アニオタの初恋《下》【閲覧注意!】
【Caution!!】
この話では、女性が極めて凄惨な目に遭う描写があります。
そういった要素を不快に思う方は、ここで引き返してください。
常春くんの初恋相手がどうなるのかは、「アニオタ、古傷が痛む」でさらっと説明してあります。
この世に壊れないものは無い。
世界最硬の鉱石はダイヤモンドだというのが世間一般の通説となっているが、実際にはダイヤモンドよりも硬い鉱物が二つあるという。地球との衝突の影響で隕石内部のグラファイトの構造が変化して生まれたロンズデーライトと、火山の噴火で生成されるウルツァイト窒化ホウ素の二つ。
しかし、「最硬」は「不壊」とイコールではない。
最硬であっても、途方もない衝撃を浴びせられれば、壊れてしまう。
それほどの鉱石であっても、崩壊からは逃れられない。
であるなら、それ以下のモノはなおのこと。
どれほど立派な名刀でも、幾度も強烈な衝撃を浴びせられれば、いずれ刃は欠け、折れる。
どれほど頑強な独楽の軸でも、許容範囲を大きく超えた暴力にさらされれば、へし折れる。
——それは物質だけでなく、人間の精神にも同じことがいえる。
そこは、町外れにある廃屋の一室だった。
かつては酒場か何かをやっていたのだろう。椅子やテーブルのセットがまばらに置いてあり、さらに奥には横長のカウンターがあった。しかし、兵どもが夢の跡、何もかもが置き去りにされたまま朽ちかけていた。木の床も、歩いて抜けないのが不思議なくらいボロボロだった。
テーブルの上に置かれたLEDライトだけが、夜闇に包まれたその広い空間を照らしていた。
無機質な文明の光は、何物をも平等に照らし出している。
この広間で繰り広げられた、残虐な蛮行の爪痕も。
——それは、変わり果てたレーナの姿だった。
衣服を無惨に引きちぎられ、残った頼りない布切れだけをまとった彼女の白い裸体。両手首を縄できつく固定され、自由を奪われていた。——その状態のまま受けた暴虐の痕が、彼女の全身に濃く残っていた。
常春があれほど触れ、唇を這わせた美しい素肌は、今や眼を背けたくなるほどの傷痕や穢れで塗り潰されていた。
「сука」と刻まれた腹の切り傷、打撲痕、タバコの火を押し付けられた跡、男の穢らわしい欲を吐き出された跡……
力なくぐったりと項垂れたレーナの顔に、生気の色は欠片も無かった。
あるのは、散々殴打されて出来た腫れ、輝きを失った紺碧色の瞳、その瞳から顎にかけてくっきり残った涙の跡、そして——眉間に穿たれた銃創。
かつてのレーナの面影は、かけらも残っていない。
このレーナは、抜け殻だ。
矜恃も意思も魂も抜けた、空っぽな肉の器だ。
彼女の魂を守る「剣」は苛烈な暴力で粉々に砕かれ、剥き出しになった魂を肉体ごと蹂躙され、魂の形を支えていた「軸」さえもへし折られた。その後、散々楽しんで満足した「連中」は、まるで要らなくなった遊具を処分するかのような軽々しさで彼女の眉間を撃ち抜いた。
……その一部始終を、常春は目の前で見せつけられた。
常春は上半身を両腕ごと、背後の柱にグルグル巻きにされて座っていた。
そのため、目も耳も塞ぐことが出来なかった。
最愛の女性が苛烈な暴行にさらされる光景を目に焼き付けられ、気概に満ちた抵抗の声が絹を裂くような哀願の叫びに変わっていく過程を耳に叩き込まれた。
……レーナの叫喚の残響が、今なお耳の奥でとどまって離れない。
レーナだったモノの周囲に立っている、六人ほどの男。
ならず者という表現が即座に思い浮かぶ顔つきと雰囲気、ロシア語を話す、そして全員ロシア系軍事会社の傭兵だという点では共通していた。
連中は、脱いでいた各々のコンバットパンツを履き直してから常春へ目を向けた。——その顔は、一様に嗜虐の笑みだった。
「——以上。演目「最愛のハニー、絶望と哀願の独唱曲」でした。ご清聴感謝するぜ、日本人の小僧」
笑いを堪えたような声でそう告げてくる、ケダモノの一匹。
罵倒の十個や二十個でも返してやりたい。自分が知り得る限りの悪罵誹謗を、このクズ共にぶちまけてやりたい。
しかし、言葉が出てこない。
口も、喉も、凍ったように動かない。
呼吸もうまくできず、息が苦しい。
はふ、はふ、はふはふ、はふ……そんな、調子の乱れた息遣いしか出せない。
「……なん……で…………」
ようやく出せたその声に、クズの一人が笑い飛ばすように返答した。……そいつは、左腕を負傷していた。
「はっはぁ! それはねぇボクちゃん、お前が俺らをコケにしやがったからだよ! 特に俺なんか左腕折られたしなぁ。そんなお前が、クソマブイ女連れて楽しそうにしてるもんだからクソムカついてさ、その女を楽器にしたクソ演奏会を開いてやろうっていうクソビッグアイデアを閃いたってわけ! で、俺らのクソサプライズイベントは大成功! おめぇは息も上手くできなくなるほどクソ感動したわけだ! クソ傭兵なんか辞めて音楽家になろうかねぇ? ハハハハ!!」
——こいつらとは、今日が初対面ではない。以前にも会っている。
レーナと出会う前日のことだ。
常春は、黒人の少女が複数の男に組み伏せられているのを偶然目にした。……その「複数の男」こそが、こいつらである。
まだ十三歳でも、そいつらが一体何をしようとしているのか理解できないほど子供ではなかった。
常春は考える間もなく駆けつけ、全員を半殺しにした。
傭兵であるらしかったが、銃を持っている以外は素人に産毛が生えた程度だったので、叩きのめすのは容易だった。
——畜生すら外方を向くであろうこの所業は、その時の復讐というわけだ。
常春とレーナが別行動を取っていたところを狙った犯行だった。
流石のレーナも、無関係の子供を人質に取られ、その動揺の隙をついてスタンガンを押しつけられてはどうしようもない。しかも、出力を不正に強化されたスタンガンだったので、レーナでも硬直と戦意喪失は免れなかった。そのまま拘束、誘拐された。
常春も、強くともまだ十三歳の子供だ。拘束され銃を突きつけられた人質レーナの写真を見せられては、動揺を禁じ得ない。そこを同じようなやり方で捕獲された。
地道な努力で築き上げた二人の「力」は、クズ共の「姦計」に敗北したのだ。
拘束されたまま、好き放題に凌辱を受けるレーナ。
最初は気丈な光を帯びていた瞳も、徐々に怯えを秘めていき、最終的には半狂乱のありさまとなった。
強く優しく気高い彼女が、だんだんと幼子のように弱々しくなっていき、やがて発狂するまでの過程を、常春は余すところなく見せられた。
やめてくれ。何でもする。僕のことはどんな目に遭わせてもいい。だからどうかレーナだけは傷つけないでくれ——
何度もそう叫んだが、そんな哀願を聞き入れるような連中ではなかった。
常春が泣き叫ぶと、かえってそれを面白がって、レーナへの辱めをどんどん苛烈にエスカレートさせた。
やがて、鬱憤を出し切ってすっきりした連中は、すでに生気が失せた人形同然のレーナにとどめを刺した。
他の男が、歯を見せて笑いながら言った。
「いや〜、お前の雌犬、マジ最高だったぜ? こんな良い女に毎晩腰振り放題なんて、てめぇガキの分際で贅沢なんだよコラ! はは、けど助かったわー。こんな良い女ロハで楽しめたんだからさぁ。臭えアフリカ女よりずっと良かったぜ。すっきりしまくったからしばらく女襲わなくて済むわ。治安維持に一役買ったな、はははは!」
初めて会った時に、こいつら全員殺しておけば良かった。
「——貴様らぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
血を吐くような叫びだった。
殺してやる。
鏖殺してやる。
この上なく惨い殺し方をしてやる。
レーナにしたのと同じように。いや、もっと凄惨で耐えがたい殺し方を。
この邪魔くさい拘束さえなければ、自分にはそれが出来るのだから。
「絶対に殺してやるっ!! 僕がこの手でっ、貴様ら全員生きたままバラバラにしてやるからなぁぁぁぁっ!!!」
「そいつは結構な心意気だ。けどよぉ……その前におめぇが死んだら意味ねぇだろうが」
言いながら、ならず者傭兵の一人が拳銃の遊底を引いた。
「ここはお前の祖国じゃねぇ。銃声の一発や二発じゃ誰も怪しまねぇからよ。んじゃ——まず左脚いってみようか」
銃口が、常春の左脚へと向く。
あんなチンケな奴の使うチンケな拳銃など恐るに足りない。肩、口、目、手元、首筋——感情の変化が最も現れやすいそれらの部位を総合して見れば、発射のタイミングなど簡単に分かる。避けて、瞬時に間を詰め、『白猿取果』で背骨を蹴り砕いて殺せる。……この手足さえ動けば。
どんな優れた武術を学んでいても、手足が使えなければ意味がない。
まして、奴が狙っているのは、武術の要である「足」。
そこを損傷すれば、常春の得意の俊足は使えなくなる。
何か思いがけない幸運で束縛を抜け出せたとしても、足一本潰れた状態では満足に戦えない……
ああ。もう。いいや——
このまま、殺されてしまおう。
だって、もう、レーナはいないのだ。
レーナの居ない世界に、いったい何の意味がある?
だったら、もうこんな穢れきった世界など捨てて、レーナの待つあの世へ飛び立とう。
そこで、レーナとまた暮らすのだ。今度こそ、誰も邪魔しない、邪魔できない、平和な「日常」を送るのだ。
もう、嫌なんだ。
こんな世界は。
簡単に「日常」が崩れてしまう、こんなくだらない世界なんて、もう——
「悪いが、お前をまだあの世へ逃す気はない」
ならず者のものではない、違う声が聞こえた。しかも、よく知っている声。
銃声。
しかし、着弾の音が聞こえたのは、あさっての方向から。予告されていた常春の左脚には、痛みが全く無い。……外したようだ。しかし、とんでもなく下手くそな外し方。ロシア系軍事会社には元ロシア軍人も多いと聞く。銃器のプロがこんな大袈裟な外し方をするだろうか?
何か変だと思い、閉じていたまぶたをゆっくり持ち上げると——そこには首から噴水のごとく血を噴き出したならず者の姿があった。
その傍らには、一人の老人の姿。常春のよく知っている人物だった。
「……老師?」
かすれた常春の声が聞こえているのかいないのか、その老人、張封祈は手に持っていたガラスの破片——これでならず者の首を裂いたのだ——を捨てると、ならず者が常春へ向けていた拳銃を鮮やかな手つきで奪い取り、その他五人へ一瞥もすることなく連続で発砲した。
見もせずに放たれた五発の9mm弾はならず者五人の眉間を正確に貫き、身構える暇さえ与えずに絶命させた。
倒れる音の重複を聞きながら、常春は茫然と師の姿を見つめていた。
「……こんな外道どもに、師から授かった技を使いたくないのでな」
言うと、師は手元の拳銃を捨て、丸裸にされたレーナの死体へ視線を向けた。冥福を祈るようにしばらく瞑目してから、常春へ視線を戻す。
「どう、して……」
「その「どうして」は、わしがここに来れた理由についてのことか? ……この間抜けめ、忘れたのか。お前とわしのスマートフォンには、互いの位置が分かるよう追跡アプリを仕込んでおることを。わしの言いつけを破ることが滅多に無かったお前が、わしが言いつけておいた「一定の範囲内」から抜け出たとなれば、不自然だと分かるわい。普段の行いの良さに救われたな」
文句のようにそう説明しながら、常春の縄をガラスの破片で切る。
縄が解かれ、腕の自由が利くようになった途端——常春の手が、師の使った拳銃を俊敏につかみ取った。
常春がその銃口を自身のおとがいに突きつけるよりも速く、師の手が閃光のごとく駆け、拳銃を弾き飛ばした。遠くへ滑る。
自分より遥かに疾いその手捌きに感嘆する前に、師の平手に横っ面を叩かれた。
「——貴様は、あのクズ共と同類に成り下がる気か」
そう言い放つ師。
その言葉の意味は分かる。
師は、自分の手を汚してまで、常春を助けた。
そんな常春が自ら命を断とうとするのは、ならず者達が常春にした仕打ちと本質的に同じなのだ。——常春にとって大切な人間であるレーナを殺したクズ共と。
それは分かっている。
でも。
「もう……嫌なんだ…………こんな、こんな世界で生きるのなんか…………僕が好きになった人、みんな死んじゃう……何か手に入れても、失うだけなんだ…………だから、もう……死なせてよぉっ…………」
常春がこの旅で見せた中で、最大級の涙と弱音だった。
今までの旅で出会った中で、親しくなった人もいた。
そんな人が無慈悲な形で死んだ事も何回かあった。
そのたびに、常春は涙を流した。
しかし、今回のダメージは、今までで輪をかけたものだった。
それこそ、自分も後を追って死にたいと思うくらいの。
間違いなく絶望のどん底に落ちているはずの常春に、しかし師は淡々と、容赦なく言い放った。
「ああそうだ。「失うだけ」だ。「喪失」こそが人生のテーマといえるだろうな。どれほど親しい人間がいようと、人である以上、死から逃れることは出来ない。ならばせめて——失う時を自分で選べるようになれ」
常春はハッと目を見開く。涙滴が散る。
「きっとお前は空想したことだろう。この娘と「最期の瞬間」まで添い遂げることを。——ならばその「最期の瞬間」まで、大切なものを守り抜けるようになれ」
師は立ち上がると、どこか遠くを見るような、昔を懐かしむような目で真上を仰ぎ見た。
「封祈、というわしの名の由来を教えたことがなかったな。……「祈ることをやめ、己自身の力と足で人生を切り開け」という願いが込められた名だ。——そう。祈ったところで何も変わらない。どれだけ泣き叫んで懇願しようと、敵は奪えるだけ奪う。わしは、お前を奪われぬように、このクズ共を皆殺しにしたのだ」
確かに師の名前の由来を聞いたのは初めてだったが、後半の理屈はこれまで何度も飽きるくらい聞かされたものだ。
けれど、今日ほどそれを痛感したことは無かった。
「お前は奪われ、わしは守った。そして——守るためには、こうやって敵を殺す必要も出てくるかもしれん。少なくとも、わしの人生では「その時」が、今を含めて何度かあった」
「……!」
「だから……もしも「その時」が来たら、お前もためらわずに引き金を引け。お前が何もかも奪われてなおヘラヘラ生きていける腑抜けであるならばともかく、大切な「日常」を持ち、なおかつソレを守り抜く覚悟があるのなら、誰に何を言われても躊躇はするな。引き金を引くという究極の汚れ役を買って出ろ」
お前の恋人は、お前が至らぬせいで惨たらしく死んだのだ。
そう遠回しに言われている気がした。
慰めとはかけ離れた言葉。
しかし、常春はそれが心地良かった。
お前の力不足だ。
お前がもっとしっかりしていれば。
お前にはもっといろいろできたはずだ。
所詮結果論だが、無意味な思考ではない。
前に進む糧になる。
一度「日常」を失った痛みと経験を知れば、それに対する「恐れ」が生まれる。
それが、もっと強い自分を構築する原動力になる。
そうして、本当に強くなれる。
けれど今は——今だけは、別離の悲しみに浸らせて欲しい。
常春はよろよろとレーナの遺体に歩み寄った。……近くから見るとより生々しく傷跡が視認できたため、思わず目を背けたくなる。しかし、それでも足を止めなかった。
レーナの白い頬に触れる。殴られて少し膨らんだ頬は、すでに冷たくなり始めていた。
開かれたままの紺碧色の瞳をそっと手で閉ざし、その冷たくなった肩を抱きしめた。
常春はそのまま、何時間も泣き続けた。
師も、その場を離れる事なく、常春の気が済むまで見守り続けてくれた。
その後、レーナの葬儀は粛粛と行われた。
本当なら、彼女の故国であるロシアで弔いたかった。
しかし、常春は彼女の住所を詳しく聞いていなかった。……色ボケばかりせずにもっと話を詳しく聞いておけば良かったと、常春は新たな後悔を重ねた。
また、パスポートなどといった身元を示す物も見当たらなかった。
レーナは盗難防止のため、常に鞄を携帯していた。その中に入っているはずだ。しかし、その荷物も行方知れずだった。誘拐された拍子に落としたのかもしれない。
その事を視野に入れて探そうにも、誘拐された時、常春とレーナは別行動を取っていたため、落とした場所が分からない。……いずれにせよ、今頃は誰かが拾って持ち帰り、足がつかないようバラバラに中身を売りさばいていることだろう。もう探しようがない。
結果、彼女を実家に返したくても返してやることも、訃報を知らせてやることもできず、現地で葬らざるを得なかった。
せめてもの罪滅ぼしに、出せるだけのお金を出して、墓標を作ってあげた。
だが、それから間も無く、常春達はその町から発たなければならなくなった。
あのならず者六人が所属していた軍事会社が、常春達のことを感づき始めたのだ。
アフリカの町で、東洋人二人はひどく目立つ。たどり着かれるのは時間の問題といえた。
常春は町を出る直前、レーナの墓標へ訪れた。
墓標に何か、書き残したいと思った。
「君を永遠に愛している」……そう書こうとして、やめた。
そんな保証はどこにも無い。まだ十三歳の小僧なのだ。これから先で新たな恋をするかもしれないというのに「永遠」なんて言葉を軽々しく使えない。
何より、「永遠に愛する」というのは、レーナのことをいつまでも引きずり続けることを意味する。そしてそれは、新たな「日常」を作ることから逃げることにもつながる。
代わりに、常春はナイフでレーナの墓標にこう刻み込んだ。
Москва слезам не верит——と。
「モスクワは涙を信じない」という、ロシアの諺だ。
泣いたって遅い。いくら泣き言を吐き散らかそうと、現実は変わらないし、誰も同情してくれない。
どうだ。まさに今の自分に相応しい言葉だろう? 常春は自嘲する。
これは、レーナが死んだ証だ。
これは、常春が「日常」を守れなかった証だ。
これは、二人が愛し合った証だ。
これは、魂を守る「剣」を求めて異国を旅した、白金のサムライが生き抜いた証だ。
「——さようなら。レーナ」
常春は、それだけ言い残し、師とともに町を去った。
それ以来、二度とその町に訪れることはなかった。
——それから四年後、現在いる自宅近くのうらぶれた公園に至る。
夜の公園で気功の鍛錬をしていた常春であったが、練習はうまくいっていなかった。
気功で大切なのは呼吸と意念……つまり精神の操作だ。過去の辛苦を思い出したせいで、気持ちがごちゃごちゃして気功どころではなかった。
「……今日は、やめておこう」
こんな状態では、練習にならない。そういう時は休むことも必要なのだ。
常春は、沈鬱で重くなった足を歩ませながら、公園からマンションへと戻り始めた。
「……レーナ」
気が付くと、亡き恋人の名をため息代わりに呟いていた。
この話は出すべきか死ぬほど悩みました……
けれど、「日常」を守ることに執着する常春くんの姿勢に説得力を持たせるためには、できるだけむごたらしい過去を出した方が有効かと思いました。
不快に思った方もいることでしょうが、どうか御了承を。