〔3〕-2
事故とはいえ死者が出たのだ。捜査一課の刑事が現場にいても不思議は無い。ただ気になるのは先ほどの言葉だ。
「疑わしいと前置きした上で、僕に何が聞きたいんですか?」
少し尖った遼の口調に相馬は驚いた顔で目を見開いた。だが、すぐに相好を崩す。
「悪かった、キミが疑わしいというわけじゃ無いんだよ。実は倒れた鳥の作り物に、手が加えられた痕跡があってね。像の近くにいたキミが、そう……たとえば不審な人物を見ていないか聞きたかったんだ」
「朱雀像が倒れる直前、近くにいたのは僕と八神くん、それから朱羅さんだけです。不審な人物は見ていません」
「ふむ、八神くんもキミたち以外誰もいなかったと言っている。では、近くにバーナーとかジャッキとか、工具らしい物は無かったかな?」
「バーナー? ジャッキ? 無かったと思いますけど、なぜそんな物を探しているんですか? 手が加えられていたことに関係あるんですか?」
遼の問いかけに相馬は、思案顔で腕を組んだ。
「遅かれ早かれ情報公開して目撃者を募るから、バラしちゃってもいいか……。あの鳥の作り物は、鉄骨を芯にして成型ウレタンブロックを貼り合わせた物でね。首と本体を繋ぐ部分のウレタンが内部から熱を加えられたように溶けていた上に、鉄骨も何らかの力が加わった形跡があるんだ。バーナーのようなもので炙れば煙も出るし匂いも酷い。誰にも気付かれず像を倒すことは出来ないと思うけど一応、可能性として聞いてみたんだよ」
確かに常識では考えられない、不可思議な壊れ方だ。
だが遼は知っている。
常識では計り知れない力が存在することを。
なぜなら何度も、その体験を得てきたからだ。
相馬はメモに使っていた手帳に何やら走り書きし、遼に手渡した。
「これ、オレの個人的な電話番号。何か思い出したことや気付いたことがあったら連絡してくれる? キミは話に聞いていた通り、頭がキレて勘が良いみたいだ。何かヒントが見つかるかもしれないから」
「えっ、僕を知っているんですか?」
受け取った紙片に目を落としていた遼は、意外な言葉に驚いて顔を上げた。
「叢雲学園・石膏像事件は我々の間で有名だからね。それにキミも知ってる千葉県警の神崎ってヤツ、成田で三年ほど同じ職場だったんだ。アイツかオレが仕事で本庁に行くとき都合がついたら呼び出して新橋や有楽町で飲むんだけど、酔った神崎はいつも叢雲学園の学生探偵に助けられた話をするんだよ」
神崎の名を出され、遼は笑った。
「助けてもらったのは僕の方です。あの事件が解決してからも神崎さんは、濱田さんと連れだって時々『ゆりあらす』に遊びに来てくれるんですよ。先週の土曜日も濱田さんと一緒に船上バーベキューに参加するはずだったのに、仕事で来られなくなって僕の友人がガッカリしてました」
「友人というのは優樹くんのことだね? 彼の話も聞いているよ。精神も身体も、正義感もとても強いから警官になって自分の部署に来てほしいと言ってたな」
思わぬところで神崎の名を聞いた遼は、不思議な安堵感を得ていた。横浜校で一人、謎と向き合うことに疲弊していたのかもしれない。
「どうやら神崎に会う頻度はオレよりキミのほうが高そうだ。ヤツに会ったらよろしく伝えておいてくれ」
そう言って遼に笑顔を向けてから相馬は、隣に立つアレクセイに軽く会釈しその場を離れた。
「うん、今の話はとても嫌な感じですね。あの刑事さんの言い方は、理事長が何者かに殺されたかのようです」
会話が聞かれない距離に相馬が離れると、アレクセイが不快を顕わにした顔を遼に向けた。
「まさか……もし本当に何者かが像に細工をしたとしても、篠宮理事長だけを殺すことなんて無理じゃないでしょうか?」
「そうですね……怪我人の多くは崩れた足場や脚立の下敷きになったり打ち当たったりしたものです。理事長にだけ薄く硬いプラスチックで出来た飾り羽を突き刺すなんて、計算できるはずアリマセン。普通の人間には……」
「えっ? どういう意味ですか?」
アレクセイの言い方に含みを感じ取った遼は、あえて笑顔で聞き返す。
「んー改めてリョウに説明する必要、ないと思いますが?」
平静を保つことができず、自分の表情が強張るのがわかった。遼の動揺を見透かしたようにアレクセイが微笑む。
「ワタシとリョウ、そしてミス朱羅は一刻も早く話しあう必要があります」
隣に投げられたアレクセイの視線を追うと、一人でこちらに向かってくる朱羅の姿があった。
「秋本くん! あぁ、アリョーシャもありがとう……怪我人を冷静に誘導してくれたから助かったと、救急隊の人達が感謝していたわ」
突然の出来事で肉親の死を目の当たりにしながらも、他者への気遣いを優先する朱羅の姿に心が痛む。しかし血の気を失った青白い顔と疲れがにじむ潤んだ目元は、朱羅の美しさをさらに引き立てていた。
「朱羅さんに怪我が無くて良かったです。篠宮理事長は……その……」
どう言えば良いか解らず遼が口ごもると、朱羅は目を伏せ硬く唇を結ぶ。それからゆっくりと息を吐いた。
「ええ……まさかこんな事故が起きるとは思わなかったわ。警察は何者かが朱雀像に細工をしたと言うけど、いったい誰が何のために? 心当たりを聞かれても、皆目見当がつかないの。首の付け根が溶けていたそうだけど、昼過ぎに像の前で秋本くんと会った時には何も気が付かなかったわ」
「僕も像を一周して眺めて、変に思う所はありませんでした」
遼の言葉に朱羅は小さく頷き、無惨な姿の朱雀像を見上げる。
「それにしても皮肉なものね。不死と炎の象徴である『朱雀』の首が、熱によって溶かされ崩れ落ちるなんて……この学園の創設者である篠宮星華さまが生きていらしたら、お怒りになるでしょうね」
「篠宮星華さまは館山の青龍校にならって横浜校を朱雀校と名付けたそうですね。五行説に語られる四神獣が関係してるんですか?」
今年の春、信州に旅行したときに起きた怪現象が遼の脳裏をかすめた。あの時、一年先輩の轟木が意味深な発言をしたからだ。
「五行説? そんな大層な意味は無いと思うわ。館山は国を守る海の要だから、館山校創設時に『青龍校』の名を付けたそうよ。横浜校は謂われが同じ所から洒落で『朱雀校』と呼ぶようになったとも、星華さまに炎を操る不思議な力があったからだとも言われているけど……後者は創設者を教祖化したい信奉者が捏造した根拠の無い噂ね」
噂……本当に根も葉もない噂なのか。
事実、遼は理解の範疇を超えた優樹の力に出会っている。もしや朱羅は、優樹や遼が体験した現象を知らないのだろうか?
それとも知りながら、表沙汰にするのを避けている?
「噂ではありません。レディ・セイカは微力ながらファイア・スターターでした。そのために、この国を去ったのですから。ミス・朱羅は真実を認めなければなりません」
突然、二人のやり取りを黙って聞いていたアレクセイが、遼の疑問を代弁した。すると朱羅は、それまで見たことも無い厳しい表情で目線を返す。
「アリョーシャ、あなた秋本くんの前で何を言い出すの? 荒唐無稽な仮説を信じて、いつまで私達を監視するつもりなのかしら?」
「コートームケー……うん、とてもファンタスティックな日本語です。そう、いままさにファンタスティックな出来事が、あなたの大切な人の命を危機的状況に陥らせています。私もファンタジーは空想と創作の世界であって欲しいですがね」
穏やかなアレクセイの言葉に、朱羅は顔色を変えた。
「優樹に……何をするつもりなの? あの子に何かあったら、どんな手段を使ってでも組織を潰すわ」
「oh……シノミヤ・ファミリーは恐ろしいですね。しかし何も判断しない、何も決定しない、何も行動しないのが我々の立場ですよ、ミス・朱羅。いずれにしても、あなたは早急にリョウ・アキモトと情報を共有した方がいい。なぜならユーキを救うkey(鍵)は、彼にあるからです。二人を引き離してもtrouble(面倒事)は回避出来ない」
朱羅とアレクセイの張り詰めた空気に立ち入ることが出来ないまま呆然と立ち尽くしていた遼は、急に名前を呼ばれ我に返る。
「えっ、僕……が?」
注がれた朱羅の視線を受け止めた遼は、全身が総毛立つのを感じた。
遼から視線を外した朱羅は朱雀像を見上げ、大きく息を吐く。
「正直に言えば、貴方達の忠告なんて信じていなかった。もし何か起きたとしても、自分だけで解決出来ると思っていたわ。だけどお爺さまは……彼等に殺されたのね?」
「Yes」
殺された……?
アレクセイの返答に、遼は動揺した。
いったい何が起きているのか、そして何が起きようとしているのか?
組織とは何だ?
自分が鍵になると、アレクセイは言った。鍵とはどういう意味なのだろう?
誰が味方で、誰が敵なのか?
冷静に思考を働かせようとするが、情報が処理できない。
焦燥感が募るばかりで言葉の無い遼に、アレクセイが微笑んだ。
「うん、私は敵ではアリマセンよ? 心配しないで下さい、リョウ」
判断を求め、遼は朱羅に顔を向ける。すると朱羅は苦々しい表情で頷いた。
「確かにアリョーシャの属す組織は敵では無いけど……味方でも無いわ」
事は一刻を争う状況だと、アレクセイの話から判断できた。しかし朱羅はまだ、遼を巻き込むことに迷いがあるようだ。
意を決し、遼は朱羅の両肩を掴んだ。
「説明して下さい、朱羅さん。僕を夏期講習に誘ったのは、優樹と引き離すためだったんですね。アリョーシャは何者なんです? 誰が篠宮理事長を殺したんですか? アリョーシャは、僕が優樹を救うために必要だと言いました。優樹を救うためなら僕は、どんなことでもやり遂げます」
真剣な顔で問い詰める遼を、朱羅は大きく目を見開き見つめ返した。そして一瞬、歪んだ表情になり顔を伏せる。
泣かせてしまったかと焦り慌てて手を離すと、意外なことに顔を上げた朱羅は笑顔だった。
「ふふっ……優樹は素敵な親友がいて羨ましいわ。そうね、アリョーシャを全面的に信用したわけじゃないけど、何か起きる前に対策を講じる必要はあるようね」
そう言うとアレクセイの傍らに立つ。
「すべてを説明すると長くなるから、場を改めましょう。取り敢えず、彼のことは紹介しておくわね。アレクセイは、どの国にも属さない『イレギュラー監視システム』から派遣された篠宮のウオッチャーよ」
「ウオッチャー(見張り人)?」
意味を謀りかね、首をかしげる遼にアレクセイが右手を差し出した。いつの間にか、上着を着てネクタイも締めてある。
「改めてよろしくですね、リョウ」
差し出された手を握り返した遼には、アレクセイの笑顔の裏を感じ取ることが出来た。
それは、どこまでも続く砂漠のように、乾ききった心象風景だった。




