第5章 火祭り(2)
僕たちは例によってアルフォンスス家に滞在する事となっていた。去年、祭りに一緒に行けなかったから、僕は今年は結構前からいろいろと予定を立てていた。この別荘は僕の所有となっていたため、僕が手入れをしなければいけないのだけれど、古い屋敷だけあって傷みもひどく、今年の始めに、改修工事を入れていた。そして、ついでに頼んでおいた事もあった。
部屋の扉を開けたとたん、スピカが顔を輝かせる。
「うわぁ! 綺麗!」
窓から色とりどりの光が注いでいた。黄色の花の絵が色硝子で描かれたそれは、ステンドグラスと言うらしい。滅多に手に入らない特注品だった。
ジョイアでは硝子の原料が生産されないため、それらの製品は全て輸入品なのだ。美しいけれど作りが脆いため、宮でも南向きの部屋にしか使っていない。
少しでもスピカが喜んでくれたらいいなと思っていた。
だから、彼女が顔を輝かせているのを見て、ほっとした。こんなに喜んでくれるのなら、離宮にも入れてあげたいな。
「よかった」
ひっそり呟くと、スピカがこちらを振り向いてにっこり笑う。「ありがとう、シリウス」
その笑顔に目を細めながら口を開く。
「元気が無いみたいだから」
一瞬スピカが怯んだような顔をしたのを僕は見逃さなかった。馬車の中でも彼女はひたすら明るく振る舞おうとしていた。ちょっと不自然なくらいに。
「……あたしは、元気よ?」
また、誤摩化そうとしてる。本当に頑固なんだから。……こういう時こそ甘えて欲しいのにな。僕はため息をつくと、ソファに沈み込んだ。スピカはルキアを抱っこしたまま、目の前のソファに座る。ルキアはきょとんとした表情で窓から差し込む光を見つめていた。赤い髪は輝きを増し、茶色の瞳は光を反射してキラキラとして、すごく綺麗だった。
「ヴェスタ卿はもう着いてるのかな?」
僕が扉の傍に控えていたシュルマに尋ねると、彼女は少し目を伏せて頷いた。
「半刻ほど前に到着しております」
「じゃあ、夕食を一緒にと伝えてくれるかい? あぁ、夜は祭りに行くから、少し早めになるよ」
「分かりました」
シュルマが一礼して部屋を出て行く。
「なんだか……固くないか? 彼女」
以前はもっとくだけた感じがしてたんだけどな。僕がそう言うと、スピカが目を丸くする。
「シリウスが他の女の子の事気にかけるのって、はじめて聞いたかもしれない」
「いや、別に気にかけてなんか無い」
そんな言い方されると、妙に焦る。でもスピカは別に妬いてるとかそういうわけでもないみたいで、僕は慌てる必要は全くなかった。信用されてるんだろうけど、それはそれで寂しい。
「……シュルマは素敵な人よ。頼りがいがあって、気が利いて」
「分かってるよ。君の大事な友人だ」
僕がそう言うと、スピカは少し困ったように笑う。彼女がどうしてそんな表情をするのか分からず、途方に暮れた。僕は何かまずい事を言ったのだろうか。気になったけれど、どう尋ねて良いか分からず、言葉を探していると、扉が音を立てる。顔を見せたのはまたもやシュルマだった。
「殿下、スピカ様、姉がご挨拶をしたいと申しておりますが、よろしいでしょうか」
「え、夕食のときじゃ駄目かな?」
「夕食には姉は参りませんので……」
「ああ」
彼女がルキアをちらりと見たのを見て察する。
「そうだった。……僕は今からで構わないけど、スピカは?」
スピカが大丈夫だと頷くと、シュルマはやはり硬い表情のまま扉の向こうに消えた。
「随分気前がいいよね。ヴェスタ卿は。──乳母をつけてくれるなんて」
ルキアの後見が決まったあと、彼らが提案して来たのだ。ルキアの件で何度か会合を持った際、シュルマの姉が半年前に出産していたと話題に出た。僕が興味を持つと、乳母は必要ないかと提案して来た。スピカのルキアへの執着を考えると、嫌がるかなと思ったんだけど、彼女は驚くほどあっさりと承諾した。もっと仕事に打ち込みたいし、見てくれる人がシュルマのお姉さんなら安心だと。確かにルキアも動きが多くなって、少しも目が離せないから、僕はそんなものかと納得していた。
そして、──今回の旅はその顔合わせも兼ねる事となっていた。ヴェスタ卿は前々からオルバースの祭りに興味を持っていたらしく、ついでに、という事になったのだ。
スピカが、ルキアをあやしながら、少し寂しそうに笑うのを見て不安になった。やっぱり無理してるんじゃないか?
「やっぱり、嫌? 嫌なら今からでも断れるんだよ? 仕事だって別に無理してしなくてもいいんだ」
「ううん、大丈夫。だって、貴族出身のお妃だと、乳母が育てるのでしょう。そうじゃないと妃の務めがお留守になっちゃうものね。──そう考えると、今まであたしの手で育てられた事が幸運だったんだと思うの……だから大丈夫」
彼女が大丈夫と二回も呟くのを聞いて、やっぱり無理してるんだなって思った。取り上げられるような気分になっていても不思議じゃない。
「ルキアは、僕たちの息子だよ。君の好きな時に好きなだけ会える。心配する事は無いよ」
力まないように言ったつもりだったけど、少しそれは不自然に響いた。
「──うん」
スピカが顔を上げる。彼女は柔らかく微笑んでいた。でも、緑灰色の瞳がごめんなさい、と言っている気がして、僕はそれ以上彼女を見ていられなかった。