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第13章 最後の壁(2)

「最後の壁って──」

「彼の母親──つまり王妃さまよ。ルティが結婚を言い出したときから、ずっと反対しているの」

 あぁ、ルティが気にしてるのってお母さんだったんだ……。

「あたしが気に入らないってことよね?」

「……まあ、そういうこと」

「会った事も無いのに……」

 そう呟いてみるけれど、よく考えれば当然だった。だってあたしは、『ラナ』の娘。ルティの母親は──王妃さまは、ずっと母さんの身代わりなんだもの。結婚して、20年以上、ずっと。

 想像してみる。夫が自分以外の人を想い続ける。自分にそっくりな女性の代わりに愛され続ける。愛情は一生自分に向けられる事は無いと知りながら。──しかも、彼女はシトゥラの娘だ。王のラナへの気持ちを知っては嘆いていたのだろうと思う。

 その愛情を向けられているラナの、子供。それがあたし。──あたし、憎まれていたとしても、おかしくないかもしれない。

 そして、ルティを思う。彼は母親について話すとき、いつも辛そうだった。

「ルティはお母さんと仲が悪いの?」

「……うーん……いいとは言えないんだけど、悪くもなかったと思うのよね。ただ、この結婚だけは絶対許さないって、もうすごい剣幕で。それまでルティの事に関しては無関心っていうくらいだったのに、少し前、その事でおばあさまと喧嘩になったらしくて。──ずっとおばあさまの言いなりで大人しい方だったから、聞いて驚いちゃった」

 メイサはそう言うと、少し頬を緩ませる。クスクスと笑うと続けた。

「ルティは──彼は、昔から王妃さまだけには逆らえなくって。彼女が嫌がっただけで何も出来ないの。おかしいでしょ? あんな偉そうにしてて、母には敵わないなんて。知ってる? あの子、女の子の涙に弱いでしょ。あれって、絶対母親のせい。──あの方はルティの前で泣いてばかり居らしたわ。だから昔から苦手だったみたい。いくら慰めても駄目だって。母上は笑ってくれないって……小さな頃はそれでよく泣いてたわ。今からは考えられないけどね」

「嘘よ、それ、絶対」

 あたしは呆然として呟く。ルティが泣く? ありえない。それ、多分別人だと思う……。

 メイサは笑ったまま肩をすくめる。

「あの子も昔はね、純粋だったの。大事なものを普通に守ろうと思ってたのよ。だけどあの時を境に────皇子さまはさすがに話さなかったかしら? まぁ、それは、今はいいわ。とにかく、彼の一番の弱点は母親よ。彼女が認めれば、あなた達は晴れて夫婦」

 さすがに彼女の態度が引っかかった。

「──ちょっと待って。ね、ねぇ……メイサって、一体誰の味方……」

 ルティの弱点を教えてくれたり、かと思うと晴れて夫婦、と言ったり。意味不明な事も多いのに、理解する前に置いていかれてしまう。本当に、よく分からない。

「私? 私は誰の味方でもないわ。もう誰の言いなりにもなりたくないの。ただ自分がしたいようにするだけよ。今は……そうね、ルティが幸せならそれで良いの。彼、ようやく大事なものが出来たんでしょう? それが恋かどうかは置いておいて、彼が人間らしくなるのなら私は『従姉として』嬉しいわ。だから彼があなたが欲しいって言うんなら、私はそれを手伝うだけ」

 そう聞いて、メイサもミネラウバと同じなんだわ。そう思った。ルティに恋をする人は、みんな、そう。こうやって相手の幸せの事だけしか考えない。見返りなんか何も求めない。

 あれだけ酷い事をしておいて、今でもシリウスの心を求めてる自分が子供っぽく思えて、恥ずかしかった。あたし、やっぱり随分欲張りになってしまってる。なんでだろう。昔は何も要らないって、心の底からそう思えていたのに。

 昔同じ様に捕らえられた時の事を思い出す。あのときのあたしは彼の笑顔を見る事が出来れば良いって思っていた。でも──今そう言ってしまえば、それは嘘になる。

 もう昔のあたしには戻れない。彼の笑顔だけじゃ我慢できない自分をもう知っていた。彼に愛される事がどれだけ幸せか、あたしは知ってしまった。あたしは──彼にその笑顔を自分に向けて欲しい。彼の隣で、自分も笑っていたい。彼は、ずっとそうやって「一緒に歩こう」と手を差し伸べてくれていたのに、あたしは結局その手を撥ね付けて、逃げた。

 だからこそ、彼の隣で歩く事は──もう二度と叶わない夢だった。

 メイサは黙り込んでしまったあたしの頭をそっと撫でる。まるで母が子にするみたいに。彼女はあたしを甘えさせてくれようとしているんだと思った。

「ただ、私、あなたにも同情もしてるみたい。あなたはやっぱりシトゥラの被害者だもの。あなた、今はもうここしか居場所が無いじゃない。他の道をルティに全部塞がれて」

「……」

 ──もう、ここにしか居場所が無い。

 分かっているのに、改めて言われると、体がずしりと重くなるのがわかる。

「あぁ、その顔。思い出すわね。最初にここに来たあの時も、あなたそんな風に何もかも諦めた顔をしていたわ。声も沈んでいて。でも、皇子さまに再会したときは、本当に幸せそうだったじゃない。私、あの部屋に連れて来られたあなたの声を聞いて別人なんじゃないかって思っちゃったもの。お腹に子供が居るって知ったときのあなたの顔を見て思いだしたわ。あなたはちゃんと笑えるはずなのにって。

 私、ルティにも幸せで居て欲しいけれど、あなたにも少しでも幸せな顔をしていて欲しいわ。どっち付かずで変だって自分でも思うんだけどね……やっぱり、家族だからかしら?」

 家族、その言葉は妙に暖かくて懐かしい。母が亡くなって、ずっと父と二人だったし、あたしたちには親子という言葉で十分で。家族なんていうのは無縁な言葉にも思えていた。──でも、その言葉はこの家シトゥラには似合わない。

「あたしは……シトゥラが嫌いよ?」

「私もよ。だからあなたを助けてあげたい気もしてる。でも、あなたは助かろうとしていないもの。だから可哀想・・・だとは思うけれど、あなたがその気になるまで手は貸してあげないの。無駄は嫌いだし」

 いつの間にかメイサの口調に冷たいものが混じっていた。軽い嘲笑がその唇の端に浮かぶのを見てカッとなる。

 ──助かろうとしてないって?

「あたしは助かりたいわ。──あたしをここから逃がして」

 あたしだって、逃げられるものなら、逃げたかった。もしどこかでのたれ死のうとも、ここで飼われるくらいならその方がましだ。

「逃げてどうするの?」

 あたしはまだ膨らみも無いお腹を両腕で抱えるようにしてメイサを見つめる。

「……この子と二人でジョイアでもアウストラリスでも無い所で生きていくわ」

「ほら。あなた、結局そうやって無茶をするだけ。肝心なものから逃げてるだけなの」

 メイサは呆れの滲み出た顔でやれやれとため息をつく。

「無茶? じゃあ、それ以外にどうすれば良いの。あたしは、この子を殺したくないだけ」

「あなたがとれる道はまだあるでしょう。というか、それしかないのに、どうして見えないの。あなたが何をしたのかは知らないけれど、……皇子さまに謝りなさい。そして助けてって縋れば良いのに。不思議。どうしてそこに考えが行き着かないの? どうして皇子さまに頼らないの。彼はあなたの夫なんでしょう? 彼しかあなたを救えないのに彼に助けを求めないって……助かる気がないって思われても仕方が無いと思うけど。──あなたがその気なら私、手紙を出してあげるわ。そのくらいしか出来ないけれど、何もしないよりマシでしょ」

「無理よ」

 即答した。だって──

「あたしが勝手にジョイアを飛び出したの。子供も放り出して。彼にはもうあたしが要らないの。だから国境を閉じたの」

「あなたは何をしたの」

 これをメイサに言うのは躊躇われた。でも、言わないと分かってもらえない。シリウスがあたしを許さないってことが。

 覚悟して口を開く。

「あたし──ルティの子を産んだの。産んだ子供は赤い髪と茶色の目をしてたの。シリウスに全然似ていなかったの。なのに、シリウスの子だって、皆を騙して、名前まで貰って。あたし、子供が可愛くてしょうがなかったの。だからルキアのために、ルキアが生きていけるようにって彼を利用した。あたしはシリウスじゃなくて、ルキアを選んだの。それなのに、シリウスは──」

 ルキアを選んだあたしを許してくれていた。それでも手をつなごうとしてくれていた。

 その彼を、あたしは最後の最後で捨てたのだ。それが──何よりも酷い裏切りだった。

「あたしは妻と母親の役割を他の貴族の娘に押し付けてジョイアから逃げたの。シリウスとルキアを、捨てたの。──最低なの、あたし」

 メイサは黙ってあたしの言葉を噛み砕いていたかと思うと、やがて一気に疲れた顔をした。そしてこめかみを揉みながら言う。

「……あーあ。ようやく色々分かった気がする。しっかり術中に嵌っているのね。なんていうか、さすがね。あれだけの材料しかなかったっていうのに……よくもここまで。ある意味見事だわ」

「どういう、意味」

 彼女は答えずに問う。

「でも、そう。ってことは、あなた、ルティと寝たんだ?」

「……」

 あたしは、あの夜のことをメイサにぽつりぽつり、打ち明ける。子を産んだ事を言ってしまえば、後はもう隠す事は何も無かった。遭難して、凍傷を起こしかけて、──起きたら傍にルティが居た。

 メイサは苦々しい顔をしたまま、あたしの話を飲み込むとはっきりと言った。

「私の意見を言っていい? ──まず彼が意識の無い女を抱くとは思えない」

「でも……ルティなら」

 そう反論しかけ、しまったと思ったときにはその火のような反撃に噛み付かれていた。

「ルティならって、何よ。彼が何? 彼ははっきり言って女に全く不自由していないの! いくらでも相手が居るの。あの皇子さまと一緒にしないで!」

 な、なんてこと言うのよ──!

「──シリウスだって不自由してない……」

「ふん、そうかしら?」

 意地悪な視線に怯む。その目が言ってる。『あなた、浮気は許さないんでしょう?』

 浮気を許さないどころか……あたし……。ここ一年を振り返って冷や汗をかく。不自由は、させたかもしれない……いや、確実にさせたような。

「と、とにかく、シリウスがそんな事するわけないじゃない!」

 痛いところを突かれて、咳払いして誤摩化すと、彼の名誉のためにそこだけは否定した。

「ルティだってしないわよ」

「でも、でも! ルティが言ったんだもの。あの時の子だって!」

 メイサは呆れた様子でため息をつく。

「彼は嘘つきよ。知ってるでしょう?」

「それは、そうだけど……」

「それに、あなた夢でって言うけれど──ルティはそんなに優しくないわよ? ああ、分かった。皇子さまは生温なまぬるいんだ? 眠ってられるくらいに?」

「──な、な」

 一体何の話をしてるんだろう。メイサはケロリとした顔をしているけれど、あたしは頬が引きつるのを止められない。

 なんでそんな普通の顔でそんなこと言うの。っていうか、優しくないって──メイサはなんでルティの事そこまで知ってるの。ルティったらしっかり従姉にも手を出してるってこと? あぁ、もうやだ、どういうこと……あたしには分からない。分かりたくもない。

「どうなの?」

 あたしは辛うじて首を横に振る。

 メイサの言うような事は無かった。夢の彼と現実の彼は随分違った。もう一度あの夢を見れば多分、はっきりと分かる。──夢にはあんな熱は無い。

 あの夢もずっと夢だって分かっていたはずなのに、ルキアの髪の色を見て、そんな気になった。その上ルティにあんなことを言われたから、頭の中でいろんなものが組み合わさって、ありもしない現実を作り上げたのかもしれない。

 目を瞑ると、あのときの夢を思い出そうと必死になる。手を伸ばして夢の欠片を掴む。でも、それは曖昧すぎて掴んだとたんに手の中で泡となり、消えていく。

「覚えが無いのは──本当に無かったからじゃないかしら?」

 メイサの言葉にも、あたしは首を横に振る。本当は否定したい。でも、今のあたしには分からない。あれが夢か現実なのか。

「あなたには、『力』があるじゃない」

「────あ」

 言われて唐突に思い出した。そうだった。すっかり力の事を忘れていた。その事に驚く。アウストラリスに来て、使えない、使えないって、ずっと思っていたけれど、ここでは使えるのだ。ルティの目が行き届いていない、今ならば。

 あたし、まだ自分の目で確かめてない。ルティに断言されるまで、ここに来たら、したいと思っていたことがあったはず。──母の部屋で、あの夜を『見る』。

 顔を上げたあたしの目の前で、メイサが力強く頷く。

「ラナの部屋でしょう? ──でも、あの部屋は今封鎖されてる。あなたを絶対に入れるなって。私、それが気になって仕方が無かった。何を今さら隠す事がある? あの部屋に何があるって言うの?って。ようやく分かった。──多分、あなたが知りたい『その事』が、部屋を閉じる理由なんじゃないかしら」

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