アニオタ、頼子の事情を知る
案内された末に訪れたその家屋は、現代的な建築様式ではなく、古き良き日本式の木造建築だった。
それほど大きな家ではないが、柿の木がある庭や縁側といった、落ち着きながら季節の移り変わりを楽しめる家となっている。老後には是非とも住みたい家である。
ほのかに鼻腔をくすぐる、線香の匂い。
古い石の表札には、「宗方」と刻印されている。
「やっぱり、こんな感じの家に住んでいたんだねー」
常春はあまり意外に思わなかった。薄々、予想はついていたからだ。
頼子は目をぱちぱちさせ、
「やっぱりって、どういう意味?」
「宗方さんって、いつもかすかに線香の匂いがするんだもの。だからなんとなく」
ずざざざ!
頼子が素早く距離を取った。
「……変態」
「はい?」
「ウチの匂いから分かったって、その発言ちょっと引く……」
「いや、これって結構大事なことなんだよ? 「海外旅行」では役に立ったし」
南米とかに行くと、たまにヤバイ葉っぱの匂いがする者がいるのだ。そういう人物とは距離を取っていたものである。事前に危険を察知する能力も、戦いにおいては大事な能力だ。
「まぁ、とにかく入ってよ」
頼子は先に玄関の引き戸を開けて、常春を招いた。
入った瞬間、線香の匂いがさらに濃くなった。
「おばあちゃーん、ただいまー」
いつものクールな感じではなく、気が抜けて間延びした声。
スローペースな足音を響かせながら、小柄な老婆が姿をあらわした。
見た途端に気持ちがほぐれる感じの、のほほんとしたおばあさん。それが常春の抱いた第一印象だった。
「あら、おかえりねぇ頼子。今からご飯作るから、待っててねぇ」
「ウチも手伝うよ」
「そう? ありがとうねぇ。それじゃあ……んぅ?」
おばあさんは、頼子の隣に立つ常春へ目を留めた。
「どちらさまかしら?」
「あ、申し遅れました。僕は伊勢志摩常春。頼子さんのクラスメイトです」
とたん、そのおばあちゃんは「まぁ」と表情を明るくした。
「あなたが、頼子のボーイフレンドの常春くんっ?」
「はい?」
ぼんやりする常春の手をきゅっと握り、ニコニコしながら言ってきた。
「私は頼子の保護者の宗方小夜子よ。いらっしゃい、さあさあ、上がってちょうだいな」
頼子が真っ赤な顔で声を張り上げた。
「ち、違うからねおばあちゃん! そういうんじゃないから! こいつはただのクラスメイトだからっ! ボーイフレンドじゃないからっ!」
「えー? でも頼子ってば、常春くんの事をいつも「かっこいい」「すごい」って言ってるじゃない」
「おばーちゃんっ!」
「うふふ。可愛いわね、頼子。そんなに綺麗なのに、浮いた話の一つもないから心配してたのだけど、これで一安心ねぇ」
「もーっ!! おばあちゃんのばかばかっ!」
……なんだか、学校にいる時の頼子とは、随分と印象が違って見えた。
小夜子は言いたいことを全部言ったようで、常春と膨れっ面の頼子を家に上げた。
「ふふふ、まさかこんなに早く連れてきてくれるとは思わなかったわぁ。ねぇ常春ちゃん、何か食べる? おせんべいとかようかんとか、ちょっと古い感じのお菓子しかないけど」
「いえ、お構いなく」
仏壇のある居間に案内された後、椅子に座らされる。
「頼子、今日はご飯はおばあちゃんが作るから、常春ちゃんとお話でもしてなさいな」
「いや、大丈夫だよ。ウチも手伝うから」
「いいから、座ってなさいな。せっかくボーイフレンドが来てくれたんだもの、おもてなしさせてちょうだい」
「だからちがうってば!」
小夜子は穏やかに微笑みながら、のれんをくぐって台所へと去っていった。
常春は苦笑しながら、
「面白いおばあさんだね」
「でもああいう風にからかうのは勘弁してほしいわ……」
疲れたようにため息をつく頼子。
「それに、今の宗方さん、いつもより態度が柔らかく感じるし」
「……ウチ、普段そんなに態度キツいわけ?」
「そういうわけじゃないんだ。ただ、普段はちょっと一歩退がって話をしてる感じに思えるから……」
それは、常春にとっては何気ない一言だった。
しかし、頼子の心の奥底にしまい込んでいた「心の闇」をかすかに突っついた。
「そんな……こと」
顔をうつむかせ、尻すぼんだ声をもらす頼子に、常春は何か違和感を覚えた。
そこから、しばらく沈黙が続いた。
それを破ったのは、のれんから顔を出した小夜子だった。
「あ、言い忘れてたわ。頼子、お風呂の準備できてるから、ご飯の前に入ってらっしゃい」
頼子は、なんだか恥ずかしそうにしだした。恨みがましい視線が、チラチラと常春に向けられる。
「いや、でも、今、伊勢志摩いるし……」
「僕のことは気にしなくていいよ」
「ウチは気にするのっ」
「別に覗いたりしないからさ。入っておいでよ」
「そ、そういうことじゃ……」
視線は今なお常春をチラチラ。
小夜子は察したように、しゅわくちゃな顔をニッコリ笑わせた。
「きっとこの子、パジャマを見られるのが恥ずかしいんだわ」
「パジャマを、ですか?」
「そうよぉ。この子ってば、動物とかキャラクターものの着ぐるみパジャマしか持ってないの」
「おばーちゃん! もぅっ!」
「大丈夫よぉ。頼子はパジャマ姿も可愛いもの。それに、ご飯食べた後にお風呂入りたくないでしょ?」
「それは、そうだけど……」
なおもゴネる頼子に、常春は笑いかけて言った。
「僕は見てみたいかな。宗方さんのパジャマ姿」
「僕は気にしないよ」では、「ウチは気にするの!」と返されるのがオチだろう。だから「見てみたい」とあえて口にした。
頼子はというと、顔をほのかに紅潮させてうつむき、唇を尖らせていた。
「…………笑ったりしたら、ぶつからね」
いじけたような声で告げると、頼子は居間からゆっくりと去っていった。
「ささ、常春ちゃん、くつろいで待っててね」
「いえ、おばあさん、僕にも手伝わせてください」
「いいの? ありがとうねぇ。じゃあ、ちょっとだけいいかしら」
「はい」
常春は台所へ行く。
二人でテキパキと料理の支度をしていく。
今日の夕飯は、練りものと鶏肉の煮物である。その材料を、常春はサクサクと円滑に切って下ごしらえをすませていく。
「あなた、包丁扱うの上手ねぇ。頼子や私より上手だわ」
「恐縮です」
料理は、意外と武術の修行に役立つ。
肉を切る時「どうやれば楽に切れるか」を模索することが武術における剣や刀の扱いにプラスになるし、麺生地をこねる手の動きは防御の練習になるし、家畜の解体も臓器の位置を知る上で勉強になる。常春はひととおり経験積みだ。
あっという間に下ごしらえを終え、鍋に出汁を作り、そこへ具を放り込んで煮込む。
ぐつぐつという音だけが、しばし場を支配する。
「ねぇ、常春ちゃん」
先に口を開いたのは、おばあさんだった。
「あの子……頼子は学校でちゃんとやってるかしら?」
「え? まぁ、別に波風を立ててはいないですが……」
どちらかというと、波風を立てているのは自分だ。
年老いた頼子の保護者は、フルフルとかぶりを振った。
「あなたの他に、お友達はいるの?」
「友達、ですか。僕の友達の綱吉くんと……あと……」
常春は考えを巡らせるが、自分と綱吉以外の「友達」と呼べる人物が思い浮かばなかった。本人から聞いたこともなかった。
小夜子はため息をついて、
「やっぱり……そうなのね」
「やっぱり、と言いますと?」
「常春ちゃんもさっき言ってたでしょう? 「一歩退がって話してる感じがする」って。それ……当たってると思うわ」
「どういう意味でしょうか」
「あの子ね、人を避けるところがあるのよ」
小夜子は寂しそうに笑った。
「私もね、最初はすごい他人行儀な態度を取られていたわ。今みたいに家族らしく打ち解けるまで一年はかかったかしら」
「……やっぱり、頼子さんは」
「ええ、そうよ。私の本当の子じゃない。孫ですらないわ」
なんとなく、予想はついていた。
見た感じ、あまり頼子に似ていないように感じたのだ。
それに、小夜子は自分を「保護者」などという固い表現で紹介した。その時点で、ワケありの匂いがしたのだ。
「頼子の本当の父親はね、飲酒運転で事故を起こして、人を何人か死なせて、自分も死んじゃったのよ。それからその事故がニュースになって、残された頼子と母親は「犯罪者の家族」となったの。……あとは言わなくても分かるわよね?」
おそらく、死ぬほどバッシングを受けたのだろう。
「頼子は学校でいじめられたわ。親友だと思ってた子にもガラリと態度を変えられて、まるで腫れ物みたいに扱われたみたい。家でも、イタズラ電話が頻繁にかかってきたり、ネズミやゴキブリの死骸の入った封筒が届いたりしたわ。頼子と母親の気持ちはどんどんすり減っていって……とうとう母親が耐えきれずに首を吊ったの」
「そうですか……」
常春はこれまで、多くの地獄を目に焼き付けてきた。人のいろんな死にざまを見て知っていた。
けれど、直接的な暴力でなくとも、人の悪意がもたらした惨劇であるという「本質」は変わらない。銃や刃物や爆弾が無くとも、血は流れ、命は不当に絶たれるのだ。
自分を異世界人みたいに言っていたあの少女もまた、そういった「非日常」を体験していたのだ。
「それから頼子は、「犯罪者の娘」という理由で親戚中をたらい回しにされて、最終的に私の元へ転がり込んできたの。私は二度といじめられないように、頼子の希望もあって名前を変えさせたわ。私たちは最初こそぎこちなかったけれど、だんだん、少しずつ打ち解けていって、こうして仲良くなれた。でもね……」
「でも?」
「あの子は、他人を寄せつけない子になっちゃったのよ。きっと、親友だと思ってた子に見捨てられたのがショックだったんでしょうね。あの子は、色恋の話どころか、友達との話をしたことすらなかったわ。私は心配だったの。あの子はずっと、ああやって他人から遠ざかって生きていくのかなって。誰も愛さず、愛されず、ずっとひとりぼっちなのかなって。……だからね、うれしかったのよ。頼子が、あなたのことを楽しそうに話してくれた時は」
小夜子は、常春の右手をしゅわくちゃな両手で握りしめてきた。
「こんなこと、赤の他人のあなたに頼むことじゃないとは分かってるけど、でも……あの子の事、これからもお願いできるかしら」
穏やかな眼差し。しかしその目には真摯な光があった。
常春は優しく微笑みかけ、はっきりと言った。
「——はい。僕はこれからも、彼女の側にいます」
頼子もまた、常春の「日常」なのだから。
それからしばらくして、
「……出たよ」
頼子が戻ってきた。
濡れた髪と、湯上がりで肌が桜色に上気した頼子は、いつもよりかなり艶っぽく見える。普通の男なら、ドキドキするに違いない。
……来ているものが、猫の着ぐるみパジャマでなければ。
「ぷっ……!」
湯上がりの色気をぶち壊しにするお子様的コスチュームに、常春は思わず吹き出した。
羞恥と怒りでさらに顔を火照らせた頼子が、バシバシと拳で叩いてくる。当たっても全然痛くないが。
「あ、ちょっ、ごめん宗方さん、今のなし、なしで」
「うっさい、ばか! 笑ったらぶつって言ったでしょ!」
「ごめんごめん」
常春はくすぐったそうに笑いながら、頼子の猫パンチを甘んじて受け続けた。
……結局、その日は頼子の家で夕食をごちそうになったのだった。




