アニオタ、両手に花状態となる
その後、槙村は職員室へ呼び出された。
殴られた常春は保健室へ連れていかれたが、軽い打身程度だと分かると、ほっぺたを冷やすだけで終わった。
「伊勢志摩、大丈夫?」
保健室を出て廊下を歩いている時、隣を歩く頼子が気遣わしげに訊いてきた。
これで三回目だ。常春は苦笑しながら、
「大丈夫だって」
「でも……」
「嘘じゃないから。当たりはしたけど、ちゃんと受け流したからさ」
常春はそういうが、なおも頼子の顔色は優れない。
「……ウチのせいだよね。ごめん、伊勢志摩。でしゃばったりして」
そんなか細い声で言ったのを聞いて、常春は確信した。
頼子も、常春なら槙村のパンチを避けることなど造作もないことを分かっていたのだ。それでも当たったのは、自分のせいだと思っているのだ。
そんなことない……と言いたいところだが、常春は頼子を庇って殴られたので、それは慰めでしかないと思った。
なので、
「その……僕の方こそ、ごめん」
そう、謝り返した。
なんのことだときょとんとする頼子に、常春は少し顔を赤くしながら言った。
「着替え、覗いちゃって」
「あ……」
頼子が、その白い頬をリンゴみたいに赤く染めた。
恥ずかしそうにしばらく俯いたあと、頼子はか細い声で言った。
「……別に、怒ってないもん。伊勢志摩、そういうヤツじゃないって知ってるし。ただ、その……恥ずかっただけ」
「そっか」
「うん……でも、あの時見たモノは忘れてよね」
そこに言及されてしまい、忘れるどころか、あの時見た頼子の下着姿を否が応でも思い出してしまう常春。
それを感じ取った頼子はさらに顔を赤くし、肩をバシバシ叩いてきた。
常春は呼吸を整え、ぶつぶつとある言葉を呟いた。
「玉露姉さんの方がキレイ玉露姉さんの方がキレイ玉露姉さんの方がキレイ玉露姉さんの方がキレイ——」
日常系アニメ「お茶立て町のお茶目なお茶屋さん」のお姉さんキャラ、「玉露姉さん」のお色気シーンを思い出しながら、半裸の頼子への羞恥を記憶ごと消してしまおうとしていた。
常春たちのオタトークを聞きまくったおかげでちょっとは知識がついていた頼子は、アニメキャラの方がキレイと言われてムッとした。
スネを蹴られた。でも、全然痛くない。まるでじゃれつくような蹴りだった。
赤い顔で睨んでくる頼子の方を向かないまま、常春は教室へ足を進めた。
その途中で、
「あー! 君はスポーツテストの時の凄い人!」
ふと、見知らぬ女子に声をかけられた。
頼子とは違うベクトルの美少女だった。
明るい感じのする顔立ちに、細身だがどこか鍛えられていることがよく分かる体つき。ほどよく焼けた健康的な色の肌。挙動のたびに跳ねるポニーテールが、本人の活発さをアピールしているように見えた。
身長は常春と同じくらいなその美少女は、あらゆる方向にくるくる移動して常春を眺める。ふーん、へー、とか繰り返す。
「どちらさま?」
常春がそう声をかけると、その女の子はぱちぱちっと大きな瞳をまばたきさせ、ぴょんっと一歩退がった。ニコッとまぶしい笑みを浮かべ、
「ごめーん、自己紹介まだだったよねー。あたし、早坂めぐみっていうの。よろしくね」
「僕は伊勢志摩常春」
「伊勢志摩くんっていうのかぁ。へー、あんまり見た感じ、スポーツ出来そうに見えないんだけどなぁー」
興味深そうに常春を眺めるめぐみ。
かと思えば、急に常春の手を握り、ずいっと顔を近づけてきた。キラキラした眼差しを間近で見せながら、
「ねぇねぇ、伊勢志摩くんさ、帰宅部なの?」
「は? う、うん。何も部活はやってないかな」
「やったぁ! じゃあさ、男バス入部らない?」
「は? 男バス? 男子バスケ部のこと?」
「そうそう! 伊勢志摩くんのその俊足と驚異的なスタミナ、活かさないなんて勿体ないって! だからさ、バスケで思いっきり暴れてみない?」
「えぇ? でも僕、ドリブルとか出来ないよ?」
「後から覚えればいいじゃん。なんだったら、あたしが教えたげるからさ!」
笑顔がグイグイ近づいてくる。押しつぶさんばかりに。
常春はどうしたもんかと考える。
手をギュッと握られ、顔がキスできんばかりの距離まで近づいている二人。
それを見て、頼子はなんとなくムカッとした。
「あの、早坂さん、だっけ? 伊勢志摩、一応ケガ人だから、ほどほどにしてくれない?」
一歩前へ出て、むすっとした顔でそう告げる頼子。不機嫌な声を、強引に機嫌良さげに取り繕ったような声だった。
めぐみは小首を傾げて、
「別に、ケガしてても勧誘へのイエスノーは答えられるんじゃないの?」
「いや、それにこれからウチら、昼食べなきゃなんないんだけど」
「じゃああたしも一緒に食べるよ? その間でも、勧誘は続けるからね」
美少女二人の間で、不可視の火花が散っていた。
周囲の生徒、特に男子が口々にざわめいていた。
「おい、見ろよ。あれ、宗方と早坂だぜ」「三大美女のうちの二人が笑い合ってるぞ」「いや見ろ、二人とも目が笑ってねぇ」「あぁ、宗方いいよなぁ。あの冷たい感じがさ。股間踏まれながら蔑みの眼差しで見下ろされて「踏まれて感じてんの? このクズ」って罵られてぇ……」「変態かよ。俺は早坂さんかなぁ。女バスで鍛えたあの引き締まった体つきに、程よく焼けた肌、最高だろ。早坂さんの汗でぐっしょり濡れたTシャツ欲しいなぁ。コップに汗搾ってストローで飲んでから早坂さんの香り堪能してぇ」「オメーも変態じゃねぇか。つーか俺よりレベル高ぇよ」「ていうか、あの二人の間に男子がいるぞ」「あ、あいつってスポーツテストで化け物みたいな記録出した奴じゃん」「何やってんだ?」「ていうか、あの二人、あの男子で綱引きしてねぇ?」「取り合ってんのか?」「いやいや、ありえねぇだろ。あんなヒョロイ奴が、あの美少女二人にモテモテってか?」「両手に花かよ。死ねばいいのに」「ていうか死ね」「死ね」「死ね」「死ね」
憎しみや嫉妬のこもった眼差し。
常春はそれを漠然と感じ取っていた。肌がなんかちくちくする。
これから昼食を食べることを考えても、ここは早めに収拾をつけた方が良さそうだ。
「あの、ごめん早坂さん。せっかくのお誘いだけど、お断りさせてもらうよ」
常春が愛想笑いでそう言うと、めぐみは可愛らしい不満の表情で、
「えーっ? 伊勢志摩くん、帰宅部なんでしょー?」
「帰宅部だけど、僕には他にやることがあるから」
嘘ではない。
撮り溜めたアニメを見たり、武術の練習をしたり、「アルバイト」をしたり……常春の日々はなにげに充実しているのだ。
めぐみはしばらくジィーっと常春を見つめるが、しばらくするとはずむように一歩退がり、
「そっか。じゃあ今は保留にしとこっかな。でも、あたしは諦めないからねっ」
言うと、ニッコリ笑いかけてから、きびすを返して軽やかに歩き去った。
台風みたいな子だな……と思いながらその後ろ姿を見送っていると、頼子が腕をグイッと引っ張ってきた。振り返ると、ややご機嫌斜めな顔の頼子。
「ほら、さっさと行こっ。昼休み終わるよっ」
「え? ああ、うん」
その態度に戸惑いながらも、常春は引っ張られるがまま歩き出した。
(また不機嫌になっちゃってるなぁ)
そうなった理由が、常春にはよく分かっていなかった。
……頼子自身もまた、分かっていなかった。




