アニオタ、いつもの朝を迎える
次の日。
「常春殿! 昨日の「お茶立て町のお茶目なお茶屋さん」を視聴したでおじゃるかぁ!?」
「うんうん、見た見た!」
朝のホームルーム前の時間。
二年A組の教室の一角から、そんなハイテンションな会話が響いていた。
音源は二人。小柄で華奢な少年——常春と、太った男子だった。
175センチを誇る背丈に、横幅の広い肥満体。大きな団子のような顔に、黒縁のメガネ、オールバック。脂肪のせいで内側に縮こまったような鼻と口からは、ハフハフと興奮したような荒い呼吸がしきりに漏れていた。
富田綱吉。常春のオタク仲間である。
「玉露姉さま、すごく可愛かったよね!」
「うむうむ! 普段物静かでクールな女子が可愛いところを見せると、普通の女子が同じことをするよりもずっと可愛く見えるでおじゃる! あれこそまさしくギャップ萌えの雛形というもの!」
二人が熱心に話すのはもちろんアニメの話題。現在春から放送された深夜アニメ「お茶立て町のお茶目なお茶屋さん」についてだった。日常系の代表作の一つともいえる大人気アニメの第3期で、第二話まで放映された現時点でネットでは覇権扱いされていた。
常春は興奮気味に笑い、綱吉は「ブヒヒヒヒィィィィィィィン!!」と魂の雄叫びを上げる。
そんな人生楽しそうな二人とは対照的に、周囲のクラスメイトからの視線はひたすら冷たかった。汚物を見るような目を向けているのは、クラス内カースト上位組の女子達だった。
あざ笑う奴も、一名いた。
「おーおーおー、今日も子豚と大豚が元気いっぱいキーキー鳴いてら。豚くっせぇ」
ちょうど教室に入ってきた男子が、嘲笑を浮かべながらそう言った。
茶色く染めた髪。細身で長身だが、貧弱ではなく、よく鍛えられていることがなんとなく分かる肉体。たいていの女子なら流し目一発で惚れさせてしまいそうな切れ長の瞳をしたイケメン。
「あ、公平くーん! おはよー!」
「今日もかっこいー!」
「放課後一緒に遊ばない?」
彼を見た途端、上位組の女子が黄色い声を上げて駆け寄った。
「おはようさん。ありがとよ。いいぜ、どこ行こうか?」
そのイケメンも友好的な笑みを交えて、女子たちの声に答えていく。……常春たちとは真逆の対応だった。
槙村公平。クラス内カースト最上位のイケメン男子だ。
この通り、とてつもなくモテる。一晩を共にした女の数は百人を超えるという噂だ。
槙村はカースト上位には優しいが、常春たちのような最底辺の生徒には辛辣で横柄。そのため常春のオタク仲間たちからは「槙村不公平くん」と陰で揶揄されている。
「……おい。なに見てんだよ子豚ぁ? なんか文句あんのかぁ?」
常春の視線に気がついた槙村は、女子に向けていたのとは違う、見下すような笑みでそう言った。
他のオタク仲間なら萎縮してしまうような態度。
だが常春は普段通りの調子で、
「なんでもないよ、槙村くん」
「あっそ。つぅかさぁ、伊勢志摩、だっけ? お前もさ、いい年してアニメなんてキモいもんにハマってねぇで、マトモな青春送ってみろよ? 一つ上のレベルの世界が見れるぜ?」
話の文脈も完全に無視し、槙村が常春を馬鹿にする。
常春は愛想笑いを浮かべながら、
「お気遣いどうも。でも、僕らの青春も嫁も、液晶画面の向こう側だから」
「うわ、こいつキモっ! 行こ、公平くん」
「そうだな。ははっ、お前らはジジイになっても液晶画面にキスしてろよ!」
不快感に顔を歪めた女子に言われるまま、槙村は高笑いしながら常春たちから離れた。
常春の狙い通りの反応だった。彼らはこちらを馬鹿にして悦に浸りたいだけなのだ。ならば下手に言い返さず、その欲求を満たすための材料を与えてやればいい。そうすれば自然と離れていく。
「常春殿、したたかでおじゃるなぁ」
「誰も傷つかないからいいじゃない。それより綱吉くん、おとといの「橋の下の橋下さん」なんだけどさ——」
常春は再び、アニメの話題を振った。
……こんな感じで、馬鹿にしてくる奴はいるものの、常春のアニオタライフは「日常系」のように平穏だった。
◆
二、三限目の授業は体育だった。
体育の授業は、二クラス合同で行われる。
サッカーやテニスなどといったアウトドアスポーツの科目は、雨が降ったら体育館内で自習になる。
A組とB組はテニスの予定だったが、雨が降ってしまったので、体育館で自習となった。
運動部所属やスポーツ好きな生徒はバスケやバレーなどに取り組んでいるが、体育館の隅っこでたむろして駄弁っている生徒も多かった。
当然、オタクグループは隅っこで駄弁りコースだった。
「きゃー! 槙村くん、かっこいー!」
「ナイッシュー!」
「行けー! 槙村くーん!」
華麗にダンクシュートを決めた槙村に、女子たちからの黄色い声援が飛ぶ。
そんなイケメンリア充の活躍っぷりに舌打ちするオタクもいたが、自分にあんなファインプレーはできないので、すぐに嫉妬心は惨めな気持ちに早変わり。
同じ空間であるはずなのに、住んでいる世界が明確に区別されていた。
「おや? 常春殿はどこでおじゃるか?」
オタクの集まりの中にいた綱吉はふと常春の不在に気づき、一緒にスマホゲーをやっていたオタク仲間に尋ねた。
オタク仲間は言った。
「さっき、体育館裏に行くのを見たよ」
潮騒高校の体育館は二階建てとなっている。
今槙村たちがバスケをやっている場所は二階。
一階は道場や、運動部の各部室が集まる区画となっている。
コンクリートが張られた広間。壁には各部室と道場の扉、トイレがある。
今の時間帯、この区画に来る者は普通いない。
常春を除いて。
二階の体育館ほどではないが、ドッヂボールくらいなら余裕でできる広いスペースの真ん中に、常春はポツンと立っていた。
どうせ二階にいても、何もすることはない。
なので、ここで自習時間を有効活用したいと思った。
周囲に誰の気配もないことを確認すると、常春はここへ来た「目的」を開始した。