第1章 兆し(1)
第1部からずっと読んでくださっている方、このお話から読んでくださってる方、この小説ページを開いていただき、本当にありがとうございます。
まず初めての方へ。このお話はシリーズ物です。おそらくこのお話から読んでも意味が分からないところが多々出て来るかと思われます。
人物紹介は作りますが、それを読んだだけでは多分関係が掴めないと思いますので、よろしければ先に第1部と2部をお読みください。
2部まで読了済みの方へ。2部完結後にしばらくしてスピカ視点でのお話を追加しています。伏線が多少入っていますので、気になる方はそちらをお読みになってからこちらに入られた方がいいかもしれません。
(多少は気にならない! と言う方はこのままどうぞ!)
それでは、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
窓の外は新緑がキラキラと日の光に輝いていた。そよぐ風が、丸い形をした柔らかい色の葉をそっと撫でて行く。まるで、太陽の下で微笑むスピカの瞳の色だ。
僕は頬杖をついてそれをぼんやりと眺めていた。
「なにシケた顔してらっしゃるんです」
その冷たい声に僕は書類から顔を上げる。
「イェッドか」
いつの間にか書斎に入り込んでいたその大きな影は、今は僕の側近となったイェッドだった。
「またスピカ様の事ですね」
お見通しだ。隠そうとも思わないけれど。
僕は書斎に用意されたもう一つの机を見やる。今はその使用者はここには居ない。机の上は綺麗なまま塵一つ落ちていなかった。
「心配して何が悪い」
悪態をつくと、イェッドはちらりと机の書簡の山を睨んだ。
「いいえ。何も悪くはありません。お仕事さえしていただければ、ですが」
僕は本来ならスピカがやってくれるはずの仕事を彼女の数倍時間をかけて行っていた。つまりそれは、『他国から送られて来た書簡に含まれる<意図>を読み解く事』。
スピカは、妃になったあと、そういった仕事を僕の傍で秘密裏に処理することになっていた。彼女が言い出した事だった。
彼女が触るだけで、書いた人間の意図が簡単に分かるのだから、僕の仕事は半減するはずだった。でも……それをしてくれる彼女は居ない。僕のせいだから、文句も言えない。
ため息をつく。
もうスピカが宮を出て行ってから……二月ほどになる。僕がもうちょっと注意していれば、こんな事にはならなかったのに。
今更悔いても仕方が無い。だけど会えないのが相当に辛かった。
この状況を作り出してしまったのは、──やっぱりあの旅ってことになるのかな。
僕とスピカは、立太子の儀の後すぐに、新しい妃の紹介も兼ねて国内の視察に出発した。北部から南部まで国内の主要都市をぐるりと一周する。まあ視察と言ってしまえば聞こえは良いけれど、つまりは……新婚旅行みたいなもの。視察と言うのは、それに理由を付けるためのものだった。そうしないと予算が下りない。
ジョイアは独裁国ではない。皇族はそれなりに力を持つけれど、同時に、義務を果たさねばならない。僕はこのところの事件でいろいろ学んだ。この国の制度は僕が下手をうてば、すぐに壊れてしまうほど脆いものだ。有力な貴族が僕たちを利用して国を動かしている。傀儡になりたくない、などと思っていたけれど、それも馬鹿みたいな話。皇族はすでに傀儡なのだ。そして、今は上手くバランスがとれているこの力関係も、『彼ら』が否と言えば、あっという間に崩壊する。僕が扱い辛いと感じたら、当然彼らはもっと扱いやすい傀儡を用意し出すだろう。
今は、まだ父がいるから良い。でも、僕はいつまでも父の作り上げたものに頼るわけにはいかない。……いつか自分で『彼ら』とも折り合いを付けなければならない。逃げてばかりは居られないのだ。
僕たちは馬車に揺られ、まずは最初の訪問先、オリオーヌ州ツクルトゥルスへ向かった。
スピカは出発前からちょっと体調を崩していたようで、青白い顔をしていた。馬車の中で気がついて、中止にしようと言ったんだけど、彼女は自分の都合で迷惑かけられないし、すぐに良くなるに決まってると強情を張って、僕の言う事を聞いてくれなかった。彼女はツクルトゥルスには絶対に行っておきたかったらしい。彼女の故郷だ。当然なのかもしれない。
レグルスの話では、彼女はその力を知る人々には敬遠されていたと聞く。だから彼女にはあの土地に友人がほとんど居なかったはずだけど、彼女はあの土地やあの土地に住む人々を今も愛している。そういうところ、強いなあと感心する。
と言っても、彼女が言うには、一番のこだわりはアルフォンスス家みたいだった。僕たちが出会って、そして将来を誓い合った思い出の地。彼女が僕と同様に彼の土地にこだわってくれてるのが、堪らずに嬉しかった。だから僕は彼女を強くは引き止められなかったんだと思う。
そういった理由もあって、僕たちはあえて宿はとらず、今は僕の別荘となった元アルフォンスス家に2日滞在する事になっていて……、僕はそれなりに計画も立てていた。視察が終わったら、二人っきりでゆっくりと温泉にでも浸かりたいなとか、そういうこと。
しかし────
スピカは、ツクルトゥルスに着くなり、体調が悪化して倒れてしまった。
過労? それとも病気? と焦る僕に医師が告げた言葉は────
「おめでとうございます」
「は?」
「ご懐妊です。二月から三月くらいでしょうか」
「ごかいにん?」
その言葉の意味が理解できなかった。
怪訝とする僕に、目の前の若い医師は冷ややかな瞳を向ける。
「皇子? 宮で体調管理はどなたがされていらしたのです? 駄目ですよ。大事な体なのに、こんな無理をさせては」
「だいじなからだ」
ようやく頭が働きだした。ええと、それってさ、つまり────
「子供が出来たって事?」
裏返った声が出た。
「ええ」
目の前の医師は束ねていた長い髪を一度解くと束ね直す。ああ。この人、女性……だ。医師の性別なんか、今まで気にもしなかった。
宮での体調管理、ってイェッドがやってたはずだけど、男だからか? 気がつかなかった? スピカが遠慮して言えなかった? そう言えばセフォネが月のものがどうとか言ってたような……あ、僕は、さすがにそこまで詳しくない。ああでも……そうか、先日まで、それどころじゃなかったんだ。
頭の中でいろんなものがぐるぐると駆け巡った。
「とにかく、視察は中止です。いいですね?」
こういう事は事前にしっかり管理していただかないとと文句を言う医師の前で、僕は呆然としたまま頷いた。
二月から三月って……えっと……いつ? 僕は指折り数えだす。
今が立太子直後ってことは、三月前だと、成人の儀……あのとき? それとも……あのシトゥラ家での……。二月だったら、あれ? わけ分かんなくなって来た!
混乱して頭をかきむしる。そんな僕を見かねたのか、医師が呆れたように補足する。
「なんでそこまで動揺していらっしゃるんです。される事されたら出来てもおかしくないじゃないですか。
……成人の儀も含めて前後一月くらいですよ。お話では月のものが狂う事が多いそうですから、多少誤差はありますが。……妃とお話しされますか」
さばさばと言う医師に、僕はただ頭を縦に振った。