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アニオタ、追憶から目を覚ます

 血の匂い。

 火薬の匂い。

 人肉が焼ける匂い。

 臓物の匂い。


 この世のありとあらゆる悪臭が、目の前の地獄の光景を彩っていた。


 そこへさらに、自分の嘔吐物の臭いも混ざった。


 ゲロと涙を両方顔から垂らしながら、自分は友人の変わり果てた姿を凝視していた。


 この国に来て、最初に仲良くなった少年だった。年が近いということもあって、すぐに意気投合した。


 「将来は医者になって、多くの人を救うんだ」と、太陽のような笑顔で言っていた彼。


 だが、もうその夢を叶えることも、あの笑顔を浮かべることも、永遠にない。


 なんの前触れもなく起こった爆弾テロ。巻き込まれた友人は、見る影もない姿となって自分と再会することとなった。


 そこにあるには、彼であって、彼ではない。魂の抜けた肉のカタマリ。


 ……世界中を旅している間、幾度、こういう別離を繰り返しただろう?


 もう嫌だ。こんな光景みたくない。僕は何度、友達の亡骸を見ればいいんだ。


 うつむき、目を閉じる。暗闇へ逃げ込もうとした。


 だが、自分の頭を上から鷲掴みにしてきた老人の手が、それを許さなかった。


 強引に顔を上げさせられ、まぶたをこじ開けられる。友人だったモノが再び視界に映った。


「目を背けるな」


 手の主である我が師が、厳しくそうたしなめた。


「常春よ、これが「暴力」だ」


 師は、静かに、悲劇の物語を朗読するような声で言い聞かせてきた。


「己の我と欲を通すべく力を振るった結果が、この地獄だ。この無惨な光景を、ゆめゆめ忘れるな。魂魄に刻み込め」


 自分が悲劇に苦しむたび、彼はまるで追い討ちをかけるがごとくそう告げるのだ。


 それが、自分に「身勝手な暴力によって起こる悲劇」を教え込むためであるとは分かっている。


 だけど、ときどき思うのだ。……これは、「復讐」なのではないかと。


 師は若い頃、ゲリラとして日本陸軍と戦っていたそうだ。


 中国大陸を荒らした日本人。その日本人である自分。


 旧き世代が死に絶え、戦無派で埋め尽くされようとしている今の日本に、一粒の「爆弾」を投下してやりたいのかもしれない。自分は、その「爆弾」なのかもしれない。


 だからこそ、わずか十二歳の自分に、こんな鬼のような仕打ちができるのかもしれない。


 ……だが、その下衆の勘繰りも、くだらない事だとすぐに思う。


 友達が目の前で死んだ。とても悲しい。


 それで、十分ではないか。


 なぜ、守ることができなかったのか……悲しき別れを繰り返すたびに、そう自分を責めればいい。


 自分を責めた分だけ、自分は強くなれる。


 こんな悲しい事は、繰り返さない。その思いが強くなり、それは自分の強さとなる。


 そして、平和を——「日常」を愛する気持ちを強くする。


 「日常」というものが、いかに得難く、脆く、尊きものであるかを、自分は知っている。


 だからこそ、それを守るために、強くなれる。優しくなれる。非情になれる。天使にも悪魔にもなれる。人間的にも非人間的にもなれる。


 たとえ、誰が相手であったとしても。







「……んぅ」


 そこで、常春は目を覚ました。


 眼前に広がっているのは、見慣れぬ壁……もとい天井。


 しかし、空調で清められた空気、ほのかな薬品の匂いから、ここがどこだか確信する。


「——目が覚めたか、この小鬼め」


 視界の端っこから、愛想の無さそうな中年の顔がひょっこり出てきた。


 だらしなく着崩された白衣姿に、長さの統一されていない無精髭。酒気でかすかに火照った顔。

 

 知っている人物だった。


「……墨森(すみもり)、先生」

 

 墨森善太郎(ぜんたろう)。常春とその師の、共通の知人。


 アメリカで数多くの執刀経験を積み、日本の大学病院で勤務医になるも、教授の医療ミスの責任をなすりつけられ、医師免許を剥奪されて医局を追い出された。


 以来、裏ルートで医療器具を手に入れ、社会の厄介者やスネに傷持つ身分の人間を秘密裏に治療することを生業としている。つまり闇医者だ。

 

 しかし、常春はこの闇医者以上の腕前を持った医者を知らない。


 外科だけでなく、その他の医療分野でも博士号をいくつか持っている。……東洋医学にも造詣(ぞうけい)が深い。


「随分と派手にやられたな、小鬼。一応、打ち身の処置は済ませたが、しばらくは激しい動きはやめておけ。まぁ、数ヶ月間コンニャク同然になりたければ止めんがな」


「いえ……ありがとうございます」


「ふん、感謝は俺の口座に示すことだな」


 このヒネた口調は相変わらずのようである。


 常春はある疑問を抱き、それを尋ねた。


「ところで……僕はなぜ、ここにいるのでしょうか」


「金色のチョココロネみたいに珍妙な頭した、暴走族風の男が運んできたぞ。確か、名前は……」


(かけい)転助(てんすけ)、ですか?」


 墨森は「そう、それ」と肯定する。


 自分で口に出しておいてアレだが、常春は少し驚いた。彼は、この場所を知っているのか?


 ……それに関しては、墨森が説明してくれた。


 転助はバイクを運転している途中、倒れている常春を見つけたらしい。


 バイクを停めて常春へと近づくが、そこで転助は、通話中となっていた常春のスマホを見つける。


 「墨森先生」という登録名と、常春が倒れる直前に電話をかけたという状況から、医療関係者であると予測。転助はその電話に出て、常春が倒れていることを伝えた。


 墨森は電話越しに、指定の場所へ常春を連れてくるように転助へ要求。


 それから墨森は「指定の場所」にてワゴン車で待ち、転助から気を失った常春を受け取る。それからワゴン車へ乗せ、その場所を後にした。——転助にこの診療所まで常春を連れて来させなかったのは、無免許医である自分の拠点を知られないようにするためだ。


 だが、それを怪しんでか、転助は墨森のワゴンをバイクで尾行してきた。手こずったが、なんとか転助をまいた後、この診療所へ連れてきて治療したというわけだ。


「それは……ご苦労様です」


「他人事のように言いおって。迷惑料も踏んだくりたい気分だ」


 愚痴るようにそう言ってから、墨森はひと呼吸置き、静かな語気で訊いてきた。


「それで、何があった? あれは単なる打撲でできる怪我じゃない。アジアの武術によくある内部破壊系の技を食らったんだろう」


 常春はこれまでの出来事を説明した。


 聞き終えた墨森は、ピューター製のウィスキーボトルを白衣から取り出し、あおった。


 何度か酒を飲んだ後、呆れ果てたと言わんばかりに大きなため息をついた。


「……小鬼、人助けは結構だが、そんな事ばっかりやってると早く死ぬぞ」


「そうですかね……」


 常春はあいまいに答えた。


「俺が言うことでもないかもしれんがな、あのデンジャラスじいさんの言いなりになることはないんだぞ? あんな綱渡りな人生送ってた奴が107歳も歳を取れたのは、ほとんど奇跡みたいなもんだ。普通なら、半世紀くらい早く死んでる。まして、お前のようなガキならなおさらだ」


 師匠のことを言っているのだろう。


「そうかもしれません」


 常春は目を閉じ、思い浮かべた。


 脳裏に浮かんだのは、頼子の顔だった。

 

 ああ、今回は、守ることができた。


 「日常」を。


「でもね……僕はそれでも、失いたくないんですよ。「日常」を。……僕は師との旅の過程で、たくさんの知り合いや友達を「非日常」に奪われました。もう僕は、あんな思いは嫌なんです」


「……お前はわがままで欲張りだ。人間、失う時は必ず失うし、くたばる時はくたばるんだ。それにいちいち抗っていたら、自分の心身が鉛筆みたいにガリガリ削れていくぞ」


 それは、何十年も「生死」というテーマと向き合ってきた、医者だからこそ言える言葉なのかもしれない。


 彼の言うことは正しい。


 いくら武術で強くとも、すべてを守れるわけではない。


 武力だけでは解決できないこともある。


 自分より強い相手が現れたら、武力では解決できない。


 医療でも同じだ。墨森は名医と呼ぶにふさわしいが、彼でも治せない不治の病はたくさんある。名医も万能の神にあらず。


 ……でも。


 それでも、常春はあがきたかった。


 誰一人何一つ失うことなく守り抜き、愛する人達と「日常」を楽しみたい。


 夢物語かもしれない。それこそ、常春が大好きな日常系アニメのように。


 それでも、「それ」を目指したい。


 なぜなら自分は、アニオタなのだから。


 言葉を聞かずとも、無言の中から常春の意思を感じ取った墨森は、呆れたようなため息をついた。


「……今日はもう帰れ。帰りに雲南白薬の錠を渡してやる。しばらくはそれを飲みながら休むことだ」


 言うと、墨森は億劫そうに部屋から立ち去った。


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