表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/102

アニオタ、暗闇でアメリカ人と殴り合う

 電話してしばし経った後、救急車がやってきた。


 担架に乗せられた小夜子とともに、常春と頼子も救急車に乗った。


 病院に運ばれ、検査を受けさせた後、医師が結果を告げた。


「ところどころに打ち身の跡が目立ちますが、命に別状はなく、後遺症も残らないでしょう。ですが、肋骨にヒビが入っているので、しばらくは絶対安静です」


 それを聞いた頼子は、半分ほど緊張を解いた。


 死ぬことはない。それだけでかなり救われた気がしたからだ。


 しかし、それでも、大切な肉親が何の前触れもなく怪我を負ったという出来事は、頼子の心に少なからぬダメージを与えた。


 頼子は病室のベッドで眠る小夜子を見つめながら、隣に座る常春にしがみついていた。普段なら恥ずかしくてやらないことだが、今は気持ちに余裕がなかった。


 常春が立ち上がろうとしても、頼子はまるでぶら下がったように体重を預けていた。


 なので、


「今夜は、一緒に居てあげようか?」


 そう言った。


 小夜子は、明らかに誰かから殴る蹴るの暴行を受けたのだ。頼子を一人にしたら、それをやった奴がまた現れるかもしれない。それだけは避けたかった。


「うん……」


 そんな常春の気持ちを知ってか知らずか、頼子は小さく頷いた。


 場所は、常春が住むマンション。


 一軒家と違って、マンションなら騒ぎが起きても他の部屋の住人が感づく。暴漢もおいそれと手が出せないはずだ。


「伊勢志摩の親御さん、迷惑がったりしないかな」


 常春の部屋がある階に着いた途端、頼子がそう問うた。泣き腫らした跡が残ってこそいるが、今はとりあえず落ち着いているみたいだった。


 そんな頼子の問いに対し、常春は「しまった」と自分の失態を確信した。


「ごめん宗方さん、言い忘れた。実は僕んち、基本的に親いないんだ」


「へ?」


「お父さんは基本海外だし、母親はとっくの昔に蒸発してるし……ホントにごめん。言っておくべきだったよ」


 常春の言葉の意図するところを察した頼子は、その顔をみるみる紅潮させていく。


 「帰る」と言われると思っていたが、返ってきた答えは予想とは違っていた。


「……ウチは、気にしないよ」


「いや気にしなよ。女の子でしょ?」


「いいのっ! あ……あんたが何かいやらしいことしてくるとは思えないし」


 ……まあ、信頼してくれているようなので良しとしよう。


「……わかった。それじゃ、寝室は僕の部屋を使ってよ。内側から鍵をかけられるから。僕はお父さんの部屋で寝る」


「ありがと……」


 常春の部屋のドアにたどり着く。


 鍵を開け、ドアを開いた途端、頭上からハラリと一枚の紙テープが落ちてきた。十円玉程度の長さしかない本当に小さなその紙テープを、常春は掴み取った。


 これは空き巣が入ったかどうかを確認するための仕掛けだ。もしテープが落ちていれば、自分のいない間に誰かがこのドアを開けたという事になる。父がいない間、常春はこのテープをドアに挟んで外出している。


 だが、これが通じない相手もいる。


 とても用心深い泥棒。


 もしくは——特殊な訓練を積んだ「プロ」。


 靴を脱いで上がった瞬間、脱衣所の闇からチクリと殺気を感じた常春は、一瞬後に高速で迫ってきた尖った物質をギリギリで回避。


 流れそのままに、足裏蹴りを人影に叩き込んだ。


 うめき。壁にぶつかる音。


「Damn……!」


 人影が小さく毒づいた。


 夜行術(やこうじゅつ)を心得ている常春は、闇にまぎれたその人影の全体像をすでにはっきり視認していた。


 フード付きの黒いウェアが作り出す体の輪郭は全体的に太め。しかし肥満体型ではない。まんべんなく鍛えられた肉体。……軍人によく居る筋肉のつき方だった。


 かぶさったフードの下にあるのは、アングロサクソン系の精悍で彫りの深い顔立ち。そのブルーの眼差しが冷たく光り、深淵からのぞき見てくる怪物の瞳のように常春をうかがっている。


 常春は直感した。直感だが、それは確信と同義だった。


 この男は「プロ」だ。


 数多くの修羅場をくぐり、童貞も捨てて(殺人も経験して)いる。


 なぜそんな存在が、自分の家に潜伏し、自分を本気で殺しにかかってきたのかは分からない。


 しかし、今が戦わなければいけないタイミングだということだけは分かる。


 その証拠に、常春の思考を待たずに男が向かってきた。


 コンバットナイフが矢の如く暗闇を滑る。


 首を狙ったその一閃を常春は小さく動いて回避しつつ、その腕を取ろうとするが、その前に迅速に手元へ引っ込められ、再び刃を走らせる。常春はまたもそれを回避。


 繰り返されるナイフと回避の応酬。


 常春は何度目かの刺突を避けて素通りしながら男の懐へ入り、深い踏み込みに合わせて掌底を打った。常春よりはるかに大きな体躯が派手に吹っ飛び、リビングを転がる。


 束の間だが、別のことをする余裕ができた。


「宗方さん、今すぐ一階の1号室に逃げて!! 管理人さんの部屋で、僕とも面識がある!! 言えばかくまってくれるはずだ!! その後は警察に連絡して!!」


 常春がそうまくしたてる。


 立て続けに異常事態にみまわれて頼子は混乱していたが、それでも常春の言葉にコクコクと頷き、玄関を出て行った。


 さらに常春は素早く玄関へ近寄り、施錠する。はさみ撃ちをくらわないよう、念のためだ。


 これで、この部屋は自分と謎の男の二人だけとなった。


 常春は脱衣所へ入り、ハンドタオルを取り出し、それを水道の水で濡らして重くした。


 脱衣所を出て、リビングへと入る。


 ぐちゃぐちゃに荒れたその広間には、男が幽鬼のごとくたたずんでいた。


 わざわざ待っていてくれたのは、広い場所で戦う方が都合が良いからだろう。狭い一本道では、どうしても使える技の種類は限られる。


 だが、それは常春にとっても同じだった。


 薄いカーテンから差し込む月光が、部屋をほんのり照らしている。それが唯一の光源だったが、二人にとっては十分な明るさだった。


 二人は向かい合う。


 しばし無言で、互いを見つめ合う。


 見ているのは「動き」ではない。「気配」だ。


 命のかかった戦いは、人を進化させる。それを経験している二人には、相手の動きを司る「気配」の感知ができた。


 相手の「気」が、攻撃の「意」を得る瞬間をひたすらに待つ。


 待つだけではない。ワザと自分から付け入る隙を作り、攻撃を誘発させ合ったりもする。


 だが、どれほど自分を律したところで、人の「気」には、必ずいつか「ゆるみ」が生まれる。達人と呼ばれる者たちは、その「ゆるみ」を突くのが非常に上手いのだ。


 やがて、最初に動き出したのは、男の方であった。


 一気に押し迫る男。ナイフを一閃。常春の胴体を狙う。


 常春は避けつつ、横を風のように素通り。背後を取り、濡れタオルを鞭のように放った。


 背中にそれを受けた男は苦痛のうめきをもらす。水を吸って重くなったタオルは強力な武器になる。その気になれば、タオルの一撃で骨折させることもできる。


 常春の間合いへ近づき、タオルを奪い取ろうとする男。しかし常春は綿が飛ぶような身軽さでさらに距離を取り、間合いへの侵入を拒む。


 だが、ここは広間といっても、そんなに縦横無尽に動けるほどの面積はなかった。すぐに常春の背中が壁に突く。


 男はナイフを素早くホルスターに納めると、近くにあったテーブルの脚を両手で持ち上げ、テーブルの面を先にして一気に突進してきた。


 後ろは壁。横に移動する時間もあるか怪しい。


 なので、常春は壁を駆け登った(・・・・・・・)。テーブルの面積より高い位置まで。


 テーブルが壁に激突した瞬間、常春は壁を蹴る。宙返りしながら、男の背後へ着地する。


 その猿のような身軽さに驚愕しつつも、男はホルスターからナイフを取り出す。


 だが、そのナイフを握る右手に、タオルによる重々しい鞭打が当てられた。


 あまりの衝撃に、男はナイフを取り落とした。


 拾う暇はなかった。男は肉弾戦へと移行。レスリングのタックルの要領で常春へ押し迫った。たとえタオルの攻撃を食らっても、それを耐えて、常春を捕まえるつもりだった。


 常春も武器に固執するのは愚策と直感し、タオルを男の顔へ投げた。


 ベチャ、という音とともに、男の顔面に濡れタオルが張り付いた。視界が奪われるのと同時に、一瞬びっくりする。


 その一瞬の間に、常春はしゃがみながら男の脚をスパァン! と払い蹴った。


 走行の勢いも相まって、男の巨軀が大きく宙を舞い、うつ伏せに倒れる。


 常春はその背中へ素早く膝を乗せ、蝶をピンで留めるようにして身動きを取れなくする。


 これが果し合いならば、この位置関係になった時点で勝敗は決していただろう。


 だが、常春は殺すつもりは無かった。


 この男には、聞きたいことが山ほどあった。


「What’s the hell are you? Why did you intruded into a my room?(お前は何者だ? なぜ僕の家に侵入した?)」


 常春が英語で問う。


 だが、男はだんまりを決め込む。


「そうか」


 常春は男の腕を取り、その手首の関節をあらぬ方向へ曲げようとする。


 男は激痛で声を上げた。


 ねじ切れる前に、常春は力を入れるのをやめる。


「言わないならそれでいい。あんたの関節が一つずつポンコツになっていくだけだからな。僕にとってはどこまでも他人事だ」


 常春は、淡々と続けた。


「僕はあんたとは面識がない。そしてあんたの目や仕草からも、怨恨の意思がまったく見れない。おおかた、「誰か」に頼まれて僕を襲ったんだろう。ならよく考えてみろ。その「誰か」と、あんたが生涯共にするこの関節、あんたにとってはどっちが宝物だ?」


 そこで一度、追求を止める。


 しばらくすると、男が英語でしゃべり出した。


「……俺は、ネイサン・スミスという」


「その動き、かなり訓練されているな。元々は兵隊か何かか?」


「ああ……米軍に籍を置いていた頃は、第101空挺師団スクリーミングイーグルという部隊に所属していた」


「エリートじゃないか。そんな優秀な人材が、なぜ日本で使いっ走りなんかやっている?」


「……十年以上前のことだ。イラクに派遣されている間、本国で妻が雷に打たれて死んだ。そのショックで俺は荒れに荒れ、軍も除隊して彷徨(ほうこう)していた頃、日本のヤクザ者に拾われた」


 常春は眉根をピクリと動かした。


 やはり、裏社会の人間が関わっているようだ。


「その組織の名前は?」


「「岩田組」。規模はそれほど大きくはないが、この辺りでは幅をきかせている組だ」


「もう一つ聞きたい。宗方頼子という名前に聞き覚えはないか?」


「……ある。ウチの組長(ボス)が、君と、その宗方頼子という少女の身元を調べさせていた。君たちの通うハイスクールに、岩田組系列の金融に多額の借金をしていた教師がいたようでな。その人物に君たちの住所を教えさせたんだ」


「宗方小夜子——宗方頼子の育ての親を痛めつけたのもあんたか、ネイサン・スミス」


「そう殺気立つな。あれをやったのは他の奴だ。俺は君……伊勢志摩常春を始末する役を任された」


 かなり謎が解けた。


 しかし、核心が見えてこない。


「岩田組はそこまでして、なぜ僕と宗方頼子を狙う?」


父性愛(・・・)ゆえさ。ただし、歪んだ(・・・)な」


 ネイサンは呆れたように一笑した。


「君たちの損害を一番望んでいるのは、組長の一人息子だ。理由はよく分からんが、その息子は君と宗方頼子に恨みがあるらしい。組長は父親として、その報復を代行したというわけだ。組織という力を使ってな」


「子供のケンカに大人が出てくるのか。確かに歪んでるな」


「違いない。だが、組長の生い立ちを考えれば、仕方がないかもしれん。……彼は親から虐待を受けて育ったそうだ。その後、自分も人の親になったが、組長は自身の親を反面教師にし、息子に過剰なまでの愛情を与えた。だが組長の与えた愛情とやらは、子供に痛い目を見せたモノを力で徹底的に潰すという、モンスターペアレントの所業そのものだった。……そんな「間違った愛情」を受けて育った子供が、家と力を鼻にかけた性格に育つことは想像に難くないだろう」


「そうか」


 常春は興味なさげに返事すると、ポケットに入れていた右手を出した。その手に持っているスマホと一緒に。


 ボイスメモの録音画面だった。


 常春が画面のボタンをタップすると、ここまでの二人の会話が再生された。


「協力感謝するよ。おかげで良い証拠の品が手に入った」


 ネイサンはポカンとした表情を浮かべてから、諦めたように微笑した。


「……食えない子供だな、君は。身のこなしといい、格闘技術といい、胆力といい、明らかに普通じゃないぞ。一体何者なんだい?」


「ただのアニオタの高校生だよ」


 常春はネイサンの背中から膝を離して立ち上がった。


「さあ、早く自首してくるんだ。罪が軽くなる」


「……良いのか?」


「これが最初で最後の情け。もしまた敵として会ったら、その時は今度こそ容赦はしない。覚えておくことだ」


 常春がそう言うと、ネイサンはすっくと立ち上がった。


 ネイサンは、抵抗しなかった。


 分かるのだ。今ここであのスマホを奪おうとしても、失敗し、今度こそ容赦なしに攻撃されると。前線から外れて久しい自分では、この少年には勝てない。……いや、全盛期であっても勝つ見込みは薄いだろう。


 それに、ネイサン自身も、こんな暗い生活に嫌気がさしていた。異国で暴力装置として働き、汚い金で糊口(ここう)をしのぐこの生活に。


 いずれにせよ、今のネイサンに、抗う意志はなかった。


「伊勢志摩常春、君も一緒に来ないか。君もどのみち、そのボイスメモを持って出頭するつもりなんだろう?」


「……いや、あんた一人で行ってほしい。僕にはまだ、やり残したこと(・・・・・・・)がある」


 ネイサンはその物言いに、思わず振り返る。


 そして、恐怖した。


 ティーンエイジャーがしてはいけないような、強い険のある眼差し。


 そんな常春の頭の中に浮かんでいたのは、ただ一言。
























 潰す。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ