アニオタ、自分語りする
夕方。
常春が「バイト先」から出て、駅に向かって歩いていた途中。
「あれ? 伊勢志摩?」
聞き覚えのある声が耳に入った。
振り返ると、そこには頼子が立っていた。
「宗方さん、こんにちは。どうしてここに?」
「うん、ちょっと買い物に来てたんだ」
紙袋を片脇に持った頼子は、当然ながら私服姿だった。
胸部を大きく押し上げるスモークブルーのセーターに、脚の線がくっきり見える紺色のジーンズというシンプルな格好だが、それだけに無駄がなく、頼子という女子が持つ本来の魅力を出過ぎない程度に表に出していた。
常春は正直な気持ちを真顔で口にした。
「その服、似合ってるね」
「え……あ、ありがと」
頬をうっすら桜色に染め、目をそらし口を尖らせる頼子。恥ずかしくなるとああいう顔をするのだと、常春は最近分かった。
頼子はその気恥ずかしさを誤魔化す意図も込めて言った。
「そ、そういう伊勢志摩は、ずいぶん楽な格好じゃん。しかもアニメキャラTシャツとか……」
「まあね。僕は今日はバイト先と家を往復するだけだし」
「え、伊勢志摩、バイトしてるの? 何の?」
「米軍の武術教官」
あっさりとそう口にする常春。
頼子は一瞬硬直してから、疲れ目をおこしたように眉間を押さえながら、
「ごめん、伊勢志摩、ウチ、ちょっと疲れてるかも……もう一回言ってくれる?」
「だから、米軍の武術教官」
「……ガチ?」
「ガチです」
ひどく驚愕する頼子。普段はその冷めたような表情をあまり大きく変えない少女なのだが、その表情が見事な崩れ方をしていた。
だが、すぐに「こいつならそれくらいやれそうだ」と強引に自分を納得させ、気持ちを落ち着ける。
「ってことは……伊勢志摩って英語しゃべれるの?」
「うん。英語と日本語の他に、あと四ヶ国語しゃべれるよ」
「……ガチ?」
「ガチです」
ひどく驚愕する頼子。
だがすぐに強引に自分を納得させ、気持ちを落ち着ける。
そして、あかね色に染まった空を見上げ、大きくため息をついてから、
「なんつーか……あんた見てると、自分がいかにちっぽけな存在か思い知って、なんかへこむわ」
「そんなこと思う必要ないよ。僕はただ、人よりできることが多いだけさ。大切なのは、何を為そうとするかだ」
「……そんなもんかな」
「そんなもんです」
頼子は常春の方を向くと、ふぅ、と一息ついてから、微笑を浮かべて言った。
「ねぇ、伊勢志摩って、ウチと最寄り駅一緒なんでしょ? 一緒に帰らない?」
「いいよ」
常春はうなずいた。
最寄り駅で降り、一緒に並んで歩く常春と頼子。
通り過ぎる人は、みな頼子の類い稀な容姿に視線を引きつけられる。
その隣を歩く男である常春に嫉妬の目を向けないのは、頭ひとつ分の身長差と着ているもののダサさから、カップルにはとても見えないからだ。見えるとしたら、兄弟くらいだった。
実際、常春と頼子は、カップルなんて色っぽい関係ではないのだが。
「伊勢志摩はさ、なんでそんなにいろんなことができるようになったの?」
頼子がふとそう問うたのは、単純な好奇心からだった。
武術に長けているだけでなく、六ヶ国語を自由に操れ、自分より大きな相手にも少しも物怖じせず、怒ると教師までビビらせるほど怖く、おまけに米軍の武術教官までやっているという。
おおよそ、普通の高校生にはありえないハイスペックさだ。
頼子はそれを「凄い」と思うよりも先に、「どうしてそうなったのか」という疑問を先に思い浮かべた。
絶対、普通とは違う人生を歩んでいるに違いない。
常春は、昔を懐かしむように空を見上げながら、
「そうだなぁ……今までいろんな人に会ってきたけど、やっぱり一番影響が大きいのは師匠かな」
「師匠って、伊勢志摩が使うナントカ拳の?」
「そうだよ。僕に蟷螂拳を教えてくれた師匠。あの人は、僕の人生の恩人なんだ」
「恩人?」
「うん。僕は子供の頃、すごく体が弱くて、他の子供に混じって遊べないほどだったんだけど、師匠が僕に拳法の基礎や気功法を教えてくれたおかげで、すごく元気になったんだよ」
「それから?」
頼子は我知らず、常春の昔話に夢中になっていた。
「本格的に武術を習うかたわら、僕は師匠と一緒にいろんな国に行ったよ」
「へぇ、どこに行ったの?」
「治安の悪い地域」
頼子はそれを聞いて「は?」と声が裏返った。
「ち、治安が悪いって、どれくらいの悪さなの?」
「それはもうすこぶる悪いところだよ。いきなり白昼堂々で爆弾テロが起きたり、しょっちゅう銃撃戦が行われてたり、いまだに医者より呪術師が信じられてたりするような……人間のせいで危険になっている地域にはだいたい連れて行かれたかな」
「連れて行かれた、って……自発的に行ったわけじゃないってことっ? 意味分かんない。なんで自分の弟子をそんなヤバいところに連れて行くのよっ?」
頼子は内心憤慨していた。なんで弟子を粗末に扱うような真似をするのか、と。
だが、それは常春の師のことを全く知らないで口にした、浅い意見に過ぎなかった。
「暴力の恐ろしさを教えるためだよ」
常春は、これまでよりずっと強い語気でそう言った。
それを聞いて、頼子はハッとさせられる。
常春は、自分の両手を見下ろしていた。——なんだか、腫れ物を見るような目だった。
「僕が身につけた武術は、人なんか簡単に殺せるくらいに強力なものだ。だけど強力な分、使いどころを見極められなければ、それは最悪の凶器になってしまう。だからこそ師匠は、自分勝手な暴力によって引き起こされた惨劇を僕に見せつけて、恐怖を植え付けたんだ。そうすることで、武術という暴力を使うべき場を見極める力を、僕につけさせた」
「……それ、大丈夫なの?」
引きつった表情の頼子の問いに、常春は苦笑しながら語った。
「多少荒療治だった感は否めないかな。飛び散った脳漿がほっぺたに貼りついたり、手榴弾にやられた人の目玉が足元に転がってきたときなんかは、さすがに正気の糸が切れそうになったよ」
まるで異世界の話を聞いているような気分だった。
だが、これは現実の話なのだ。
この空を同じにして、別の国では、当たり前のように殺し合いが行われている。
それを思うと、頼子がいるこの平和な「日常」が、とても尊いものに感じられた。
「……日常」
頼子は確信した。
なぜ常春が、展開の変化にとぼしい「日常系アニメ」にこだわるのかを。
——平和の尊さを、知っているからだ。
ひどく凄惨な光景を、テレビなどで間接的に知るのではなく、直接その目に焼き付けてきたからこそ、今自分が享受している「日常」のありがたみがわかるのだ。
だからこそ、「日常系」を愛し、平和な日々を愛する。
だが、一方で彼はこうも語っていた。
どんなに多くの人が平和を望もうとも、必ず大なり小なり争いの火種を作りたがる輩がいると。
連中が生み出した火を払うには、どんな美辞麗句や理想論も意味はなさない。そんなものは「寝惚けた事」と、彼は断じた。
だからこその、力。
だからこその、武術。
「なんか、あんたの考えてる事、少し分かった気がするよ」
頼子は微笑する。
常春も表情を緩める。
「そうかな」
そんな感じで、二人は別れ道までの間、笑いながら歩いたのだった。
ブロロロロロロ……という控えめなエンジン音が、曲がり角から静かに響いていた。
「キヒヒヒヒ、あそこにいんのが「魔王軍」のボス猿をぶちのめしたっつぅガキかぁ。さぁて、どうしてやろうかなぁ?」
悪意のにじんだ声とともに。
その男のフルフェイスヘルメットのバイザーには、頼子と楽しげに歩く常春の姿がくっきり映っていた。
そう。
どれだけ多くの人が平和を望もうとも、必ず争いの火種をばらまきたがる輩が存在する。
常春の言葉は、どこまでも正しかった。
残酷なほどに。




