第10章 過去の隠し場所(8)
イェッドはなかなか見つからなかった。
もう夕刻になり、降り止まない雨のせいで外は暗くなりかけていた。街中を探してもらったというのに、彼の影は見つからなかった。
僕は痺れを切らしてシュルマにルキアを頼むと自分で探しに出かける事に決めた。髪を束ねると帽子の中に突っ込み、腰に剣を佩く。少し悩んだけれど結局矢筒を背に背負い、弓に弦を張る。一週間ほど引いていないのだけれど、左右に軽く引き分けると腕と背中の筋肉がすぐにその緊張感を思い出した。剣を持ったときよりもやはり、馴染む。
防水された厚手の上着を被る。
「──お待ちください!」追いすがるシュルマを振り返ると、腕の中にはルキアがいない。驚いて見ると、シュルマは既に出かける準備をすませていた。
「ルキア様は姉に預けて参りました。──どうしてもと言われるのであれば、私をお連れください」
僕は去年の事を思い出す。そうだった。彼女は見かけより随分腕が立つのだ。言っても聞きそうになくて仕方なく頷く。入り口に居た侍従に屋敷の警備を固めるように言付けると、弓を被るようにして体に沿わせる。屋敷の入り口に出来た水たまりを大きく飛び越える。
町中に居ないというのであれば、心当たりが、一つだけあった。限られた人物しか知らない、その場所。
僕とシュルマは林の中の獣道を駆ける。足下が悪い。伸び放題の長い草や蔦に足が取られる。水たまりでは泥が跳ね、頬に張り付くけれど、それは大粒の雨ですぐに流されていく。
やがて突然のように視界が灰色に開ける。ツクルトゥルスの広い大地は一面夏の野草に覆われていた。小さな花々は雨に打たれその花を閉じ、項垂れている。
色彩を欠いたその場所は、思い出を欠片も残していない。僕の知っている緑の輝きは雨で黒く塗りつぶされていたけれど、今はそれがありがたい。感傷に浸る暇はない。
一点、ぽつんと暖かい色が見えた。目を凝らすとそれは僕が向かおうとしていたその場所。小高い丘の上に石の影が二つ。その脇にある大きな木の下に炎の色がある。人影は──二つ。小柄だけれど、線が固い。男のようだった。そして──どちらも僕の知っているイェッドの形とは大きく異なった。
──イェッドじゃ、無い? じゃあ、あれは一体?
直感が耳元で囁いた。
『あれは、敵だ』
体に緊張が走る。僕はシュルマに指示を与え後ろに下がらせる。弓を手に取ると、矢をつがえ、草の影に隠れる。
アルフォンスス家は警備を固めている。ならば証拠を求めてこの街に潜入している、僕を邪魔だと思っている人間はどう動くか。僕ならば、次に『ここ』を狙う。
草の影で膝をつくと、右膝を立てる。そうして弓をそっと打ち起こすと、じわりと背中を割る。きり、と弦が伸びる音が雨の隙間を縫って耳へと届く。左手の親指の付け根と弓の交わる場所には松明に照らされた足の影が飛び込んだ。
ここは、僕とスピカの思い出の場所。──こんな風に汚されるのはまっぴらだ!
親指を押し込むとヒュンと風を切って矢が放たれる。
遠くで固い音が上がる。「ひっ」という小さな悲鳴も同時に上がり、影が強ばるのが分かった。様子を伺うと狙い通り──矢は足下に刺さっている。そして、その身のこなしを見る限りは──
「誰だ!!」
木の影に置かれていた松明が取り上げられるのが分かる。彼らの目が慣れる前にと、僕はすぐさまもう一つ矢をつがえると、今度は狙いを少し上に変えた。
ギリと引き絞ると、息を腹に落とす。──今すぐ、そこから、去れ!
放たれた矢がぽつんと灯っていた松明の明かりをその腕から連れ去った。さすがに先の一矢が外れたのは威嚇だと分かった様で、今度こそ人影は飛び上がる。そして悲鳴を上げながら一目散にその場を駆け出した。僕はその場に伏せると足音が目の前を去るのをじっと待った。
直後ドサッという重たい音。僕はそれを聞くと腰に佩いた剣を抜く。
「ひぃぃ……」
シュルマが蔦を使って作った即席の罠に足を取られた二人組を、僕とシュルマが挟み込む。
「──誰に頼まれた?」
「い、いえ、わしらはっ」
見下ろした男達はそのなりから街の人間だと思えた。若干言葉に北部の訛りもある。僕が剣を突きつけている間にシュルマが手早く男達を蔦で縛り上げた。
「墓荒らしは大罪だよ? しかも前后妃の墓だと分かっていたんだろう?」
「えぇえ!?」
僕は半ば呆れてため息をつく。この分じゃ、つついても大した情報は出て来ないだろう。
シュルマと二人で、男達を木の幹にくくりつける。そしてシュルマに見張りを頼むと一人小高い丘の上へと歩き出した。
丘を登り終えると、雨で冷えた体をさすりながら木の下へと移動した。そしてまだ辛うじて燃えていた松明を拾い上げ、木を見上げる。
「逃がしてしまわれたのですか」
「……居ると思ってたよ」
聞き覚えのある声にいろんな意味でほっとした。やっぱり。此処しかないと思っていた。──彼は実践には向かないから、尾行するつもりで黙って見ていたのだろう。
イェッドがそろそろと太い枝から身を下ろすのを手伝う。地上に降り立ったイェッドは安心したように大きく息をつく。
「この木が丈夫で良かったですよ」
「昔からあるからね」
僕は木を見上げる。この木も随分と大きくなったと思う。母上が居なくなったあの時も、僕を見守ってくれていた。
「しかも葉が大きいのであまり濡れずにすみました」
確かにずぶ濡れで泥だらけの僕が滑稽なくらい、イェッドはまともな恰好をしていた。
「……彼らは土地の人間だった。誰かに頼まれたのかな」
武装していないのがすぐに分かった。彼らは単なる墓荒らしだ。おそらく何も知らせずに荒らさせておいて、その成果を奪うつもりだったのだろう。
「おそらくここに宝が埋まってるとでも教えたのでしょう。あとで吐かせます」
僕は頷く。イェッドが意外そうに眉を上げると、ちらりとシュルマがいる場所を見下ろした。
「見逃せとおっしゃるかと思いました」
「……僕はそこまで甘くないよ。自分のやった罪くらいは償わせる。──ともかく、ここが無事で良かった」
見下ろした場所には二つの小さな墓。
母の墓と、ラナの墓が少し間隔をあけて据えてあった。
ここは──僕とスピカが将来を誓い合った、大切な思い出の場所だった。
「……完全に無事とは言えませんが……。申し訳ありません。一人で止めるは無謀かと思いまして」
イェッドが珍しく謝る。その視線の先を見て頷く。墓石が外され、ぽっかりと暗い穴が開いていた。これが母の墓でなければ逃げ出したくなるような闇の色。
「いいんだ。向き不向きってものがあるだろう? ……イェッドもここが危ないって気づいたんだ」
「ええ。朝から張っていました。見張りをつけるにしても……この場所は特殊でしたから、あまり仰々しく警備するのは逆に危険かと思いまして」
確かに、この場所を知っているのはごく僅かな貴族だけ。狙ったというだけで自然犯人の顔は割れてくる。だからこそ墓荒らしを装ったのだろう。
──さて、何が出てくる事やら。
僕は何人かの顔を思い浮かべながら苦笑いする。さすがに、この行為は許す事は出来ない。それなりに覚悟してもらわないと。
そして外された墓石をイェッドと二人で元通りに戻そうとして、中にあったものに目が止まった。棺の上には、母が愛用していたのだろう、古くなったドレスや宝石類、それから色あせ埃をかぶった造花達。それらに埋もれるようにしてぽつんと置かれているものがあった。何かに誘われるように取り出して、雨を避けるため木の下へ移動する。時が経ち脆くなった戒めが、触れたとたんにぽろりと外れた。それはまるで──この時を待って居たかのようで。
恐る恐る広げる。燃え尽きようとしている松明の僅かな明かりを頼りにそこにある文字を追う。
「これ……」
つられてイェッドも後ろから覗き込んだ。
「これは──」
『シャヒーニが残したものがお前を滅ぼそうとするならば──リゲルがきっとお前を守ってくれるはずだ』
父の声が耳に蘇る。僕は手の中の冊子をパタンと閉じると、その古い皮で出来た背表紙を手のひらでそっと撫でた。
沸き上がる感情が抑えきれず、口から熱い息となって漏れ出る。視界が僅かに白く曇る。
これがどんな結末をもたらすかはまだ分からないけれど……どうやら決着がつきそうだ。そんな予感がした。
体に震えが走る。誤摩化すように僕は頭を振って無理に笑みを浮かべた。
そしてふと思う。──僕はこのところ、随分とこれに縁があるらしい。
それは母の日記だった。