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聖戦と少女の影

 時刻は午後九時を回り、街の景色も宵闇に包まれていた。

 建物の窓からは暖色の灯りがちらほらと見え、人の営みがそこにあることを映し出している。

 響はル・マオリルからの帰路についていた。隣を歩くのは仕事を終え、出会った時と同じワンピースとポンチョに着替えたユニ。

 辺りは比較的静かで、二人の靴音が軽く反響している。

 クレアとの一件が解決してから二時間ほどで店は閉店し、響はエドワードからこの世界のことを聞くことに成功したのだ。それが今から遡ること約一時間前のこと。

 響は店の閉店を待たずとも協力者になってくれたクレアから話を聞けばいいと思っていたが、

『確かに私から話してもいいのだが、私はあまり史実やその手の話が苦手でな。正確に伝えられる自信がないのだ。ヒビキにとってもマスターから聞く方が有益だろう』

 クレアにそう言われてしまい、予定通りエドワードから話を聞くこととなった。

 話は響が予想していたより壮大だった。簡単に説明するとこうなる。


 この世界は一つの広大な面積を誇る大陸と隣接する複数の諸島から成り立っており、海の向こうには未知の存在暗黒(ダーク)領域(サンクチュアリ)と呼ばれ魔族の住まう世界があると人々に怖れられていた。

 大陸には人族、獣族、昆虫族、植物種、精霊族(フェアリー)、エルフ族、ドワーフ族、亜種として獣人などの混成種が生活しており、その中でも人族が圧倒的な比率を占めている。


 この世界の歴史は大きく創世から聖戦までの旧暦と、聖戦終結からの新暦の二つに分けられる。

 大陸が現れたのは今から六〇〇〇年ほど昔とされている。

 この大地は天界に住まう神、四大神の一角を担う地母神が創り上げたとされており、のちに人々は下界のことをガイアと呼ぶようになる。人々はそれが地母神の名だと信じているが、その真偽は定かではない。

 しかしその一方では虚無に現れた始祖の巨人の成れの果てという説もあるらしいが、こちらは一部の間で広まるにとどまり浸透はしなかった。

 それから神々はオリュンポス、アース神族、ヴァン神族に別れそれぞれ役割を持つようになる。その中で最も力を持ったのが主神ゼウス率いるオリュンポスだった。

 オリュンポスの神々はこの地に生命を芽吹かせ、それを天界から観測することにした。

 まず神々が創り出したのは三つの生命体。一つは地を這い、一つは水中を泳ぎ、一つは空を飛ぶ。それぞれ生きる環境が異なり、それは長い月日を経て進化と停滞を繰り返した。

 特に大きな変化が起こったのは陸を這う生命体だった。それは次第に二足歩行と四足歩行に別れ、今の亜人種と獣種になったとされている。亜人種はその中から人族、エルフ族、その他の混血種など数多く枝分かれした。

 神からの恩恵を受け下界では文明を発展させてゆき、見る見るうちに文化が繁栄していった。

 その中でも人族の文明は急速に発展し、大陸に五つの大国を築き上げた。そこには神の使者と名乗る五人の王が君臨し、互いを牽制し合うことで同族間での平和を保っていた。

 それからの約四〇〇年間は種族間での戦は絶えなかったが、それなりに平和な日々が流れていた。

 事態が急変したのは文明が大きく発展してから約五〇〇年が経った旧暦三九七〇年のこと。

 暗黒領域にあるといわれる幻の大地暗黒(ダーク)大陸(テリトリー)から魔族の大軍勢が大陸(ガイア)へと侵攻して来たのである。

 魔王の軍勢は大陸の西端から上陸し、大陸の中心にある大国を目指した。そこには神の聖域天界(アルカディア)へと至る道があるとされていたからだ。

 魔王軍の目的はただ一つ、天界へ侵攻し神族を滅亡させることだった。

 その道中の街や村は蹂躙され、そこに暮らす者たちは例外なく無残にも皆殺しにされた。仮に殺されなかったとしても魔王軍が纏う死の業火耐えられはしなった。

 魔王軍が上陸したことをいち早く察知したオリュンポスの主神ゼウスは天界より神族の精鋭を率い、これを迎え撃った。

 ゼウスの率いる四大神と十二神柱は魔王の率いる大群に数で圧倒され、劣勢を余儀なくされていた。

 しかし自らの代償を厭わず放たれたゼウス渾身の一撃により魔王ハデスは討たれた。その時に失った力は大きく、ゼウスは主神ではいられなくなり女神アルテミスとして転生し、新たに十二神柱に加わることとなった。

 そしてその空白となった坐に上り詰めたのは(ヴァ)乙女(ルキリー)を率いるアース神族の主神オーディンだった。それからはオーディンの名のもとにオリュンポスとアース神族は統合された。

 大将を失った魔王軍は一部の残党が命も惜しまず弔い合戦を始めるも、大方の勢力は戦意を削がれ早急に撤退を始めた。

 これが第一次聖戦と呼ばれるもので、この戦は神族側の勝利という形で幕を閉じた。

 しかし、この聖戦により大陸の西側ほとんどが火の海に変わったという。

 大陸に住む人間を含む生き物の半分以上が死滅し、文明や生態系がそこで崩壊した。

 聖戦の終結後に生き残った者たちは手に手を取り合い、復興に勤しんだ。そこの中で指導者的な役割をしていた者たちがのちに今の貴族になったと言われており、今の貴族の序列制度はその時の貢献度から来ているらしい。

 大陸にあった五つの国のうち二国は魔王軍の襲撃により跡形も残らず全壊、残りの三国も聖戦の余波を受け体制は崩壊した。それ以降国という統治体制は見られなくなった。

 魔王軍の再来を危惧した知識の神は大陸の中心にあった国を再建する代わりに神の住まう街【王都アジール】とし、そこに十二の神官を駐留させることにした。

 そして現在の体制が確立された。

 それからは平穏な日々が流れ、魔族の危険も去ったと判断したオーディンは神官を天界に帰還させた。

 それから間もなくして神の血を引く者【神血族】が現れ、神なき後王都アジールの実権を握ろうとしていた貴族たちを一蹴した。

 神血族は神を信仰する者たちに根強く崇拝されていたが、何よりも圧倒的だったのはその力だった。

 彼らは神から受け継いだ潜在能力によって神には及ばずも、人の枠を遥かに凌駕する力を群衆の前で見せつけたのだ。その瞬間にこの世界のヒエラルキーが確定した。

 それから王都には神官の後釜として九人の神血族が君臨し、貴族を従えるという今の体制が確立され、今もなおその体制は揺るがない。


 暇を持て余した神々が天界から下界へ降り立ったという事についての話はなかったが、結論だけ述べるならあまり役に立ちそうな情報はなかった。

 何よりこれ以上フィクションチックではあるものの、歴史的なことをつらつらと語れてしまうと凡人並みの響の脳では処理が追いつかなかっただろう。なにせ話の後半は少し眠気すら来ていたのだから。

 響が話を聞いて素直に思ったことは、北欧神話の主神オーディンとギリシア神話の主神ゼウスが両方出て来るなんてかなりぶっ飛んだ世界観なんだなという稚拙な感想だった。

 それにしても弱者の守護神として描かれることの多いゼウスだが、女にだらしないという一面があったと響は記憶している。そんなゼウスが女神に、その中でもギリシア神話の三大処女神であるアルテミスに転生するなんて皮肉な話もあったもんだと思った。

 もちろん現実世界の神話の常識がこの世界でも通用するとは限らないし、主神というだけでゼウスとオーディンが両立してはならないというのも変な話だ。全宇宙や天候、雷を操る天空神のゼウスと魔術と知識に長け、戦争と死の神とされるオーディンでは似ても似つかない。なにせ出典の地域もまるで違うのだから。

 補足すると響はこの手の話に少し詳しい。

 何故ならゲームやアニメには必ずと言っていいほどこのような単語が少なからず出てくる。それをネットや参考書で調べたりするのが響は無性に好きなのだ。半分趣味といっても過言ではない。

 もちろんそんなものは学校の勉強には何の役にも立たないのだから他言はしない。引かれるのが怖いからだ。

 話を終えるとエドワードは「夜の仕込みがある」とだけ言い残して厨房に消えた。寡黙なエドワードらしい行動だが、もう少し後日談のようなものを語ってくれてもよかったのではないかとも思う。

 結局話を聞いて響が理解したことは聖戦という神族と魔族の大戦があり、多くの命が失われたこと。その対処として王都に神の遣いである神官が常駐していたこと。神官の後釜を狙っていた貴族だったが、今は神血族に手も足も出ないということくらいだろうか。

「過去のことが分かってもなぁ……」

 響は空を見上げ、小声で独りごちる。だがそれを聞き逃さない者がいた。

「過去がどうしたんですか?」

 少女は響を見つめ、ハッとしたように慌てだす。

「もっ、もしかして記憶が戻ったんですか? やっぱりクレアさんの秘策が利いたんですかね」

 ユニは少し興奮気味の様子だが、悪いとは思いつつ水を差す。

「ごめん……。思い出したわけじゃないんだ。何ていうか、さっきエドワードさんに聞いた話について考えてたんだ」

「あっ、そうだったんですか。すみません、とんだ早とちりをしてしまって」

 このタイミングなら「記憶が戻ったよ」と言うことは容易かったかもしれない。

 でも、もしこれが単純な話でなかった場合、万が一にでも魔族との全面戦争(第二次聖戦とか)の勇者として呼ばれたのだとしたらどうだ。それは確実にユニの平穏な暮らしを崩してしまうものになる。

 だから話せなかった。まあ、聖戦クラスになれば黙っていても平穏は崩れるだろうけど……。

 でも本当に神、神血族またはそれに属する者が僕を勇者に選んだのだとしたら、見る目のない選定者もいたものだ。

 もちろん面倒事は真っ平御免だし、縁も所縁もない世界のために戦う義理もない。

 二人の真上には幾百、幾千の星が煌めいており、それは日本で見る星空とは比べ物にならないほど美しかった。

 もしそれがこんな状況でなかったのなら、だが。



 ユニと響の二人はユニの部屋に戻って来た。理由はもちろん夜を明かすためだ。

 普通なら女の子の部屋に泊まるなど小心者の響に出来っこないのだが状況が状況なのと、先刻の話し合いで響が野宿をすると言うと自分の部屋に泊めるとユニが断固として譲らなかったのだ。

 部屋は木製の机と椅子が置かれたダイニングキッチンとその先の扉の向こうにあるベッドと本棚、タンスがある寝室。そしてもう一つ扉があり、そこは洗面所とシャワールームになっていた。浴槽がないのは文化の違いだろうが、温泉好きの響は少し残念だった。

 つまり、この部屋にベッドは一つ。

 響は嫌な予感を感じ、先手を打つべく口を開く。

「こんな状況とはいえ泊めてくれてありがと。僕はキッチンで寝るからユニは―――」

「はいっ!」

 ユニは響が話し終わる前に何かを手渡してきた。それは畳まれた大きめのタオルだった。

 状況を呑み込めていない響にユニは笑顔で告げる。

「地下に大浴場がありますから、さっぱりしてきてください。今日は一日大変だったでしょう?本当は着替えがあるといいのですが、私の服をお貸しするわけにもいかないので」

 明らかに体格の違う響とユニ。何より性別が違うのだから着れるはずがない。

「ありがと。何から何まで気を遣わせてるみたいで」

「気にしないでください。私が好きでやってるだけですから」

「それで、僕はこっちで……」

「あっ、男性が入れるのはあと三十分くらいなので早めに入って来てください」

「う、うん……」

 響は釈然としないものの時間がない事もあり、ユニに大浴場の詳しい場所を聞き部屋を出る。

 板張りの床を階段まで歩き一階まで下りそこから右曲がりまっすぐ進むと、突き当りに扉がありその中は石造りの螺旋階段が下に向かって続いていた。

 等間隔に吊るされたランタンの暖色の灯りのみを頼りに下っていると、微かに湿気を含んだ暖かい空気が湧いてくる。

 階段を下り終え、木製の引き戸を開けるとそこは別世界だった。

 白いタイルが壁一面に貼られた広めな部屋。ロッカーのようなものはなく、床に竹で編まれた籠がいくつも重ねて置かれていた。四つ角には大きめの観葉植物が置かれており、奥には暖簾の架かった木の扉がある。どうやらそこが浴場のようだ。

「ロッカーもないなんて、異世界の人はいろいろ不便なんだな」

 響は独り言を呟きながら服を脱いでいき、それを竹籠に入れる。

 そのまま扉まで一直線に向かい、扉を横にスライドさせる。すると浴場から湯気が脱衣所に溢れ出す。そして浴場の全貌が露わになる。

 浴場はそれほど日本の温泉施設と変わらず床と浴槽は石でできており、広めの浴槽が一つと小さめの浴槽が一つ。入って右の壁側には等間隔に鏡と蛇口があり、木で作られた丸い椅子が端に積まれている。

「中は意外と普通っていうか、いかにも銭湯って感じだな」

 響は木の椅子を手に取ると、一番近くの鏡の前に置きそこに座る。

 そこで髪と体を洗うのだが当然ボディタオルのようなものはないため、仕方なく手で洗うことにする。あと不便だったのはシャンプーとボディソープなんて最先端なものはなく、全てを石鹸で済まさなくてはいけなかったことだっだ。

 響はあまり私生活にこだわりの少ない人間だがシャンプーには何故かこだわりがあり、石鹸で髪を洗うと油が落ちすぎてキシキシするのがあまり好きではないのだ。そのため銭湯に行く時は必ず自前の風呂道具を持参していたほどだ。

 だが今は文句を言えるような状況ではないし、お風呂に入れるだけでも幸せなのだろうと思う。

 頭と体を手早く洗い終え、湯船に浸かると自然と大きなため息がこぼれる。身体はそうでもないが神経を一日でかなり酷使してしまったのだ。誰もいない浴場でくらい気が抜けてしまうのも無理からぬこと。

 浴槽のお湯は比較的熱めで水が普通よりも軟らかいように感じ、肌が何だかすべすべになったようにも感じる。もしかしたら何処かの源泉を引いてるのかもしれない。

「もしこのまま一生をここで過ごすことになんてなったら―――」

 そこで響はかぶりを振る。

 確かにこの状況はアニメや漫画でよくある展開で、響もそんな作品は嫌いではない。だがそれは客観的に見るのがということであり、自分にその大役が回ってきたのだとしたらそれは厄災でしかない。

 あんなのは勇敢でかっこいい主人公だから成立する話で、僕みたいに正義感だけ無駄に強くて、そのくせ微塵も才能に恵まれなかったような男に回ってくるべきものじゃないんだ。

「とっとと黒幕さんに会う方法を考えて帰らなきゃ。あの、つまらない日常に……」

 響はあまり長湯が出来ない体質だが、ついつい考え事をしてしまい軽い眩暈を感じる。

 少し長湯しすぎたか……。

 響は急いで湯船から出て、軽く冷水を浴びる。幸いすぐに出たことで何事もなく、脱衣所に戻り先程脱いだ服を着る。

 そこで入浴前には気付かなかったが、壁に入浴時間の表がベニヤに貼られて吊るされていた。


【男性:午後八時~十時、午前零時~二時 女性:午後六時~八時、午後十時~零時】


 響は咄嗟にスマホを取出し今の時刻を確認する。今の時刻は二十一時五十五分。つまり次の女性の入浴時間まであと五分しかない。

 おいおい、厄介事はごめんだぞ……。

 せっかく一日の汗を綺麗に流したというのにまた違う汗をかきそうになり、響は足早に脱衣所を後にする。

 幸い道中で誰とも会わなかったため、取り越し苦労に終わった。


 響が部屋に戻るとエプロン姿のユニが夕食の準備をしながら待っていた。

「ちょうど良かった。今夕食の準備が出来たところなんですよ」

 テーブルの上には彩り豊かで豪華な料理たちが並んでいた。鼻腔をつく香しい香りに自然と響の腹の虫が悲鳴を上げる。

 そこで響はクラブサンドを食べてからかなりの時間が経っているにもかかわらず、それ以降珈琲しか口にしていないことを思い出す。

「お腹が空いてるみたいで良かったです」

 ユニはエプロンを外しながら嬉しそうに言う。お腹の音を聞かれ少し恥ずかしい響だったが、今更もう遅いと割り切ることにする。

 なぜなら目の前の料理に眼を奪われてしまい、それどころではないからだ。

 ユニに促され奥の椅子に腰かけると、ユニもその向かいに座る。

「では、食べましょうか」

「うん。いただきます」

 響は目の前に置かれたスプーンを手に取り、湯気が薄く上がるスープを掬い一口啜る。

「お、美味しい。こんなスープ飲んだことないよ」

 そのスープは絶妙な塩加減で、レタスのような葉菜とトマトのような野菜が微かな甘みを加えていた。だが一番の驚きは煮干しや鰹節、貝などの海鮮系でもなく、牛や豚、鳥などの出汁とも違う不思議なコクを醸し出していたことだ。

 言葉では言い表せないそれはとても響の舌に合っていて、病み付きになりそうだった。

「それは山ウルフの骨と岩蛙から取った出汁を使ってるんです。野菜はフランと言われる葉野菜とパンスという赤い実の果物です」

 そこで響はその事実を聞いたことを後悔した。

 確かに食文化の違いはあるだろうが、日本で蛙を食べるのはバラエティ番組の企画で芸人が罰ゲームとして食べているくらいなもんだと思う。いや、思いたい。

 だが今はこんなに美味しいのだから、意外と食べず嫌いなだけなんじゃないかと思えてしまう。蛙の肉は鶏肉みたいだとも聞くし。

 その後も七種の野菜の入ったカラフルなサラダや羽蟹と殻兎のステーキ、木イチゴの蒸しパンと振る舞われた料理はどれも最高に美味しく、響の手が終始止まることはなかった。

 響のそんな様子を見てユニも嬉しそうだった。

 時折ユニの方を見ると彼女はとても礼儀正しく、食事シーンですら所作が美しく見惚れてしまいそうだった。時々目が合いそうになりそれを必死で誤魔化すのにかなり苦労した。

 響が夕食を終えその余韻に浸っていると、洗い物を済ませたユニが言う。

「私はこれからシャワーを浴びるので、先に寝てて下さい。ベッドで」

 そこで響は自分がユニに言おうとしてはぐらかされたことを思い出して、ハッとする。

 ユニは響の考えを読んでいた。そこで響に一旦その事を忘れさせ、自分が先手を打とうとしたのだ。

 意外とユニも侮れないな……。

 響がそんなことを思っていると、ユニは寝室に行き白塗りのタンスから着替えを手早く用意し、シンク傍の扉に消える。どうやらそこがシャワールームのようだ。

「流石にあれだけ念を押されて、こっちで寝てたら怒るかな……」

 迷惑を掛けたくないがために提案しようとしていただけなのだが、この状況ではむしろ逆効果かもしれない。これ以上気を遣わせるのも悪いし。

 響は観念したように隣の部屋のベッドに重い足を向ける。足取りが重い理由は単純明快で、このままでは今夜ユニと同じベッドで眠ることになってしまうからだ。

 いくら度胸のない響とはいえ思春期真っ盛りの男子中学生に変わりはない。

 普段から女子と話すこともほぼ皆無な響が同じ部屋の、同じベッドで同年代の女子と寝てしまったら理性を保てるかどうか、それは彼の想像の範疇を遥かに超えていた。

 この場合正直に二人で同じベッドで寝ることに不服があると言えば、間違いなくユニがキッチン、もしくは床で寝るなんて言い出しかねない。それは何があっても回避せねばなるまい。

「どうしたものか……」

 ベッドに腰を下ろし考えを巡らせていた響だったが、何だか落ち着かず立ち上がりしばらく部屋を右往左往した後、少し夜風に当たろうと窓に向かう。

 夜の街は昼の喧騒はすっかり姿を隠し、幻想的な一面を見せていた。

 街は月明かりに照らされ淡く輪郭だけが残り、建物の窓や街灯のランタンの暖色が厳かさを加えている。

 響はその雰囲気にのみ込まれてしまいそうになり、何だからしくないことまで考えてしまっていた。

「意外にこんな生活も悪くないのかもなぁ……」

 そこまで考えたところで響はふと我に返り激しくかぶりを振る。それもそのはず。

 彼が情報を集める理由は現実世界に戻るためであり、この世界での生活を謳歌するためではないのだ。

 憧れは手の届かないところにあるから尊いのであって、それが現実になるようなことはあってはならない。

 それが響の持論だった。

 だが、今はそれも歪みつつある。

 そこで、突然背後から声が掛けられる。

「何を見てるんですか?」

「おっと……!? あぁ、ユニ。ちょっと夜風に当たってたんだ」

 響は景色に見惚れていたため、ユニがシャワーを終え部屋に入ってきたことにさえ気づかなかった。その結果、後ろから不意打ちのような形になってしまったのだ。

「そうですか。確かに綺麗ですよね? 私はこの窓から見えるこの街の夜景が大好きなんです」

 ユニは先ほどまでとは違う純白の膝丈より少し短めのワンピースを着ていた。

 風呂上がりだからか色白の肌は少し赤みを帯びている。明らかに露出度が増しており、目のやり場に困っていると不意に一か所に目が留まる。

「あれ、その脚。怪我してるの?」

 響が指差したのはユニの右太腿。その半ば辺りに包帯のようなものがワンピースの裾から僅かに覗いていた。

 一瞬、ユニは疑問の色を浮かべたが、すぐに何のことか理解したようだった。そして、表情が少し曇る。

「これですか……。これは私が生まれた時からある傷痕、痣なんです。醜いので普段は隠してるんですけど、まさかヒビキさんに指摘されるとは思いませんでした」

「ごめん。触れない方が良かったかな……」

「いえ、そこまで大したものじゃないんですけど」

 そう言いながらユニはベッドに腰を下ろし、太腿に巻いた包帯をゆっくりと解いてゆく。

 響は何だか自分が悪い事をしたような気がしていたが、今更ユニの行動を止めるのも違うような気がしていた。

 そして露わになった痣は醜いなんてことはなく、まるでハートを模した刺青のようにも見えた。

「変わった形の痣だね」

 そこでユニの声のトーンが明らかに下がる。

「気味悪いですよね。これのせいで辛い思いをしたことがあるんです……」

 ユニの顔が俯き気味になっており、表情を伺うことはできない。声のトーンは低いが泣いているという訳でもなさそうだ。

 重苦しい雰囲気が数秒間流れ、響がどう返したらいいかあたふたしていると突然ユニがベッドから勢いよく立ち上がる。そして重い空気を払うように一度手を叩く。

「と、暗い話はここまで。こんな昔の話は今更掘り返したって仕方ありません。ヒビキさんは今自分のことだけ考えてください。それに、私は強いんですよ。ちょっとやそっとの逆境には決して負けません」

 ユニは先程までとは一転して笑顔でそう告げる。

 響はその笑顔に陰りを見た気がした。

「そうだね……」

 だが響にはそれ以上その話を掘り下げる勇気がなかったのだ。

 それから間もなく響の再度の提案虚しく二人は一つのベッドで寝ることになった。

 部屋の灯りを消すと窓から差し込む月明かりがかろうじて部屋を映し出している。

 響は薄暗い天井を見つめながら数分前のことについて考えていた。それはもちろんユニの痣のことだ。

 本人は気にしてないし、自分は強いから負けないと言っていた。だが、響は引っ掛かっていた。もちろん根拠なんてこれっぽっちもありはしない。そんな気がしたという程度のもの。

 だからといって部外者の響がこれ以上深くまで踏み込むのは無責任な話だ。解決してあげられるわけでもなければ、早くこの世界を去ろうとしている者にいったい何が出来ようか。

 響が抱えているだけでも問題は山積みだ。

 だから今夜は徹夜でそのことを整理をしようと思っていた。どうせこんな状況じゃまともな睡眠は出来ないだろう。なら有意義に時間を使うのが得策、これが響なりに導き出した最善の道だった。

 目指すは王都に君臨する神血族。だが聖騎士でも選ばれた者しか謁見を許されない。

 もし本当に響が勇者的な救世主なのだとしたら特例で許される可能性もないとは言い切れないが、そこに縋るほど響は楽観的な思考が出来ない人間だ。

 それからどれほどの時間が過ぎたのか。いくつかのシミュレーションを考えたりもしたが、どれも上手くいくとは思えなかった。

 さらに先ほどから響の思考を邪魔するものがあった。

 左隣でする微かな寝息。それが耳に入る度にドキッとしてしまう。

 そして突如左隣から体温を感じ視線を向けると、窓向きで寝ていたユニが寝返りを打ったようで顔が息のかかりそうなほど近くにあった。

 どうやら左腕に抱き着いているらしく、直接ではないにしても柔肌の感触が伝わってくる。


「――――――――――――――――――――っ!!」


 響は必死で上げそうになった嬉しい悲鳴を抑え込んだ。

 腕を掴まれているため、逃げることも封じられている。

 そしてユニが身動きする度に漂う甘い香り。これが石鹸の匂いなのかユニの匂いなのかは分からないが響は冷や汗が止まらず、間違いなく心臓の鼓動がとんでもない速さになり進行形で血圧が急上昇していることだろう。

 こんな状況では思考がまとまるはずもなく、響は観念し寝ることにした。

 いや、むしろこんな状況で寝られるのか……?

 そんな不安とは裏腹に突如彼を睡魔が襲う。ユニの言っていたように疲れが溜まっていたのかもしれない。好都合とばかりに響は目蓋を閉じる。

 しかしそこで一つの思いが過る。


 もし次目を覚ました時いつも通りの日常に戻っていたとしたら、僕はそれを素直に喜べるのだろうか……。後悔はしないだろうか……。


 そんな事を考え、もう一度異世界の部屋を脳裏に焼き付けるべく目を開けようとしたが目蓋は重く、薄く開いたところで視界がぼやける。

 そして意識が薄れ、深い眠りに沈む。


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