光るサバイバルナイフを見た瞬間、長年の経験でつちかった危機察知能力が刺激され、常春を突き動かした。


 しかし、達二はもう透華のすぐ近く。対し、常春はかなり離れた場所に座っていた。しかも、出入り口からステージへと貫く一本道まで遠い。……普通に進んでいては、間に合わない。


 なので常春は、忍びないが、同志(ファン)達の力を借りることにした。


 整然と並んだ座席に座る客の肩を足場代わりにし、飛ぶような速度でステージへと直行したのだ。軽身功(けいしんこう)を用いた常春の足取りは羽のように軽やかで、かつ観客に蹴りの加重を(ごう)も感じさせなかった。


 あっという間にステージへ舞い降りる常春。


 だが、すでに達二は、透華の目と鼻の先でナイフを振り上げている。


 常春は瞬時に目算し「届く」と判断。


 蟷螂拳の高速移動歩法『八歩(はっぽ)趕蝉歩(かんぜんほ)』で、瞬時に距離を詰める。


 達二の髪を後ろから掴んで引き寄せ、背筋の経穴「至陽(しよう)」めがけて膝を叩き込んだ。


 「霹靂(へきれき)」という別名も持つその部位を打たれた達二は、まるで雷に打たれたようなショックにさいなまれ、一気に昏倒(こんとう)した。


 さっきまでの熱狂が一転、会場が無人の洞窟のように静まり返る。


 そんな静寂の中、常春は茫然自失の表情で尻餅をついた、透華の姿を見下ろした。


 右胸に小さなホクロがある谷間を襟元から見てしまった常春は、失敬と思い目をそらしたのだった。


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