side槙村 道場めぐり編《上》
「今回もパッとしなかったな……」
槙村公平はため息混じりに、雑居ビルの階段を一人降りた。
さっきまではこのビルの三階にある空手道場を見学に行ったのだが、自分の追い求めている空手ではなかったので、その道場は断念した。
メモ帳にある、さっきの道場の記載に横線を引く。
「次は……「衛命流空手道場」か。聞いたことねぇ流派だな」
槙村は次の道場の名前をそらんじた。
空はさんさんと陽光を降らせている。まだ正午を過ぎて間もない。時間には余裕がある。次はそこへ行くとしよう。
……その日、槙村は道場探しに精を出していた。
現在はゴールデンウィークの真っ只中。世間が旅行やらキャンプやら帰省やら遊園地やらで浮かれる中、槙村は一人きりで自分の次の師を探し回っていた。
あの男——ひ弱なアニオタの皮をかぶった達人、伊勢志摩常春との勝負に完敗して以来、槙村はそうしている。
常春を倒せるほどに強く……それが、ゲーセン遊びや女遊びすら忘れ、槙村が没頭するようになった新たな目標だった。
それを達成する力を得るには、悔しいが独学では足りない。自分は秀才ではあるかもしれないが、天才では断じてないのだ。どうしても良き師が必要になってくる。
それゆえに槙村はその「良き師」を求めているのだが、見つからずじまいだった。
槙村が探しているのは空手ばかりだが、少し前は常春と同じ中国武術の道場もあたっていた。常春の使っている奇妙な技を自身で感覚的に掴めば、勝利への糸口になるかもと考えからだ。
だがフタを開けてみて愕然とした。中国武術の道場はみなケンカ一つしたことのないモヤシの集まりで、師範クラスでさえジャブ一発で簡単に倒せた。……あとでネットで調べたが、現代の中国武術はあらゆる理由で弱体化が著しいらしい。自称「太極拳高手」が格闘家に二十秒でギタギタにされた映像が、ネット上で物笑いのタネになっているほどだ。
ならばなぜ常春は、中国武術であれほどの強さを誇るのか? その疑問も尽きないのだが、現在の中国武術が基本的に役立たずであることを悟った槙村は早々に見限り、空手一本に絞った。
しかしながら、空手にもいろいろ種類がある。攻撃的なモノから、防御的なモノまでいろいろと。
槙村が望むのは、超攻撃型の空手だ。
理由は、常春のあの凄まじい猛攻を超えるほどの技が欲しいからと、もう一つ。
「空手に先手あり」が槙村の思考だからだ。
槙村は空手を「武道」としてではなく「格闘技」として身につけてきた。
「格闘技」では、基本的に防御よりもガンガン攻撃するほうがはるかに有効だ。ゆえに槙村の空手は攻撃的な性質を持っていた。
だからこそ、「空手に先手なし」という言葉が、槙村には気持ち悪いものに感じられた。
難解なカウンターや防御に頼るより、攻撃の手数や速度で攻めたほうが絶対に有利なはずだ。相手がいくら防ごうと、数にモノを言わせれば必ず防御に穴が開いて隙が出来る。……それが、槙村の経験則から得た勝利の法則だった。
「空手に先手なし」など信じない。そんな空手は散々叩きのめした中国武術同様、打たれ弱く柔弱なモノだ。
槙村は己の理想の空手を求めて、今日も東奔西走する。
今時は、インターネットという便利なモノがある。
たいていの空手道場は、きちんとホームページを作っている。槙村はまずそこを覗き、自分の求める要素の強い空手か否か篩にかけている。
だが、たまに、ホームページが存在しない道場もある。
道場主がネットに疎いのか、来れば分かるという無言の呼びかけなのか、ただ面倒なだけなのか、理由は分からない。
今、槙村の目の前にある道場こそ、その「ホームページが存在しない道場」だった。
街から郊外へ出て、訪れたその道場は、ひどく寂しい場所にぽつんとあった。
笹藪を右に置いたその敷地は爽やかな感じがするが、同時に胸が寒くなるような物悲しさを感じさせる。それなりに大きな二階建ての日本家屋と、離れの建物がある。
離れの引き戸の横には、「衛命流空手道場」という木の看板がかけてあった。
「なんか……寂しいとこだな」
予想に反した人気のなさに、槙村はきびすを返したくなる。
だがここまで来た以上、目的を果たしてからでないともったいない。
意を決し、道場の引き戸を開こうとするが、開かない。鍵がかかっているのか。
「くそったれ、これじゃホントに無駄足じゃねぇかよっ」
苛立ちまかせに足踏みする。
だがそこで、道場の敷地の奥に建つ日本家屋に目がいく。あそこの住人は間違いなく道場主だろう。帰る前に、せめてあそこを訪ねてみるべきかもしれない。
「今日は休みですよ」
歩き出そうとした瞬間、後ろから声がかかり、槙村はビクッと身を震わせた。
鋭く背後を振り返りつつ、体の向きも変えて身構える。
背後に立っていたのは、学者風の優男だった。ワイシャツにスラックスという簡素な服装に身を包んだ細身の体型。理知的な顔立ちに眼鏡をかけている。
柔らかい物腰を保つその男に、槙村は警戒しつつも声をかける。
「……なんだ、あんた。この道場の門下生か」
「いえ、道場主ですよ」
槙村は一瞬驚くが、すぐに呆れ笑いを浮かべる。
「おいおい冗談はツラだけにしてくれや。あんた空手家っつーよりハカセって感じだぜ。そもそもなんだ、そのポッキーみてぇに細っこいナリはよ? 野菜ばっかじゃなくてもっと肉食ったほうが——」
まばたきから目を開けた瞬間、槙村は眼前から優男が消えていることに気づく。
「——ご心配なく。我が家には優秀な料理人がいまして、栄養には気を使ってもらっていますよ」
その穏やかな声は、槙村のすぐ背後から聞こえてきた。
再び身がすくんだ。……いつに間に後ろに回り込んだ?
槙村は今度は恐る恐る振り返る。
そこにいた優男が、遠来からの客人をねぎらうような微笑を浮かべた。
「ようこそ、我が衛命流道場へ。私は館長の下地弘と申します。今日は休日ですが、せっかく来ていただいたのだから特別に入ってください」
招かれた道場の中は、静謐な雰囲気がある空間だった。
今時の道場にありがちなジグソー式緩衝マットが敷かれていない木目の床。リングやらサンドバッグやらその他練習器具などでごちゃ混ぜにはなっておらず、必要最低限のものしか外には出されていない。ここで学ぶ空手の性質がそのまま外観に現れているような感じがした。
だが、槙村はこういう静かな雰囲気があまり好きではなかった。槙村の通っていた道場は、武道というより格闘技色が強いところだったので、賑やかさがあって、そこが心地よかったのだ。
道場リストのメモ帳を乱暴にポケットに突っ込んでから、
「……んで? どんな空手を教えてんだ?」
「その前に、君の名前を教えてもらえますか。私はもう名乗りましたよ」
「……公平。槙村公平だ」
「では槙村君、君は空手の経験はありますか?」
「……いちおう。少しだけ」
本当は少しどころではないが、「全国一位」を自称するとそこに固執して、強さ求める気を失くしてしましまいそうなので、これからは忘れることにした。
「では、ある程度の固有名詞の説明は省いて説明しますね。——私の「衛命流空手」についてを」
下地はたたずまいを真っ直ぐ整え、説明を開始した。
「衛命流空手は、沖縄三大空手の一派「剛柔流」をベースに改良を加え、私が創始したものです。剛柔流がベースであるため、空手としての系統は「那覇手」にあたります」
空手には、三つの系統が存在する。
関節のしなりや瞬発力を活かして、俊敏な大技を繰り出すことを得意とする「首里手」、
木の根を張るがごとくしっかりと立ち、その重心の固定力を打倒の力に変える「那覇手」、
首里手に似た軽快な動きを持つが、構え方などがところどころ異なる「泊手」。
「衛命流の理念は「命を衛る」こと。すなわち、守勢と健康法に特化した空手です。重要視するのは、防御と呼吸。防御は害意から身を守り、呼吸法は老化や病から身を守る」
「……それで、どうやって相手をぶちのめすんだよ?」
「打倒する必要は必ずしもありませんよ。必要なのは「負けない」「命を衛る」こと。相手から攻めてくれば、鋭く、かつ的確に反撃しますが、攻めて来なければ何もしない。まさに「空手に先手なし」を体言した空手です」
槙村の興味が一気にしぼんだ。
背を向け、玄関へ向かって歩き始める。
「悪りぃ。興味失せたわ。じゃあな」
「まぁ待ちなさい。もう少し聞いてからでも——」
「聞くまでもねぇよ。自分から攻められねぇ空手なんざ、お呼びじゃねーんだよ。……俺が欲しいのは、超攻撃型の空手だ。少なくとも、おたくの空手とは真逆だよ」
「なぜそこまでして、攻撃を求めるのですか?」
槙村は下地へ振り向く。眼鏡の向こう側にあるのは……何を考えているのかうかがい知ることのできない静謐な眼差し。
その目が、あのアニオタ拳法使いとダブって見え、思わず口調を荒げた。
「……強くなりてぇからに決まってんだろ」
言い捨て、道場を早歩きで立ち去った。
途中でポケットから何かが落ちる感じがしたが、それを気にしている余裕は今の槙村にはなかった。
すみません……
「泊手」に関する詳しい情報は少なすぎて、ボカして書くしかありませんでした……




