そのアニオタ、危険につき
伊勢志摩常春はアニオタだった。
「日常系」という特定のジャンルのアニメやコミックをこよなく愛し、金と青春をつぎ込むことを惜しまないアニオタだった。
可愛くて個性的な女の子たちが、戦争どころか殺しもいさかいも何一つない平和な世界で、ただただ日常を過ごす話。
「変化がなくてつまらない」という声もあるが、常春はそんな「日常系アニメ」が大好きだった。
日常系は確かに変化にとぼしいが、争いもないのだ。
バカスカ殴り合ったり、スナック感覚で腕がちょん切れたり死人が出たりするバトル系アニメより、常春は平和な日常系アニメの方が好きだった。
この「現実」も、「日常系」のように平和で、争い一つない世界になればいいのにと常々思う。
しかし、この「現実」はままならない。
どれだけ万人が平和を望もうと、一部の血の気が多い人間のせいで平和でいられない。
頭のネジが外れまくった独裁国家が年中ミサイルを乱発したり、
宗教観の違いから殺し合いをしたり、
思想が違う特定の民族を迫害したり虐殺したり、
貧しさのせいで人から物を奪ったり、
痴情のもつれで人を殺したり、
衝動的に銃を乱射したり、
そのような「非日常」が、この「現実」には溢れかえっている。
そう、今まさに目の前で起こっていることのように。
「ちょっと、離してよ!」
うんざりしたような、焦ったような女の子の声。
「いいじゃんよぉ、ちょっとそこらで一緒に遊ぶだけだぜぇ?」
「俺ら、君みたいなキツい感じの子、好みなんだよー」
「遊ぼうよぉ、ほらぁ、あそこら辺でー」
「バッカ、お前が指差してんのラブホだぞ? 欲望出過ぎだろ、ぎゃははは!」
男たちの、ゲラゲラとした品のない笑い声。
高架線の橋の下で、一人の女の子が、柄の悪そうな男四人に絡まれていた。
「何度も言ってんでしょ! お断りよ!」
常春と同じ学校……神奈川県S市にある潮騒高校の制服を着た女子だった。ややブラウンがかった長い黒髪に、キツめで大人びた美貌。身長は女子にしては高めで体つきは細身だが、制服のブレザーを大きく山状に押し上げる胸がよく目立つ。
近寄りがたそうでいて、華やかな雰囲気の女子。常春とは縁遠いタイプの女子だった。常春はこういうタイプから毛虫のごとく避けられる学校生活を送っている。
男四人は、みんな共通点の多い外見をしていた。細身な162㎝の常春よりはるかに大柄で骨太な体格、悪そうな顔——マッチョな悪魔の絵が背中にプリントされたフライトジャケット。
「いいじゃんよ。どうせこの後することねえんだろ? 遊ぼうぜ?」
「嫌だってば! 帰してよ!」
強引に男たちの包囲網から抜け出そうとする女子だが、男の一人に抱きつかれるようにして捕まってしまう。
「ちょっ、離して! ヤニ臭いわよあんた!」
「んー、君はいい匂いだねぇ。フェロモンを感じるよぉ。嗅いでるだけで勃ってきちまう」
「うわ、お前キモッ」
ぎゃははは、と響く汚い爆笑。
曲がり角からずっと成り行きを見守っていた常春だが、そろそろ「これは洒落にならないかも」と思った。
仕方がない。お節介を焼くとしよう。
「あのー、すみません。それは流石にマズいんじゃないでしょうか?」
常春は曲がり角から歩み出て、男四人にそう訴えかけた。
全員が、常春の方を振り向いた。
「ああ!? 男はお呼びじゃねぇんだよ! 消えろカス!」
「殺すぞ!」
「つーか死ね!」
「その制服、テメェも潮騒か!? 舐めたマネすっとガッコの前で待ち伏せんぞ!」
四人が、それぞれの罵倒を放ってくる。
彼らの意識は、今、完全に常春に集中していた。
「……っ!」
その隙を狙ったのか、女子はゆるんでいた男の拘束を強引に振りほどき、勢いよく逃げ出した。
「あ! ちょっ、待てって! おい!」
男がそれに気づいたのは、女子がだいぶ離れたあとだった。追いかけることなく、女子が曲がり角の向こうに消えるのを見送ることになった。
(へぇ、足速いなぁ)
女子の薄情な行動に対し、常春は何の恨みも抱かなかった。
というかむしろ、あの女子がいない方が常春としても「やりやすい」ので、ありがたいとすら言えた。
常春の読み通り、男たちの関心は女子から外れ、常春へと集中した。
彼らの顔には怒り。今にも飛びかかってきそうだ。
常春は愛想笑いを浮かべて、
「やめましょうよ。ね? 平和が一番ですよ」
「るせぇ!! テメェのせいで獲物逃がしちまっただろうがぁ!!」
人さらいみたいなセリフを吐きながら、男の一人が猛然と身を進めて殴りかかってきた。
男の無骨な拳が、常春の顔面の薄皮一枚分の距離まで迫り、
空気を殴った。
「がふっ!?」
常春はパンチを避けつつ相手の懐へ飛び込み、肘を打ち込んだ。全身の重みが乗った肘打ちをモロに受け、男は大きく後ろへ吹っ飛ばされた。
「なっ!? こ、このガキがっ!!」
一瞬、残りの三人が動揺するが、すぐに仲間をやられた怒りに燃え、常春へと迫った。
一人がフック気味に殴りかかってくるが、常春はそれよりも素早く相手の間合いに入り、一瞬のうちに拳を三発顔面に当てた。それによってひるんだところへ、靴裏で押し込むように蹴り飛ばした。
「調子に乗んなぁ!!」
両手を広げ、抱きつこうと迫る次の男。レスリングのタックルと同じ要領だった。
しかしその男は常春を捕まえられなかった。常春は素早く跳躍し、その男の肩に乗っかったからだ。
常春は降りつつ、男の側頭部に蹴りを叩き込んだ。
残りは一人。
「こ、この野郎! 俺らを「魔王軍」のモンだと知っての仕打ちか、これは?」
常春は反応しない。「魔王軍」って何だろうか? アニメの話か?
考えていると、最後の男は懐から何か取り出した。
アーミーナイフ。
「死ねやぁぁぁぁぁ!!」
男はナイフを振り上げ、走り出そうとした。
——そう。「走り出そうとした」だけだった。
男が走り出すよりも速く、常春は雷が横切るようなスピードで距離を詰め、その顔面に拳を打ち込んだ。
鼻血を散らしながら、仰向けに倒れる男。
剣道の残心のように常春が取っていた構えは、カマキリのような構え。半身になりながら、両手をカマキリの鎌をかたどった形にして前後に構えていた。
わずか十秒。
たったそれだけの時間で、大柄な男四人が、路上に雑魚寝させられたのだ。
しかし、そんなとんでもないことをやらかした常春の頭の中は、
(早く帰って、録り溜めたアニメ見なきゃ。それで、まとめサイトでみんなの反応を見てみよう)
ただひたすらに「日常系」だった。