第9章 籠の鳥(4)
「────え?」
思わず放心する。なんて言ったの? この王は、今。
ぎり、とルティの歯が軋む音が聞こえた気がした。
「この女は、俺のものです」
ルティはもう一度力強く言った。
「しかし、お前は『あやつ』を説得できずにいるのだろう? あやつを黙らせぬ限り、お前はこの娘を娶る事が出来ない。私なら、あやつの言う事など気にせずにすむがな。今更側室の一人や二人増えても何も言うまい。それに、利用価値を言うならば、私が娶った方が即戦力となる。──お前はまだ王位を手にしていないのだからな」
「……彼女は渡せません。あなたは──なぜそうやって俺が必死で手に入れたものを奪おうとするのです! 昔からずっとそうだ!」
冷静な王子の顔を剥がすルティに、王はにやりと笑う。
「それは、私が王だからだ。──嫌ならば、早く玉座を手に入れるんだな。かつて私がやったように」
「『かつて私がやったように』?」
あたしは思わず口に出していた。吐き気が堪えられない。何? だって、それって──
王がこちらに目を向ける。そして子供に言い聞かせるかのように語りかけた。
「娘。なぜ私がこの若さで玉座についていると思っている? ──アウストラリスの玉座は簒奪によって若返るのだよ」
「簒奪って……」
頭の芯が熱を持つ。アウストラリス人が好戦的な事は学んで知っている。それに、ジョイアでだってそういう事は過去にあったはず。でも頭でそう知っていても心が付いて行かない。目の前の人間が自分の肉親を? しかもこの人は──ねえ、母さん、嘘でしょう? 本当にこの人を愛していたの? ──いや、これ以上考えたくない!
「父は、王位の継承が決まったあと、すぐに前王の政権を倒した」
ルティはただそれだけ呟いた。
「前王って……ルティのお祖父さん?」
吐き気を必死で抑えながら呟くと、王は軽く笑って説明した。
「いや、私の叔父だ。私の父は継承権争いに負けてしまってね。アウストラリスでは父から子にそのまま玉座が継がれる事はまれだ。ルティリクスの場合は……特殊なのだよ。──こいつが他の継承者をことごとく潰してしまったから」
「潰して……?」
「なぜ数多くいる継承者の中で、歳若いルティリクスが継承権を手に入れられたか……娘、そなたならよく分かるのではないか? 異国の地から連れて来られたそなたならば」
「……」
すでに喉が干上がっていた。想像は、ついた。急激に思い出す。ツクルトゥルスであたしを乗せてくれたあの行商人達は一体どこに行ったのか。兵士達は逃げたと言ったけれど──父の状態を見れば、とてもそうは思えなかった。……生臭い臭いがどこからか漂うような気がする。それは──血の臭い? あんたはやっぱり──既に道を踏み外してるの? やり方を変えてっていうあたしの言葉は、全く届かなかったってことなの?
是非を問いたくて見上げてもルティは何も言わず、王を睨みつけている。
「血は争えぬという事だ」
ひっそりと冷たく笑うと王は急に話題を変えた。
「──ところで、娘、そなたの名前は何と言う」
「……」
ルティの様子を伺う。彼はあたしに目をくれる事もせず、やはり王を睨みつけたままだった。
答えていいのか判断がつかないまま、結局あたしは口を開いた。
「スピカです」
「ジョイアの名だな──かの地の豊穣の女神か。良いな。アウストラリスはジョイアの女神を手に入れ、──そしていずれジョイア自体も手に入れる」
王がジョイアと口にする度に部屋の温度が冷えるような気がした。この国全体のジョイアへの恨みの元はここから発しているような、そんな気さえした。
「……そんな事──絶対にさせないわ」
あたしは無意識に低く呟いていた。そして王を睨みつける。放心していた心が今の言葉で一気に自分の中に戻ってくるのを感じる。──シリウスを傷つけたら、許さない。
「は、美しいだけかと思っていたが、なるほど、なかなかいい目をするではないか。だが──お前はもともとアウストラリスの人間だぞ? 国のために働くのは──」
そこまで言って王は何か喉に詰まったような様子になる。急激にその表情が固まり、王の目はあたしをすり抜けて壁を見つめだす。さっきまでの威厳のある顔が嘘みたいな、途方に暮れた、子供みたいな顔。──心がどこか遠くを彷徨っているようだった。
あたしは妙な既視感を感じて、王の顔を注視する。──なんだか、この表情をどこかで見たような……
「──『国のために働く』?」
ルティは王の様子に「潮時か」と小さく呟き、あたしの手をとり頭を下げた。
「とにかく……今日はこれで失礼します。俺はスピカを妃にします。貴方がそのつもりならば、俺もそれなりの覚悟をすることにします」
ルティの捨て台詞だけを残して、あたし達は放心する王を置いて部屋を出た。