〔2〕-2
細かく床が振動し、金属が擦れる耳障りな音がする。
次の瞬間、メリメリと不気味な音を立て、鋭い嘴と黄金に輝く冠羽を戴いた美しい朱雀像の首がスローモーション画のようにゆっくりと落ち、鋼材で組まれた足場を押し倒した。
鉄パイプやジョイントが、雨のように頭上から降り注ぐ。
悲鳴と怒声。
床に叩き付けられた金属が、背の凍るような甲高い音を立てる。
ずしりと、重い衝撃音。激しく床が震え、遼の身を守っていたグランドピアノが断末魔の連弾を奏でた。
両手で頭を守り、息をすることも忘れて屈み込んでいた遼は、恐怖を煽る破壊音が収まると大きく深呼吸してピアノ下から這い出した。
目の前に広がる惨状。
床に倒れている者、蹲る者。フロア全体を見渡した所、十数名はいるだろう。中には血を流している者もいた。
抱き合い、すすり泣く女子生徒。怪我人に声を掛けながら電話をする男子生徒。
収まらない喧騒から目を背け、朱雀オブジェが飾られていた台座を見上げると緋色に輝く胴体から伸びていた美しい首はひしゃげ、バラバラになった頭部のパーツが無惨な形で床に転がっていた。
「怪我はないか?」
言葉も無く立ち尽くしていた遼は、携帯電話を手にした八神の声で我に返った。
「あっ、うん……八神くんは?」
「飛んできたプラスチック片で少し切ったけど、たいした傷じゃ無いよ」
八神が遼に見せたのは、朱雀の冠羽に使われていた金色の羽だ。血のついた羽を見た遼が改めて八神の顔に目をやると、頬の一部が切れている。
急いでポケットからハンカチを取り出し傷に充てた。
「すぐに手当をしたいけど、先に重傷の人達を助けないと……」
「もちろんだ、こんなの怪我のうちには入らない。警察と救急には連絡した。学校側は生徒会の回線で要所に連絡を取るから、君は僕に頼まれたと言って負傷者を一カ所に集め人数確認と学年氏名を控えて欲しい。すぐに学校医の藤堂先生と救命士資格のあるアリョーシャが来てくれるから、救急車が来るまでトリアージ手伝いを頼むよ」
「わかった。あっ、その……危ない所、助けてくれてありがとう。だけどなぜ、オブジェが倒れる前に解ったんだ? まるで……」
八神の素早い判断と行動に感嘆しながらも遼は、しかし違和感を口にせずにはいられなかった。
いまは自分の疑問を優先すべき時では無い。それでも急いで正体を知る必要があると感じたのだ。
遼の問いかけに八神は、薄く笑った。
刃物の鋭い切っ先を、喉に突き付けられたような悪寒が走る。
「僕は普通の人より少し、勘が働くんだよ。そう……きみや、篠宮優樹くんと同じようにね」
八神の言葉と同時に黒く細い糸が遼の身体に巻き付き、瞬時に霧散した。悪意や害意とは違う、危険を伴った怨念、羨望。大きな哀惜。
「いったい、八神くんは何を知って……」
「……っ! ぃやぁああああっ!」
息苦しさを堪え絞り出した言葉は突然、悲痛な叫び声に掻き消された。
声の主が朱羅と解った途端、反射的に八神を見た遼は、その動かない能面の表情に全身の血が引く。だが気を取り直しホール出口近くに立ち尽くしている朱羅の元へ駆け寄った。
朱羅は夥しい血溜まりの中にいた。
一瞬、彼女の着ていたワインレッドのスーツが血に見えて動揺したが、近付いてみれば怪我は無い様子だ。
では、いったいこの血溜まりは……。
朱羅の足下から目で辿ると、大柄な男性が俯せに倒れている。
深いネイビー色のブリティッシュ・スーツ。赤く染まる銀の髪。
首に突き刺さった、黄金の羽根。
「篠宮……理事長……?」
間違いない。
朱雀オブジェの冠羽に頸部を抉られ絶命しているのは、篠宮剛志朗その人だった。
「あぁあぁあぁぁ……っ、おじいさま……っ……」
ふらりと、傾いた朱羅を咄嗟に支えた。
悪夢のような光景だ。
これは、本当に偶発的な事故なのか?
考えたくは無いが、知らない所で何者かの謀略が動いているとしたら?
優樹の回りで、いったい何が起きているのだろう。
急いで朱羅を血溜まりから引き離し壁際に座らせる。
「大丈夫です朱羅さん、八神くんが警察と救急を呼びました。僕は他の怪我人を確かめに行きますから、ここにいてください」
考えるのはあとだ。
救急車両のサイレンが近付く中、遼は喧騒の中に戻っていった。




