アニオタ、カチ込む
「——分かりました。こんな遅くにごめんなさい。では、またお世話になります」
常春はそう言って、通話を切った。
すでに夜中。普通の人ならとっくに夕食を終えているであろう時間帯だ。
ネイサンを自首させ、頼子を自分の部屋に泊めさせた常春は、今、ある一つの目的地へ向けて足を進めた。
「目的地」のありかは、さっきまで通話していた人物から聞き出した。……情報屋と私立探偵を兼業している、変わり者の知り合いだった。酒場で知り合った女とホテルで「お楽しみ」の最中に電話をかけられたせいか不機嫌だったようだが、それでもイヤイヤながら情報を教えてくれた。
指定先の口座に情報料を振り込んでから、常春はその「目的地」へと迷いなき足取りで向かった。
やがて、たどり着く。
人気のない暗がりにひっそり建っているのは、飾り気のない、鉄筋コンクリートの三階建て。入り口らしき磨りガラスのドアの隣には、「岩田組」と毛筆で書かれた木の表札。
——見つけた。
常春の眼差しが、木の表札を見て険しさを強めた。
ここが、探していた岩田組の本部だ。
常春の「日常」を汚し、小夜子を傷つけ、頼子を泣かせた連中の牙城。
……あのまま警察にボイスメモを渡してしまえば、あっという間にこの連中は御用となるだろう。
だが、それだけだ。
それだけでは、常春の気がおさまらない。何より、頼子たちが惨めだ。
だから、後悔させてやらなければならない。
他人の「日常」を侵したら、どんなしっぺ返しがあるのかを教えてやらなければならない。
自分に「日常」が、殴られっぱなしで終わらないものだということを思い知らせなければならない。
可愛くて平和な日常系アニメに、粗暴でムサイ男キャラを勝手に入れたらどれほどファンに叩かれるのか、思い知らせてやらなければならない。
それを思い知らせてから、臭い飯のフルコースを堪能させてやる。
常春は躊躇の一切ない足取りでドアへ歩み寄る。ドアは施錠されておらず、普通に開いた。——無用心なことだ。
入って早々、通路を歩いていた一人の男と目が合った。
「なっ、テメェ何モンだぁ!? 何勝手に入ってきてやがる!?」
その怒号につられて、コンクリート張りの室内のあちこちから、いかにもな面構えの男達がぞろぞろ集まってきた。常春の行く手をはばむ。
しかし、常春は全く気にせず、ゆったりと前へ進み続ける。
男達が口々に怒声を発した。ダミ声が重なり合ってよく聞こえないが、常春が何者であるのか問いたいという意志は分かった。
「テメェ、聞いてやがんのか!?」
とうとう一人が我慢をやめ、常春へ掴みかかろうと腕を伸ばした。
だが、常春はその手をヒラリとかわし、すれ違いざま膝蹴りを叩き込んだ。
「ぉえ」
深くめり込んだ膝。男のうめき声と、倒れ伏す音。
一瞬の沈黙ののち、全員の憤怒が爆ぜた。
「何さらしてくれとんじゃボケぁぁぁ!」「このガキャぁぁぁ!」「いてこましたろかぁぁぁ!?」「ヤクザ舐めてんのかぁ!?」「ぶち殺せ!」「誰か拳銃持ってこいやぁ!」「血祭りにあげっぞ、ガキィ!」
その憤怒に身を任せ、ヤクザ者たちが津波のごとく押し寄せてきた。
そんな人の群れを、常春は冷めた目で見ていた。
まず一人目。短刀を握り、真っ直ぐ突きかかってくる。
常春は一瞬のうちに、そいつへ二発の蹴りを放った。一発目は膝の経穴「伏兎」を、二発目はぐらついたところへ胴体を押すように蹴りつけた。
そいつの体が、軽々と飛ぶ。そして後ろから走ってきていた奴らを巻き込んでドミノのごとく共倒れ。
続いて二人目。鉄パイプを上段に振りかぶり、それを縦一閃に振り下ろしてきた。
勢いはあるがお粗末極まりないその一振りを、常春は軽く立ち位置を動かして紙一重で逃れる。そこから稲光が疾るような速度の突きを五発顔面に打ち込み、ゆるんだその手から鉄パイプを奪って端っこへ蹴り飛ばす。
振り下ろされてきた木刀の一太刀を、鉄パイプとの摩擦でズラす。空振りとなった瞬間、喉元へ一突き打ち込んだ。天井をあおぎ見ながら倒れようとしているそいつの手元から、木刀を素早く奪い取る。
不要になった鉄パイプを、近づいてきていた敵の顔面へ投げつける。鼻血を散らせながらそいつは倒れた。
常春は奪った木刀一本で、ケンカのプロたちを死なない程度に蹴散らしていく。
最初は勢いづいていた群れも、常春の鬼神のごとき武力を見て、ためらいを見せ始めていた。
しかしその空気を、一発の轟音が鎮まり返らせた。
鼻につく硝煙臭。
銃口を天井に向けた男が一人。
「オラ、クソガキぃ!! コレが見えねぇのかぁ!? 脳天をスイカみてぇに吹っ飛ばされたくなきゃ、おとなしくしなっ!!」
もうもうと硝煙を吐くその拳銃はリボルバーだった。明らかに日本の警官が持っているニューナンブより銃身が長い。確か、薬室が六つで、マグナム弾を撃てるやつだ。
たしかに、あれで頭部を撃たれたら、スイカみたいに破裂するかもしれない。
「だから?」
常春はそうつまらなそうに言うと、再び足を動かし始めた。
強力な銃だが、自分はそれを突きつけられるより、はるかに恐ろしく、むごたらしい体験をしている。どうということはなかった。
「お、おい! 来んなよ! コレが見えねぇのか!? マジで撃ち殺すぞ!?」
そいつは銃口をこちらへ向け、ムキになったようにそう口にする。銃身に手の震えが伝わっていた。
しかし常春は歩く。
あっという間に銃口の間近へ迫ると、常春は人差し指で弾倉シリンダーへ一撃。マグナム弾の装填されたシリンダーの軸がつまようじのようにへし折れ、銃からシリンダーがすっぽ抜けた。
これで、撃てなくなった。
「撃つ気がないのなら、最初からそんなモノ持ってくるな」
常春は冷淡に告げると、凍りついたように動かないその男を素通りした。
そいつだけではない。その場にいる全員が足元を凍らせ、高校生の姿をした怪物の姿を呆然と見つめていたのだった。




