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第9章 籠の鳥(3)

 この城はジョイアの宮と随分と造りが違っていた。山頂に建てられたジョイアの宮が特殊だったという理由もある。おそらくこのエラセドの城が世界の中では一般的なのだと思った。

 エラセドに入るときに見た町を取り囲む厚く高い壁。街の中心の丘にそびえ立つ城は、その中心の本宮がいくつもの塔の中でもひと際高く作られていて、それはまるで白く輝く剣だった。その一振りの剣は、権力を知らしめるかのようにに、天をまっぷたつに突き破っていた。

 あたしは塔と本宮を繋ぐ回廊をルティに手を引かれて歩いていた。

 歩く度に足下の石が硬い音を立てる。石造りの建物が多いこの地域の例に違わず、城も多くの石を使って作られていた。違うのは石の質。研磨された白い石が敷き詰められた廊下はまるでそれ自体が鏡のよう。壁も同様の石が隙間無く積み上げられていて、所々大きく開いた隙間には色の着いたガラス窓が埋め込まれていた。

 太陽の光が窓から色付けされて差し込み、廊下に色とりどりの華を描きだす。

「ステンドグラスだ。この国でもこれだけの量を一度に見れるのはここしかない」

「……」

 少し誇らしげなルティの説明にも、何も言わずに床を見つめた。その美しい光景は、あまりに胸に痛かった。部屋の床。映し出された黄色い花達が昨日の事のように瞼の裏に浮かび上がる。

 思わず髪に隠れた耳たぶを触る。

 あたしは、こうして何かを見て彼らを思い出す度に、身を焼かれ続ける。そしてシリウスを信じなかった事を、一生後悔し続けるのだ。

「何か思い出したのか? 喜ぶと思っていたんだが。なかなか見れる光景じゃないはずだし……」

 柔らかい声色に顔を上げると、少し不満そうなルティの顔がある。

「──そういえば、ジョイアから一枚特注があったと言っていたけど……あいつか。色にも絵柄にも注文をつける客は珍しいんだ……くそっ」

 急に悔しそうに歪む顔を見て呆れる。馬鹿だわ、こいつ。女心が分かってる様で全く分かってないじゃない。

「あんたに見せてもらっても嬉しいわけ無いでしょ」

 強がったけれど、声は力を持たなかった。──特注……その言葉に動揺した。やっぱり。あの黄色の花は──

 がつんという音に顔を上げると、ルティが壁を思い切り蹴り付けていた。あたしは不思議に思う。

「何をそんなに悔しがる事があるの」

「なぜそんな事を聞くんだ? 君は、俺が求めているものを知っているはずだ。好きな女の喜ぶ顔を見たがるのは当たり前だろう」

「……あんたは……あたしのこと、好きじゃないわ。だって、シ」

「──誰と比べてる」

 怒りの籠った声に遮られる。その冷たさに、背筋が伸びた。

「俺とあいつを比べるな。虫酸が走る」

 茶色の瞳に射すくめられる。

 ──比べてる……か。でも、しょうがないじゃない。あたしは、きっと彼を一生忘れられないんだから。

 こうして他の男を前にすれば、どれだけシリウスが特別だったか分かる。手放してみて分かるなんて、本当に馬鹿みたい。

 あたしは、いつも彼を失って初めて自分の身勝手さに気が付く。いつでもそうだった。

 彼の暖かさはじわじわと身に染みついて、その中にいる事を忘れさせてしまう。まるで水や空気みたいに、存在感を無くして、あって当たり前のものに姿を変えてしまう。彼の愛は主張をしない。これだけ愛してるんだからと見返りを求めない。それどころか、与える事だけに満足しているような気がする。──あたしをそんな風に愛してくれるのは、彼以外には居ないのだと思う。

「泣くな」

 ルティは、そう言うと、あたしの頬を親指で拭う。

「怒って悪かった」

 心底困ったような顔が懇願する。──そうだった。この男は唯一女の涙に弱い。泣きそうな顔をするだけでも動揺して、取り乱し始める。なぜか昔からそうだった。その弱みに助けられた事もあったわね……そんな事を思い出す。

「親父が驚くだろう? ほら、泣き止めよ」

 おろおろと赤い髪をかきあげるその仕草はどこか少年めいていた。暴君の顔があっという間に消え去り、抱いていた怒りが溶け始めるのを感じて、焦る。ああ、もう。そんな顔をされると、あたし、だめなんだから。お願いだから、ずっと嫌な男の顔をしていてよ──

 あたしはなんとなくその顔を見ていたくなくて、無理矢理涙を飲み込んだ。

 あ、あたしって、どうしてこう、すぐにほだされちゃうのかしら……相手はあのルティよ? どうかしてる。

「よし、それでいい」

 ルティはようやくいつも通りの顔を取り戻す。そして、目の前で謁見の間の扉が開かれるのを見て、急に思い出したようにあたしに忠告した。

「分かっていると思うが、一応言っておく。──父の目の前で、ラナの名は厳禁だ」



「入れ」

 低い、鋭い声が響く。ルティの声によく似た声だった。

「連れて参りました」

 ルティが珍しく低姿勢。相手が相手だけに当たり前なのだけど、普段の彼からは想像できなくて、戸惑う。

 彼に習い、両の膝を折り、頭を足れた、アウストラリス様式の礼をとる。

 ──この人が、母さんの……

 そう思うと顔を見たくてうずうずとした。ルティに似てるのよね、確か。あたしはシトゥラで見た肖像画を思い出す。あの絵は一色で描き上げられていたから、雰囲気しか掴めなかった。だからあたしは、なんとなくアウストラリスの王がルティと同じ色をしていると想像していた。

「顔を上げよ」

 力強い声に誘われ、顔を上げ、──息が止まった。

「え──」

 かち合った青い瞳が見開かれる。──え、うそ? この人がルティのお父さん?

 目の前の、男性は、あたしの予想より遥かに若かった。歳は……おそらくいくら多く見積もっても三十代半ば。四十になろうと言う父よりも随分年下に見える。確かにルティとよく似ていた。だけど、確実に色が違った。それは、シリウスとルキアの色の違いくらいで、親子と言われても一瞬信じられないほど色素が違った。

 アウストラリスの王──ラサラス王は、深い青い瞳に、金色の髪をしていた。その髪の色はまるで──蜂蜜のようで。

 あたしは思わず自分の髪を握りしめる。

「は、これは驚いた。未来の娘かと思って楽しみに待っていたが──」

 ラサラス王は、言葉通りに驚愕の表情を浮かべたまま、慌てたようにあたしの前に玉座から駆け下りて来る。

「これでは、嫁がずともそのままで私の子だ」

「シトゥラの娘ですから、当然かと。母上によく似ているでしょう」

 ルティが王の態度に怪訝そうに顔を歪ませながら、王とあたしの間に割りこんだ。

「シトゥラか。誰の娘だと言っていたか」

「母の従姉の一人です」

 ルティは名を言う事無く、短く答える。

 あたしは、思わずじっと王の顔を見つめる。そしてルティの忠告の意味を理解する。

 ラナの名は厳禁って、そうか──

 シトゥラで大伯母カーラから聞いた話を頭の隅で思い浮かべる。

『記憶は消えはせんのだよ。ただ心の奥深くに潜り込んで、思い出せなくなるだけだ。きっかけさえあれば、思い出すこともある。……ラサラス王がラナを思い出さないのは、彼が思い出すきっかけを全部封じ込めたからだ』

 ──きっかけ……。もしこの王が『ラナ』と言う名を聞けば、彼は母さんを思い出したりするのかしら。

 そう思ったけれど、あたしは結局それを自分で否定した。彼らが恋仲だったのは20年近く昔の事だから思い出す事も無いだろうと思う。そして、万が一王が思い出しても、今更だ。母さんは居ないのだから。


 王は、ルティがせっかく作った距離をすぐに縮め、あたしの手を取る。熱く固い手があたしの手をしっかりと握る。

 見つめる目が妙に熱く輝いている様で、あたしが思わず怯むと、ルティが王の手をやんわりと退け、今度ははっきりとあたしを背に庇った。

「父上」

 ルティの咎めるような声に王がはっとする。

「お分かりでしょうけれど、……この女は俺のものです」

「……分かっている、もちろん」

 そう言いつつも、その声に力がこもらないのが気味が悪い。──コノ目ハ、キケンダ──心の奥で警鐘が鳴り、慌てて目をそらした。俯いた頭の上から低く熱を帯びた声が降る。

「だが……娘、おぬし、前に私と会った事はないか?」

「会うわけが無い! この娘はジョイアの皇太子妃です。生まれも育ちもジョイアで、──エラセドには今回初めて足を踏み入れたのです」

 思わずのように声を荒げるルティが怖かった。彼は怯えて始めている。そうだ、ここはアウストラリス。『力』で奪う事を美徳とする──そう言っていたのはルティ本人だった。この国で、王位を継ぐ事が決まったルティよりも力を持つのは……この王一人。

「ジョイアの皇太子妃?」

「そうです。報告したでしょう。だから、わざわざ危険を冒して手に入れた。この娘は、力を持ち、その上──皇太子の名を知っています。利用価値を考えても、俺の妃・・・に最適です」

 ルティが何かを恐れているのが、その力の入り具合から分かる。まさか──この王は

 あたしの心に恐れが染み付いた瞬間だった。

 突然、それは告げられた。


「それならば、お前でなく──私の妃にした方がよいではないか?」


 まるで、決定事項のようだった。


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