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第10章 過去の隠し場所(5)

 ベッドで静かに眠るルキアの隣に寝そべると、その柔らかい頬にそっとキスをした。長い長い睫毛が燭台の炎に金色に輝く。

 その寝顔は──スピカにとても良く似ていた。

 驚くほど穏やかな気持ちで眺めていられた。ルキア──この子は、僕の大事な息子だ。かけがえのない僕とスピカの宝物だった。

 自分に言い聞かせるのではなく、何の無理もなく、自然とそう思えた。


 無事で良かった────

 今、心に残る想いは、ただそれだけだった。



 後をシュルマとサディラに任せ、僕は部屋を出ると、暗い廊下を少し急ぎ足で進む。

 燭台の明かりが灯ったままの応接間ではイェッド、オルガ、フィリスの三人が静かに茶を飲んでいた。その気負いの何もない寛いだ空気は家族そのもの。味わった事のない雰囲気を少し羨ましく思う。


 後をイェッドに任せて帰ろうとする彼女達を僕は引き止めた。イェッドは僕の疲れを見て取り、明日にすれば良いと言っていたけれど、せっかくだから少し話を聞きたかった。あんな事があったとしても、僕たちに時間がない事に変わりがないのだから。

 彼らは、──特にオルガはずっとツクルトゥルスで医院をやっている。だからもしかしたら昔の母の事を何か知っているのではと思ったのだ。


「待たせた」

「どうでしたか」

「よく寝ていたよ。もう大丈夫かな?」

 僕の問いかけにオルガが答える。

「中毒症状が出ませんでしたし、おそらく後は自然と出て行くでしょう。明日また様子を伺いに参ります」

 ほっとして椅子に座る。そして直ぐに本題に入った。

「──オルガは母が出産するとき、立ち会っていないのかな」

 僕の産まれた時の事はおそらく無理だとは思っていたけれど、念のため聞いてみた。

「……ええ。お妃様は皇都で出産されましたから。宮には宮の産婆がおります。私が診るのはツクルトゥルスの妊婦と幼児だけです」

「そうか……オルガは妊婦と幼児しか診察しないのか……じゃあ、母上の事は……」

 さっきそれが専門って言ってたか。となると、母が診察を受けたとは思えない。診てもらったとしてもまだ子供の頃。待ってもらったのに無駄だったかもしれないと少しがっかりする僕にオルガは意外な答えを返した。

「リゲル様? それならば一度だけ診察をした事がありますが」

「え? でも」

「──『花火』ですよ」

 花火? きょとんとする僕に、オルガは少し笑顔を見せた。

「あれは何年前でしたかね……花火が暴発して、街中が騒ぎになって大変だったのですよ」

 聞いた事のない話だった。

「それって僕が産まれる前の事?」

「そうですね。確か────そうだ、ああ、花火が『火祭り』の時だけにと決められたのがあの後すぐでしたから……ええと……あれはそうですね、まだ皇子がお生まれになっていなかったという事は……」

 オルガがしばらく指折り数えたり、フィリスに何かぼそぼそと尋ねたりしていたけれど、やがて答えた。

「17年前……ですね」

 期待していなかった分、衝撃が大きかった。手に汗が滲む。思わず身を乗り出す。

「──もうちょっと詳しく聞かせてくれる?」

 オルガは頷くと天井に目を泳がせながらぽつり、ぽつりと語り始めた。

「昔は花火も年に何回か打ち上げられていたのです。しかし、あの騒ぎがあってから『火祭り』の時だけと定められました。医師にとってはありがたい話でしたがね。花火が上がるごとにあの事を思い出してヒヤヒヤするのは嫌でしたから」

 オルガはイェッドをちらりと見ると補足する。

「毎年火祭りのときにイェッドを借りるのは、そのためですよ。万が一何かあった時に人手が足りないと悲惨な事になりますから。あの時は本当に大変でした。ただの産婆だった私も、あの時を境に真面目に医学を勉強しましたからね」

「ただの産婆?」

「ええ。昔は私はお産だけを扱っていて。あのときはちょうどリゲル様が里帰りをされていらして……リゲル様は花火がお好きだったようですね。よく時期を合わせて帰って来られていました。陛下もハリスへの視察をその時期に合わせられていて……あまりに分かりやすかったので覚えております」

 オルガが少し呆れたように息をつく。ええと、なんだかその公私混同すれすれの行動、凄まじく身に覚えがあるんだけど。自分の事を呆れられている様でひどく気まずい。

 思わずちらりとイェッドを見ると、彼はもの言いたげに僕を見つめていた。その目が言っている。──さすが親子、血は争えない。

 僕は慌てて目を逸らすと、話も逸らした。

「それで?」

「ああ、脱線してしまいましたね。……リゲル様がその時に怪我をされたのです。大きな事故でしたから、患者が街中溢れていて、医院からあぶれた患者が私のところにも回って来ていました。と言ってもそんなにひどいものではありませんでしたが……一緒に居た護衛の騎士が随分と慌ていて」

 一瞬何か、嫌なものが耳に張り付いた気がした。

 オルガは僕の様子に気が付かないまま、何か思い出したようにひっそりと笑う。

「そうそう、リゲル様は全身びしょぬれで運び込まれて来たのですよ。火傷は手の甲の軽いものだったというのにね。付き添いのその男は手当をしてようやく落ち着いてくれたけれど……まるで新妻を思う夫みたいで。まあ、それはそうですね、大事な妃に何かあればクビが飛びます」

「母さん……そのとき、陛下は?」

 イェッドが青い顔をしていた。彼も初めて聞く話だったようだ。

「お話ではお仕事でハリスにいらしたようで」

「その……護衛の騎士って……」

 ──その先を聞いてはいけない! 耳元で誰かが叫んでいるような気がした。でも口が勝手に動いていた。

 父が母に疑いを持つ理由。『囲って閉じ込めて、始終監視していなければ』父のその言葉を不自然に思ったのだ。宮に居ればその状態なのだから。監視できないのは……宮から出た時だけ。父はどこかで母から目を離している。まさか、それが────

「あまり良くは覚えてませんね。オリオーヌの騎士団の制服を着ていましたから、騎士団の一員でしょう。あとはとにかく必死ということしか」

「……手当の後、母上はどうされた?」

「騎士に付き添われて屋敷に戻られましたよ」

「その話は誰かに話したのか? 父上に?」

「え、ええ。翌日再診に伺ったのですが、その時に陛下にだけお話しいたしました」

 僕はイェッドと顔を見合わせた。身の証を立てようとここに来て、僕が掴もうとしている証拠は、逆に僕を窮地に追い込むものなのかもしれない。

「季節は……いつ頃の事だったかって分かる?」

 少し声が震えた。僕は瞬時に計算していた。僕が産まれたのは夏の終わり。そして一番聞きたくない答えがオルガの口から漏れた。


「──冬でしたね。火傷より風邪の心配をした覚えがあります」


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