槙村、無意味な関係と決別する
「今日は収穫無し、か……」
槙村公平は、すっかり日の暮れた夜の町を一人歩いていた。
今日は放課後、道場探しに明け暮れた。
結局、めぼしい所は見つからなかったが。
まぁ、良師はそう簡単に見つかるものではないし、焦っても仕方がない。
(きっとあの野郎は、すげぇ師匠についたからあれだけ強ぇんだろうしな……)
アニオタの皮をかぶった怪物、伊勢志摩常春を思い浮かべる。
人間は「無」から何かを生み出すことはできない。技術を知りたくば、必ず誰かや何かから教わらなければならない。
まして、あれだけの実力だ。師もきっと、とんでもない人物に違いない。
ならば、自分もそれなりの師を見つけなければ、同じ土俵に立てない。
探そう。明日も、明後日も、そのまた次の日も。
「こ〜へぇ〜〜っ!」
自分の腕に、誰かが抱きついた。
この甘ったるい声に、腕に押し付けられた柔らかな感触。覚えがあった。
「……千重里」
茶色いボブカットに、どこか憂いのある童顔。児童のように細く小柄ながら、胸だけは人一倍豊かなその女子は、佐伯千重里だった。
「あーん、わたし寂しかったよぉ。公平ってば、先にスタスタ帰っちゃうんだもんっ。わたしずっと探してたんだよぉ、こぉへぇ。えへへへ、公平ってば、丸坊主になってもイケメンだよぉ」
アニメみたいに高く甘い声を出しながら、槙村の腕に頬ずりしてくる千重里。
対し、槙村は気後れした顔で、
「お前……下校してからずっと俺のこと探してたのかよ」
「そうだよぉ。ていうかぁ、待ち伏せ?」
「待ち伏せ?」
「そう。だってわたし、公平の居場所分かるもん。愛の力ってやつだよ。えへへへぇ、またホテル行って朝までらぶらぶしよぉ、公平ぇ」
胸だけでなく全身も密着させ、媚びるような声で情欲を誘ってくる千重里。甘ったるい女の匂い。
いつもならそのまま男の欲望に身を委ねるのだが、今はそれよりも疑念の方が強かった。
愛の力で居場所が分かる? そんなわけがあるか。
一つの可能性に気づいた槙村はポケットからスマホを取り出して起動。ホーム画面に並ぶアプリケーションに視線をなぞらせていく。
インストールした覚えのないアプリが、隅っこの目立たない位置に一つ。
追跡アプリ。
「おい! お前のスマホ寄越せ!」
槙村は千重里の制服スカートのポケットからスマホを強奪し、覚えていたパスコードを打って起動。ホーム画面を探ると、自分と同じ追跡アプリが入っていた。
「千重里テメェ! 俺のスマホに勝手に何入れてんだ!? あぁ!?」
きっと、ラブホテルで疲れて眠っている時に、こっそりインストールされていたのだ。パスコードロックしていないのが裏目に出た。
千重里はすでに罪を認めている様子で、気まずそうな笑みでチラチラ槙村を見ながら、
「だ、だって……公平のこと、ずっと気になるんだもん。好きな男の子が何してるのか気になるなんて、恋する女の子なら誰だって同じだよぉ……」
「それが人様のスマホに勝手にクソアプリぶち込んでいい理由になんのか!」
「ひっ……ご、ごめんね。公平が嫌なら謝るよ。ごめんなさい」
槙村は何も言わず、追跡アプリをアンインストールし、パスコードロックもしっかりかけた。
「ね、ねぇ、これからわたしとホテル行こうよ。一晩中愛し合えば、きっと怒りも治まるよ。ね、いいでしょ? 普段しないようなハードコアなプレイもしていいからぁ」
話をはぐらかし、再び甘えた態度でそう誘ってくる。
……それを見て、槙村の中で何かが冷めていく感じがした。
潮時だ。
「なぁ、もうこんな関係やめにしようや」
槙村は諭すようにそう告げた。
千重里はしばらく、時間が止まったように沈黙。
しかしすぐに、目に涙を溜めながらすがりつくように訊いてきた。
「な、なんで? なんでっ!? わたしの何が不満なの!? 追跡アプリならもう二度と入れないよ!? ねぇ、お願い! 別れたくないよっ!」
「別れるも何も、俺らはハナっからくっついてすらいねぇじゃねぇか」
その言葉に、千重里は絶望的な表情を浮かべた。
「こんな中途半端な関係、続けてても意味ねぇだろ」
「意味あるよぉ!! わたし、すごく幸せだよ!?」
「俺は全然そうは思えねぇんだよ。お互いが幸せじゃない関係なんざ無駄だ。それにな……俺には目標ができたんだ。お前と都合の良い関係を続けてたら、俺はまたフヌケに戻っちまうかもしれねぇ」
「フヌケでいいじゃん!! わたし、どんな公平でも大好きだよっ? ねぇお願い、ずっとずっと、わたしと一緒にいよ?」
ダメ押しとばかりに甘えた態度をとる千重里。
槙村は説得が不可能と感じ、無理矢理腕を振りほどいて歩き去ろうとする。
「や、やだ…………やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
だが、千重里は悲鳴に近い叫びを上げ、槙村の腰に抱きついてきた。
「おねがい公平! わたしを捨てないでっ!! 捨てちゃやだぁ!! わ、わたし、なんでもするよ!? 公平が喜んでくれるなら、どんなことだってするからぁ!!」
「……離してくれ」
「やっぱり、あの女……宗方のせいなのっ!? あの女が公平をたぶらかして、わたしとの仲を裂こうとしてるんだ……そうなんだよね!? だったらわたしに任せて! あんな女、わたしが始——」
「離せっつってんだろっ!!」
力づくで千重里を引き剥がした。
尻餅をついた千重里は、絶望した表情で槙村を見上げていた。
槙村は心を痛めつつも、背を向け、素っ気なく言い捨てた。
「とにかく、俺たちの関係はもう終わったんだよ。安心しろ。お前見た目は良いし、俺なんかより良い男捕まえられんだろ。そんで、俺なんざとっとと忘れちまえ」
「公平より良い男なんてこの世にいないよぉ!! やだぁ!! 捨てちゃやだぁぁぁぁぁ!!」
今度は捕まらないように、槙村は走って逃げた。
後ろ髪を引かれる思いを抱きながら。
「ぐすっ……ひくっ、ふぐっ、こうへぇ、こうへぇぇぇぇぇ……っ!!」
一人残された千重里は、地面にひざまずいたまま泣いていた。
道行く人々は気の毒そうに見ながらも、関わらずに通り過ぎていく。
「よう、君、何泣いてんの? よかったら話聞いてやるぜ?」
中には、千重里の容姿と体に引きつけられ、媚びたような笑みで近づいてくる男もいた。
千重里の大きな胸を凝視しつつ、手を差し出してくるが、
「うるさいなっ!! さっさと消えてよっ!! 臭いのよあんた達っ!!」
ヒステリックに声を荒げ、その手を乱暴に払いのけた。
千重里の眼から凄まじいモノを読みとった男たちは、媚びた笑みを一転、おびえた表情となり、離れていった。
しばらくうずくまって泣いていたが、やがて、ポツンと呟いた。
「……ゆる、さない」
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。
千重里は心の奥底から湧き上がる憎悪に突き動かされるまま、何度も地面を殴りつけた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!! 殺すっ!! 殺したいっ!! マジ死んでよ宗方ァァァっ!!! 死ね! 死ね! 死ね! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
ドスドスドスドスドスドスドスドスドス!!
「きっと全部あいつのせいだっ!! 宗方頼子っ!! あのメス豚!! あいつのせいで、わたしと公平はラブラブになれないんだっ!!! あいつが生きてるからいけないんだっ!!! ああああああああああああああ殺したいっっ!! あの豚殺したいっ!!! あいつの全身メッタ刺しにして、顔面石で潰して殺してやりたいよォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
耳をつんざくような金切り声を上げながら、狂乱に身を任せる。
憎悪に歪んでいた顔は、しばらくして、狂ったような笑顔に変わった。
「えへ、えへへへ、えへへへへへへへ。そうだ、あの豚が、宗方がいけないんだ。あのお高く止まったアバズレを潰しちゃえば、わたしと公平を邪魔する奴は誰もいなくなる! そうすれば、公平はわたしを愛してくれるよね? 頭も撫でてくれるし、エッチだってたくさんしてくれるよねっ? わたし頑張る! あのクソ豚女を片付けて、公平との愛を勝ち取ってみせるから!」
狂った決意を胸に抱いた千重里は、立ち上がり、歩き出した。
歩きながら、スマホで「ある人物」に電話をかけた。




