第一話 高天原に召喚された日本男児
あの時、フライドチキンを食べたいなんて思ったのがそもそもの間違いだった。
いつものように家に籠って、ネトゲに明け暮れて入ればよかったのだ。
ゲームに出て来たこんがりと焼けた肉が無性におれの食欲を掻き立てたせいで、
俺はコンビニに向かい、そしてこうしてトラックに跳ね飛ばされている。
「冷凍食品で我慢すればよかった、、、。」
これがおれ神代零の人生最後の言葉となった。
目の前が真っ暗になった途端、鋭い光が降りかかった。
その光に当てられ、目を覚ますとおれは辺り一面の雲海の中、青々と生い茂る草原に仰向けになっていた。
「どこだここ?」
訳も分からず辺りを見渡すと、どうやらこの地面は宙に浮いているようであり、遥か遠くには見たこともないほど大きな木と、それを取り囲むようにして一つの宮殿と、いくつもの社のような建物が立っているのが見えた。
一度も見た覚えのないその景色に、おれはこれまでの記憶を辿る。
「確か無性にチキンが食べたくなってそれで・・・」
その瞬間トラックに轢かれ宙を舞い、雲一つない青空を見上げたことを思いだした。
「えっおれあれからどうなった・・・?」
「やっと成功したようじゃの。」
突如背後から声が響いた。
その声に驚き、振り向くとそこには言葉遣いとは裏腹に若々しい見た目をした一人の男性が立っていた。
前髪を中央に分け、耳の横には髪を縦に8の字型に結っており、白い装束を着て、首には三重の勾玉がついた首飾りを付けている。
「えっと・・・あなたは?」
「ん?ワシか?ワシの名はイザナギノミコト。高天原の神様じゃ。お主も名前くらい聞いたことがあろう?」
イザナギノミコト。この神とやらの言う通りその名前に聞き覚えはあった。
日本最古の歴史書と言われる『古事記』に登場する神様で、確か日本を創造したと言われている神様だ。
その『古事記』の中で高天原とは、神々の住む天界を指すということぐらいはおれも知っていた。
「ここがあの高天原?ってことはやっぱりおれは死んだんですか?」
「お主は確かに一度死んだが、いまはこうして生きておるぞ。ワシがお主をこっちの世界に呼び戻したのじゃ。なかなか成功せんから苦労したんじゃぞ。」
そう言うとイザナギは満足そうに頷いているが、まったく話しについていけない。
「・・・ん?まだ理解が足りておらんようじゃの。」
おれの心を見透かしたようにイザナギは言葉を続ける。
「お主の世界でも最近よう流行っとるじゃろう?異世界転生とかいうやつじゃよ。
ここまでテンプレじゃろ?」
おれはその一言で瞬く間に状況を察したが、逆にその一言がこの神の威厳をすっとばしたように感じた。
「・・・なんとなく状況は分かりました。」
「うむ、そうか。やはりお主の世界を常日頃から覗いておって正解じゃったの。
話しが早くて助かるわい。」
イザナギはまた満足そうに頷いた。
どうやらおれは日本に伝わる『古事記』の世界に転生してしまったようだ。
しかし、はいそうですかと納得できる訳もなく、おれはこの神に疑問を投げかけた。
「異世界っておっしゃいましたけど、あなたは日本を創造した神様ですよね?てことは、下に降りればおれが住んでた世界に戻れるってことですか?」
おれの質問にイザナギはかぶりを振った。
「お主は少し勘違いしとるようじゃの。ワシが創ったのは葦原中国であって、お主がおった日本は創っておらんぞ。二つは全く異なる世界なのじゃよ。どうやら葦原中国が行く行くは日本になると考えとるようじゃが、それは間違いじゃ。」
イザナギの回答はおれを再び混乱させ、疑問が次々に湧いてくる。
「えっじゃあなぜあなたの話しが日本に伝わってるんですか?」
するとイザナギは待ってましたと言わんばかりに食いついてきた。
「おおよく気が付いたの。実はの、ずいぶん前に暇つぶしで一度お主と同じように日本人をこっちの世界に転生させたことがあったんじゃよ。そやつがえらくワシらに興味を持っての。うまいこと話しをまとめるもんじゃから、日本に戻って語り継げと命じてそやつをもとの世界に帰したんじゃよ。」
日本最古の歴史書の作者までもが転生者だったたのか。
遠い目をして懐かしそうにする神をよそにおれは愕然とした。
「もう疑問は晴れたかの?」
イザナギの問いかけに慌てて意識を戻すと、一番聞きたいことを聞けていなかったことに気が付いた。
「いやそもそも、おれがここに呼ばれたのは何でなんですか?」
イザナギはそうじゃったそうじゃったと呟くと、突如手のひらを宙にかざし、そこから一本の矛を出現させた。そして、その矛の刀身を地面に突き刺すと、また見たことのない景色が広がった。
振り帰ると後ろは先が見えないほどの大広間で、金色の床と壁に覆われており、正面には太陽を形どったように赤と黄色で彩られた玉座があった。
イザナギは矛を持ったままその玉座に腰を下ろすと、玉座の前で唖然とするおれに視線を向けた。
「さて、まずこの世界の仕組みを伝えねばな。お主がいるこの場所こそが神々の住む地、高天原の中枢である宮殿の中じゃ。ずっと外で話すのも何じゃからいまお主をここに移動させた。そう何度も驚くでない。」
いきなりこんなことされたら誰だって驚くだろ・・・。
まだ理解の追いついてない俺をよそにイザナギは言葉を続けた。
「この世界は神の住む高天原と、人の住む葦原中国と、死者の住む黄泉の国の3つの階層に分かれておる。以前、高天原の神々は互いの世界を行き来することができたが、今それは叶わん。葦原中国と黄泉の国を繋ぐ唯一の道であった黄泉比良坂は、神と人が立ち入ることのないようワシが岩で塞いだからの。」
すらすらと告げていく神に追いてかれないよう、おれは耳を傾けることに集中する。
「次に葦原中国と高天原じゃが、そもそもこの双方を繋ぐ道は人々の神への信仰によって成り立っていたのじゃ。しかし、人が自らの力で栄えるようになると、次第に神々への信仰心も薄まっていっての。今となってはこの双方を結ぶ道も途絶えてしまったのじゃ。ここまでは大丈夫かの?」
「はあ・・・なんとか。」
「よしよし。ところがじゃ近頃どこからか分からんが、黄泉の住人であるはずの亡者が葦原中国に現れ、人々を襲い始めたのじゃ。もともと岩で塞がれる前から、亡者は葦原中国に踏み入ることはできんかった。あくまで行き来できるのは高天原の神々だけだったんじゃ。しかし、その原因を突き止めようにもワシら神々は地上に降りられん。さてどうしたものかと思っていた時に、お主ら日本人のことを思い出したのじゃ。お主ら異世界の住人はこの世界の決まりに縛られず、3つの階層を行き来することができるのじゃ。つまり・・・」
おれはこの流れから次に伝えられるであろう言葉を察し、イザナギの言葉を遮った。
「もしかして、俺にその亡者とやらを倒せということですか?俺そんな危ない世界に行きたくないんですけど。そもそも喧嘩さえしたことないんですけど・・・」
即座に否定の言葉を口にするおれを見越したようにイザナギが宥める。
「察しが良いの。じゃが安心せい。お主がただの非生産的な引きこもりであったことはワシも分かっておる。」
そう言うとイザナギは目を閉じた。するとイザナギの周りから金色の光が発せられた。
「これは神力と呼ばれるものじゃ。所謂神の力の源じゃな。この神力を人間に与えることで、先ほどの瞬間移動のような能力を人も使うことができるのじゃ。この能力を神通力と呼んでおる。」
イザナギの発する光は太陽のように眩しく、おれは思わず手をかざした。
「しかしこの神力を与えられる量は、人によって決まっておっての。それは目に見えぬ器のようなもので、その器が大きいほどより多くの神力を受け取ることができ、強力な神通力を使えるのじゃ。この器を神器と呼んでおる。この神器は、大きさは違えど誰でも生まれながらに持っておる。」
「つまりはあなたの神力をおれの神器とやらに注ぐことで、おれは神通力を使って亡者と戦えるってことですね!」
おれはそのまるでゲームのような不思議な力に高揚し、先ほどの亡者への恐れも忘れて声を上げた。
「慌てるでない。お主に神器などないぞ。」
「えっ」
思わず間の抜けた声が宮殿内に響いた。いま誰にでもあると言ったじゃないか。
「もともとお主がいた世界の人々に神器などないのじゃよ。しかし、そこが重要なのじゃ。神器とは言わば、人が神に近づき過ぎぬよう力を抑えるために存在するものじゃ。じゃから自らの神器以上の神力を使おうとすると、人はその力に耐え切れず死んでしまう。逆に神器の中の神力を使い果たしてしまっても死んでしまうのじゃ。」
しかしじゃ・・・イザナギは語気を強めておれを指さした。
「お主にはそもそも、その神器がない。つまりお主は強力な神通力を、神器の制限なくいくらでも使うことができるのじゃ。更にお主に神力を授けるのは、高天原の八百万の神々全てじゃぞ。この凄さが分かっておるか?」
・・・この神様の言うことが本当なら、どうやらおれは飛んでもない力を持っているらしい。
ゲームに例えるならおれはMP無限で特大魔法を連発できるということだ。
「・・・紛れもないチートだなこれは」
おれはその無茶苦茶な能力に半ば呆れた声で呟いた。
「チートとかいう意味はよく分からんが、理解はできたようじゃの。どうじゃ?引き受ける気にはなったか?」
どうやらそう簡単に殺されてしまうことにはならないらしい。しかし、それでも特に思い入れのない世界のために命を懸けることに対して、何の見返りもなしに引き受けるのは早計ではないだろうか。
「イザナギ様。この世界を救ううえで一つ私から条件があるのですが」
おれは畏まってイザナギに進言した。
「なんじゃ?言うてみよ。」
「先ほど古事記を書いた人物をもとの世界に返したとおっしゃいましたよね?つまり、再び転生しなおすことも可能であると・・・。では世界を救った暁にはおれをもとの世界に生き返らしてくださいませんでしょうか。」
すると、イザナギは下を向きあれ神力めっちゃ使ってしんどいんよなと小さく呟くと、顔を上げ、再びおれと目があった。
「世界の救世主たるお主の願いじゃ。聞き届けよう。」
言葉とは裏腹にすごい嫌そうな顔をしてるんですが・・・。しかし、これで途中で放り投げてしまったネトゲ仲間にも迷惑をかけずに済みそうだ。何よりおれはあの続きが気になって仕方ないのだ。
「ありがとうございます。必ずや期待に応えてみせます。」
おれが頭を下げると、イザナギはもとの凛とした表情に戻り、再び矛を取り出した。そして、今度は刀身を上に向けて地面を叩いた。
「集え八百万の神々よ。いまここに盟約は交わされた。この男、神代零こそが我々神の代行者である。神力を授けよ。」
イザナギがそう叫ぶと玉座の間に何万柱もの神々が現われた。
そこには、炎を身に纏った者、自分の何倍もの体格の者、この世と思えないほどの美貌を持つ者と男女様々であった。
その状況に圧倒されていると、神々が目を閉じて神力を解放した。その金色の光が合わさり、吸い込まれるようにして自分の体に入っていくと、神々は再び目を開いた。
「これで盟約は交わされた。どうじゃ八百万の神々の力を手にした気分は?」
「特に何も変わった気はしないんですけど。」
「まああくまで契りを交わしたに過ぎんからの。戦ってから実感するもんじゃ。最後にこれを渡しておく。」
イザナギはそう言うとどこからか一冊の本を取り出した。
「何ですかこれは?」
おれはそのやたらと分厚い本を手にすると、その余りの重さに思わず落としそうになる。
「そこにはお主が従えている神とその神通力に関して書かれとる。よく目を通しておくようにの。」
1ページ開いてみるとそこにはびっしりと小さな文字が刻まれていた。
読み終わる気がしない・・・
うなだれるおれを無視してイザナギは声を張り上げた。
「それでは行け神代零よ。黄泉の亡者を打ち倒し再び葦原中国に平穏をもたらすのじゃ。」
俺は幾多の神々から視線を向けられる中、イザナギに背を向け、立ち並ぶ神々の間を歩き出した。そして、数歩足を進めた後、イザナギの方を振り返った。
「あのおれこれどうやって地上に行くんですか?」
「ああそうじゃったの。ではさらばじゃ。」
すると、イザナギが今度は矛の刀身を下に向け地面に突き刺した。
次の瞬間おれの視界に移ったのは一面の雲海だった。しかし、最初と違うのは地面が一切見当たらないこと。俺は明らかに落下していた。
「どうやって着地すんだよおおおおおおおお!!!」
おれはそのまま真っ逆さまに落ちていった。