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第9章 籠の鳥(2)

「王子」

 扉の向こうから遠慮がちな声が上がる。

「ああ、分かっている」

 ルティは鬱陶しそうに赤い髪をかきあげると、あたしの足下にかがみ込む。そして体に張り付く長い服の裾を少し上げると、その大きな手で足首に触れた。

「な、何?」

「親父が会いたいってさ」

 細い鎖が絡まってなかなか外れない。じゃらじゃらという重い音だけが部屋に響き渡る。

 彼は忌々しげに舌打ちしながらも、あたしの足に傷がつかないように丁寧に鍵を外している。そうしながら念を押した。

「──逃げるなよ」

「……」

「逃げれば、分かってるだろう? この間は見逃したけれど、今度は許さない」

 部屋までも冷やす氷のような声に身体が固まる。

 ──忘れているわけではない。父の事は。

 あたしは、エラセドに着いた後、何も出来ない事に焦り、少しでも情報が欲しくて力を使った。そして、食事の乗ったトレイから入って来た侍従たちの言葉が、あたしを動かさずにはいられなかった。


 二人の侍女があたしの食事を配膳しながらおしゃべりをしていた。

 トレイに乗せられる料理が目に入る。アウストラリスの北、山を越えた遠い『海』で穫れる大きな魚などは、あたしもこの王宮に来て初めて口にした。塩漬けにして保存されたものはジョイアでも滅多に口にする事が無い。稲作に適さないこの土地では珍しく、米を使った料理も多く乗せられていた。この国の貧しさは王宮には関係のない話のようだった。

 時折、彼女達がこっそりとつまみ食いをしている。その細い腕から、おそらく彼女達は普段、あたしに与えられる食事と全く違うものを食べているのだと思われた。


 『また処刑ですって』

 『ああ、ジョイアの間者でしょう?』

 『それなら仕方ないわね、私たちの国に害をもたらすのだし、国のため犠牲になってもらわないと──』


 この国の人は、ジョイアの人間に対して、悪感情を持っている。それは昔シトゥラに捕われた時に何となく感じていた。ルティの行動からもそれは見て取れる。

 国から植え付けられたものなのかもしれない。細い国交を続けていた間に、誤解が生まれてしまったのかもしれない。それはジョイアの国民がアウストラリスの国民に抱く感情とは異なり、あたしはひどく気まずかった。

 青過ぎる隣国の土地への羨望、それは妬みへと姿を変えている。

 ジョイア自体に罪があるわけではない。だけど、その差は同じ人として生まれて来て、あまりに眩し過ぎる。

 もしあたしがシトゥラでずっと育っていたら──同じように考えるようになったのかもしれない。欲しいものを得るために、利用できるものは全て利用しようと思うようになったかもしれない。


 そして彼女達の話は続く。──父については、そういった悪感情だけがつきまとっているわけではなかった。あたしは、初めて、この国で自分たちがどんな風に見られているのかを知った。


 『ルティリクス様がお連れになった女性、あの方はシトゥラのラナ様の忘れ形見だそうよ』

 『まあ、ラナ様って、次期当主になられるはずだった? あの誘拐されて行方知れずの?』

 『そうなの。ラナ様がジョイアの男に拐されて、どれだけ国が困窮したかを思うと──』

 『ほんとうに、あれから国は貧しくなるばかりで』

 『そうそう、その男、今シトゥラに捉えられているそうよ? どうして早く処刑してしまわないのか謎だわ』

 『まだ利用価値があるという事なのじゃないの?』

 『でも、もうシトゥラは欲しいものを取り戻されたのだし──時間の問題なのかしら。お二人のご結婚と同時に──、なんてこともあるかもしれないわね』


 侍女達はそんな恐ろしい話を、仕事の合間に、まるでただの世間話のようにしていたのだ。彼女達は始終笑顔だった。同じ血が通う人間の命を取ろうという話を、ごく平然と話していた。

 罪人は──人ではないのだ。

 思い出す。

 ジョイアで罪人の扱いがどれだけひどかったか。

 あたしは殺人事件の犯人として牢に捉えられたときに、その現状を見たはずだった。

 生臭い水、固く黴の生えかけたパン。部屋の隅に汚水の溜るじめじめとした部屋。湿った黴臭い毛布──

 それらはシリウスが皇太子となった後、随分改善されたのだけれど、予算の捻出に彼は頭を悩ませていた。罪人の待遇を上げるために税を取るというのは、世論がなかなか許さない。結局は彼のために用意された予算をそちらに回すように手配していた。

 あの裕福なジョイアでさえ、そんな現状なのだ。貧しいアウストラリスでの父の扱いを考えると──一日でも早く助けないと大変な事になると思った。


「父は──元気なの」

 あたしは問う。縋るように足下の赤い髪の頭を見つめる。

「ん? あぁ……どうだろうね。死んだと言う話は聞かないけど」

 彼は何の興味も持たない感じでそう言った。怒りで頭が煮える。声が震える。

「もし──父が死んだら、あたしも死ぬから」

「じゃあ、死んだとしても内緒にしておくよ」

 必死の脅しを軽く躱されてあたしは身動きが取れなくなる。

 あたしは父が生きていると聞けば、何としても抜け出して助けに行きたいと願うし、死んだと言われればここにいる理由を無くして──おそらく自ら命を絶つ。どちらの情報を貰ってもルティから逃げようとする。だから彼は父に関する情報を一切与えない。生きてるとも死んでるとも教えてくれない。分からなければ動きがとれない。彼はそうして、一筋の希望という鎖をつけて、この籠の中で、あたしを一生飼うつもりなのだ。

 彼は知ってる。あたしが父を捨てない限り、ここに留まり続けるしか無い事を。

 あたしがいつまでも彼を拒めば、そのうち彼は父の命をちらつかせる。そのときは、父の命がもう無かったとしても、あたしはきっと彼を拒む事は出来ない。

 左手をぎゅっと握りしめる。ここに来て、なんて──使えない力。

「悔しいだろう? 君は──俺の心は読めない」

 あたしの心を見透かすようにルティは笑った。

「それにもう、君には他の誰も触れさせないから──レグルスのことは教えてあげないよ」

 カチリと鍵が外れ、ルティはあたしをそっと抱き上げた。金色の髪が風に煽られる。見上げると茶色の瞳が甘く輝いていた。

 唇が触れる。端正な顔が押し付けられる。そして、吐き気のするような熱を残して、離れる。あたしは、彼のする事を、目を開いたままじっと見つめていた。──こんなの、キスじゃないんだから。シリウスがしてくれた事と同じなんて、絶対認めないんだから。


 ルティは濡れた唇をゆがめて、にやりと不敵に笑う。


「それじゃあ、行こうか──俺のお姫様」


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