アニオタ、更なる危機を察知する
しばらくして、ようやく昼食となった。
もう午後三時なので、昼食と呼ぶのはいささか適当とはいえないが。
それも手早く済ませ、また頼子に引きずられるままファンタジーの世界を歩き回る。
気がつけば、日もすっかり暮れていた。
ずいぶんと夢中になって遊んでしまったが、最後に乗った観覧車から見下ろした遊園地の夜景は、まるで宝石をちりばめたように煌びやかだった。
「綺麗……!」
頼子がうっとりと目を細め、夜景に目を奪われていた。
「そうだね」
隣に座っていた常春も、そう同意する。
最初はきらめいていた頼子の笑顔だが、観覧車が上昇から下降に移った時、その笑みは寂しげなものへと変わった。
「楽しい時間って……過ぎるのが早いよね」
ぽつりとこぼされた言葉。
それに対し、常春はさも当然の事のように言葉を返した。
「またいつか来れば良いじゃない」
「え……?」
「僕達もう高校生なんだから、来ようと思えばいつでも来れるじゃない。なんだったら、またいつか僕が連れて行ってあげるよ」
頼子が息を呑み、目を丸くした。
その白い頬が、みるみる赤く染まっていく。
「……いいの?」
「うん」
常春としては、何気ない言葉だった。
しかし、頼子はそんな常春の提案を、「大きな事」のように受け取っていた。
頼子が黙りこくる。それに合わせ、常春も沈黙する。
不意に、常春の手をひんやりして滑らかな感触が包んだ。頼子の手だ。
最初は冷たかったその手は、常春と触れ合ったことであっという間に熱くなった。
頼子は、常春へすがりつくような形で密着し、その顔を潤んだ上目遣いで見上げた。
無意識の行動だった。
目をぱちぱちとさせている常春を真っ直ぐ見つめる。
「あのね、伊勢志摩……」
口が勝手に動く。
「ウチね、あんたが——」
決定的な一言を言いそうになった、その時だった。
スマホが鳴った。
「あ、ごめん、僕だ」
常春がそう言い、ポケットのスマホを取り出して通話する。
明らかに日本語ではない言葉で何事か話してから、通話を切った。
「ごめんごめん。それで、どうしたのかな?」
常春がそう改めて問うてきたが、
「…………ううん、なんでもない」
間を置かれて頭が冷えていた頼子は、そう誤魔化した。
(ああああああああああっ、ウチってば勢いに任せて、何言おうとしてんだろ……)
頼子は常春からそっぽを向き、顔を恥ずかしさのあまり両手で押さえた。冷えた頭とは反比例して、顔がやかんみたいに熱い。
常春はそんなおかしな頼子を見てきょとんとしていた。
◆
家の最寄り駅で降車し、それぞれの帰路の分岐点に来てもなお、常春と頼子は一緒に歩いていた。
二人の足は、宗方家へと向かっていた。
常春は、頼子を送ることにした。
デートの鉄則というのもあるが、最近この辺りは物騒なので、彼女を守らなければと思ったのだ。
まして、この間頼子を襲った連中の素性が分からない以上、なおさら一人にはできない。
「なんか、ごめんね……送ってもらっちゃって」
すまなそうに笑う頼子に対し、常春はふるふると首を横へ振る。
「いいよ。大したことじゃないし。それに、宗方さんのこと、放っておきたくないし」
「……そっか」
どう受け取ったのか、頼子は唇を尖らせて顔を紅く染めた。
それを見て、なんだか可笑しくなった常春は小さく笑い、
「なんか、最近宗方さん、よく赤くなるよね」
「っ! な、なによ!? 悪い!?」
「ううん。なんだか可愛いなって思って」
率直な意見だったのだが、頼子の方は「ぼんっ」という擬音でも立てんばかりに顔を真っ赤に染め上げた。暗闇の中でも一目で分かってしまうほど赤い。
「……あんたのせい、なんだから。ばか」
頼子はうつむきながら、小声で呟いた。
そんな感じの会話を楽しみながら、二人は夜の道を並んで歩く。
やがて、宗方家の家屋が見えた。
玄関の引き戸の前で、二人は向かい合う。
頼子が口元をほころばせ、
「伊勢志摩、今日は、誘ってくれてありがとね。……すごく楽しかった」
「それは良かった。男冥利に尽きるというものだよ」
「うん。……それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ、宗方さん」
名残惜しそうにチラチラ常春を見ながら、頼子は引き戸を開いて中へ入る。
「え……? 何、これ……」
が、三和土に入ったところで、頼子は立ち止まる。
常春は、引き戸と頼子の隙間から、家の中をのぞき込む。
——床に付いた、土埃の足跡。
「——っ!」
長年のカンで危機を察知した常春は、土足であることも気にせず、跳ねるように宗方家に入った。
土埃の足跡をたどり、居間へと駆け込む。
そこには、
「——小夜子さんっ!!」
うつ伏せに倒れた小夜子の姿だった。
口角と鼻腔からは、かすかながら血の筋が伸びている。
その老体がまとう衣服にはかすかに土埃がついており、踏みつけられたことが一目で分かった。……靴裏の種類は一人分のみ。
小夜子の乾いたまぶたが、常春の声に反応する形でかすかに震えた。
「おばあちゃんっ!?」
遅れて居間に来た頼子は、ボロボロのなった育ての親の姿を見て、驚愕と悲痛で表情を歪ませた。
慌てて駆け寄る頼子。
「おばあちゃん、どうしたの!? 何があったの!?」
頼子は半泣きで尋ねるが、小夜子の返事はない。
「ねぇっ! 返事してよぉ! おばあちゃん! おばあちゃぁんっ!!」
「宗方さん、落ち着いて! 揺さぶっちゃダメだ!」
「いやあっ!!」
暴れる頼子の両腕を掴んで止める常春。
「より……こ」
そこで、小夜子の口からかすれた声が漏れ出した。
シワに縁取られたその眼差しに宿る光こそ弱々しいが、頼子をまっすぐに見つめていた。
「ごめん……ねぇ」
その言葉を最後に、小夜子は口と眼を閉じた。




