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第10章 過去の隠し場所(9)

 屋敷に戻ると有無を言わせず湯殿に放り込まれた。ほとんど湯にも浸からずに泥を流しただけですぐに出ようとしたけれど、入り口で見張っていたシュルマに説教されて、結局体が温まるまで出してもらえなかった。

 例の墓荒らし達は結局オリオーヌの騎士団に引き取ってもらった。僕が湯殿に行っている間にイェッドが書類をまとめて一緒に引き渡したそうだ。

「重要な証拠品・・・ですから、大切に保管してもらいましょう」という言葉に僕は頷く。確かにこの際屋敷より牢に突っ込んでおいた方が彼らにとっても僕たちにとっても安全だった。ハリスの牢は堅固だし、男達の口を封じようとする輩がこの屋敷に現れるのは好ましくない。ここにはルキアが居るのだから。

 その後、イェッドに僕の立てた仮説を聞いてもらうと、彼も「その可能性は高いかもしれません」とおおむね見解は一致した。そして僕が頼み事をすると、彼は「急がなければいけませんね」と頷いてすぐに仕事にかかってくれた。


 食事を取れと促されたけれど、食欲が全く湧かず、僕はスープだけを流し込むと、すぐに部屋に戻った。

 部屋ではルキアがイザルと共に床の絨毯の上で転がって遊んでいる。ルキアは鞠を叩いて転がして、興味深そうに見つめた後、急に思いついたように追い始める。そして追いついたかと思うとそれをぎゅっと掴んで、がぶりと噛み付く。

「ただいま」

 そっと声をかけると、ルキアが僕に気づいてにっこりと笑った。そして鞠を追うのと同じ顔でこちらに這って来る。僕の足下に辿り着くと服の裾を掴んでぐいっと立ち上がった。上目遣いの茶色の瞳が満足げに輝く。

「すごいな、ルキア。上手だよ」

「あぅー」

 声をかけると満足げに唸った。僕は笑って彼を抱き上げると背を撫でる。

 サディラに留守の間の礼を言うと、彼女は少し微笑んでイザルを抱いて退出していく。

 僕はルキアを抱いたまま机に向かうと、机の上にぽつんと置いてある冊子をじっと眺めた。ルキアが手を伸ばすのを「だめだよ」とそっとたしなめる。

「おばあちゃんの日記だよ」

 そう言うと「ばーばーばー」まるで分かっているような反応が返って来て、僕はくすりと笑った。張りつめた空気が少しだけ緩む。


 表紙をめくる。燭台の光が僅かな風にゆらりと揺れた。


 静かに息をして文字を追う。最初の頁の日付は晩秋だった。



 今日お食事のときに、「冬の花火の季節になったな」と陛下がおっしゃって。

 このところ忙しかったから、気晴らしにゆっくりしておいでって陛下は言われていたけれど、陛下は一体どうなさるおつもりなのかしら。毎回ハリスでのお仕事の時期を合わせて下さって……。もう子供ではないのだし、一人で参れますのに。お忙しい身なのに申し訳ないわ。

 申し訳ないと言えば……もう嫁いで二年も経つというのに……。あぁ、だめね。深く考えすぎてはいけないとセフォネに言われたばかりだわ。

 今日はもう寝ましょう。寝不足は美容の敵だもの!


 *


 陛下ったらなんで怒っていらっしゃったのかしら。私、変な事申し上げてしまった?

 「一人で参れますから、陛下はご無理をなさらずに。こんな風に陛下が無理をされるのであれば、花火は諦めますわ」と申し上げただけなのに……むっつりと怒ってしまわれて。「そなたは私の心が少しも分かっていない」などとおっしゃって。

 ……それは分かりませんわよ。私は陛下ではありませんもの。ただ……お疲れの陛下を見ているのは私も辛いのですもの。私の道楽に付き合わせる訳にはいきませんわ。宮には味方も少ないですし、一人で寂しがっているのを心配されていらっしゃるのかもしれません。けれど……少しずつですけれど皆様と仲良く出来て来ていると思うのです。確かにお父様やお母様、ヴェガにも会いたいです。でも……私はそんな事くらいではめげませんわ。妃になるときにしっかりと覚悟して参りましたし、陛下が良くして下さるだけで私は十分幸せですのに。分かっていらっしゃらないのは陛下の方です!


 *


 朝方ツクルトゥルスに到着しました。「中止にいたします」と申し上げたら、強引に連れ出されてしまったのです。

 諦めていたから……本当は嬉しいのですけれど……。陛下の顔色がどうしても悪く見えてしまうのです。陛下はアルフォンススに私を届けるなりハリスへと向かわれてしまいました。「遅くなるけれど今日中に戻るから」と言われてましたけれど、花火をご一緒しないのならば何のためにこちらにいらしたのか分かりませんわ!


 *


 今日はとても驚いた事がありました。花火が暴発して、それもとてもびっくりしたのですけれど、もっとびっくりしたのが、二年ぶりに会ったあの人。警護の責任者だと言われていたけれど、出世なさったみたいで嬉しかった。……何も変わりませんでしたわ。無口で不器用で。とても懐かしかった。

 嫁ぐときには本当に色々ありました。あれはとても苦しかったけれど、でもそれももう良い思い出です。

 あのひと、結婚されたのですって。そして今度お父さんになるのですって。わたくし、羨ましかったわ、そのラナという名の奥さんが。

 ああ、わたくしも、早く子供が欲しい。愛するあのひとの子供が。


 *


 昨日の朝、起きたら陛下が私を覗き込んでおられて、とても驚きました。

 火傷は大した事なかったのに、ひどい顔色で。心配させてしまって本当に申し訳なかったわ。

 私、寝言を言っていたのですって。どんな夢を見ていたのかは思い出せないのですけれど、陛下が「愛するあの人の子供が欲しい、と言っていた」と真面目な顔で言われて……私、顔から火が出るかと思いましたわ。昨日の日記、読まれてしまったかと思ったくらい。日記は隠してありますし、陛下がそんな事をされる訳はないのですけれど。


 ……私、陛下に嘘を申し上げてしまって……。レグルスの事をなぜか気にされるのですもの、とっさにそんな方知りませんって。だって……初恋の人だというのは本当ですし、どう伝えても誤解を招きそうだったのですもの。

 でも陛下はどうやらレグルスから昔の知り合いだってお聞きしていたみたいで。すぐに嘘がバレてしまったわ。「レグルスは昔の知り合いです」と渋々白状しましたら「その者の名は呼ぶのだな」などど拗ねてしまわれて。私、努力はしているのです。でもいざ口に出そうとするとどうしても恐れ多くて……。シド様とお呼びするのが精一杯ですのに「シドと呼んでくれ」などと……。ああ、こうして書くのも恐れ多いですわ。

 ああ、日記が今日になってしまったのは、陛下が名を呼ぶまで離してくれなかったのです。なぜだか怒っていらっしゃるみたいで……一体どうされたのかしら。嘘をついたのは悪かったとは思いますけれど、知り合いだと言っているのにそこまで怒る事でしょうか。怒っていらっしゃるの? とお聞きしても「怒ってなどいない」とおっしゃるばかりで。

 ……そういえば「そなたは幸せか」と何度か聞かれましたけれど、あれはどういう意味だったのでしょう。幸せに決まっていますわ!

 とにかく。私……疲れました。やはり二度寝しましょう。


 *


 やはり陛下はあれから少しおかしいような気がします。何か思い悩まれていらっしゃる様で。宮に戻っても閨に呼んでいただけなくなりました。もちろん渡っても来られません。前は毎日のようにお会いできていたのに。私、何か陛下の気に障るようなことをしてしまったのでしょうか?

 今陛下は……シャヒーニ様のところなのかしら。仕方がない事ですけれど、分かっていて宮にやって来たはずなのですけれど……考えると憂鬱です。陛下は私だけの陛下ではないのです。我慢しないと。


 *


 しばらく日記を付ける事が出来ませんでした。

 気分が優れなくて筆を持つ事が出来なかったのです。でも。今日はどうしても書きたい事があって。

 私、赤ちゃんを授かったみたいなのです。本当に嬉しい! どれだけこの時を待った事でしょう!

 陛下にお知らせしないと。喜んで下さるかしら? ああ落ち着かない。そうだわ、今から行ってきましょう!


 *


 陛下はあまりお喜びにはなりませんでした。お仕事の邪魔をしてしまったからかしら。こういう事をしているから私、いつまでも子供扱いされてしまうのかもしれませんわ。歳が五つ下だからといっても、もう私も18ですのに。もう子供ではありません。しっかりしないと呆れられてしまうわ!


 あれから少し落ち込んでしまって、セフォネにお話を聞いてもらったのですけれど、「陛下も複雑なのですよ」と、よく分からない説明をされてしまいました。

 私には分かりません。これだけ待った宝物を喜んでいただけないなんて。


 でも──いまだ子がいらっしゃらないのは……ひょっとして、陛下はお子を望まれてなかったのかしら……



 まだ日記は続いていたけれど、そこまで読んで一度日記から目を上げた。書かれていた内容は予想していたよりも遥かに重要なことだった。

 読み進めるうちに縛り付けられていた鎖がじわり、解けていくのを感じた。僕とスピカを繋ぐ線は──途切れなかった。ルキアが<僕とスピカの子供>でも、それには何の問題もない。

「……よかった……」

 僕はルキアをぎゅっと抱きしめるとその赤い髪に顔を埋める。そして安心すると同時に父の心中を想った。これでは、父が苦労するはずだ。日記の中で母が父への疑問を綴る度に、もどかしくてたまらなかった。この人は多分、スピカと同じくらい──いや、もしかしたらそれ以上かも──『たち』が悪い。

 父はきっと誤解して──僕がスピカに聞けなかったのと同じように母に聞くことが出来なかったのだと思う。母が死ぬまで聞けずに悩み続けて、母が死んで真実を知る事が出来なくなり、そして未だに悩んでいる。

 父の気持ちが僕にはよく分かる。──聞く事で、疑っている事を気づかれたくないのだ。それを知られるのが何よりも怖いのだ。

 父は言った。疑っている事が「リゲルを愛していない証拠のように感じた」と。だから、君を信じてると、自分にも彼女にもいい聞かせ続けている。まるで愛の言葉のように。そんな父が今の自分と重なりすぎて苦しくなる。


 僕は胸の痛みを吐き出すと、日記にもう一度目を落とす。当たり前と言えば当たり前なのだけれど、母も昔は少女だったんだと実感する。18の頃の母が微笑ましすぎて、そしてその悩みが──こんな事母に向かっては相応しくないけれど──あまりにも愛らしくて、ひどく気恥ずかしかった。

 これは僕の知っている母の顔とは違う顔だ。一瞬そう思ったけれど、すぐに否定した。いや、──違うか。僕は急に幼い頃の事を思い出す。母が僕に語りかけてくれた言葉や、その時の表情を。父の事を話すとき、母の顔はまるで少女のように華やいでいなかったか? ──そう、この日記のように。


 父がこれを読んでいないのは明らかだった。だって読めば分かるだろう? この中に綴られている想いが一体誰に向けられているのか。

 父がそれを知らないのがひどく哀れに思えた。父の不器用さや母の鈍さが切なかった。


 ──父上。母上は決してあなたを裏切ったりしてません。僕は、まぎれもなくあなたの子供です。


 早く伝えてあげたい、心からそう思った。

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