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第4章 嗤う月(6)

 離宮には夕方を待たずに帰った。途中ルキアが泣き出したのでひやりとしたけれど、あらかじめ門番を買収していたため、結局は事無きを得た。

 山道に揺れる輿の中、ルキアは振動が逆に気持ちがよかったのか、すやすやと眠っている。本当に良く眠って手のかからない子。

 あたしはルキアの頭にすっぽりと被せていた帽子を外す。赤い髪が蒸れてぺっとりと小さな頭に張り付いているのをそっと梳く。そうしながら目の前の侍女を横目でちらりと見た。

 シュルマは馬車の中で、妙に青白い顔をしていた。宮で、誰かに何か呼び出されて、帰ってきてから様子が少し変だった。あたしのことを怒ってるっていうのとはちょっと違うようで、心配だった。けれど、シリウスの件であたし達の間には見えない壁が出来たみたいで、声をかけるのが躊躇われた。

 ひどい、って思ってるんだろうな……。あたしだって、さっきの自分を思い返すと、そう思う。自分は何もしていないくせに、シリウスだけを責めて。──自分じゃないみたいだった。

 でも、ルキアが絡むとどうしても、だめ。いくら軽蔑されようと、嫌われようと、ルキアを守れるのは、あたしだけ。その為には手段を選べない。非難はいくらでもうけるつもりだった。

 明日、シリウスが戻って来たら、お願いしよう。──ルキアを守りたい。シリウスも守りたい。両方は無理だと思っていた。でも出来る方法があるのなら選びたい。だから、あたしを捨てて。

 彼は約束にこだわってる。あたしの望みを伝えよう。そうすれば、きっと、彼は楽になる。今は辛くても、きっと幸せになれる。


 夢中で考えていると、あぁ、昔こんな事があったかもしれない、そう思い出した。

 あれは、あたしがシリウスの記憶を消さないように、シトゥラの訓練を受けたいと言ったときだ。彼はあたしが犠牲になることを恐れて、大事な約束を持ち出した。とっても大切な切り札をあたしにくれた。

 ルキアに名をくれたのも、同じ理由。自分の子だと確信も持てないというのに、彼は優しいから。

 そうやってあたしが傷つくくらいならと、彼は自分を傷つける事をを選んでしまう。

 この先も、きっと、ずっと。


「スピカ……ちょっといいかしら」

 声に顔を上げると、シュルマがじっとあたしを見ていた。その表情は、何かを恐れるかのよう。あたしは不思議に思う。詰られるかもって構えていたのはあたしの方なのに。

「これを」

 彼女が差し出したのは一通の手紙。シュルマがずっと握りしめていたせいで、それはぐしゃぐしゃに皺が寄っていた。

「私の、母、から。……あなたの力を使って見て欲しいの」

 シュルマの声は震えていた。

 あたしはそれを手に取り、彼女の言うように、それを『見た』。そして、瞼の裏に広がった色に驚いて、目を見開いた。


 *


「スピカ!」

 僕は足の泥を払う暇さえも持て余し、結局片足は馬から下りたままという状態で部屋に飛び込む。

「シリウス? どうしたの? 慌てて」

 スピカがそう言いつつ、埃だらけの僕を見て顔をしかめた。ルキアが居るのに、と不満そう。だけど構っていられない。

「──ルキアの後見が決まったんだ!」

「え?」

 きょとんとした顔だった。それがひどくもどかしい。自然声が大きくなる。

「今日会った貴族がね、ちょっと条件は付けられたけど、……ルキアの後見を快諾してくれたんだ!」

「…………」

 その表情がさきほどのまま固まっている。

「──嬉しくないの?」

 なんだか顔に影が出来ている気がして、驚く。見た事の無い、なんだか不自然な表情。びっくりしすぎちゃったのか?

「え、えっと、どういうこと──?」

 彼女はようやくそう尋ねる。

「今まで通り、君は妃のまま。ルキアは皇子のままという事だよ。一歳の誕生日にも間に合った」

 僕は微笑んだ。

「ヴェ、ヴェスタ卿は、ルキアの髪の事は知っているの?」

 目を見開いたままスピカが尋ねる。そっか、それを心配して──

「知っている。条件を聞いたあとに、打ち明けたよ。さすがに話さないわけにいかないから。君の母親の事を話したら、ちゃんと納得してくれたよ。そしてね、すごくいい事を聞いたんだ。子供の頃赤毛でも、年を取ると色が変わったりするんだって! 父上に似たんだろうって!」

 僕は浮かれたまま、彼女を抱きしめる。抱きしめずにはいられなかった。

「でも……そんなことしても、何か、利益があるのかしら」

 彼女は僕の腕の中で囁くように言う。その体が少し震えているような気がして、僕は腕を緩めた。覗き込んだ顔に恐怖が浮かんでいない事に安心する。

 確かに僕も最初疑った。だから条件を貰って、安心した。きっとスピカも聞けば納得すると思う。

「オルバースでは、交易が盛んだろう? 今、情勢が不安定だから、流通が滞って困っているらしいんだ。だから、関税を一時少し下げてくれと。それなら、やろうと思ってたから、ちょうどいいんだ」

 確かに調べてみると、塩が値上がりしていた。塩はほとんどが輸入品で、生活必需品。流通が滞るのはひどく頭の痛い問題だった。


「それに、シュルマがスピカに良くしてもらっているからって」

 多分それが一番大きいんじゃないかな。やって来たヴェスタ卿を見てそんな風に思った。シュルマに良く似た、人好きのする顔。大きな笑い声。下がった眉尻。見ていて安心できた。きっとスピカの事をシュルマから聞いて、それで、力を貸す気になったんだと思う。

 そう思ったとき、ふと、何かが心に引っかかる。あれ──? でも、それを打ち消すように、唐突にスピカが呟いた。

「──ありがとう、シリウス」

 腕の中の彼女は、涙ぐんでいた。僕がその泣き顔に慌てると、スピカも慌てたように俯いて、付け足した。「ごめんなさい、あたし、……嬉しくて」

 涙声が胸に染み込み、そこだけ焼け付くように熱くなった。

「うん……僕も嬉しい。ずっと粘っていて良かった」

 金の髪に頬を埋めると柔らかいいい香りがした。──彼女を手放さなくて済む。そんな想いとともに息を大きく吸込んだ。


 彼女は僕の腕の中で固まったまま身じろぎもしなかった。昔みたいに腕を背に回す事も無く、口づけをせがむ事も無い。どうやら、その瞳が潤んでいるのは、涙のせいだけみたいだった。僕は多少気分を萎ませながら、彼女を解放する。……そんなに、簡単に何もかもうまく行くはずはない、か。

「おやすみ」

 そう言うと、スピカが今度こそ本気で訝しげな顔をして僕を見上げた。僕が昂ってるのは彼女も分かっているはず。そのままベッドに連れて行かれると思っていたのかもしれない。あの話を僕が聞いたなど、思いもしないんだろうな。

 思い出して、心の中を風が通り抜けるのを感じる。でも──いいんだ。これでスピカの心の負担が少しは軽くなる。いつか、きっと前の彼女に戻ってくれる。僕はそう信じることにしていた。


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