槙村、ビフォーアフターする
晴天の霹靂。
直訳すると、晴れた天気の時に突然落ちる雷。
文章表現として言い表すなら、なんの前触れもなく突然驚くべき出来事が起こること。
常春が朝の教室に入って、まず頭に浮かんだ言葉が「晴天の霹靂」だった。
それもそのはず。
原因は、いち早く登校してきていた槙村であった。
女好きする甘いマスクはいつも通り。
だが、その上が激変していた。
昨日まで燦然と存在感をアピールしていた人工茶髪が——黒髪の丸坊主に変わっていたのだ。
その予想の斜め上を行く変化に対して、思わずあんぐりと口を開けてしまった。
常春でさえこうなのだから、周りのクラスメートの反応はそれこそ劇的だった。
「ま、槙村くん……だよね?」
「その頭……どうしたの?」
「停学のせいで、親にバリカンやられたの……?」
いつも槙村を取り巻いている女子たちは、驚愕、というか蒼白の表情でそう問いかけた。
「いや、自分で刈り上げた」
坊主頭の槙村はそう簡単に答えた。……いつもより、なんだか素っ気ない受け答えだった。
女子の一人は白い顔のまま困惑気味に、
「え……何? それ? もしかして、失恋でもしたの?」
「してねぇって」
またも槙村はそう素っ気なく答えると、悠然と自分の席に腰を下ろした。
女子だけでなく、男子までざわついた様子を見せていた。
しかし、槙村はまったく気にする様子を見せず、手元に開いたメモ帳と睨めっこしていた。
気になった常春は、少し近づいてメモの中身を覗いてみた。
そこに書いてあるのは——道場のリストだった。
それを見て、槙村の心情を悟った。
彼は今、本気で強くなろうとしているのだ。
常春に負けた後に言ったあの言葉は、やはりその場のノリで言ったものではなかった。
だからこそ、掴まれて引っ張られるリスクのある髪の毛を全部剃り落とし、ああして良師を探そうと努力している。
常春はなんだか嬉しくなり、つい世話を焼きたくなった。
「槙村くん、おはよう」
槙村の席に近づいて、そう挨拶をした。
対し、槙村の反応は好意的なものではなく、じろっとしたひと睨みをくれた。
「何の用だ?」
「あ、いや……普通に挨拶をと」
「そうかい。ならとっととあっち行けや。もう用は済ませただろ」
追い返そうとしてくる槙村に、常春は愛想笑いを浮かべて、小声で耳打ちした。
「もし良かったら、誰か良い師匠を紹介してあげるけど」
「いらねぇよ。何が悲しくて敵から施しを受けなくちゃいけねぇんだ。自分で探すわ」
そう鬱陶しげに言って、手をしっしっと振る槙村。
確かにそうかもしれない。
「そっか。もし必要なら言ってね」
常春はそう引き下がることにした。
「ふぅん? あの槙村が、坊主にねぇ」
口の中身を飲み込んだ後、頼子が常春の出した話題にそう反応した。
今は昼休み。常春、頼子、綱吉の三人は、二年A組教室で食事と談笑を楽しんでいた。
「何か変なものにでも取り憑かれたでおじゃるかね」
綱吉が散々なことを言うが、そう思うのも無理はない。
すでにクラスの話題は、槙村の劇的なイメチェンについてでもちきりだった。
カッコ良かったのにショック、と嘆く女子もいれば、いやいや坊主もカッコいいじゃん、という女子もいた。
だが、ほとんどの者が、外見の変化にしか意識が向いていなかった。
常春は知っている。槙村の内面の変化を。
綱吉は「取り憑かれたみたい」と言っていたが、むしろ逆な気がした。昔の槙村に比べ、今の槙村の方が遥かにスッキリした顔をしている。髪型のせいかもしれないが。
「それに、伊勢志摩たちへの態度も良くなった気がしない? あいつ、一日に必ず一回は悪口言ってたじゃない。それと、ウチにも全然絡んでこなくなった」
頼子の言葉に、常春と綱吉は「そういえば」という顔をした。
「いい加減、飽きたのではないでおじゃるか?」
綱吉が言う。
飽きたというより、他に考えること、やることができたというべきか。
いずれにせよ、
「周囲は賛否両論みたいだけど、僕はいい変化だと思うな」
常春は素直にそう思った。
あっという間に時は過ぎ、放課後となった。
夕陽色に染まった帰り道を、常春と頼子は二人肩を並べて歩いていた。
「今日もお昼ご飯ありがとうね、宗方さん」
ふと、お礼を言いそびれていたと思い出した常春は、そう感謝を告げた。
なんか、いつもご相伴に預かっているから、それが当たり前みたいに思ってしまっている自分がいたのだ。
頼子はうつむき、唇を尖らせながら、
「いいって、別に」
「そっか。でも、いつもありがとう」
常春はまっすぐ見つめて礼を再び言った。
「……ばか」
頼子はほんのり頬を染め、顔を背けた。
「あのさ、何か僕にお礼できないかな?」
「お礼って……いいし、そんなの」
「だって、僕もらってばっかりだし。たまにはこっちからも何かあげたいなって」
常春のダメ押しに、頼子は「うー」と悩ましげに唸ってから、
「……じゃあ、一つだけ、いいかな」
「いいよ。何をしてほしい?」
「ウチの家に来て」
予想外の要求をされ、常春はきょとんとする。
頼子は顔を赤くし、必死に言い訳するようにまくしたてた。
「いや、違う、変な意味じゃないから! ただ、その……」
「その?」
「……おばあちゃんがね、あんたに会ってみたいって言ってるの」
「おばあさんが?」
こくん、と頼子は黙ってうなずく。
「だから、その……ダメ?」
ダメということはない。もともと「何かしてほしいことはないか」と持ちかけたのは常春なのだ。
「いいよ。それじゃあ、今から行こうか」
「う、うん……」
頼子が赤い顔でうなずいた。
その日、二人の帰路が初めて重なった。




