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アニオタ、頼み込む

 放課後、常春は、いつぞや見た廃工場に来た。


 「魔王軍」の集会場だ。バイクに乗せられて連れてこられた時に、道順は記憶していた。


 滑りの悪い錆びた引き戸を、一緒にいた「魔王軍」の団員が開けた。


「ほら、入れ」


 その団員に促されるまま、常春は入った。


 廃工場の中にいる全員が、いっせいに視線を集中させた。


 当然、一番奥の一段高いところに立つ男、(かけい)転助(てんすけ)も。


「よく来たなぁ。もう二度と会わねえと思ってたんだがなぁ。まさかお前から会いに来てくれるたぁ、嬉しいねぇ」


 そう言って、ニィッと人の良さそうな笑みを浮かべる特攻服の金髪リーゼント、転助。だがその瞳は笑っていなかった。強敵に向ける警戒と戦意の眼差しだった。


 その他大勢の視線には、戦意どころか恨みつらみが宿っていた。当然である。常春はリーダーである転助を倒し、「魔王軍」の名前に泥を塗った憎き敵なのだから。


「今日は、あなたに相談があって来ました。筧さん」


「なんだい、相談てなぁ? まず言ってみ」


「「邪威暗兎(ジャイアント)」の溜まり場を教えてください」


 その言葉に、全員がざわついた。


 常春は、最近潮騒高を中心に起こっている事件について説明した。


 対し、転助は興味深そうな目で常春を見つめ、試すような口調で、


「そんなもん知ってどうするよ? まさか、カチコミにも行くつもりか?」


「そんなことはしません。今回の件について抗議しに行くだけです」


 周囲の「魔王軍」が一斉に笑った。


 転助はというと、さらに興味深そうな目で常春を見つめた。


「お前、あのカス共がそんなもんで手を止めてくれるような聖人様に見えんのか?」


「リーダーを見るに、望み薄かと」


「じゃあどうするんだ? 得意のカマキリ拳法で懲らしめんのか?」


「場合によってはそのつもりです。先に暴力を振るってきたのは彼らですから」


「おいおい本気か? あいつらバカの集まりだが、数だけはウチ以上だぜ? いくらお前がやる奴(・・・)っつっても、限度があるだろ」


「それでもです」


 常春の目は、本気そのものだった。


「だけど、抗議するにせよ、実力行使するにせよ、「邪威暗兎」の居場所が分からなければ何も始まりません。僕はその「居場所」が知りたいんです。彼らと敵対しているあなたなら、それを把握しているのでは?」


 転助は挑戦的に微笑む。


「知ってるよ? だがなぁ、知っててもロハ(・・)じゃなぁ。教えてやってもいいが、こっちに何かメリットが欲しいもんだぜ」


 ここで取引を求められるとは思わなかったので、常春は眉をぴくりと動かした。


「何が欲しいんですか?」


「そうだなぁ……じゃあ、「魔王軍」に入れ」


「それは出来ません。あなた達のように積極的な喧嘩は好みませんし、僕はバイクの免許を持っていない」


「そうかい。まぁ、そう言うと思ってたがな。今のは半分冗談だ。じゃあ、こういうのはどうだ?」


 転助は親指で自分を指し、言った。


「——もっかい俺と勝負しろ」


 周囲がざわついた。


「おいカマキリ野郎、お前、この間手加減してたろ?」


「え?」


「分かるんだよ。本物の蟷螂拳はあんなもんじゃねぇはずだぜ。俺は負けたことより、加減されたことの方がずっと腹が立ったんだよ。だから、連中の溜まり場教えて欲しけりゃ、本気で俺と勝負しろ」


 常春はしばらく黙ってから、静かに訊いた。


「……死ぬかもしれませんよ?」


 常春の眼差しを受けた転助は、心の底から震え上がるのを感じた。


 ひどく暗く、深淵のように底の知れない眼。


 本物の地獄を知っている者しか出来ない眼だった。


 だが、転助はグッと唇を噛み、痛みで震えを消した。


「構わねぇよ。ドンと来いや」






 まるで訓練されたような円滑さで、あっという間に大きな円陣が組まれた。


 その中心に立つ二人の武道家。常春と転助。


「おいテメェら、俺が負けても、ぜってぇ相手を恨むなよ。これは俺が俺自身のためにやるタイマンだ」


 リーダーのその命令に、部下たちは一斉に「ヘイ!!」と返事した。


 気合を入れ、転助は常春を見た。


 何もせず、ただそこにジッとたたずんでいるだけだった。


 ただそれだけなのに、これほどまでに緊張感を感じるのはなぜだろうか。


 いずれにせよ、


(殴り合ってみれば、分かることだ——)


 転助は呼吸を整え、姿勢を整え、気を整えた。


 長年慣れ親しんだ構えを取る。柳生心眼流の「陰の(たい)構え」。


「トォォォォォォォォォォォォォォ!!」


 (ハラ)の奥から、廃工場の壁を震わせるほどの気合が轟いた。


 さぁ、どう来る、蟷螂拳。


 どんな攻撃でも来やが




「————えっ?」




 転助はとてつもないものを見た。


 常春がこちらへ近づいた速度は、思ったより遅かった。それこそ、目で追えるくらいの速度だった。


 にもかかわらず、反応できない(・・・・・・)


 体が動かない(・・・・・・)のだ。


 常春の拳の動きが見えている。なのにそれを避けることも防ぐこともできない。


 なんだ、これは?


 速いとか遅いとか、もうそういう問題じゃない。


 まるで、「当たる」という結果が最初から決まっているかのようだ。

 その確定した未来に、体が逆らえないかのようだ。




 ——突然だが、人間が動作をする仕組みをご存知だろうか?




 筋肉の収縮。


 確かにそれは正解。


 だがこの話は、「筋肉の収縮」の前の段階からさかのぼらなければならない。


 人体の動作の「起点」は、脳からの電気信号。

 その電気信号は神経を刺激し、

 その神経に受けた電気信号に含まれた命令通りに肉体は動作する。


 この話における「電気信号」は、「こう動きたい」と考え、それを実行させようとする「意志の力」。


 中国武術では、その意志の力を「(しん)」と呼ぶ。


 「神」が自身の肉体に作用し、動作を行う。それが中国的な考え方だ。


 だが、この「神」は、自身の肉体だけでなく、相手の肉体にも作用させることができる。


 自分の「神」を相手の体に置くと、そこへ吸い込まれるようにして、確実に、正確に拳が当たる。


 蟷螂拳の「速さ」の真骨頂は、そこにある。

 肉体の速さには限界があるが、「神」……すなわち精神の速さは無限大。

 心技の「速さ」を一体にし、さらに別次元の「疾さ」を得るのだ。


 常春の拳が、吸い寄せられるようにして転助の体の中心をとらえた。


 とたん、転助の意識が、電気を消したようにプツンと途絶えた。






「————はっ!?」


 そして、消えていた電気が点いたように、転助の意識が戻った。


「気がつきましたか」


 視界の上部から、常春の顔が逆さに出てきた。


「や、やったぞ!! 総長が目を覚ましたぞ!!」


 かと思えば、今度は周囲にいる手下たちが、感激したように騒ぎ出した。泣く奴、興奮して抱き合う奴らもいた。


 そこでようやく、自分が廃工場に張られたコンクリートの地面で仰向けに寝ていることに気がついた。


「俺は……一体何を」


「気を失ってたんですよ。すぐに蘇生させましたけど」


 常春が言った。


 意識を失った転助を救うために、背筋のラインにある「神道(しんとう)」という経穴を膝で思いっきり刺激し、気血の断絶を強引に開き、意識を覚醒させたのだ。日本武道では「誘い活」と呼ばれている蘇生術である。


 転助は額を押さえ、唸るように言った。


「なるほどなぁ……負けたのか、俺ぁ」


 二度目の敗北。


 喧嘩屋としては、恥の上塗りかもしれない。


 だが、転助の中には、悔しさが微塵もなかった。


 常春の立つ境地が、自分よりも遥か先にあることを、この肉体で知ることができた。


 何より——


「これが……「達人」ってヤツか」


 正真正銘、本物の「達人」を見ることができた。


 今でも古武術使いはいるが、実戦が許されない昨今では、貴重で素晴らしい技の数々が形骸化の一途をたどっている。


 教えられたことだけをしっかり守っていれば「達人」と呼ばれてしまう今の世の中では、「達人」という言葉も非常に安っぽいものになってしまった。


 転助の父も、そんな「達人」だった。


 ——転助が今のようなアウトローの世界に足を踏み入れてしまったのは、父の死がきっかけだった。


 父は柳生心眼流の「達人」として、よく格闘雑誌や武術雑誌に出ていた。


 転助は、父であり師であるその男のことを尊敬し、自らも武術の鍛錬に懸命に取り組んだ。


 だがある日、父は転助と一緒に歩いていた時に、通り魔に包丁で刺されて呆気なく死んだ。


 「司法試験に何度も落ちてイライラしたから誰かを殺してスッキリしたかった」などという通り魔の身勝手極まる殺人動機には、殴り殺してやりたいくらい腹が立った。


 だが、それ以上に腹が立ったのは——何も抵抗できずに殺されてしまった父に対してだった。


 親父は「達人」なんじゃなかったのか? 「達人」なら、なんであんなクソ野郎相手に何もできずに殺されたんだよ? 答えろよ、親父、なあおい。


 すでに事切れている父は、そんな転助の詰問(きつもん)には答えてくれなかった。


 そこで、転助は思い知った。

 この現代における「達人」とは、ただ師から教えられたことだけきちんと学んでいれば誰でもなれる、ガリ勉みたいな存在なのだと。


 ネット掲示板でも、「達人」のくせに素人の通り魔に殺された父は「詐欺師」「形だけの達人」「()術家」などと貶されまくっていた。


 そんなクソみたいな情報しか映さないパソコンのディスプレイを殴って粉砕し、父の記事が載った雑誌もすべて燃やし、転助は決意した。


 ——親父、俺はもうあんたみたいな「達人」の背中は追わない。


 ——武術を踊りみたいにしか扱えなかったあんたは、もう信用も尊敬もしない。


 ——俺はあんたとは違って、実戦を重ねて強くなってやる。


 以来、転助はアウトローの世界へ飛び込んだ。


 最初はヤンキー狩りから始め、それからバイクの免許を取り、仲間たちをつのって「魔王軍」を結成した。


 その時にはすでに、転助に喧嘩で敵う奴など存在しなくなっていた。


 刃物を持った相手にも、恐れず立ち向かえる。


 もはや、今の自分は、父を超えていた。


 だが、どの世界にも、上には上がいるのだ。


 ——この伊勢志摩常春は、自分を遥かに超える力を持っている。


 彼は、自分が見限り、だが心の奥では強く憧れ続けていた「達人」だった。


 そんな素晴らしい存在に出会えたことを考えれば、喧嘩屋のメンツなど、ちっぽけなものだった。


 だが、まずは通すべき筋を通さなければならない。


 真上から自分を見下ろす常春を見返し、微笑を浮かべて言った。


「約束は守らなきゃなぁ。——「邪威暗兎」のクソどもの溜まり場、教えてやるよ。「達人」」


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