モスクワは涙を信じない
ヤロスラフ・アルトゥーロヴィチ・ロゴフスキーは、六十年代、ソビエト連邦スタヴロポリ地方の某所で生まれた。
六十年代のソ連では、失業者や犯罪件数の増加により、国の各地が荒れていた。
ソ連共産党は失業者を減らす対策を講じるも、共産党の要求と企業の要望が全く噛み合わず、失業者減少という目標は達成出来なかった。そうしてウジウジ立ち往生している間にさらに荒れゆく人々の気風。
ヤロスラフは幸運にも比較的恵まれた家庭に生まれたが、十五歳の頃に父が急死してからは、困窮するその他大勢の仲間入りとなった。
多くの若者が酒に溺れながら惰性で生きる中、ヤロスラフは志を強く持ち続けた。
「強く繁栄する」という名を授けてくれた父に恥じない人間となるべく、低い所では満足せず、「上」を目指した。
ヤロスラフは従軍した。
厳しい訓練と勉強で己を鍛え、高め、スピード出世で大尉にまで上りつめた。
寡黙だが尊敬できる日系人の上官にも恵まれた。
ヤロスラフは、この荒れた国を守り、変えたいと思っていた。
しかしそのためには、共産党にこうべを垂れるだけではダメなのだ。
誰かに動かされるだけの集団など、福音書に登場する悪霊憑きの豚の群れと一緒ではないか。
我々は豚ではない、人間だ。人間は助け合い、共存し合うことができる。
共産主義の本質はソレであるはずだ。一人一人が団結し、世の中を変えていく。そういうもののはずだ。
自分が、自分にできるやり方で、そんな理想の共産国に近づけてみせる。
国のために奮闘する自分の姿を周囲に見せ、少しでも多くの人民を奮起させてやる。自分もまた、人民の一人なのだから。
偉大なるソビエト繁栄の尖兵たらん。
若きヤロスラフは燃えた。
しかし、そんなヤロスラフの理想と情熱を裏切るように、偉大なるソビエトは衰退と醜態を次々と晒した。
何十年も同じ地位や役職に居座り続けている「老害」が多く、そのせいで思考や議論が古く鈍く、遅々として進展しなくなった改革。
党と企業の癒着によって機能不全に陥った環境保護法。それによって美しさを失ったバイカル湖。
「資源の呪い」が足枷となり、西側諸国に比べて大幅に遅れをとった技術革新と経済発展。
「人間の幸福のために」というスローガンに反した、軍事一辺倒の予算案。
にもかかわらず、外国の民間セスナが赤の広場へ無断着陸したことで露呈した、防空体制の杜撰さ。
公然と行われた軍事予算の虚偽報告や、国家財産の私物化。
社会規律の緩みによる犯罪率の天井知らずな増加。
決して起こってはならなかった「チェルノブイリ原発事故」。
ソビエトにとって決定打となったのは、ゴルバチョフが行った「ペレストロイカ」の失敗だった。
経済改革が失敗し、悪かった経済状況がいっそう悪化した。それでいて人民の政治的自由が保証されたことにより、各地で民族紛争が勃発。
結果、バルト三国が独立し、それを引き金にソビエト連邦は崩壊を迎えた。
ヤロスラフの理想は、国ごと砕け散った。
いや、理想などとっくの昔に砕けていた。
汚職や官僚主義にまみれ、人民の幸福追求を無視してイノシシのごとく軍拡へ猛進し続ける国家……それらを近くで見ている過程で、心の底ではいつからか「処置無し」と見切りをつけていた。
ソ連崩壊後、ヤロスラフは軍から去った。
目的も無く彷徨い続け、やがて『夜宴』というマフィアに流れ着いた。
八十年代の闇市から生まれたその組織は、元ソ連軍人の受け皿のような役割も担っていた。そのため、ヤロスラフのような軍人崩れでも雰囲気は合った。
しかし、やはりマフィアだ。やっていることは軍人とはかけ離れた、修羅で暗いものだった。オホーツク海での密猟行為、暗殺、銃器の密輸、売春の斡旋など。
守るべき国が朽ちて倒れた今、もはや自分の居場所はこの黒の世界にしか無いと思った。
であるなら、今度はこの黒の世界で、強く華々しく繁栄を遂げてみせる。
ヤロスラフはマフィアとしても成り上がった。
軍人だった頃と同じようにメキメキと出世を果たし、やがて『夜宴』の次のボスに選ばれた。
ロシアンマフィアには、ボスを世襲制ではなく多数決で決める組織が多い。ソ連政権よりも民主的であることが彼らの誇りだったからだ。つまりヤロスラフは名実ともにボスとなったのだ。
尊敬する上官だったミラン・イシカワ少佐が自分の下になったことに思うところが無くはなかった。しかし、謙虚なミランはそのことに一切こだわらず、ボスらしく接して欲しいと言った。
こうしてヤロスラフは、黒の世界でようやく繁栄を勝ち取った。
さらに、嬉しいニュースはこれだけではなかった。
——子供が生まれたことだ。
女の子だった。四十代の頃に授かったその子を取り上げたヤロスラフは、この世にあるどんな幸福や快楽にも勝る、大いなる喜びを覚えた。
その子に、ヤロスラフは「エレーナ」と名付けた。
真っ暗な世界に生きる自分を照らしてくれる「輝き」と。
愛娘エレーナを「レーナ」と呼び、ヤロスラフは目に入れても痛くないくらいに可愛がった。
どんなに忙しくとも、娘と遊ぶ時間は必ず確保した。
「将来お父さんと結婚する!」と言われた時なんか、昇天しそうなくらい嬉しかった。
「お父さん嫌い!」と言われた時なんか、自決しようかと一瞬本気で思うくらい落ち込んだ。
レーナの存在こそが、ヤロスラフの人生の中で一番の宝物だった。
日陰の世界という「非日常」とは別にある、まばゆい「日常」だった。
自分の人生は、この子を生み出すためにあったのだ。そう本気で思った。
レーナは年を経るにつれて、ますます美しく、壮健に、聡明に育っていく。
しかし、聡明になるということは、視野が大きくなるということだ。
父のしている仕事がどういったものであるのかを知っていき、それに対して嫌悪のようなものまで示すようになった。さらに、そんな金で大きくなった自分への嫌悪も。
しまいには、こんな事を言い出した。——「武者修行の旅に出たい」と。
原因は、娘がよく読みふけっていた、宮本武蔵を題材にした小説であることは分かっていた。
ヤロスラフは反対した。
武者修行など時代錯誤もいいところだ。まして、レーナのような美しい娘が一人旅などもってのほか。
何より、若い頃に苦労してきた経験から、娘には出来る限り安泰な人生を歩んでほしいと思った。
レーナは最初こそ父の叱責に頷いたが、愛国一辺倒へ硬直化していくロシア社会を目の当たりにし、ますます外の世界への憧れを強めるようになる。
極めつけは、レーナが十九歳の頃に母親が死んだことだ。
その日は稀に見る猛吹雪だった。天候が邪魔してヤロスラフも病院に駆けつけるのが遅れて、妻の死に目に立ち会うことは叶わなかった。——そんな父の姿が、レーナには「暗い仕事にかまけて妻を顧みない非情な夫」に見えたのかもしれない。
母の葬儀から一ヶ月後、レーナは突然姿を消した。
置き手紙は無かったが、ヤロスラフの書斎の机には、これ見よがしに宮本武蔵の小説が置いてあった。……それは、置き手紙よりも雄弁なメッセージであった。
ヤロスラフは、娘を変えてしまったその憎き小説を床に叩きつけ、何度も踏み付け、暖炉にくべて燃やした。
棒切れを振り回すしか能の無い野蛮な日本人に、娘を奪われた気分だった。
……ヤロスラフの東アジア人に対する嫌悪は、この時に端を発していた。
一方で、それほど心配していない自分もいた。
どうせ、すぐに音を上げて帰ってくるだろう。
手前味噌だが、娘には恵まれた暮らしをさせてやった。
そんな温室育ちが、武者修行の旅など完遂できるわけがない。すぐに暑さ寒さ空腹に耐えかね、ホームシックに陥って、戻ってくるに違いない。
そうしたら、ビンタを一発くれてやろう。
それから、また今まで通りの「日常」に戻ってめでたしめでたし。
そう、思っていた。疑わなかった。
そんなヤロスラフが愛娘の死を知ったのは、本当に、運命の悪戯としか思えない形であった。
レーナ行方不明から一年後。すでにレーナが二十歳になっている年だ。
部下の一人がこう知らせてきたのだ。
お嬢様のパスポートがインターネットで売られていた、と。
「ダークウェブ」と呼ばれる場所だった。違法な物品やサービスの取引が行われている、インターネットの深層に広がる闇の世界。
そのウェブページに、愛娘の顔写真が記載されたパスポートの画像が表示されているのを見せられたのは、ヤロスラフにとって寝耳に水だった。
幸い、まだ買い手がついていなかったため——手前味噌だが、娘があまりに美人過ぎて、別人が使ってもすぐにバレるからというのも理由の一つかもしれない——ヤロスラフは購入へ踏み切った。
偽造ではない本物のパスポートは、安くても百万ルーブルは下らない。
しかしレーナの行方を知る手がかりになるし、何より、娘のパスポートがダークウェブなどという物騒な場所で売られている事に異常事態の匂いを強烈に感じたヤロスラフは、金に糸目をつけなかった。
購入後、娘の渡航歴を調べた。……アフリカの某国への入国を最後に渡航歴が途切れていることが判明。
ヤロスラフは部下をその国へ派遣し、娘の行方を調べさせた。さらに、その国で活動している民間軍事会社の中にもツテがあったため、彼らにも協力を仰いだ。
小さな国だったため、アタリを引くのは意外と早かった。
しかし、持ち帰られた情報を聞かされたヤロスラフは、絶望のどん底へ突き落とされることとなる。
「エレーナ・ヤロスラヴォヴナ・ロゴフスカヤ」と記名された墓標の写真。
レーナの死の知らせ。
それも、女として最も屈辱的な殺され方をしたという事実。
ヤロスラフは絶望した。
今まででこれほどの絶望があっただろうか。
ソビエトの衰亡よりも、はるかに強烈な絶望だった。
一生分の涙を流した。
むせび泣いた後は、消沈し、飯も喉を通らなくなった。
まるで自分の体を取り巻く空気が鉛のように重く感じられ、動く気力が起こらなくなった。
強い精神的ショックのせいで、体重が十キロも減った。
ヤロスラフは、絶望から再起するまでに二年を要した。……その間、かつての上官であり自分の右腕であるミラン・イシカワがボスの代行をしてくれた。それに関しては感謝の言葉も無い。
立ち直ったヤロスラフがまず最初に抱いた感情は「燃えるような怒り」であった。
復讐したい。
娘を惨たらしく死なしめた鬼畜外道を殺してやりたい。
それもただ殺すのではなく、少しずつ苦痛を与えて嬲り尽くして、「早く殺してくれ」と懇願されてもなお続け、心が死にきった様子をじっくり動画に撮ってから殺す。
しかし、これもレーナの訃報に添えられた情報だ——娘を殺した犯人は、すでに誰かが先に殺している。
無論、これでスッキリなどするはずが無かった。それどころか不完全燃焼もいいところだった。この胸の奥で燃え盛り続ける憤怒をを、ヤロスラフは扱いかねた。
けれどその後、レーナの死の報せに付随していた情報が他にもあったことをすぐに思い出した。
ある意味、かなり衝撃的な情報だった。
——レーナには、恋人がいたという。
伊勢志摩常春という、日本人の少年だった。
まだ十三歳の分際で二十歳のレーナと恋仲になり、なんとベッドも共にしたという。
しかし、ただの子供ではない。何やら妙な格闘術が達者なようで、銃を持った傭兵すらも難なくあしらえるほどであるという。
極めつけに、レーナが殺されたのは、伊勢志摩常春の恋人だったからだという。
伊勢志摩常春はある「ならず者達」の恨みを買い、レーナともども報復を受けたのだ。
これを教えてくれたのは、現地で活動しているPMCだった。もっとも、「ならず者達」の正体は分からないとのことだったが。
つまるところ、レーナはとばっちりを受けて死んだのだ。
それを聞いた瞬間、ヤロスラフの憤怒は、伊勢志摩常春という少年一点に集中した。
貴様のせいだ。
貴様がしっかりしていれば、レーナが死ぬことはなかったのだ。
なぜレーナが死ぬ? 貴様が死ねば良かったものを。
いや、むしろ貴様とレーナが出会いさえしていなければ、レーナは巻き込まれずに済んだのだ。
レーナはまた俺の下へ帰ってきて、女神ですら醜女に思えるほどの可愛らしい笑顔を見せてくれたのだ。
——貴様さえ、いなければ!!
ドス黒い猛火のごとき憎悪が、ヤロスラフを突き動かした。
それから『夜宴』は、活動の食指を日本に伸ばすことになった。
日本にもシノギを広げるため……というのは理由の一つに過ぎない。
真の目的は、日本のどこかにいるであろう伊勢志摩常春を探すこと。
八方手を尽くして調べ上げ、そして思わぬ形でアタリを引いた。
またしてもミランがやってくれた。
神奈川県S市の夏祭りにて、演武をしている伊勢志摩常春を見つけてくれた。
——愛娘の死去から四年後の、九月一日。ロシア時間12:00。
モスクワ市。『夜宴』の本拠地。
その中にある、ヤロスラフの執務室。
窓は無く、照明器具のみがその部屋をほんのり照らしていた。
部屋奥の黒檀机。それに付属したなめし革の椅子に鎮座するヤロスラフは、我知らず舌舐めずりしていた。
思い出すのは、レーナの墓碑に刻み込まれていたロシア語の諺。
Москва слезам не верит——モスクワは涙を信じない。
それを誰が刻み込んだのかは知らない。
しかし、ヤロスラフはその言葉が好きだった。
——伊勢志摩常春、貴様に地獄を見せてやる。
殺すだけでは済まさない。
お前の愛する人間と、その「日常」を、徹底的に壊し尽くしてやる。
ぐちゃぐちゃに蹂躙してやる。
花畑に油を撒き、火を放つがごとく鏖殺してやる。
その地獄を前に貴様が泣き叫んだとしても、もう遅い。
モスクワは涙を信じないのだから。
ちなみにバルト三国独立が引き金となったソ連崩壊は、中国共産党にとってもトラウマとなっている出来事です。
もしバルト三国のように、新疆やチベットが独立宣言などしようものなら、現中国はそれだけで崩壊の危機を迎えてしまいます。
中共が執拗にチベットやウイグルを弾圧するのは、このあたりも理由の一つといえます。