便利な兵隊
岩田剛士は、ポケットのスマホが震えていることに気がついた。
現在、ワゴン車の中でチューハイをやりながら楽しく談笑しているところだった。剛士を含めて全員が未成年だったが、そんなものを気にするほど、ここに集まっている連中は繊細ではなかった。
「なんだよ、クソ、人が盛り上がってる時に……」
剛士は突然の電話にイラつきながらスマホを取り出すが、ディスプレイに表示されている「千重里」という文字を見た瞬間、イラつきは喜びに変わった。
通話ボタンをタップし、耳を傾けた。
「おう、なんだよ千重里?」
『うっ……ぐずっ、ううっ、た、たけしぃ……』
聞こえてきた幼馴染の声は、涙がまじっていた。
泣いていると分かった剛士は、慌てて訳を訊いた。
「おい、千重里、どうした!? 何泣いてんだ!?」
『うっ、ううっ……うえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん』
耳元に聞こえてくる号泣に、剛士の胸はさらに締め付けられた。
「落ち着け。何があった? 落ち着けてから俺に話してくれ」
何秒か待つと、多少落ち着いた声で千重里は話し始めた。
『あのね、わたしね……今、いじめられてるの』
剛士の中に、驚きと怒りが同時に生まれた。
「なんだって!? 誰だそんな事してる奴は!? 名前を言え! 俺がぶっ殺してやるから!」
『……宗方、頼子。わたしと同じ学校で、同じ学年』
千重里の声に、再び泣きが入った。
『うぐっ、宗方ね、仲間集めてわたしに暴力振るったり、ひぐっ、机の中に、猫ちゃんの死体入れたり、生ゴミ食べさせようとしたり、ひぐぅっ……今日はね、彼氏とその友達に、わたしをレイプさせようとしたの』
その光景が脳裏で生々しく想像される。それによって、剛士の怒りが蓄積されていく。
『わたし、ちゃんと逃げられた。でも、もぉヤなのぉ。わたし、もう学校行けない。ううん、きっと宗方、家に引きこもってもわたしのこといじめにやって来るんだ。わたしもう生きていけない、いじめ殺されちゃう……!』
ぐずぐずな涙声で、哀切に懇願してくる。
『ねぇ、たすけてぇ……! わたし、もう剛士しか頼れる人いないのぉ。もし剛士にまで拒絶されたら、わたしもう生きてけないよぉ……! おねがい、たけしぃ、たすけてよぉぉぉ……!!』
我慢出来なくなって、剛士は気勢良く言った。
「当たり前だろうが! 助けるさ! 俺がお前を助けて、これからもずっと守ってやる!! 世界中がお前の敵になろうと、俺だけはお前の味方だから!!」
まるで少年漫画のヒーローのようなセリフだが、剛士はそれを口にすることに恥はなかった。
昔からずっと想いを寄せていた女に、ここまで頼られているのだ。
「自分にしかできない」という自負、「好きな女に求められている」ということへの誇り、そして宗方頼子という外道に対する憤怒が、剛士に強い活力を与えた。
それに、気持ちだけじゃない。剛士には力があった。
剛士は「岩田組」という極道の息子だった。さほど大きな組織ではないが、ヤクザであることには変わりない。
このワゴン車にいる連中のように、「ヤクザの息子」というステータスに引きつけられて集まった手下も数多い。
「安心しろ。お前は必ず、この俺が救ってやる」
もう一度、決意を込めてそう言った。
『剛士……ありがとぉ。わたし、すっごく幸せだよぉ』
「……そ、そうか」
剛士は赤くなり、嬉しそうにニヤニヤ笑った。
「それじゃあ、もう切るな。俺が良いって言うまで、お前はしばらく学校休んでろ。俺がなんとかしてやるから」
『うん……じゃあ、切るね』
通話を終えた。
手下たちの方を鋭く向き、気合いを入れて言った。
「おいお前ら! 明日潮騒高の宗方頼子を探すぞ! 千重里を酷い目にあわせやがったクソ女に、生まれてきたことを後悔させてやれ!」
「岩田さん、もし、そいつがマブい女だったら、その……いただいちまっていいっすか?」
情欲で目をギラつかせた手下の一人が、そう質問してきた。
「好きにしな。宗方頼子に地獄を見せられるなら、何してもかまわねぇから」
ヒュォォォォ!! と連中が盛り上がった。
下卑た歓喜を上げる手下をよそに、剛士は強い決意を胸に感じていた。
千重里、お前は絶対、俺が助けてやるからな。
——と、剛士は今頃考えているに違いない。
「ほんと単純な馬鹿って助かるなぁ。ちょっと嘘泣きすれば、簡単にハッスルしてくれるんだもん」
千重里は電話を切った後、優秀な手駒の奮起に満足した。
千重里はとっくの昔に気づいていた。剛士が自分のことを、異性として好いていることを。
知った上で、巧妙に剛士を利用してきた。
これまで、千重里は自分にふりかかる火の粉を、みんな剛士に払ってもらってきた。
ヤクザだと言えば、たいていの奴は大人しくなる。ならない奴でも、剛士の手下による数の暴力で大人しくなる。
千重里にとって剛士は、単なる「便利な兵隊」に過ぎなかった。
千重里の体も心も、すべて槙村に捧げている。
今は拒絶されたが、あの憎き頼子さえ大人しくなれば、また関係が変わるかもしれない。
そんな夢みたいな展開を、千重里は本気で信じていた。
「大好きだよ、公平」
スマホのホーム画面に映る、槙村の写真にキスをした。




