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第1章 兆し(3)

「産まれれば、また元通りなんだ……」

 僕が自分を励ますようにそう呟くと、イェッドが呆れた声をだす。

「何を言ってるんですか。そんな訳無いでしょう」

「なんで?」

「産まれたら、子供の世話は誰がするのです」

「……………誰?」

 そういえば、乳母はもう決まってるのかな。何も聞いてないけど。

「……スピカ様ですよ。当然でしょう」

 は? スピカ?

「え、乳母は」

「あなたに乳母は居ましたか」

「…………」

 そう言えば居ない。ミルザには居たのに。…………ああ、そうか。

「そうです。彼女の実家にはそれだけの力が無い」

 そうだった。乳母は……妃の実家が用意するもの。娘の妊娠に合わせて、丁度乳飲み子を持つような母親を用意できなければならない。そんな手間は、力のある貴族だから出来る事で。

 アルフォンススで出来なかった事が、スピカの実家に出来る訳が無かった。

「レグルスに聞いても、丁度良くそういう親戚とかいないのかな」

 僕が思わずぼやくと、イェッドはさらに呆れた。

「居る訳無いでしょう。彼は────」

 イェッドはそこで言葉を切ると、誤摩化すように咳をした。そして続きを気にする僕が耳を疑うような発言をした。

「……ともかく、産まれて一年は、夫婦の時間は諦めた方が賢明ですよ」

 なんだって?

「……今、いちねん、って聞こえたけど、何かの間違いだよね……?」

 もちろん産後すぐになんて考えていない。でも────

「いいえ? 女性は繊細なんです。子を産んだばかりの女性は、はっきり言ってそれどころじゃありません。子が乳離れするくらい育つまでは月のものも来ませんし、ということは、妊娠もしません。どういう事か分かりますか?」

「つまり、妊娠を気にせずに……」

「違います。馬鹿ですか、あなた」

 一刀両断だった。な、なんだか遠慮というものが全くなくなって来てる気がするんだけど。

 怯む僕に、イェッドは滔々と話し続ける。その顔は医師のものだった。

「性欲は本能ですからね。女としての本能より母としての本能が勝つ。つまり、そういう欲求が薄くなるってことです。あなた、そんな風ですと、お情けも貰えないですよ」

 ただでさえ、スピカはそういうのあんまり積極的じゃないってのに。僕が強引に進めないとうんと言わないって言うのに。……さらにってこと?

 愕然とする僕にイェッドは追い討ちをかける。

「基本的に、子が一番、夫はその後余裕があったら。一年はそんな感じです。ひょっとしたらそれ以降も続くかもしれませんが。……ああ、何ですか、その目は。嫉妬は無しですよ、あなたの子供なんですからね」


 僕は……二番なのか。

 だ、だめだ。受け入れられない、ソレ。

 僕は机の上の書類に顔を突っ伏した。


「さて」

 そんな僕に、イェッドがさらに口を開く。

 とどめでも刺す気かよ。恨みの籠った視線を投げ掛けると、彼はにやりと笑った。

「私は来週お休みを頂きます」

「なんだって? 聞いてないけど」

「オリオーヌで祭りがあるので」

「あ」

 僕が立ち上がると、書類が雪崩を起こした。気にせずに言う。

「僕も行く」

「お仕事はどうされるので?」

「……今から片付ける」

 そうだった。オリオーヌでは、初夏、今の時期に豊穣の女神を祭る。そしてその時期には、確か────

「スピカの誕生日だ」

 そのくらい、祝いに行っても誰も文句を言わないはずだ。いや、言わせない。

 スピカが僕より少しだけお姉さんになる日。三月くらいの間だけれど。昔それがひどく悔しかった事を思い出す。

「まったくあなたと言う人は…………」

 ぼやきながらイェッドが退出して行くけれど、僕は彼を見やる事も無く書類に目を通しだす。


 お腹、大きくなってるかな。

 そろそろ耳も聞こえるかもしれないし、お腹の子供に挨拶しないとな。おとうさんだよって。産まれてくるの、待ってるよって。

 そうだ……スピカを独り占めするのは止めてくれって……頼んでおかないと……。


 思わずそう考えてしまい、直後自分の幼稚さにぐったりと肩が落ちる。

 ……なんだか、僕、スピカの子供みたいだよな……。で、産まれて来る弟か妹かに嫉妬してるっていうか……。

 頭を振ると、僕は少しでも父親らしくと、背筋を伸ばし、書類の山と戦う事にした。


 * * *


「なんでなんだ……」

 僕は書類の山の前で頭を抱えていた。

 終わらない。終わらなかった。……仕事が。

 考えられなかった。昨日までは順調だったというのに、そう、昨日の夕方の事。

 突然の雨のようだった。大量の書簡が宮に届けられたのだ。


 何事かと思って、目を通すと……それらの送り先の大半は北のハリスと南のオルバース。どちらも「国境の街」からの嘆願書。

 ────増えている。

 僕は少し前に感じた危惧を改めて感じた。

 春先から雨が減っていると聞く。ジョイアの話ではない。隣国『アウストラリス』の話だ。

 嘆願書は、隣国からの不法入国者が増えて、その対応で応援を頼むという国境警備からのものから、違法の就労者が増えて、国内の失業者が増えつつあるというもの、それに治安の悪化や、物価の値上がり、生活苦まで様々だった。

 どうやらここ一月分が纏めて届けられたらしい。先月の倍以上のそれらに、頭を抱える。これはとてもじゃないが放置できない。


「それでは、皇子、頑張ってくださいね」

 イェッドは冷たくそういうと部屋を出て行こうとする。彼の手には既に大きな荷物が抱えられていた。

「ちょっと待て!」

「なんです。休暇は返上しませんよ。あなたと違って、私は半年も前から申請してるのですから。不在の間の引き継ぎもやっています」

「…………分かってる。ついでに頼み事だ」

 僕は諦めの溜息をつくと、机の引き出しから小さな包みを出す。

「これをスピカに。それから────」

「伝言はやめてくださいね、鳥肌が立ちますから」

「…………」

 寸前で釘を刺され、僕は口を閉ざす。

 僕はイェッドを待たせて便せんに言葉を綴る。この頃ようやく言えるようになって来た言葉が頼り無さげに便せんの上に乗った。それに封をすると、もう一通、手紙をしたためた。

「こっちはスピカ、こっちはレグルスと一緒に見てくれ」

 間違えないように、強く言いながら渡すと、イェッドは口の端をにやりとゆがめた。

「間違えたらどうなるんですか」

「……鳥肌が立つだけだ」

 少し赤くなって上目遣いで睨むと、彼はそれを胸元にしまう。そして一礼して扉から消えた。


 僕は扉をしばし見つめていたけれど、大きくため息をついて書類の処理に戻る。

 それからふと思いついて、自分の予定表を開くと、スピカの出産予定日周辺の欄を赤のインクで塗りつぶした。 

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