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私立叢雲学園怪奇事件簿【第三部 朱雀編】  作者: 来栖らいか
【第二章】花と青嵐
5/27

〔2〕

 間違いない。

 数日前、観光で訪れた横浜の『赤レンガ倉庫』で、少女と連れ立っていた青年だ。

 勢い、青年に詰め寄ろうとした優樹をアキラが強く腕を掴んで引き留めた。

「落ち着け、篠宮。まず状況を説明して貰おうじゃないか。ええっと君、俺は合気道部のOBで……」

 優樹の前に出たアキラが一番手近に立っていた胴着姿の学生に話しかけた途端、学生は直立不動の姿勢になった。

「しっ、知っていますアキラ先輩! 篠宮先輩! 自分は空手部2年の柚木と言います!」

「あー、硬くならなくていいからさ。何があったのか説明してもらえるかな? ちょっとしたトラブルなら、顧問の先生を呼ばない方がいいと思うんだけど」

 柚木と名乗った小柄で肉付きの良い学生は、アキラの言葉に慌てて顧問を呼びに行こうとしていた学生を呼び戻す。

 すると、その間に金髪の青年がアキラの前に進み出た。

「説明? ハハッ! そんなもの必要ないね。彼等は自分の汗に滑って、転倒しただけさ。初めまして、俺はMA(マサチューセッツ州)のアシュトン・アカデミーから来た交換留学生、オスカー・ナイセルだ」

 軽快に笑いながら軽く肩を竦めたオスカーに、柚木が激高した。

「デタラメ言うなっ! アキラさん、コイツ、俺たちに喧嘩吹っ掛けてきたんですよ! 部長が武道館から出て行くように言ったら、先に手を出したんだ!」

 柚木の説明によると、いつものように空手部と柔道部で一緒に海岸を走るロードワークから帰ってきたところ、入り口でオスカーが待ち構えていたという。

「オレはブドーのココロエがある。この学園で一番強いヤツにテアワセ申し込むつもりで来てみたけど、loser(負け馬)しかいないようだな」

 オスカーは一番体格が良い柔道部・部長の前に立ち、相手を馬鹿にした態度で漫画の中に出てくるような台詞を言った。当然、部長は相手にはせず「部外者と組み手稽古は出来ない」と、肩に手を添え追い返そうとしたそうだ。

 一瞬、何が起きたのか理解出来ない早さだった。

 気が付くと柔道部・部長の巨体が床を震わせ、目を剥いたまま失神していた。

 束の間、唖然として動けずにいた他の部員達が一斉にオスカーを取り囲み、構えを取る。だが繰り出された初手は全て届かず、全員が簡単に倒されてしまった所に優樹が飛び込んできたのだ。

「やっぱりHigh School Level(高校程度)のFighter(選手)じゃあ、相手にならないな。うん……そうだ、そこの君! 確か横浜でリュシーを止めに入ったヤツだろ? 君なら少しは相手になりそうだ。オレとテアワセしよう!」

 オスカーは、無邪気な笑顔を優樹に向けた。

 その笑顔の底に潜む、「赤レンガ倉庫」で感じた得体の知れない不気味さが優樹に警鐘を鳴らす。

 対戦を断ったとしても、大人しく引き下がるとは思えなかった。強引な手段に出られれば、他の部員が巻き添えになる。

 手加減して、わざと負けるか? 部員達の気は収まらないだろうが、穏便に場を収めるには仕方ない……。

「わかった、俺の名は篠宮優樹。使えるのは護身用の徒手格闘術程度だけど、一戦、相手をすれば出て行ってくれるんだな? ルールは?」

 心を決め、優樹がオスカーの前に進み出ようとしたとき。アキラが前を遮った。

「待て待て、ここは俺の出番。なにしろ、コイツの師匠だから」

 アキラはシャツを脱ぎ、下に来ていたTシャツ一枚とジーンズスタイルになった。足は素足だ。

「篠宮、時計と眼鏡、預かってくれる?」

「アキラ先輩! コレは俺が……」

 鼻先に突き出された眼鏡と時計を勢いで受け取ってしまいながら、優樹が慌てた。

「挑発に乗るな、篠宮。騒ぎを起こすと、出願調査書にシミが付くぞ? 理由は知らんがアイツの目的は最初から、おまえだ」

「えっ?」

 オスカーの目的が自分? 何故、なんのために?

 小声で伝えられた、意想外な言葉に優樹が戸惑っている間に、アキラがオスカーの前に進み出る。

 オスカーは、思わぬ横入りに大げさな仕草で両手を挙げると、眉を寄せて不満を表した。

「余計なのが出てきたなぁ……オレはユーキとテアワセしたいんだ。邪魔するなよ?」

「生憎だが、先輩として現役の後輩に怪我はさせられなくてね。それに優樹に格闘術を教えたのは俺だから、少しは相手になるんじゃないかな?」

「へぇっ、面白いこと言うね? まあいいや。それならルールは、どちらかが戦意喪失するまでにしよう。君を倒せば、ユーキが相手になってくれるんだろ?」

 開始の合図を待たずにオスカーは、間合いを計りながらアキラと距離を取った。身長は優樹と同じ一九〇センチ前後か。おそらくアキラの方が十センチほど低い。

 打突系の格闘術では無い、緩い構えだ。手の内が解らなくては、迂闊に近づけない。

 リズミカルに軽く、ステップを踏むオスカーの左足が沈んだ。右足の蹴り、と、思わせ軸を入れ替えた左からの蹴りが頸を狙う。虚を突かれながらもアキラは、肘でガードしながら身を逸らせてかわした。

 間髪を入れず胸に放たれた掌底は、真正面を狙わずスナップを効かせて斜め上を抉る。

 心臓の位置。

「……っ!」 

 予測に無い動きを交わしきれずダメージを負いながらもアキラは、伸ばされた腕を自らの腕で逃さず絡め取り、勢いを利用してオスカーを斜め後方へと投げ飛ばす。

 二打で、確信できた。

 オスカーが使うのは、おそらく軍用。相手を殺すための技だ。

 優樹と同時にアキラも気付いたらしい、有効打を避けて距離を取る。

 アキラの使う格闘術は、アメリカにいたとき元海兵隊の軍人から習った近接戦術と、幼い頃から通っていた実践合気道の師範から習得した技の組み合わせだという。

 優樹は元々身体能力が高いが、中学からの部活で基礎から身に付けた武道系の技術は剣道だ。昨年、殺人事件に巻き込まれてから後、これからも誰かを守るために必要になるかもしれないと考えてアキラから徒手格闘術を教えてもらっていた。

 己の腕を過信して「赤レンガ倉庫」の争いに加わり、この事態を招いたとしたら自分の責任だ。

 苛立ちから握る拳に力を込めて優樹は、対峙する二人を見守る。

 投げ飛ばされたオスカーは伏すことなく身体を反転させアキラの側頭部に蹴りを入れた。ガードしたアキラの腕が、流れるように脛を掴みバランスを崩そうとする。即座、オスカーは両腕で床を突き、掴まれていない足で腹部を打った。

 蹴りが深く入る前に手刀で叩き落としたアキラは身を捻り、間髪を入れず顔面を狙った連打を受け流しながら素早く低い体勢でオスカーの懐に入り胸部に肘を打つ。

 オスカーは少し顔を顰め、アキラと距離をとった。

「守るばかりで退屈だったけど、少しはやるんだな」

「逃げながら持久戦に持ち込んで、ドローにしたかったところなんだけどねぇ。その前に俺の身体が持ちそうにない。気は進まないけど、少し反撃させてもらうよ」

「やっぱり君、面白いよ」

 そう言うとオスカーは構えを解き、両腕を上げた。戦意がないという表明に、アキラも構えを解く。

「君の予想通り、オレが遊びたかったのはユーキだから、これ以上のテアワセは意味が無いな。騒ぎが大きくなると、お互い面倒だしね」

 オスカーは、いつの間にか増えた部員達を見回して笑った。

「ユーキとは一度、遊んでおきたかったよ。the Day of Judgment(最後の審判)前に」

「……どういう、意味だ?」

 放たれた言葉に、いち早く反応したのは優樹だった。

 優樹を見つめるオスカーの顔に一瞬、冷たい敵意が宿る。だが、氷解するように笑顔になると無言で背を向け、武道館を出て行った。

「最後の審判ねぇ……帰国前に一度、やり合おうってことかな? あまり気の利いた脅し文句じゃ無いな、放って置けばいいさ」

 怒りを隠す事無くオスカーの立ち去る姿を睨んでいた優樹は、アキラに肩を叩かれ我に返った。

「……っ、すみませんでしたアキラ先輩。俺の所為で……」

「うん? 気にするな。俺が一緒なのに篠宮がトラブルに巻き込まれちゃ、秋本に合わせる顔が無いからなぁ」

「遼なら多分、俺がトラブルに巻き込まれるのは自分から首をツッコむ所為だって言います」

「解ってるよ、それでも先輩としてのメンツがあるのさ」

 笑った拍子に、アキラが左脇を押さえたのを優樹は見逃さない。

「怪我、したんですね?」

「あー、バレたか。徹夜明けで無きゃ、もっと上手く立ち回れたんだが……どうやら肋骨をやられたみたいだ。寝不足で階段から落ちたとでも言って医務室に寄ってから、病院に行くよ。だから、くれぐれも……ここであった事は他言無用だ」

 笑顔の下に有無を言わせない迫力を感じ取り、全員が息を呑む。

「じゃあ、医務室までは俺が送ります」

 優樹の申し出をアキラは手を上げて遮ると、最初に事情を説明してくれた柔道部員の柚木を手招きした。

「医務室への付き添いは彼に頼むから、お前は普段と変わらない態度で夏期講習に行け。この場の全員に箝口令を敷いても、お前が一番嘘が下手だからな。誰かに不審に思われないように、いつも通りにするんだぞ?」

「……はい」

「そう、不満顔をするな。だが、約束しろ。今後、アイツが何か仕掛けてきても相手にするんじゃない。解ったな?」

 渋々頷いて、預かっていた時計と眼鏡を返した優樹の頭を、くしゃっと撫でてからアキラは柚希と一緒に武道館出入り口へと向かった。

 アキラには年の離れた弟がいるためか、優樹や遼を子供扱いするところがある。高校生にもなって頭を撫でられるなど不愉快極まりないが、今回のみならず何度も助けられている身としては不満を言える立ち場では無かった。

 小さく溜息を吐いた優樹は、リュックを担ぐと後輩達に軽く挨拶をしてから本校舎に向かった。

 夏期講習は九〇分一コマで、科目別に受講する時間と教室が決められている。

 担当教諭と外部講師の都合でスケジュールが変わるため、常に携帯アプリで確認できるようになっていた。

 今日、優樹が選択している科目は三科目で午前中に連続二科目、午後に一科目。空き時間は自習室や図書館、食堂、講堂で勉強することになる。

 十六時過ぎに最後の英語講習を終えた優樹は、自習中に解けなかった数学の問題を職員室にいた数学教師から教えてもらってから本校舎を出た。

 朝の件で、校舎内にオスカーの姿がないか気を配っていたのだが、一度も見掛けること無く安堵する。冷静になるには、少し時間が必要だった。

 アキラの怪我については、SNSを通じて連絡があった。予想通り、肋骨二本にヒビが入っていたそうだ。

「一打一打が表面的じゃ無く、内部に重い衝撃を与えてきた。東欧の格闘術に近いかもしれない」

 状況報告後、追加されたコメントに優樹は首を捻る。東欧の、相手を殺すための格闘術を何故、オスカーは身に付けているのだろう?

 駐輪場に着いた優樹は、釈然としない気分でリアシートにリュックを括り付け正門に向かってバイクを押した。

 今朝、気持ちが良いほど晴れていた夏の空は、優樹の気持ちを写すように厚い雲に覆われている。西に傾いた太陽は、わずかに緋色の線を引いて雲に隠れ、正門に続く遊歩道には日の長い時期らしからぬ暗い影が落ちていた。

 体育館とグラウンドに照明が点り、その明かりの中にきらめく糸をみた優樹は初めて、雨が降っている事に気が付いた。雲の流れから、数分後には激しい雨になりそうだ。

 正門を出たところで常備のビニール袋を出しリュックを包んでいると、バス通りから学園まで整備されている専用道路を、傘も差さず濡れて歩く女子学生の姿に気が付いた。

 学園の制服を着ているが、離れた所からでも一目でわかる。

 肩までのプラチナブロンド。ヨーロッパ系の顔立ちに、褐色の肌。すんなり長くのびた、細い手足。

 もう一人の、美しい交換留学生。オスカーが、リュシーと呼んでいた少女だ。

 近くにオスカーや学園の友人らしき姿は無く、彼女は一人だった。ホームステイ先からの迎えは無いのだろうか? バスで帰るのだろうか? しかし、この時間帯は確かバスの本数が少ない。

 気になって携帯で調べると、起点となる駅に向かうバスは数分前に出たばかりで次のバスが来るまで三〇分以上あった。

 雨が、激しさを増す。

 優樹はバイクのエンジンを掛け、五十メートルほど先を歩くリュシーに追いついた。

「君……どこまで歩くつもりなんだ? バスを使うなら三〇分は待つ事になるから、一度学校に戻って傘を借りた方が良いな。それとも誰か、車で迎えに来るのか?」

 振り向きざま、バイクのライトに照らされ濡れた銀髪が煌めいた。くっきりとした顔立ちに影を落とす長い睫毛から雨粒が滴り落ち、宝石の欠片のように光っている。

 噂通り、モデルのように綺麗だ。しかし最初に会った時と同じく、どこか機械的な美しさだった。

 リュシーは無言で、優樹を見つめている。日本語では通じないかと思い優樹が英文を考えていると、リュシーの小さな唇が開いた。

「バス、来ナイなら、駅に歩キます。車、アリマセン」

 オスカーほど上手く話せないようだが、優樹の言葉は通じているらしい。

「ステイ先は駅の近く? もし良ければ、俺のバイクで送るけど……」

 するとリュシーは、小さく首を横に振った。

「駅カラTaxiタクシー乗リます。『Hotel Belle mer (ホテル・ヴェルメール)』で降リます」

『ヴェルメール』は優樹でも知っている、安房白浜の高級リゾートホテルだ。この雨の中、駅までバス二〇分の距離は女子で無くても傘も差さずに歩けるものではない。

 ずぶ濡れでバスを待ち、駅からタクシーに乗り、ホテルまで?

 当然、優樹が放って置ける状況ではなかった。 

 このまま自分がホテルまで送り届けてもいいが、雨も激しくなってきた上に暗い峠を安全に気をつけて走れば、一時間は掛かる。 

 学園まで連れ戻り、事務でタクシーを頼んでもらうか? しかし、濡れた服で長時間の移動は身体を冷やしてしまうだろう。

「……っ」

 優樹はリュシーの腕を掴むと、一番近くにあったケヤキの大木の下に引っ張り込んだ。

「Listen! I choose the best method for you now. You must wait here. Do you get it?(聞いてくれ。今から俺が、君にとって最良の方法を選択する。君は、ここで少し待つんだ。いいね?)」

 強引な行動を取ってから優樹は、『赤レンガ倉庫』の暴漢を思い出した。あの時、暴漢は腕を捻り上げられたのだ。

 慌てて優樹が手を離すと、驚いて大きく目を見開いていたリュシーは、困惑したように視線を逸らし小さく頷いた。

 どうやら、優樹を信じてくれたらしい。

 急ぎ優樹は、バイクにエンジンを掛け学園に引き返した。


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