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第13章 最後の壁(11)

 ど、どうしよう……。

 手を少々強引に引かれながら、部屋に向かう途中、あたしはずっとどう切り出そうか悩んでいた。

 メイサはシリウスの要望通りに部屋を一緒にしてくれていた。

 彼は間違いなくあたしを求めてくるはずだけど、あたしは彼を拒むしか無い。この間やっと動く許可を得たばかり。いいか悪いかなんて医者に聞くまでもない。

 彼にそう伝えた時に、彼が喜ぶよりも先にがっかりするのが分かって申し訳なかった。だって、もう心を読まなくても分かるくらいに焦れてるのに。

 部屋に入ると、彼の肩越しに満月を写したガラス窓。シリウスが扉を閉めると、廊下から入り込む燭台の明かりが遮られ、部屋は柔らかい月の色一色に染まった。

 すぐに抱きしめられるかもって覚悟してたけれど、意外にも彼は頬をそっと撫でただけだった。

「スピカ……ごめん。痛かった?」

「──ううん。痛くなかった。ありがとう。あのまま怒られない方が、あたし、辛かったかもしれない」

 たぶん、シリウスは、あたしの罪悪感を軽くするために無理して怒ってくれたんだと思う。あのままただ許されていたら、あたしがいつまでも引きずることが分かってたのだ。そういうところが、どこまでも優しくて愛おしい。

 そう思って見つめると、彼は焦ったような顔をしてそっぽを向く。

「ありがとうなんて……あれはただカッとなっちゃったんだよ。だって君は隙がありすぎるんだ。──ほら」

 ごまかすように言うと、彼はあたしを横抱きにしてベッドに運ぶ。「こんな風に」

 ベッドに置かれるとすぐにその重みで体の動きを封じられる。口づけが首筋に降る。体が痺れるのが分かって、そんな自分に驚く。

「シリウス、だめ」

 そう拒むけれど、言葉が力を持たない。

「なんで。もう、待てない。僕はあの夜の続きをずっと待ってた。二月の間、ずっとだ」

 そう言うと、彼はあたしの耳飾りを外す。そして自分の耳からも外すと、緑色の石をあたしの耳につけた。

「毎晩この夜を取り戻すことを考えてた」

 あたしは胸が痛くて目を瞑る。とたん瞼にキスされるのが分かる。ただそうされただけなのに、あっという間に体が熱くなり、あたしは泣きそうになる。

 どうしよう、あたし──彼に抱かれたい。

「君は違うの?」

「ごめんなさい。あたし──」

「なんで謝るの。まさか──君、本当はルティのこと」

 あたしは慌てた。違う、ちがう!! そうじゃなくって! あたしは観念して、口を開く。──どうか、喜んでくれますように。

「あのね…………ルキアはお兄ちゃんになるの」

「え」

 体をなぞり始めていた手がぴたりと止まった。彼はあたしの首筋に顔を埋めたまま、固まる。

 しばしの沈黙の後、彼は顔を上げる。そこには引きつった笑顔を浮かんでいた。彼は何かを堪えるように、でも精一杯明るく振る舞いながら言う。さっきまでの勢いと熱はあっという間に削がれてしまっていた。

「あ、あぁ……そ、そうか……それで。二月も居たんだもんな……。ごめん。僕が迎えにくるのが遅かったから……。あ、でもどうしよう、ルキアについてはさっきルティと交渉したけど……もう一回かな。うん、でも大丈夫だから」

 あ、すごい誤解してる! しかもかなり最低な誤解! もしそうだったら、いくら何でも、二度とシリウスの前に立てないわよ!

 あたしは慌てて付け加える。

「あのね、今三ヶ月・・・なの」

「え──、え、ってことは……」

 曇っていた彼の顔が一気に輝いた。あたしはついでに他の誤解も解いておく。だって、さっきの発言を聞いても、絶対、絶対気にしてるから。

「あなたの子よ。この子が居たから、あたしはルティのものにならずに済んだし、死にたくても我慢できた。きっと、この子はシリウスの代わりにあたしを守ってくれたんだと思う」

「スピカ──スピカ」

 彼は堰が壊れたようになる。力一杯──でもお腹を避けてあたしを抱きしめると「死にたかったの?」と問う。

 あ、……余計な心配させちゃった……。そう思いつつも素直に頷いた。我慢しないことを彼は望んでいたから。

「あなた以外のものになるくらいなら死んだ方がましだったの」

「……死なずに居てくれてよかった。本当によかった。──ありがとう」

 彼はあたしのお腹をそっと撫でると呟く。そうして二人、しばらく黙って抱きしめ合った。


 やがて彼が困ったように頭を掻く。

「……そ、それにしても……また新婚生活がお預けなのか……」

 あ、やっぱりがっかりしてる。

「ごめんなさい」

「いや……僕のせいだし……」

 肩を落としたシリウスを慰めてあげたくて、軽くキスをすると、彼は余計に眉を下げる。「たのむから……あんまり刺激はしないでくれる?」

 しゅんとしたシリウスは、あたしのよく知っているシリウスだった。

 あたしは、ずっと聞きたくて、でも胸につっかえてどうしても言い出せなかった事をようやく尋ねることができる。

「……ルキアは元気? あたしの事忘れちゃったかしら?」

「元気だよ。きっと君の事待ってる。あ、もうそろそろ立てるかもしれない。つかまり立ちは上手になったんだよ。ご飯もたくさん食べるし。よく笑うし、おしゃべりもたくさんする。それから、夜も起きないようになったんだ」

 嬉しそうに話す彼を前に、あたしは、途中まで見た過去の幻を思い出す。ルティは『泣き止めよ。お前の泣き顔は、最悪だ』そう言った。彼がどうしてあたし・・・が泣くのを嫌うのか、さっきの王妃の姿を見てあまりにもよく分かってしまった。あれは鏡に映ったあたしと色が違うだけだった。つまり、そういうこと。確信が持てればシリウスにも伝えるけれど、きっとルキアは──

 でもシリウスはもうルキアの血筋については問わない事にしたらしい。さっき言った通りに。『ルキアは、僕の子供だ。僕が一番、スピカを愛しているから』

 彼はそれでいいと決めてしまったのだ。でも──そう簡単にはいかない。ルキアの髪の色を見て、ヴェスタ卿をはじめとするジョイアの貴族は黙っていないだろう。

 そしてルティも王も頷いてくれるかどうかは──まだ分からない。

「……どうするの?」

 彼はあたしの曖昧な問いの意味もすぐに分かってくれた。

「任せておいて。きっと全部うまく行くから」

 彼がそう言ってあたしの大好きな笑顔を浮かべる。あたしは頷くと、その胸に猫のように頬をすり寄せて甘えた。彼は妙に嬉しそうに「やっと本当に甘えてくれた」と呟きながらあたしの髪を撫でる。


 ──彼がそう言うのなら、きっとうまくいく。あたしはその未来を信じていいのだ。

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