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アニオタ、フロントガラスを叩き割る

 ——伊勢志摩 常春。


 ディスプレイに映ったその名前を見るたびに、頼子はなんだか恥ずかしい気持ちになってくる。


「……初めて、男の子とアドレス交換しちゃった」


 頼子のアドレス帳には「おばあちゃん」しか入っていなかった。そこへ二人目が入った。


 それだけでも十分記念的なのに、その相手が同い年の男の子ときたものだ。頼子には二重の意味で新鮮だった。


 常春と帰路を別れた後でよかった。こんな顔、彼にはとても見せられない。


「おまけに……デートに誘われるなんて」


 初めてではない。


 これまで何人か、頼子に言い寄ってきた男子はいた。


 槙村のように軽薄そうな男もいれば、いかにも誠実そうな男もいた。


 だが、どの男子にも、自分は「その気」にはなれなかった。


 いや、もしかすると、自分は怖かったのかもしれない。


 誰かを好きになっても、いつか相手が変わってしまい、いなくなってしまうのではないか。


 そんな気持ちが、心のどこかにあったのだ。……自分が「犯罪者の娘」になった途端、離れていってしまった親友みたいに。


 その「怖さ」は、今でも心に根を張っている。


 だからこそ、常春とそこまで発展できたことは、大いなる進歩といえた。


 常春のような常識外れを見ていると、なんだか、自分の悩みがちっぽけに思えてくるのだ。

 こちらから壁を作っているのが、だんだんバカらしく思えてくるのだ。


 おまけに、頼子の口元はほころんでいた。


 彼が、「ゴールデンウィークを無駄にしないために」という自分の提案に乗って、デートを申し込んできたことは明らかだ。そこに自分への想いがこもっているかは定かではない。


 それでも、自分は明日を楽しみにしていた。


 そんな自分に、頼子はハッとする。


 顔がみるみる熱くなってくる。


「ちょっと待って。これじゃまるで、ウチが……」


 自分が、彼を……常春のことを——



 

 それから先の思考を、けたたましい急ブレーキの音が打ち切らせた。




 ゴムが擦れた嫌な臭いが鼻を刺激し、ぼんやりしていた視界が鮮明になる。


 自分の真横に、一台の黒いワゴン車が停まった。


 そのスライドドアが乱暴に開け放たれ、中から三人の男が出てきた。


 その三人はあっという間に頼子の周囲を取り囲み、両腕を掴み、口元を押さえた。


「むぐっ……!!」


 頼子は抵抗するが、女一人で男三人分の力に勝てるはずもなく、すぐに車の中へと引きずり込まれてしまった。


 知らない男に両側を挟まれた状態で座らされる。


 恐怖心が急激に押し寄せ、吐き気さえ覚える。


 スライドドアが閉じられ、車が走り出した瞬間、男たちの浮かれた歓喜が沸き立った。


「イエーイ! ウサギちゃんゲットだぜー!!」


「ヤッベ、超カワイクね!? 俺好みだわ!」


「乳も超デケーし。触ってもいいか? ていうかパフりたいんですけど」


「あー良い匂い。ねぇねぇ、剛士くん、もう味わっていいかぁ?」


 男たちが、頼子の大きな胸を触ったり、長い髪に鼻を這わせたりしてくる。


 汚泥を飲み込んだような不快感。


 悪寒が走り、手足が痺れをきたす。

「待てよエテ公ども。その前に、このアバズレに自分(テメェ)の罪を教える方が先だろうが。()るのはその後だ」


 助手席からそう言って顔を出したのは、頼子と同い年くらいの少年だった。肩のラインまで伸びたストレートの茶髪に、刃物のような冷たい鋭さを連想させる、細く鋭角的な眼。怒らせたら平気で人を刺しかねない危うさを感じさせた。


 その男は、頼子をその刃物みたいな目つきで真っ直ぐ見ながら、言った。


「オーケー、写真通りだな。……お前だろ? 千重里(ちえり)をいじめてるっていうクソ女は」


「……は?」


 恐怖と緊張で潰れかけた喉でも、そんな疑問の声だけはもらすことができた。


 千重里って、誰だ?


「おっと、そういや初対面か。俺は岩田剛士(たけし)。テメェがいじめてくれてる佐伯(さえき)千重里の幼馴染だよ」


 岩田剛士と名乗ったその男は、睨む目つきをさらにキツくした。まるで視線で刺し殺さんばかりに。


 頼子の恐怖心が疑問と一緒にごちゃ混ぜになる。


 しかし、言葉が出ない。そもそも舌が回らない。かすれた声を出すだけで精一杯だった。


「テメェよぉ……よくも千重里を泣かせてくれたな。あいつ、言ってたんだよ。泣いてたんだよ。テメェにいじめられて辛いって。生きていたくないって。死にたいって。この気持ち、テメェに分かっか? 分かるわけねぇよなぁ? いじめなんてするようなメス豚にはよ」


 いったい何を言われているのか分からない。


 自分が、誰をいじめたと?


「な……なんの、こと」


 ようやく、言葉らしい言葉が出せた。


 しかし次の瞬間、剛士は頼子の髪の毛を引っ張り、強引に顔を寄せた。


 間近にある憤怒の形相に、頼子の背筋に絶対零度の悪寒が走る。


「いけしゃあしゃあと!! テメェ自分のやった事自覚した上で、そんなしらばっくれてんのか!? この売女(ばいた)が!! 恥を知りやがれ!!」


 頬に硬い衝撃。殴られた。

「俺はなぁ、あいつが……千重里が一番大事なんだよ!! 一番大事な女を傷つけられておいて、黙ってられる男がこの世にいると思うかぁ!! かといって、今時は先公もサツもクソの役にも立たねぇ!! だから俺が直々に、テメェに裁きを与える!! ……テメェさ、千重里を襲わせようとしたらしいじゃねぇの? だったら千重里じゃなく、テメェが(・・・・)襲われてみろや(・・・・・・・)


 その言葉の意味を理解した頼子は、意識が凍りつく思いだった。


 殴られた痛みすら忘れるほどの恐怖。


 男の無骨な手が、肩を掴む。


「や、やっ! 離してよっ!」


「おら、暴れんなよ! 大人しくしろや!」


「やだっ!! 離して!! いや!! いやぁぁぁぁぁぁ!!!」


 力づくで仰向けにされ、制服を無理矢理脱がせようとしてくる。


 頼子は錯乱した。


 もはや周囲の情景など認識できる余裕はなかった。


 あるのは、これから男に凌辱されそうになっているという残酷な現実への悲観。


 そして、救いの渇望。


「たすけて!! たすけて!! いやぁぁぁぁぁたすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 半狂乱となった頼子の口は、自然とある人物の名を叫んだ。


「たすけて…………伊勢志摩ぁぁぁぁっ!!」




 ——バギンッ!!!




 割れる音がした。


 何が?


 ……フロントガラスに、クモの巣のようなヒビが入っていた。


 ——バギンッ!!


 ヒビがさらに広がる。


 それを生み出している元凶は、フロントガラスの上から伸びた人間の腕(・・・・)


 ——バギンッ!!


 一見、細く柔弱に見える腕だが、その腕は手に握った石を使い、着実にヒビを広げていた。


 ——バギンッ!!


 全員動きを止め、唖然としてそれを見ていた。


 ——バギンッ!!


 頼子も、恐怖を忘れ、割れゆくガラスを見つめていた。


 ——バギンッ!!


 そして、確信した。


 ——バギンッ!!


 こんな馬鹿馬鹿しく、常識外れな行為を平気でやってのける人間は、頼子の知る限り一人しかいなかった。


 ——バギンッ!!


 そう、伊勢志摩常春しかいなかった。




 バガシャァァァァァァァ!!!




 限界を超えたフロントガラスが粉砕。キラキラと輝く無数の破片となって、運転席の男に降り注いだ。


「うわっ!?」


 その男は両腕で顔をかばう。


 常春の腕は、がら空きとなったハンドルを掴み、それを思いっきり横へ切った。


 ぐわん!! と横に大きく揺れる車体。慌ただしくなる車内。


 しかし頼子だけは、この上ない安心感に包まれていた。


 これは、自分を助けるための行いであると分かっているからである。だから、頼子が傷つくことは絶対にあり得ない。


 だからこそ、ワゴン車がガードレールを突き破って無人の歩道へ激突するという事故を起こしても、揺り籠の中にいるような安心感が消えなかった。


 運転席、そして後部座席の男たちが、ドアを開けて外へ出た。


「どこの誰だコラァ!! 俺らの車にこんな真似してただで済むとケペッ」


 その声が、カエルの鳴き声みたいなうめきによって中断された。人が倒れる音。

 

 連中の目の前には、いつの間にか常春が現れていた。


 常春は真っ直ぐに頼子を見つめながら歩いてくる。その途中で殴りかかってくる奴の顎を稲妻のような速度で小突き、脳を揺さぶって転がす。まるで羽虫でも払うような動きだった。


 あっという間に常春は頼子の側までたどり着き、微笑みながら手を差し出した。


 まるで、姫君を迎えにやってきた王子のように。


 頼子は泣きそうな笑みを浮かべ、その手をそっと取った。


「この野郎がぁぁぁ!!」


 そこへ水を差す者が一人。助手席から出てきた剛士が、常春の背中をナイフで突き刺そうとしてきた。


 だが常春は一瞥もせず、蟷螂手(とうろうしゅ)を裏拳の要領で振るった。過程が全く見えないほどのその一撃は、ナイフの刃の腹を打ち、真っ二つに叩き折った。


 人外じみた技巧に驚愕する剛士を尻目に、常春は頼子の手を引いた。男の乱暴さを感じさせない、優しい力で。


「わ……」


 だが、頼子が勢いよく車から飛び出し、常春に抱きついた。


「伊勢志摩……伊勢志摩……伊勢志摩…………!」


 顔を胸に押しつけ、背中に回した手を震わせる頼子。どれほどの恐怖心を抱いていたのかが、誰の目にも分かる仕草だった。


「よしよーし。もう大丈夫だからねー」


 常春はしばらく頼子の背中をさすってから、そっと頼子を離し、剛士の方を向く。


 頼子に向けていたのとは全く性質の異なる、熾火(おきび)のように殺気をくすぶらせた眼差し。


 剛士は小便をもらしそうになるほど恐怖する。


 常春は、震える剛士の胸ぐらを掴み上げた。少年の幼さが消えないながらも凄みのある声で、


「動き方と座席の位置を鑑みるに、お前がボスだな? 何故このような暴挙に及んだ? 答えろ」


「ふん、テメェの指図は受けね——」


 常春は剛士の首根っこを掴んだ。剛士の眼球に二指を近づけながら、


「勘違いするな。僕は「質問」してるんじゃない。「命令」しているんだよ。いいからとっとと白状(ゲロ)しろ。お前のこの濁りきった目玉、ほじくり出してカラスに食わせてもいいんだぞ」


「ひぃっ!?」


 剛士は少女のように怯えを見せた。本当にやりかねない迫力があったのだ。


 常春もまた、脅しや冗談を口にした覚えはない。本気だった。


 ただ叩きのめすだけでは足りない。こんな馬鹿な行為をした理由と、背後関係の有無を尋問しなければならない。勘違いでゲリラに捕まって拷問を受けそうになった事のある常春は、経験則から即座にそう判断した。


 肉体に耐えがたい苦痛を与える手段なら、嫌ってほど知っている。


 何より、こいつは頼子に、一生残るであろう心の傷をつけようとしたのだ。


 容赦できる理由が一つも見当たらない。


 だが次の瞬間、どこからかパトカーのサイレンの音が聴こえてきた。どんどんこちらへ音が近づいてくる。……きっと、誰かがこの事故を通報したんだろう。


 常春は即座に行動を変更した。警察が来ては、この男を「尋問」することはできなくなってしまう。頼子があいそうになった被害も証拠不足で信じてもらえず、それどころか救出のためにワゴン車を事故らせた常春が罪に問われかねない。警察機構は市民ではなく、法律の味方なのだ。


 常春はお姫様抱っこの要領で頼子を持ち上げ、そのまま脱兎のごとく走り去った。


 重りをつけながら馬の尻尾を追いかけ回す修行をさせられていた常春は、頼子という荷を持っていてもなお俊足だった。


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