逃走劇
豪奢なシャンデリアと見るからに高そうな家具の数々。その華美な部屋にあまり似つかわしくない薄汚れた外套を羽織った一人の少女が佇む。外套は膝上丈で頭をすっぽりと覆うフードにより顔は隠れてしまっているが、スカートを穿いていることから女性であることは窺える。
窓からは心地の良い風が吹き込んでいるが、彼女はそれに気を取られたりはせず窓から外の景色にのみ意識を向ける。
窓の外には丁寧に手入れされた芝生に花壇、戦ぐ木々。彼女がいるのは建物二階の一室。そこから地面まで垂らされた長いロープがある。
そう、彼女はたった今からロープ一本でスパイ張りの脱出劇を繰り広げようとしているのだ。
少女は窓から下を覗き込み、誰もいないことを確認すると窓の淵に足を掛け、柱に結んだロープを引っ張りその強度をしっかりと確かめる。細身のロープは頼りなくも思えるものの、彼女の体重を支えるには十分だった。
だがそこで窓の反対にあるこの部屋唯一の出入り口である扉の向こうからドタバタと強めの足音と慌ただしい声が迫り、それが止むと同時に激しいノック音と叫ぶ声が聞こえる。
「お嬢様、今度は何を企んでるのですか!? 大人しくここを開けて下さい!!」
部屋の扉は内側から施錠されているが、相手が合鍵を持っている場合それは意味を成さない。彼女もそのことは承知している。
すぐにカチッと扉の鍵が解錠された音が聞こえ、すんなりと扉が開け放たれるはずだった。だが扉は微動だにしない。扉の前には応接用の机と椅子がバリケードのように積み重ねれれており、強い力で外から押されているのだろうがすぐにどうこうなることはないだろう。
だが、その考えは甘かった。
少女が窓の外に視線を戻した直後、バリケードに使った家具と扉が轟音と共に吹き飛び瓦礫と化し散り散りに部屋に散乱する。それに次いで廊下から暴風が室内に流れ込み、逆光に浮かび上がる二つの人影。
「さあ、観念してくださいね。お嬢様」
「抵抗は無意味。サラは寝不足でイライラ。今日は降伏するが吉」
「誰のせいで徹夜することになったと思ってるのですか!! テオ、貴方が領主会合の準備を手伝いもせずに寝てしまったから私がその分もする羽目になったんです」
二人とも白髪でヨークイエローの双眸、お揃いのオーソドックスなメイドドレスに身を包んでいる。姉妹のようによく似た二人の違いは髪型くらいで、サラと呼ばれた彼女は後ろで結い上げたポニーテール、テオはショートヘア。一見姉と弟にも見えなくはないが、残念なことにバストはテオの方が明らかにふくよかであった。
サラの右手には淡く翡翠色の輝きが残っており、風系の魔法を使ったことは想像に難くない。
「二人には悪いけど、退けないわ」
少女はきっぱりと言い切った。しかしそこで「はい、そうですか」というほどサラは冷静ではなかった。
「では、力づくで、身動きを封じます」
サラが右手を突き出す体制で魔法の発動を、それに少女が構えで牽制する。空気は張りつめ一触即発寸前のその時、テオがそこに水を差す。
「サラ、これ以上物を壊すと片付けが大変」
その一言でサラの怒りの矛先が少女からテオに切り替わる。だが本を正せば原因はテオにあるわけで、原点回帰したに過ぎない。
「誰が片づけると思ってるんです? どうせ貴方は手伝わないのだから口を挟まないで下さい!!」
「私も一応専属のメイド。だから、それなりの責任がある」
「よくそんなことが言えますね。昨日は夕食の準備もお屋敷中の清掃も今日の会合の準備も全部、全部私がしたんですよ? 貴方はといえば屋敷に迷い込んだ野良猫とじゃれてただけじゃないですか!」
「それが私の任務。あの子を百獣の王にする。あとあの子はもう野良じゃない」
「猫は王にはなれません。って、まさか飼うつもりですか? 許しませんよ」
「サラはけちんぼ」
「何ですって!!」
二人は激しい言い合いを繰り広げる。ヒートアップするサラに対し、淡々と返すクールなテオ。二人の視線が交錯し火花を散らす。
ここがチャンスとばかりに少女は忍び足で窓まで近づくと、ロープを使うことを諦め、床を力一杯に蹴り窓から身を躍らせた。その直後、周りに聞こえない程のボリュームで詠唱をする。最後の言葉だけが微かに空気を震わせた。
「《―――――――――活性化》」
少女は落下する地面に向かって仄かに黄色く発光する右手をかざす。すると芝が急速に成長し、背丈が裕に一メートルを優に超える。これにより密度が高くなり緩衝材の役割を果たすことが出来る。
伸びきった芝生が落下の衝撃を吸収してくれたおかげで軽く受け身を取っただけで少女は態勢を整えられた。だが飛び降りた拍子に外套のフードが捲れ、中からブライトグリーンの髪が露わになる。
しかし少女はそんなこと気に掛ける事もなく、自分が飛び降りた窓を一瞥し駆け出す。
そんな逃走劇の一部始終を見ていたテオは無言で窓を見つめる。そんなこと気にする様子もなく、サラはまだ怒り冷めやらぬ様子で捲し立てている。
そこでようやくテオの様子に気づいたサラは鋭利な言葉を投げかける。
「テオ、どこを見てるのですか! まだ話は終わっては―――」
「対象逃走。サラの失態」
「何を言って……」
サラが視線を先刻まで少女がいた方に向けると、当然だがそこに少女はいない。
「お嬢様は?」
「窓の外」
「何で言ってくれなかったんですか!?」
「聞かれなかったから」
あまりの会話のレベルの低さにサラは軽い頭痛を覚え、深いため息を吐く。
「話になりません。片付けは後回しにして、お嬢様を追いますよ。反対意見は受け付けません。異論は?」
「……。」
反論させないよう先に釘を刺しておきながら、その上で確認するやり方にテオは無言で不満たらたらの視線をサラに注ぎ、ムッと膨れっ面になる。だが案の定サラは気にも留めない。
「では行きますよ」
サラはそう言い残すと部屋から駆け出る。ため息を吐きながらもそれを追うテオ。
しかし小さな反抗として自室に戻り私服に着替えるというわがままを無理に押し通し、五分のタイムロスとなった。
部屋の前で待っていたサラはぶつぶつと何かを言いながら沸々と怒りのゲージを蓄積させていた。




