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私立叢雲学園怪奇事件簿【第三部 朱雀編】  作者: 来栖らいか
【第二章】花と青嵐
4/27

〔1〕

「今年は例年にない猛暑のため、熱中症に気をつけてください」と、今朝もニュース番組のアナウンサーが叫んでいる。

 篠宮優樹しのみや ゆうきは、普段の登校時より一時間ほど早く、下宿先である叔父のペンション『ゆりあらす』裏手の車庫から250ccオフロードバイクを引っ張り出した。

 夏期講習の開始時間には早すぎるが、少しでも涼しいうちにバイクを走らせガソリンの減りを抑えたい事と、引退した剣道部の朝練に混ざり体を動かしたいという理由からだ。 着替え、凍らせたスポーツドリンク三本、教材を詰め込んだリュックを後部シートに括り付けエンジンをかける。数分アイドリングしてから一度強くアクセルを開き、エキゾーストノートの調子を確かめてからシートに跨った。

 学園に続くシーサイドラインを走るのは気持ちがいい。紺碧の空と、わずかに色を違える夏の海は穏やかで、朝日を煌めかせながら打ち寄せる細い白波が長い海岸線を縁取っている。まだ海水浴客の姿も、まばらだった。

 昨夜、横浜校の夏期講習に参加している友人、秋本遼からSNSツールを通じて連絡があった。

『赤レンガ倉庫』で出会った男性が横浜校の外語講師、アレクセイ・フォーンブロアであること。そのアレクセイの紹介で、生徒会に所属する学生数名を紹介してもらったこと。男子寮が館山校より広い個室だということ。

 そもそも打ち合わせや連絡程度にしか利用しないツールなので早々に会話を切り上げたのだが、遼から連絡があったことを知った恭子から根掘り葉掘り聞かれる羽目になり辟易してしまった。

 気になるなら自分で連絡すればいいのに、それは無理だという。

 暇さえあれば友人達とツールで会話している恭子の言い分は、理解出来なかった。

 遼が横浜校の講習に行った理由が、優秀な講師陣とカリキュラムであると納得してはいる。だが、目的は本当に受験のためだけだろうか?

 恭子も、何か別の理由があると感じて優樹に探りを入れているのだろう。

 横浜校では理事長である優樹の祖父や、祖父の懐刀の姉、篠宮朱羅と関わる機会があるかもしれない。むしろ遼が、それを望んでいるとしたら心中が穏やかではいられないが、いずれにせよ本人が話してくれるまで問い詰める気は無かった。

 篠宮の本家当主、篠宮剛士郎しのみや ごうしろうは、齢八十を越えながらも手広い分野の会社を経営する事業家である。

 その事業の一つ、学校法人『私立叢雲学園』は横浜校と館山校に中等部と高等部があり、歴史の古さと偏差値の高さから一部の政財界や良家の子息の進学先として人気が高かった。

 優樹の母親が意識不明の状態で入院している原因は、祖父である篠宮征士郎だと、優樹は信じて疑わなかった。もしかしたら、早すぎる父親の死にも関係してるかもしれない。

 真実を解き明かすには祖父と対峙する必要があるが、今の自分には、それだけの力が無いと解っていた。

 なぜ、姉の朱羅は幼いときに本家に奪われたのか。

 なぜ母は、本家に追われ海に身を投げたのか。

 そして、なぜ自分だけが生きているのか。

「……必ず、ジジイの口から聞き出してやる」

 眩しい朝日を反射する、白亜の要塞。『私立叢雲学園・館山校高等部』正門前にバイクを止めた優樹は、決意を低く呟いた。

 エンジンを止めたバイクを正門から駐輪場まで移動させる途中、優樹は校舎昇降口に座り込んでいる意外な人物に目を留めた。

「アキラ先輩! なんで、こんな所にいるんですか? しかも朝早いのに!」

 須刈アキラは優樹の呼び掛けに軽く片手を上げ、ゆっくり立ち上がると大きく伸びをしてから長い髪を掻きむしった。

「ったく……朝からクソ暑いってのに、夏休みの小学生並に元気いっぱいだねぇ、篠宮」

「先輩は、この春に大学生になったとは思えないくらい、くたびれてますよ?」

 優樹の軽口に、アキラが笑った。

「やれやれ、言ってくれるねぇ……理学部天文班と写真部が合同でナントカ流星群の写真撮るって言うからカメラ貸しに来たんだけど、結局、屋上のテントで一晩中オンラインゲームしてたんだよ。それに俺は一年かぶってる分、年寄りだから仕方ない」

 バイクのスタンドを立て、括り付けられたリュックを外した優樹は冷たいペットボトルを取り出しアキラに手渡した。

「ありがたい、生き返るよ。ところで篠宮こそ、なんで朝早くから学校に来てるんだ? 部活は引退してるんだろう?」

「夏期講習です。俺は、予備校に行くつもりないから……」

 アキラは一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに事情を察し会得顔で頷いた。

 そもそも優樹は、高校卒業後に就職するつもりだった。親戚である田村家に、これ以上世話になるわけにもいかない。仕事に就いて独立し、本家とも完全に縁を切るつもりでいたのだ。

 ところが本家の祖父は、意識不明の状態で入院している優樹の母親の入院費用援助に条件を出してきた。

 優樹が、ランク中位以上の大学に進学することである。

 母親の生命維持には、多額の費用が掛かる。優樹が就職したとしても、賄える金額ではなかった。田村の叔父さんは「実の妹の入院費だ、私に任せて優樹の好きにしなさい」と言ってくれたが、進学費用と入院費全額負担の条件を前にして、優樹に選択の余地はなかったのだ。

 本校の夏期講習と予備校も提示されたが断った。せめて自力で、進学を果たしたかった。

「あー、だいたいの事は秋本から聞いてるよ。アイツ、横浜校の夏期講習前に志望校のオープンキャンパス・プログラムに参加しただろう? その時、俺の家に泊まったから根掘り葉掘り聞き出したんだ。話したがらないアイツから無理矢理聞き出したのは俺だから、秋本に気を悪くしないでくれよな?」

 拝む仕草で片目をつむったアキラに、優樹は笑顔を返す。

「気にしませんよ、そんなこと。だけど、アキラ先輩に俺の事しつこく聞かれて困ったと言ってたな。困った事と言えば、他にもあったみたいですけど?」

 途端、アキラは体裁悪そうな顔になり、また髪を掻きむしる。

「いやぁ、秋本に先輩として社会勉強を……ああ、だから夏期講習中は俺の家から通えば良いと言ったのに、断られたのかぁ?」

 都心の大学に通うアキラは、私鉄T急線沿線のマンションで一人暮らしをしている。もとは父親が単身赴任中の住居として購入した2LDKだが、転勤で空室になったためアキラが住む事になったらしい。都心や横浜に電車で二〇分ほどの、便利な立地だ。

 優樹はバックを肩に担ぎ、バイクのスタンドを上げた。

「俺は、これから剣道部の朝練に混ぜてもらって少し身体動かすつもりだけど、アキラ先輩も一緒にどうです? 目が覚めると思うんだけど」

「冗談だろ? お前と一緒にされたら死んじまう。俺は男子寮に残ってる後輩探して、少し寝かせてもらうつもりさ。流星群観測は、あと二晩続けるそうだし」

「くれぐれも後輩に、変な知識吹き込まないでください」

 低い声で優樹が忠告すると、アキラは肩を竦めた。

 アキラとの再会で優樹は、先ほどまでの本家に対する不快な気分が払拭されているのを感じた。遼の不在は、気付かないうちに自分を苛つかせていたようだ。

「もしかしてアキラ先輩、俺が心配で待っててくれたんですか?」

「まさか! 今朝、お前に会ったのは偶然。さてと、早いとこエアコンの効いた男子寮で一眠りしたいから、バイクで送ってくれ」

「学園敷地内でエンジン掛けたら停学なんだ。悪いけど、自分の足で歩いて下さい」

 優樹は駐輪場にバイクを止め、不満顔で歩き出したアキラに走って追いついた。男子寮は武道館の先だ。途中まででもアキラと話をしたかったのだ。

「篠宮は志望校、決まったのか? 俺は理数系科目苦手だけど、文系科目なら教えられるぞ? 特に英語は自信がある」

「英語は得意科目で偏差値も届いてるから自力でやれますよ。理数系は定期テスト前、必ず遼に叩き込まれたから夏期講習と補講を受ければ大丈夫だと思う。問題は地歴公民だな……公民を選択科目にしたけど、社会系の科目はホント頭に入らなくて」

「地歴公民かぁ……まぁ、苦手科目は得意科目で高得点取ってカバーする手もある。英語、得意なんだろ? 英語と言えば昨夜、流星観測中に後輩から聞いたけどマサチューセッツ姉妹校から交換留学生が来てるんだってな。一流ファッション誌モデルみたいな美男美女らしいから、ちょっと会ってみたいねぇ。篠宮は、会った事あるんだろ?」

「交換留学生は二学年だから、本年度留学生とは会った事ないですよ。確か校内の英語弁論大会上位に入った生徒からアメリカに行く生徒を決めてたはずだけど、興味ないから気にした事も無かったな」

「スピーチコンテストか。お前、参加しなかったの?」

「イヤですよ、人前で意見や主張を弁じるのなんか」

 そりゃそうだ、と手を叩いてアキラが笑った。

 他愛の無い話をしながら、体育館沿いの遊歩道に植えられた桜並木を歩く。春には温暖な気候のため早く咲き始める桜を、近隣の住民が鑑賞に来る場所だ。夏は豊かな緑が木陰を作り、生徒の憩いの場になっている。

 体育館から球技部のボールが床を弾む音と、元気な掛け声が響いてくる。負けじと、蝉も大合唱だ。この学園で過ごす、いつも通りの夏の景色……のはずだった。

 アキラと並んで歩いていた優樹は、遊歩道の先に武道館入り口が見えた途端、急に立ち止まった。武道館は地上一階が板張り、二階が畳敷きの武道場。地下一階がトレーニングルームになっていて、授業以外では柔道・空手・合気道・剣道の部員が利用している。

「静かだな」

 普段なら、剣道部独特の掛け声が聞こえる距離だ。筋トレか外周ロードワークに出ているなら外に何人かいるのだが、それらしい雰囲気も無い。

 桜の葉が揺れ、髪を乱した風が、緊迫した匂いを運んだ。

「止せ、手を出すな!」

「フザケンなよっ! テメェっ!」

「怪我は? 早く救急箱もって来いっ!」

 いきなり武道館から、いくつもの怒声が響いた。

 優樹は背負っていたリュックを投げ出し、入り口までの階段数段を一気に飛び越え武道場に駆け込む。

 目の前に、呻き声を洩らしながら倒れている、胴着姿の後輩数人。

 その中央に、異彩を放つ一人の青年が立っていた。

 細身ながら引き締まった筋肉が付いた長身。野性的で彫りの深い眼窩。

 赤味がかった金色の髪が、武道館の窓に引かれた遮光カーテン隙間から漏れる白い陽光に煌めいた。

「ワリぃ、アキラ先輩。嘘を吐くつもりじゃなかったんだけどさ」

 優樹の鞄を拾い、後ろから駆け付けてきたアキラが只ならぬ空気に眉を寄せる。

「うん? 何のことだ?」

「その交換留学生……俺は、アイツに会った事がある」

 呟きながら優樹は、金髪の青年を凝視する。青年も優樹に気が付き、その視線を真っ直ぐに返した。





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