アニオタ、勧誘される
次の日の昼休み。
「伊勢志摩ー、ご飯、一緒に食べよ」
低めな女子の声が教室に聞こえてきた。頼子の声だ。その手にはお弁当。
常春は微笑んで頷いた。それだけで「OK」のサインだと分かるほどに、頼子は常春とのやりとりに馴染んでいた。
周囲のクラスメートは最初の頃こそ注目していたものの、今ではすっかり見慣れているので、自分たちのやる事に集中していた。
「頼子を狙っている」宣言をした槙村はというと、常春にいちゃもんをつけてやりたいが、頼子のあの冷めた目を向けられながら正論を叩きつけられることを考えると二の足を踏んでしまい、結局舌打ちして教室を出て行ってしまった。それを慌てて追いかけるカースト上位の女子数人。
いつものように、常春の机を、頼子、常春、綱吉の三人で座って囲う。
「伊勢志摩、今日もお弁当たくさん作ってきたけど、食べるよね」
もはや恒例行事のように、頼子が「お弁当作り過ぎたアピール」をしてくる。
いつもなら喜んで感謝を告げるところだが、今回の常春は申し訳なさそうな笑みを浮かべていた。
「ごめん。実は今日、僕もお弁当持参してきちゃったんだ」
そう言って、常春は鞄からお弁当を出した。
頼子は「明日作りすぎるから食べて」といった感じに宣言はしてこない(「作りすぎる宣言」も変な話だが)。なので、用意しない日もあるかなと思い、常春は自分で用意していたのだ。
頼子はというと、弁当を余らせて残念な顔をするよりも先に、別のことを気にした。
「……それって、誰かに作ってもらったの?」
曇った声と表情で訊いてきた頼子。
常春は、そんな普段と少し違う様子の頼子に気づくことなく、普通な口調で、
「いや、自分で作ったよ」
「え……伊勢志摩、料理できるの?」
「ひどいなぁ、できるよ。父さんが海外で働いてるから、実質一人暮らしだし、料理くらいできないとね。まぁ、宗方さんには敵わないけど」
常春の父は主に海外で仕事をしている商社マンなので、家に帰ってくることは滅多にない。常春が複数の外国語に堪能なのは、師の指導だけでなく、父からの教育もあったからである。
ちなみに常春に母はいない。病弱な常春の看病に疲れ、他の男と浮気した挙句に蒸発してしまったからだ。
「そうなんだ。じゃあ作れてもおかしくないね」
頼子はなぜか安堵した様子だった。
そんな二人を見守っていた綱吉は「常春殿、フラグ立ちまくりでおじゃるなぁ」と心の中で笑っていた。
「ところでお二人とも、おととい、「魔王軍」と「邪威暗兎」が抗争をしたという話は知っているでおじゃるか?」
綱吉が口にした言葉の中に含まれていた「魔王軍」という単語に、常春はピクッと反応した。
だが「邪威暗兎」という組織のことは知らないので、常春が質問したところ、
「「魔王軍」と敵対関係にある暴走族でおじゃるよ。規模だけを見れば、「魔王軍」の倍以上の数ある巨大組織でおじゃ。おととい、「魔王軍」と抗争をしていたでおじゃるが、警官隊が駆けつけてきたことで中断され、ケリはつかなかったでおじゃる」
「そうなんだ」
頼子が呑気に相槌をうった。
「「邪威暗兎」は、非常に悪辣な集団でおじゃるよ」
そう重々しく語る綱吉。
「「魔王軍」は暴力沙汰は起こすものの、ヘッドによる厳しい規律で統率されているでおじゃるし、どこか道理を大事にする集団でおじゃ。けれど「邪威暗兎」にそんなものは皆無でおじゃる。暴力事件は言うに及ばず、万引き、カゴダッシュ、ひったくりなど、やりたい放題の世紀末集団でおじゃる」
「うわ、最悪ね」
頼子が本当に最悪といった表情を浮かべる。
だが、綱吉はいつもの明るい調子に戻ると、能天気に言った。
「まぁ、マロたちには縁遠い世界の話におじゃるから。身の回りの安全に気を配っていれば、縁を作らずにすむでおじゃ」
確かにその通りなのだが、常春と頼子は表情を曇らせた。
なぜなら、自分たちはその悪辣な集団と対立している暴走族「魔王軍」と接触しているのだから。
特に常春は、「魔王軍」のボスを倒してしまっている。余計に他人事ではなかった。
そして、その懸念は——放課後に現実となる。
放課後となり、常春は校舎を出た。
一緒に帰っていた頼子とは、途中で別々の帰り道となる。なのでそれ以降、常春は一人だった。
すでに桜は散り、桃色の花弁に緑の若葉が混じっている。
常春が帰路を一人歩いていた、そのときだった。
バイクのスロットル音がいくつか、折り重なって聞こえてきた。
その音はだんだん近づいてきて、やがてやかましいくらいに耳へ響いてきた。マフラーを改造してあるのか、その音は鼓膜を叩く感じの騒々しいもので、まるで威圧しているみたいだった。
そのバイク集団は、常春の周囲を取り囲んだ。
「魔王軍」かと思ったが、違った。彼らのジャケットではない。みんながそれぞれ違う格好をしていた。
「どちら様ですか」
常春は少しも動じず、バイク集団に問うた。
すると、バイク集団の中の一人がバイクを降り、常春の前に出てきた。フルフェイスのヘルメットで顔が隠れているが、それなりに大きな体つきからして、明らかに男である。
常春なら、この男を一瞬で気絶させて、バイク集団を跳躍で飛び越えて逃げることは容易い。
だが、前に出てきたその男が、防具になり得るフルフェイスヘルメットを外したところを見ると、敵意はないように思えた。今のところは。
「よぉ。カマキリ野郎くん、だよなぁ? 君」
その男は、奇妙な髪型をしていた。「邪威暗兎」という文字が浮き上がるように剃り込まれた坊主頭。
面長な顔には、蛇を思わせる、鋭く陰険そうな顔立ちがあり、笑みを浮かべていた。
常春はもう、その男の正体に気づいていた。
悪名高い「邪威暗兎」だろう。
だからこそ、あえてすっとぼけることにした。嘘なんてついてませんという感じの曇りなき笑顔を浮かべ、
「人違いだと思いますが」
「見かけによらずしれっと嘘つけるペテン師だねぇ、君。無駄だぜぇ? すっとぼけても」
言うと、その坊主の男はスマートフォンを何度かいじってから、ディスプレイに写った写真を常春へ見せてきた。
それは、常春だった。
背景は、以前常春が連れてこられた「魔王軍」の溜まり場の一つである、あの廃工場。
「「魔王軍」ヘッドの筧の怒りに触れて群れを追い出された奴が一人いてなぁ、そいつが隠し撮りしてくれたのを俺にくれたのよぉ。よく撮れてるだろぉ? なぁ、「カマキリ野郎」こと、伊勢志摩常春くんよ」
やはり、「魔王軍」絡みで近づいてきたのだ。
「……おっと、自己紹介がまだだったなぁ。俺の名は須川典貞。「邪威暗兎」のアタマ張ってるモンだ」
「僕に何か用ですか?」
常春は淡々と訊いた。
すると、須川はヘラヘラ笑いながら掌を前に出し、
「身構えんなよ。別に、お前をぶちのめして名を上げようなんて腹づもりは微塵もねぇよ。そもそも、あの筧は一人で十人以上相手にできるバケモンで、そいつをぶっ倒したお前はそれ以上のバケモンだ。今ここにいるメンツだけじゃ勝ち目はねぇだろうぜ。——それよかさぁ、もっと良いやり方ってもんがあんだろ」
「もっと良いやり方?」
「おうとも。俺らもお前も美味しい、相互利益ってヤツだよ」
須川はニヤッと笑みを浮かべ、言った。
「——俺らの仲間にならないか?」
常春の眉根がピクッと動く。
須川はさらに続けた。
「お前のそのバケモンじみた力を、俺ら「邪威暗兎」のために役立ててみねぇかっつぅ話だよ。お前がウチについてくれりゃ、「魔王軍」のクソカスどもをぶちのめすのはおろか、この神奈川を制覇するのも夢じゃねぇ。お前も、その力を思う存分振るえる機会に恵まれる。もし望むんなら、すぐにヤらせてくれるチョロ可愛い女も紹介してやる。どうだ? 悪い話じゃねぇだろ?」
常春にとっては、取引と呼ぶ価値すらない話だった。
「さようなら」
常春はそう素っ気なく告げた。
須川からサッと離れる。さらに取り囲んでいるバイク軍団を、軽身功の跳躍力で軽々と飛び越え、猫のごとき俊足で走り去った。
「あ、待てコラァ!! まだ須川さんの話は終わってねぇぞボキャァ!!」
手下の何人かがバイクで追いかけてくるが、常春はすぐに追跡をまいたのだった。
「……くくくく。なんだ今の? すげぇなオイ。バイクをジャンプして跳び越えやがったぞ。忍者かっての」
一方、逃げられた須川は、心底愉快そうに、興奮したように笑っていた。
次の瞬間、大興奮。
「ヤベェなおい!! あれはマジでとんでもねぇ戦力になんぞ!! ワクワクが止まんねぇ!!」
頬を指で何度もひっかき、抑えがたい興奮を表現する。
かと思えば、深くうつむき、ひどく邪悪な笑みを浮かべた。
「見てやがれよカマキリ野郎。テメェは必ず「邪威暗兎」に入れる。いや——「入れさせてくれ」と言わせてやるよ。どんな手を使ってでもなぁ」




