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アニオタ、スポーツテストで無双する

 常春は、校舎の階段を飛ぶような勢いで駆け登っていた。


 これから二、三限目の授業はスポーツテストである。


 そのための記録用紙を朝に配られたのだが、常春はそれを教室に忘れてきてしまったのである。今からそれを取りに行くところだ。


 体操服を着た周囲の生徒は降りているが、常春は登っている。


 ものすごい速度と勢いで登っているが、常春の呼吸は微塵も乱れていなかった。


 あっという間に、二年生の教室が集まる4階へと到着。


 常春のクラスである A組教室へ、滑り込むように入った。


「……え?」


 上擦った女子の声が聞こえた。真横に立つ気配から発せられたものだった。


 そちらを見る。


 ——潮騒三大美女が一人、宗方(むなかた)頼子(よりこ)である。


 しかも、今日はいつもよりやたらと肌の露出が多い。


 そりゃそうだ。下着姿(・・・)なのだから。


 白くみずみずしい素肌。扇情的な曲線美。ほどよい肉付きの美脚。そして形良く豊満に自己主張する胸。


 女性として、これ以上は望めないんじゃないかと思えるほどの理想的なプロポーション。


 ……ふむ。なるほど。


 厳しい修行と極限の経験によって鍛え抜かれた自制心と状況判断能力は、この状況をいたって冷静に分析した。


 そういえば、A教室は女子の着替え場になってたっけ。忘れてた。


 頼子だけではない。他にも大勢の女子がその柔肌をさらしていた。


 目の前の頼子はというと、最初はキョトンとした表情ではあったが、みるみるうちに顔を羞恥と怒りで紅潮させていく。クールビューティーの面影はみじんもなく、年相応の少女の顔だ。


 いけない、バシーンとくる。もはや一刻の猶予もない。さっさと謝罪しなければ。


 その時、いつだったか、何かのアニメでやっていた謝罪のセリフが頭をよぎった。


 常春は検閲せぬまま、自らの口にゴーサインを出した。


「許してヒヤシンス」


 バシーンときた。






 体育館では、すでにスポーツテストが行われていた。


「そりゃ、ひっ叩かれるに決まっているでおじゃ」


 ほっぺたに赤い手痕を作ったまましょんぼりする常春に、綱吉はさもありなんと言わんばかりに答えた。


「……普通に謝ればよかったなぁ」


 常春はそう後悔した。


 これまで非常時において、常春の直感が状況を悪くしたことはほとんどなかったのだ。戦闘や危険な状況下においては特にそうだった。


 だが、今回は極めて特殊な状況だったので、自慢の直感も役に立たなかったのかもしれない。


 ふと、離れたところにいる頼子と目が合った。


 だが、頼子はその鋭い目つきで常春をじろっとひと睨みすると、プイッと顔を背けた。


 相当ご立腹であらせられる。なんというか、「話しかけんな」って感じのオーラが出ているのだ。危険に慣れた常春には、そういうオーラといった曖昧なものが敏感に感じとれる。


 これは、もう少し時間を置いてから、もう一度謝った方がいいみたいだ。


 常春はまず記録用紙を持って、二十メートルシャトルランのところへ向かった。


 記録用紙を記入役に渡してから、シャトルランのところに並んだ。


「お、誰かと思えば、覗き野郎じゃねぇか! ごきげんよう!」


 並んでいる顔ぶれの中に、クラスメイトがいた。カースト最上位のイケメン男子、槙村(まきむら)公平(こうへい)だ。


 煽りを含んだ槙村の言葉に、常春は曖昧に笑いながら、


「いや、あれはわざとじゃないんだってば」


「嘘つかなくてもいいぜ? やっぱお前も気になるよなぁ。なにせ、頼子ちゃんが着替えてんだからよぉ。どうよ? 頼子ちゃんの下着姿は? どんなだった? 教えろやコラ」


「勘弁して欲しいよ。引っ叩かれたばっかりなんだから」


「このムッツリ野郎、ホントは脳味噌の中にしっかり保存してあんだろ? んで、今夜はそいつをオカズにハッスルするってわけか? ん? 明日寝坊すんなよ、ハハハハ!」


 ひとしきり馬鹿にし終えると、槙村は次のように言ってきた。


「そうだ。賭けをしようぜ。もし、お前が俺に勝てたら、昼飯おごってやるよ。まぁ、勝てねぇだろうけどなぁ」


 常春は答えない。ただ開始の合図を待つだけだ。


 やがて、始まった。


 ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド、のリズムでメロディーが流れ、それが終わる前に二十メートルの端から端へ走り抜ける。最初はメロディーのテンポはゆっくりだが、回数を重ねるうちに徐々に速くなっていく。一回のメロディーが終わるまでに二十メートル先へ走り抜けなければその時点で脱落となる。

 持久力の測定である。


 何度もメロディーが鳴り、回数を重ねるごとにドレミファソラシドのテンポが早まっていく。それに合わせ、一人、また一人と脱落していった。


 やがて、メロディーの回数が100回に達した。


 残ったのは二人だけとなった。


 槙村。

 常春。


(クソが、一体どうなってんだよ……!!)


 槙村は息を切らし、内心で焦っていた。


 あのオタクで、取るに足らない陰キャのはずの常春が、持久力で自分と並んでいる。


 槙村も決して体力がないわけではない。むしろ、スタミナには自信があった。空手の組み手では、スタミナが要求されていたからだ。


 だが、このオタクはどうだろう? 

 年中アニメアニメ言って騒いでるだけで、スポーツになんか何も取り組んでいないはず。

 だというのに、息も絶え絶えな自分とは違い、ほとんど息切れを起こしていない。


 認めたくない。だが、目の前にある光景……常春と槙村が並んで走っているという光景は、現実だった。


 負けてなるものか。負けることは、自分のプライドが許さない。


 だが、気力が上がったからといって、スタミナが上がるはずもなく。


 やがて、脱落してしまった。137回だった。


 常春はというと、まだ脱落していない。一人きりになったシャトルランを、黙々と走っている。


 槙村は、それを信じられないものを見る目で凝視していた。

 槙村だけではない。周囲の生徒も、あのいかにもオタクといった感じの少年の独走に目を奪われていた。


 150、160、170、180、190……200に達した。


 それでもなお、常春は走り続ける。呼吸の乱れはあるが、それでもほんのかすかなものだった。


 すでに、体育館にいる全員が注目していた。


 ——常春は、幼い頃から厳しい走行訓練をしていた。

 

 全身に砂袋を巻き付け、中国特有の長い線香が燃え尽きる前に、所定の場所まで行って戻ってくる。たったそれだけだが、それが凄まじく過酷だった。


 だが、何回も続けるうちに、自然と体が砂袋の重さに慣れてくる。帰ってきた時に残っている線香の長さが、徐々に長くなってくるのだ。


 そんな時代遅れとも取れる修行の末に、常春は常人を遥かに超える瞬発力と持久力を身につけた。その能力は、もはや並のアスリートを軽く凌駕していた。


 254回。

 そこで、常春は二十メートルを渡りきれず、リタイアとなった。


「あーっちゃ、ダメだったかぁ……最後の方向転換の時にちょっと失敗したなあ」


 額に浮かんだ汗をジャージの袖でぬぐい、常春は独り言を言う。


 沈黙する周囲。


 だが次の瞬間、拍手が沸き起こった。


 「お前すげぇよ!」「ナニモンだ!?」「バケモンじゃねぇか!」「陸上部入らないか!? 君なら全国を狙えるぞ!」……さまざまな称賛があちこちから聞こえてくる。


 対し、槙村は開いた口が閉じられない状態だった。


 254回? あのオタク野郎が? ありえない。もはや高校生のレベルではない。アスリート並みだ。


 思わず頬をつねった。夢ではなかった。


 そんな槙村に、常春は歩み寄って、


「お昼、奢ってくれるんだよね?」


「は、はぁ? バカ言ってんじゃねぇっての。「勝てたら」って言ったろ。つまり、他の全測定でも俺に勝たねぇとおごんねぇよ」


 見苦しい逃げ台詞を言った。





 シャトルランでの結果が受け入れきれず、槙村は常春の後について、その他のスポーツテストにも参加した。


 持久力では確かに常春が優れていただろうが、それだけだ。きっと、他の種目では自分が勝っている。


 ——だが、槙村はその後も、常春の後塵(こうじん)を拝する結果となった。


 握力測定。

 槙村……65キロ。

 常春……97キロ。


 走り幅跳び。

 槙村……5m53㎝。

 常春……8m23㎝。


 その他の種目でも、常春はすべて勝ち星を上げた。


 槙村の運動能力は決して低くない。むしろ高校生の平均を大きく上回っていた。大きな口を叩くだけはあるのだ。


 だが、相手が悪かったとしか言いようがない。


 常春は幼少期から過酷な鍛錬を重ねている。試合や競技に勝つためではない。戦い、生き残るためだ。


 指の力は片手で30キロもの(かめ)を持って振り回せるほどだし、軽身功(けいしんこう)を使えば走り幅跳びどころか、小屋の屋根なら楽に跳び上がって乗れるほどだ。


 次々と全国トップ記録に匹敵する数値を叩き出す常春に、槙村はおろか、周囲の生徒や教師も舌を巻いていた。


 その信じられない現実に、槙村は汗まみれの顔をうつむかせ、ただただ愕然としていた。


「と……常春殿! なんでおじゃるか、その驚異的な身体能力は!?」


「いや、ちょっとね」


 綱吉の質問に、常春はそう言って誤魔化す。

 

 槙村の方へ歩み寄り、


「これで、奢ってくれるんだよね」


 そう、笑いながら言った。


 常春に悪気はなかった。昼食奢ってもらえてラッキーくらいにしか考えてなかった。


 だが、その一言は、ズタズタになっていた槙村の自尊心にさらなる一撃を加えた。


「んだとテメェこの陰キャがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 カッと湧き上がった熱い激情に身をまかせ、槙村は常春へ殴りかかってきた。


 当然、常春なら避けることは造作もないのだが、


「ちょっと、負けたからって卑怯よ!」


 頼子が両手を広げながら割って入ってきたことで、面倒なことになった。


 槙村はギョッとした。このままでは、パンチは頼子の顔面をとらえる。止められない。


 常春もそれをわかっていた。


 なので、避けるためのわずかな時間を、頼子を横へ押しのけるために使った。


 槙村のパンチを、顔面で甘んじて受け止めた。


 常春の小柄な体が大きく後方へ飛び、ごろごろと転がってうつ伏せに倒れた。


「伊勢志摩っ!?」


「常春殿っ!?」


 頼子、綱吉が、吹っ飛んだ常春へ慌てて駆け寄った。


 常春は殴られた頬をさすりながら、普段通りの口調で返した。


「ああ、うん、大丈夫」


 嘘ではなかった。大袈裟に吹っ飛びこそしたが、常春は直撃と同時に足のバランスをわざと後ろへ崩し、衝撃を大幅に緩和させたのだ。多少痛かったものの、口を切ったりはしていない。


 だが、周りの目には、非常に派手にやられたように見えた。


 さらに、頼子をかばってわざと殴られた常春に、多くの人が同情と尊敬を抱いた。


 その同情と尊敬に比例する形で、事の原因を作った槙村へ非難の視線が集中した。


 槙村は、その視線に気圧されていた。


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