アニオタ、ボス部屋にたどり着く
馬鹿と煙は高い所に登る。
これは、本当だと思う。
アリンコみたいに地を這う人々を見下ろしたり、天に昇った気分になりたいがために最上階にふんぞり返る輩は、大抵が馬鹿者と相場が決まっている。
馬鹿は知らないのだ。上層階ほど、逃げ場がないことを。
そして、今回常春が殴り込んだ組織のボスもまた、その馬鹿にカテゴリーされる人物だったようだ。
最上階である三階。一際上品な感じのする黒い扉を、常春は蹴っ飛ばして開けた。
入った途端、眼前に悪趣味な光景が広がった。
いかにも高そうな調度品や美術品が並べられ、威光を放っていた。しかしながら、置き方にテーマが無い。高そうなモノを、それっぽく並べているだけだ。和と洋と中の文化がギラギラと混在したそのありさまは、まるでネオン街の下品なカラフルさを思わせる。美術品のすすり泣きが聞こえてきそうだ。
奥にある黒檀机。そこにあるなめし革のソファチェアにふんぞり返っているのは、大柄な中年の男だった。
ツヤのある黒いオールバックに、黒ぶちの眼鏡、ビジネススーツにも似た黒いスーツ姿。面長の顔からはどこか知的な雰囲気があり、一見するとヤクザではなく敏腕ビジネスマンに見えるが、眼鏡の向こうに見える眼差しには鋭い光がくすぶっているのを常春は見逃さなかった。海千山千の油断ならぬ匂いがする。
その男は、ニヤリと口元を歪め、
「……これはこれは、ずいぶんと若い強盗だな。何が欲しいんだ? 言うだけ言ってみな」
「落とし前をつけてもらいに来た。……お前が岩田寅吉だな?」
「いや、違うよぉ? 人違いじゃないかい、坊や?」
周囲の男達が、口々におどけた調子で言った。
「俺だよ! 俺が岩田寅吉だよ! オラ、かかってこいや!」
「馬鹿、俺だろうが! 岩田寅吉はよぉ!」
「俺も岩田寅吉だよ!」
「俺が、俺たちが、岩田寅吉だ!」
黒檀机の男はニヤニヤと嘲笑を浮かべながら、
「……つーわけで、ここにいる全員が容疑者ってわけだ。ウォーリーを探せならぬ、岩田寅吉を探せって感じかぁ? さぁ、どうするよ坊や?」
「それなら全員叩き潰す。むしろ、そっちの方が楽でいい」
オールバックの男は馬鹿笑いした。
「ははははは! 悪い悪い、からかって! お察しの通り、俺が本物の岩田寅吉だ。それで、ボクは何者だい?」
「白々しい。もう知っているんだろう?」
「さぁ? 君の顔は初めてみたねぇ」
「ネイサン・スミスが全て自白したぞ」
言うと、寅吉は一瞬驚いた顔をしてから、舌打ち混じりに「あの白ブタ」と毒づいた。
「彼は今、警察署へ真っ直ぐ向かっている。自首をするためにな。そう遠くないうちに、お前たちにも逮捕状が出るだろう。今のうちにシャバの飯を食っておけ」
途端、寅吉は黒檀机を乱暴に蹴っ飛ばした。前へ滑る。
「化けの皮が剥がれるのがずいぶん早いな。とんだ小悪党だ」
憎悪と殺気に満ちた表情で睨みつけてくる寅吉を、常春はそう皮肉った。
「てめぇ……ウチの剛士イジメといて、正義ぶるつもりか。このクソガキがよぉ……!!」
「僕はお前の愚息など知らない。僕は身に降りかかる火の粉を払ったことしかない」
「とぼけんなぁ! 剛士の乗ってた車を事故らせて、挙句の目玉くり抜くとか脅したらしいじゃねぇかぁ! てめぇの目ん玉を代わりにくり抜いてやろうか、このクソガキぃ!?」
その言葉を聞いて、常春の中で情報の全てが繋がった。
……自分と頼子は、とんだ逆恨みを受けていたようだ。女を手篭めにしようとしたが失敗して、その腹いせを頼れる父親に代わりにやってもらっていたのだ。あの男は。
ますますこの連中を許す理由が消えた。
「カエルの子はカエル、とはよく言ったものだ」
常春は、失望のため息をつくように言った。
寅吉は手下にアイコンタクト。四人もの巨漢が、常春へとドシドシ歩み寄ってくる。
先ほど木刀を捨ててきたので、常春は素手だった。もともと、あまり馴染みのある武器ではなかったので、素手の方が戦いやすかった。
一人目が飛び出し、殴りかかってくる。巨大な拳が押し迫る。
常春は軽く立ち位置を横へズラして回避しながら、すれ違いざまにそいつに踏み出した脚の向こうずねへ靴裏を叩き込んだ。斧刃脚と呼ばれるそのローキックは、直撃箇所を中心にして脛を「く」の字にへし折った。
絶叫を上げてうずくまる仲間をかわし、もう一人が迫った。そいつの手元には短刀。
体重を乗せて一直線に迫った白刃。だが常春はそいつの肩の上に飛び乗り、その後ろを走る仲間の顔面目掛けて飛び込みながらの膝蹴りをヒットさせた。
鼻血を飛び散らせて倒れたその男には目もくれず、さらに四人目の男へ素早く接近して五発の拳打を一瞬で打ち込んでから側頭部へ回し蹴り。撃沈。
さっき飛び越えた短刀の男が向かって来ようとしたが、常春がひと睨みすると、途端にその場に硬直した。その表情には怯えがにじみ出ている。
「……驚いたな。てめぇ、ただのガキじゃねぇな?」
寅吉のその苦々しく発せられた質問に、常春は答えなかった。
「——后腿」
その時、中国語が聞こえてきた。
発した人物は、寅吉の隣に控えていた男だった。
黒いスーツをルーズに着崩した青年だった。細身だが、どことなく凝縮された感じのする肉体。顔立ちはシャープに整っている中性的な作りだが、その眼光からは冷たい無機質なものを感じさせる。
その青年は寅吉のもとから離れると、棒立ちしている短刀の男の胸へ手を添えた。
「我再说一遍。后腿」
殺気に満ちた眼光に当てられた短刀の男は、ゾクリと背筋が寒くなった。だがそれを認めたくなくて、思わず吼えた。
「な、なんだテメェ!? いきなりシャシャリ出て来やがっ——」
次の瞬間、短刀男はまるで蹴飛ばされたマリのように吹っ飛んだ。壁に叩きつけられる。
添えられた青年の掌から突然何かが爆発し、その爆風で飛ばされたように見えた。
常春は目を少し見開いた。
寸勁。ほぼゼロ距離に近い小さな間合いで大きな力を生み出して相手に叩き込む、中国武術の打法だ。普通の打撃は、威力を出すためにある程度距離を取ってから打たねばならないが、寸勁は間近から強い力を作って打てる。
しかも今の寸勁、常春の見立てが正しければ、かなり練り上げられている。
立ち方からも、武術家としての深さが分かる。二本足立ちだが、まるで底面の広いピラミッドが鎮座している様を連想させる、安定した立ち姿勢。
常春はすぐに確信した。……この男、かなりの功夫だ。
寅吉が、怒りを内にとどめたような、凄みのある顔で告げた。
「魯、方法は問わねぇ。そのクソ生意気なガキをブチ殺せ」




