【n0618f】 ここを彼の墓標とする
十年ぐらい前、友人が亡くなった。事故であり、突然の出来事だった。彼とは特別親しかったわけではない。ただ共通の趣味があった……小説を書く事だ。
ひょんなことから互いに小説を書くということを知り、互いに作品を見せるようになった。その時、彼から教えられたのが「小説家になろう」というサイトだった。当時我が家のパソコンはインターネットにつながっておらず、ガラケーで彼の作品を読んだ。思えばそれが、「小説家になろう」を知ったきっかけだった。
そして彼が亡くなってから、彼の小説をもう一度読んだ。いや、読もうとしたが最後までは読めなかったように思う。彼の想いのつまった作品は存在しているのに、書き手である彼はいない。その事実に、読み進めることができなかったのだ。それからしばらく、私は彼の作品のことを頭の隅に追いやってしまった。
だが、彼の死から一年が経ったころ。ふと、ただパソコンに打ち込んでいるだけの小説を誰かに読んでほしくなった。そこでパソコンがインターネットにつながったのを機に、私は彼がいた「小説家になろう」に登録した。それからは書いては投稿し、書き手様と交流し、おもしろい作品を読み漁る日々が始まった。
彼のことは勝手にお気に入り登録をし、たまに覗きに行っていた。かすかな思い出に浸るように、すがるように。ある日、私は彼の小説に感想を残そうと感想欄を覗いてみた。するとそこには、同じように彼の死を知り、彼が小説を書いていたことを知っていた友人たちの感想があった。彼の死を悼む声が、そこにあった。まざまざと現実を突きつけられた気がして、心の底が冷えていったのを覚えている。
彼はいない。知っている。でも彼の作品は残っている。一生完結することのない、その作品が。その作品を思い出に、覚えていようとそう思っていた。
しかし、ある日彼はお気に入りから消えていた。遺族の方が消されたのか、運営の御判断で消されたのかは分からない。ただ、彼は「小説家になろう」からも消えてしまった。彼は二度死んだ。彼の作品はもうここにもない。
その後私は生活の忙しさに呑まれ、小説を投稿する頻度も減り、彼のことも忘れていった。そして十年が経った。
私が唐突に彼のことを思い出したのは、マイページの端にある「書いた感想一覧」に目を留めたからだ。なんだか懐かしくなって最初の方から読んでいった。懐かしいユーザーの名前や、内容を思い出せない小説のタイトルもある。中には赤面するような内容の感想もあった。その中で、他とは異なる感想が二つあったのだ。
それが、彼に向けて書いた感想とわずかな近況報告だった。他の友人の感想が無くなったころに、ひっそりと送った二件のメッセージ。届くはずのない感想の下の欄には赤い米印と「この小説【n0618f】は削除されています」の文字。彼がここにいた証は、この二つの感想と文字の羅列だけ。私はもう彼のユーザー名も作品名も思い出すことができない。
だが、一つだけ覚えていることがある。それは彼の作品の、ある一部分の描写だ。彼は今のジャンルでいう純文学を書く人だった。その作品は女の子が主人公で、孤独を感じながら成長していく物語。そして印象に残った描写が、ある雨の日、女の子が銭湯から帰ろうと傘立てから傘を取り、広げて歩き出すという部分だ。一言一句再現できればよかったが、彼の文章も私の頭の中にはもう無い。だが、その印象だけは強く残っている。
彼は孤独な彼女を傘に残った雨粒の一滴で表し、それが雨の下に出て多くの雨粒に打たれ傘の上で弾かれることで、彼女の孤独が和らいでいくことを暗示した。たった数行だったと思う。それに私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
私は彼のユーザー名も作品名も覚えていない。だが、彼のこの表現だけは一生忘れないだろう。そしてそれは、この「小説家になろう」に存在する全ての小説に当てはまる。小説を投稿すれば、読まれているのか、読者にはどう受け止められたかと見えない不安ばかりに襲われる。
だが、作者名も、作品名も、キャラ達の名前も忘れられても、一つのシーンやその印象だけは残るだろう。誰かの人生の中で、ほんの一瞬でもその印象を思い出してもらえたらいい。こんなシーンが、ストーリーの小説があったなと思ってくれたらいい。それが小説を投稿することであり、創作をすることではないだろうか。
この巨大な「小説家になろう」の中では日々多くの物語が生み出され、そしてその裏には見えない物語が隠されている。だから、一期一会の日々に感謝して、小説を書くのだ。誰かの頭の片隅で眠れる日を夢見て。
【n0618f】彼はここに眠っている。
書いてもいいか、投稿してもいいか悩んだけれど、一つの供養だと思って投稿することにしました。
皆様の小説家になろうライフがよりよいものになりますように。