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クロード




 肌を刺す寒さはあまり好きではない。

 しかし冷え切ってずしりと重い銃器は好きだ。

 革手袋ごしの冷たい銃は、いつも高揚する体を適度に冷やしてくれる。

 ただ今日クロードを興ざめさせたのは、別のものだった。

「何だあれ。素人集団か?」

 扉の隙間から覗きながら思わず呟いたクロードに、隣に座っていた副隊長が小さく苦笑いの声を漏らしたのが聞こえた。

 オードラン王国に仇なす反乱軍が隣国マデルナの来賓の暗殺を企てている、という情報を手に入れたのは三日前。クロード率いる王国軍小隊が潜伏先の廃教会に忍び込んだのは数分前。

 そこで彼らが見たものは、玄関ホールのあまりにも目立つ場所で、銃や刃物の手入れをしている集団だった。決まった服装ではないが、揃いの赤い腕章をつけている。反乱軍だ。

 反乱軍も深刻な人員不足だと聞いたが、重要人物の暗殺という大業の前に、あまりにもお粗末な采配だ。クロードは大きなため息をついた。

「ご丁寧に明るい場所に固まってくれているな。どうぞ襲撃してくださいと言っているようなものじゃないか」

 玄関ホールは三角屋根型のガラス張りで、今は吹き荒れる雪のせいで外は見えない。晴れていればこのガラスの向こうに、こじんまりとした塔が見えるはずだった。

 見えているだけで十四人。報告にあったのも十四人。見張りも立てていないようだ。

 こちらは六人だが、クロードには自信があった。自らが育てた精鋭達には、取るに足らない人数だ。

 事前に手に入れていた間取りを隊の中心で広げ、紙の上に指を走らせる。

 配置の指示を出していく。礼拝堂と物置、そしてこの待合室から三班に分かれて突入することになった。

「狙撃手は塔にいるかと思ったが、全員揃っているな」

「この吹雪では狙撃は不可能ですからね」

 隊員の言葉に、クロードはゆっくりと頷いた。不可能という言葉はあまり好きではないが、それでもそう言わざるを得ない状況だ。吹雪のせいで視界は十メートルもない。この建物から要人を乗せた車が通る道まで約八十メートルはある。

「隊長、塔の捜索と二班に分かれますか?」

 あごに手を当て考え込むクロードに、副隊長が提案する。

 武力差はあるだろうが、さすがに六人を割ると十四人の制圧に時間がかかる。時間がかかればかかるほど、相手に反撃のチャンスを与えてしまう。

「……いいや、まず現在見えている十四名を無力化、その後速やかに塔の捜索に移る」

「了解」

 配置の指示を出して、無線で細やかに連絡を取りながら配置につく。吹雪は上手くクロードたちの気配を消してくれ、反乱軍のメンバーがそれに気付いた様子はない。

 全班から準備完了の無線が入り、クロードは銃のグリップを握り直してから、静かに言った。

「突入」

 一斉に玄関ホールへ飛び込む。

 制圧はあっという間だった。無言で飛び込んできた完全武装の軍人たちに、反乱軍はまともに反撃することすらできず、次々と拘束されていった。

「おいおい、銃の一発も撃ってないぞ」

 あまりの事に呆れ返りながら、クロードは部屋の隅で何が起こったのかよく分かっていない反乱軍のメンバーを縛り付けた。これなら二班に別れても余裕だったのではないか。ロスした時間を取り戻すため、すぐさま次の行動に移る。

「作戦通りに行く。エヴァンス班待機、その他全員俺に続け」

「了解!」

 駆け出したクロードの後ろを三つの足音がついてくる。ひとりに塔の入り口を見張らせて、三人で内部を捜索する。人数的には充分だ。多すぎるくらいだろう。

 ガラスの屋根の下を通った時、ふと顔を上げた。自分でもなぜそう動いたのか理解する前に、クロードの耳に轟音が響く。ガラスの割れる音と重い発砲音だ。足のすぐ前を銃弾が通り過ぎる。

「隊長!」

 地面を転がりながら横に飛び退いて、後ろをついてきている部下たちの上にガラスの破片が降り注ぐのを見た。

「止まるな! 走れ!」

 その怒鳴り声に、走り出した者はいなかった。続けて三度発砲音が聞こえて、呻き声と血飛沫が舞う。

 背負っていた短機関銃を手に取って、次々と地面に膝をつく彼らの前に飛び出した。吹雪のせいで塔の根本すら見えにくい。ガラスの割れた天井に向かって引き金を引く。隊員達が撃たれた時の角度は覚えている。敵は塔の最上階の小部屋にいるはずだ。

 最上階がどの辺りかはおおよそ検討がつくが、窓がどこに付いているのかは全く分からない。しかしさすがにこの連射の嵐の中、顔を出したりはしないだろう。

 普通なら、しないはずだ。

 背筋が冷たくなって、機関銃の轟音に負けないくらいの大声を張り上げた。

「怪我人を回収しろ!」

 待機の命令を受けていたふたりが怪我人に飛びついて、怪我人の首根っこを掴んで引きずってく。安全圏まで入ったのを見届けてから、クロードも引き金を引いたままジリジリと後退する。

 吹雪の向こうで何かが光った気がした。それが本当に何か光ったのか、それとも長い戦場経験が見せた幻覚なのかは分からなかったが、クロードは反射的に後ろへ飛び退いた。

 銃声が聞こえて、ほぼ同時に先程まで立っていた地面に銃弾がめり込んで木片とガラスを散らせた。

 安全圏に転がり込む。その足元にもう一発撃ち込まれる。

「撃ってきやがった! 化け物か!」

 今度は連射のできない安価な狙撃銃のようだ。もし先程使っていたセミオートの銃だったら、きっと撃たれていた。

 胸に湧き出たのは屈辱と、そして賞賛だ。世界にはまだまだ化け物がいる。背中がぞわぞわと鳴って、耐えるように唇を噛み締める。

 撃たれた部下を振り返った。みな足を撃たれている。出血の酷い者はいない。

 命に別状はない。そう判断して、クロードは弾の残っていない機関銃を地面に放り投げ、怪我の手当をしている副隊長に外部との連絡用の無線機を放り投げた。

「塔を見てくる。怪我人を頼んだぞ」

「隊長!」

「危険です!」

 呼び止める声が聞こえたが構わず駆け出す。

 報告になかった狙撃手が塔に隠れている。逃げられる前に退路を塞がなければならない。

 塔へ続く扉は開いていた。顔だけだして中の様子をうかがう。すぐそばに人はいないようだ。体を滑り込ませ、音を立てないよう螺旋階段を駆け上る。

 間取りを思い出す。塔の最上階に小さな部屋があって、そこ以外に窓はついていない。

 三階分ほどの階段を登りきり、扉のない部屋の入り口に体を寄せる。息を整えてそっと中を覗き込んで、そしてクロードは即座に銃を構えた。

 唯一の窓に足をかけ、今にも外へ飛び出そうとしている男に銃口を向ける。

「止まれ! 撃つぞ!」

 男はちらりとクロードへ目をやったが、その動きは止まらない。

 引き金を引く。狙い通りに弾は男の肩を掠め、男の動きが一瞬鈍った隙にその体に飛びついた。背負っているガンケースを掴んで力任せに部屋の中へ引きずり込む。その勢いのまま、部屋の中に積まれた木箱に掴んだ体を叩き付けた。

 「うっ」という呻き声が聞こえ、男の四肢から力が抜ける。ガンケースを剥ぎ取り、後ろ手に手錠をかける。足は縄で縛り上げ、完全に動きを封じ込めた。

 数秒気を失っていたらしい男が目を開け、体の痛みに顔を歪めた後、クロードを見上げた。

 随分と小柄で、そして若い男だ。少年と言っても過言ではない。長い金髪を後ろで無造作に束ねている。

 この特徴には覚えがあった。最近要注意人物に上がっていた狙撃手だ。主な活動場所は南部だったが、とうとうこの北部にも現れたかとクロードは内心ため息をついた。

 さすがにあのお粗末な連中のみで事を成そうとしていたわけではないようだ。

 血の滲む肩を蹴って、地面に伏したその顔をブーツで踏み付ける。

「大人しくしてろよ。でないとその可愛い顔が吹き飛ぶぞ」

 地面に血の混じった唾を吐いて、少年はクロードを睨み付けた。彼から少し離れて無線を繋げる。

「アダムスだ。怪我人は? ……、……分かった。こちらは狙撃手を拘束した。南部で噂の凄腕君だよ。……そうか。……ああ、じき戻る」

 無線を切って、少年を見下ろした。

 怪我人は大事なかった。全員太もも、それも動脈からは逸れていたようだ。まるで狙ったように全員同じ位置に被弾していると聞いて、クロードはそれが偶然なのか化け物のなせる技なのか、決めかねていた。

 窓に近付いて下を覗き込む。相変わらず吹雪は荒々しく、クロードには吹雪の隙間に時々屋根が見えるくらいだった。しかし窓枠には硝煙の臭いがまだ残っている。ここから撃ったことは違いないようだった。

 クロードが撃った機関銃の銃痕も窓枠に集中している。吹雪と機関銃の嵐の中、少年はあれだけ正確な射撃を行ったようだった。

「恐ろしく目がいいのか……集中力が半端ないのか……。勉強になった。世の中にはお前みたいな化け物がいるんだな。次に活かすよ」

「……どうやって弾を避けたんだ。二度も」

 避けられたことが相当悔しかったのか、押し殺したような声で少年が問う。クロードはそれに笑顔を向けた。

「勘」

「あんたこそ化け物じゃないか」

 吐き捨てるように言った少年に「お前ほどじゃない」と笑いながら言って、部屋の柱にくくり付けて窓の外に垂らしてあるロープを回収した。これを使って逃げようとしていたらしい。外に逃がしていたら、見つけることは困難だっただろう。

「うちのが誰か死んでたら一発殴ろうと思っていたけど、余計な体力を使わずに済んでよかったよ。名前は?」

 体を横たえたまま、少年は口を引き結んでいる。答えるつもりはないようだ。

「まだ声変わりもしてないな。十五歳くらいか?」

「……思い出した。クロード・アダムス大佐」

 名前を言い当てられ、クロードは目を丸くした。

「おや、俺ってそんなに有名人?」

「貴族で王都の軍学校を主席卒業、エリート街道まっしぐらのはずなのに特殊部隊作るわ一緒に前線に立つわ、命知らずの馬鹿って言われてるんだろ?」

「よく知ってるな」

 笑って答えた。概ね正解だ。命知らずの馬鹿は面と向かって言われたことはないが、きっと似たようなことを言われているのだろうとは思っていた。

「俺たちはあんたのこと死神って呼んでる」

「はは、大層な名前だなぁ」

「さっきのはあんたの隊か」

 小さく舌打ちの音が聞こえた。

「殺しておけばよかった」

「残念だったな」

 笑ったまま彼のジャケットをめくった。強く睨み付けてくる視線をかわし、脇のホルスターに収まっている銃を抜く。身に付けているのはこれ一丁だけのようだ。反乱軍がよく使う世界的に流通しているものではない。見たこともない銃だ。ブランドの刻印もない。かなり小型で、今まで見た事のある銃の中でも一番ではないだろうか。子供の小さな手にはぴったりだろう。

「これ、どこで手に入れた?」

 彼は答えない。大げさにため息をついてみせる。

「まただんまりか。言いたくなるような目に合わせてやろうか?」

「死神なら死神らしくさっさと殺してくれ」

「そうはいかない」

 少年は顔を背けた。さてどうするかと息を付いた時、無線が鳴った。

「何だ。……そうか。分かった」

 スイッチを切って、同時に少年の頬を掴む。そして驚愕の表情を向ける少年の口に指を捩じ込んだ。歯列をなぞって目的のものを探し当て、噛まれる前に指を引き抜く。ぽたたと唾液が地面に落ちた。

「貴様……!」

 怒りなのか何なのか、顔を上気させた彼がクロードを睨み付けた。赤らんだ目に両腕が疼いて、そのわけの分からない感覚を顔をしかめて頭から押し出す。

 クロードが手に持っているのは毒の入った小さな容器だ。ずっと頬の内側に隠していたようだ。

「今、お前の仲間数人が服毒自殺をしたと連絡が入った」

 少年は顔をしかめたままぴくりとも表情を動かさない。随分と慣れているようだった。

「ひとつ言っておこう。舌を噛み切ったって痛いだけでほぼほぼ死なん。お前の仲間がよくするが、すぐに死ねた奴なんてひとりも見たことないからな」

 睨みつける目が、徐々に力を無くして逸らされる。少年が俯いて動かなくなったのを見て、クロードは彼のガンケースを物色し始めた。

 中は狙撃ライフルが二丁、弾、手入れの道具。比較的新しいタイプのフルオートライフルは装填不良を起こしている。相当粗悪な弾を使っていたようだ。

 もし不良を起こしていなければ、今頃クロードは五体満足ではなく、この少年狙撃手も逃していたことだろう。

 己の運の強さに感謝しながらさらにケースの底を探っていると、薄汚れた小さなポーチが入っているのを見つけた。小さく刺繍がしてあるが、ほつれていて読めたのは前半の部分だけだ。

「フラン」

 少年がギクリと体を強張らせたのが判った。どうやら当たりのようだ。

「それしか読めないな。本名は? フランシス? フランツ?」

 答えは期待してなかったので返事がないことは特に気にしない。ポーチの中はいくつかの薬と古びた写真が入っていた。写っているのは仲の良さそうな夫婦と思われる男女と、ふたりに見守られる幼い少女。

「お前の家族か?」

「……両親と、妹だ」

「生きてる?」

「みんな死んだからこんな事してるんだ」

 クロードは声を上げて笑った。

「こんな事、か。自覚はあるんだな。あまり忠誠心はないようだが、なぜ反乱軍に?」

「ちゃんと金を払ってくれるから」

 思わず鼻で笑うと、フランが頭を上げてクロードを睨む。

「何がおかしい。何不自由なく生きてきた貴族が、あんたには分からないだろうな。泥水で腹を満たしたことはあるか? 命がけでたったひとつのパンを奪い合ったことは? この国が滅亡しようが栄えようが、そんな事俺には関係ない。生きるためなら……!」

 言葉が詰まったようだ。歯をぎりりと鳴らして、フランは俯いた。

 クロードは地面に捨てた毒薬を見る。きっと彼はこれを使わなかっただろう。

 反乱軍が掲げる歪んだ宗教にどっぷり浸かっているなら救いようはないが、彼と反乱軍を結びつけているのは金だけのようだ。

 このまま生きて捕らえて軍に連れて帰っても、フランに散々苦汁をなめさせられたお偉方は、さっさと極刑にしてしまうだろう。

 クロードはあごを撫でる。それは余りにももったいない事だ。

「お前は反乱軍に忠誠はない。なら、こちらに来い。俺が面倒見てやる」

「馬鹿じゃないのか」

 吐き捨てるように言ったフランの前に腰を下ろす。

「今もらってる倍払おう」

 ようやくクロードが本気で言っていることに気付いたらしい。彼は盛大に眉間にしわを寄せる。

「不満か? ならもう少し出そうか」

 目を細めて、フランは不信を顕にした。もちろん、そう簡単になびくとは思っていない。

「……俺はただの末端だ。連れて帰ったって何も吐かない」

 ふんと鼻で笑う。末端のはずがない。疲弊し崩壊寸前の反乱軍の、数少ない脅威がこの名もない少年狙撃手だった。常識では考えられない場所や距離からの狙撃、そしてその逃げ足も恐ろしい。もう一体何人殺されているか分からない。反乱軍上層部から、かなり可愛がられていたはずだ。

 ただ、そんな事には別段興味はない。

「別に吐いてもらわなくたって構わない。複数拠点を持ってるようだが、全てに諜報部が潜り込んでいる。今回の要人襲撃だって筒抜けだったんだ」

 彼は特に驚いた顔はしない。予想はついていたのだろう。それなら、反乱軍の寿命がそれほど長くない事も分かっているはずだ。

「壊滅も時間の問題だ。お前ほどの腕のやつが、共倒れなんてもったいない」

 探るような目がクロードを見上げた。

「……王国軍は、戸籍のないやつを入隊させないだろ」

「戸籍ぐらい俺がなんとかしてやる。……ただ」

 クロードは腰のポーチを探る。小さなピルケースを取り出して、名前を確認してからカプセルを手に取った。フランの顔が恐怖に染まって、感じたのは歪んだ喜びだ。

 無垢なはずの子供が纏う壮絶な過去と経験が、その顔に妙な色気を醸し出している。目を細めて、口の端を上げた。

「その可愛い顔の裏側を、少しだけ見せてくれ」

「何を……っ!」

「毒じゃない。少し頭がぼうっとして、ほんの数分気持ちよくなる薬だ」

 フランの胸ぐらを掴んで起き上がらせ、そばの柱に押し付ける。

「自白剤だろ……!」

「まあ、そうだな」

「嫌だ!」

 暴れようとする体を押さえつける。細い腕、細い体だ。なぜライフルの反動で飛んでいかないのか不思議なくらいの。

 薬を持った指を口内にねじ込む。歯を立てられたが、革の手袋のお陰で噛み切られはしない。喉の奥に薬を押し込んで、彼が耐え切れずに飲み込んだことを確認してから指を抜いた。激しく咳き込んだフランが、涙の滲んだ顔を上げる。その時初めて、クロードは自分が笑っていることに気付いた。

「まずいな……」

 手袋を外して血の滲んだ指を撫でながらひとりごちる。美少年をいたぶって興奮するような趣味が自分にあっただなんて、三十年と少し生きてきたが知らなかった。

 間もなくフランが唇を噛み、耐えるような表情になる。意識して整えようとしているようだが、呼吸が乱れ始めている。

 あまり長い時間をかける訳にはいかない。さっさと隊員達の元へ戻らなければ。フランの前髪をかき上げて、その顔を覗き込んだ。

「フラン、こっちを見ろ」

 ぼんやりとした顔がクロードを見上げる。

「お前の名前を教えてくれ」

 彼は小さく首を振る。ゆっくり頭を撫でながら、同じ質問を繰り返した。

「名前を教えてくれ」

「……フラン」

「フラン。ファミリーネームは?」

「ない……」

「何歳だ」

「十七……」

「出身はどこだ」

「マデルナの、国境の、小さな」

 呟いて、彼は呻きながら首を振る。荒く息を吐く姿に喉を鳴らした。

「大丈夫だ」

 小さな子供にするように頭を撫でてやる。こういう事に弱いはずだ。大人の愛に飢えている。甘やかされる事に慣れていない。

 とろりと目が半分閉まったのを確認してから、もう一度頭を撫でる。

「今回はどんな作戦だったんだ?」

「……下の、仲間を囮にして、少しでも王国軍の数を減らして……」

「下の連中は自分たちが囮だと知っていたのか?」

 フランはゆっくりと首を横に振る。

「私だけ特別に命令されていた。囮を使って、あんた達を動けなくして、吹雪に紛れて車を襲おうと……」

 どうやら反乱軍も無能ばかりではないようだった。情報が筒抜けなのを逆手に取られたらしい。諜報部はフランが個別に命令を受けて動いていたことまでは探れていなかったようだ。

「でも、あんた達が思ったより手強くて……寒くて体も動かなくて、脱出に手間取って……雪がこんなに冷たいだなんて知らなかった」

 ふ、と笑う。マデルナも南部も、冬も暖かく雪は滅多に降らない地域だ。きっとここに来て初めて雪を見たのだろう。どうやら雪もクロードの味方のようだった。

 笑いを収めてから彼の銃を持ち上げる。

「この銃は誰から貰った?」

「……作った。自分で、設計して」

 クロードは驚いて銃を見下ろした。弾倉を抜いて、軽く分解する。細い銃身に美しいライフリング。撃つ専門で設計にはとんと弱いが、それでもわかるくらい精密な作りだ。

 フランは一度目を閉じ、半分まぶたを持ち上げてふわふわとした視線を漂わせた。

「お父さんには、敵わないけど」

 たどたどしく言葉を紡ぐ。

「わたしだって、お手伝いくらいなら、できるのよ」

 フランの言葉に、クロードは手に持っていた銃を取り落とした。かちゃんと鳴った銃を見て、フランを見下ろす。

 クロードを見上げるその顔は、血と埃と硝煙の中では異質なほど――愛らしく。

 まさか、まさか。

「フラン、本名を教えてくれ」

「……フランチェスカ」

「ファミリーネームは?」

「リーガン」

 フランチェスカ・リーガン。覚えのある名前だった。ただ、今はそれどころではない。

「最後の質問だ、フランチェスカ」

 頬に触れた。

「お前は女だな?」

「……うん」

 小さく頷いたフランの洋服に手をかけた。ジャケットと左胸だけを覆う防弾衣とシャツをはだけさせ、現れた胸まで覆うコルセットのひもを解いていく。

 息を呑んだ。白い肌もほっそりとしたウエストも胸の膨らみも、どう見ても女のものだった。フランのぼんやりした視線がクロードを捉え、そして恐怖に染まる。

「やめて……痛い事しないで……助けて、お父さん、お母さん……」

 か細い声でもういない両親に助けを求めながら、フランはぽろぽろと涙を落とした。

 一体、何を思い出しているのか。

 涙に触れようとした手を、少し考えて引っ込めた。

「フランチェスカ、すまない。何もしないよ。泣かなくてもいい」

 見ているだけで息苦しくなるコルセットは取っ払って、その他の服をきっちり元通りに着せてやる。

 物色した荷物をケースに詰め直していると、間もなくフランの目に僅かに鋭さが戻った。荷物をまとめ終わり目の前に戻ってきたクロードに何か悪態をついたようだが、掠れて聞き取ることはできなかった。

 柱にぐったりと体を預けたままの彼、いや彼女の髪を結うひもを解く。

「髪を下ろすとどう見ても女だな」

 戦場にいるのは男だという先入観のせいだろうか。中性的な顔だとは思ったが、まさか女だとは疑いもしなかった。

 フランは荒かった呼吸も落ち着いて、ようやく薬が抜けたようだ。何を喋ったか半分以上は覚えていないだろうが、最大の秘密を知られた事は悟ったらしい。自分の体を見下ろして、彼女は唇を噛みながらクロードを見た。

「女かどうか確認しただけで、指一本触れてないよ」

 両手を上げ、無実を訴える。彼女は信じたのか信じていないのか、先程より力の抜けた目を俯かせて細い息を吐いた。

 その顔をじっと見下ろす。どうして数年前に死んだはずの彼女がこの国にいて、そして反乱軍などに属しているのか。

「フランチェスカ・リーガン。ロレンツォ・リーガンの娘だな?」

 言い当てられて、フランは飛び上がるほど驚いたようだった。

「どうして……」

「確か、六年前だったか。マデルナ国の国境近くに建つ兵器工場に爆弾が仕掛けられ爆発、それが火薬に引火して五十人以上が亡くなる大惨事があった」

 フランが顔を強張らせる。こちらの国の新聞でも、連日一面を飾った酷いテロだった。

「その時の犯人が国境を越えてこっちの国まで流れ込んできて、たまたま別件で近くにいた俺の部隊が駆り出されたんだ。爆発物を持っていると聞いていたんでな。全員射殺した」

 今でもよく覚えている。犯人の顔、服装、死に顔も。押収した車からは、工場から盗み出したと思われる設計図や価値のある銃などが大量に見つかった。恐らく、こちらの国で売り捌こうとしていたのだろう。

「ロレンツォ・リーガン、こちらでも名の知れた拳銃設計士だ。彼と、たまたま工場に来ていた夫人と娘が巻き込まれたという話は聞いていた」

 死亡者一覧の中にロレンツォを見つけ、惜しい人を亡くしたものだとため息をついた後、その下にリーガン姓の名前がふたつ並んでいるのを見て、妻子も巻き込まれたのだと知ったのだった。爆発が激しかった場所では、被害者の体は原型をとどめていないものも多かったらしい。行方不明者は全て、死亡扱いになったのだろう。

 フランの顔が縦に動いたが、項垂れたのか頷いたのかは分からなかった。

「……工場内で犯人と鉢合わせして、人身売買が目的だろう、誘拐されたんだ。銃の設計図なんかと一緒に車に押し込まれて、車中で工場が爆発するのを見た。この国で売られる前に逃げ出して、このざまだ」

 彼女は縛られた足を少し持ち上げて、しかし自嘲する力もなかったようだ。

 警察か軍人に事情を話せば保護してもらえたのではないかと言いかけて口をつぐむ。馬鹿でなければそうしただろうし、それでどうにもならなかった理由があるのだろう。

「そうか……殺してくれたんだな」

 フランは体から力を抜いて、ぽつりと言った。

 ロレンツォの娘なら、銃を設計し自らの手で作ったという話にも信憑性が出てくる。彼は銃の腕も素晴らしかったと聞いた。フランは父親の才能を丸々受け継いだようだった。

 彼女に見られないよう口元に手を当ててから笑みを浮かべる。それならなおの事、彼女が欲しい。

 奇しき運命により、敵同士だったふたりはたった今、親を殺された少女とその敵を取った男という立場に変わった。

 罪悪感がないわけではない。しかし利用しない手もない。

「さて、お前の裏側は見せてもらった。改めて口説かせてくれ」

 彼女から体を離して、その顔を覗き込む。

「フランチェスカ、お前の腕が欲しい。銃の設計の腕、狙撃の腕が。王国軍へ来れば、それら全てを正当に活かし、相応の報酬を払う事を約束する」

「……もし、断ったら?」

「力ずくでも連れて行く」

 彼女はため息をついて、肩をすくめた。

「なら初めから私に選択権なんてない」

「そんなことはない。お前が自分の意思でこちらを選ぶ事が重要だ」

 口を真一文字に結んだ彼女は、まだ迷っている。反乱軍を裏切るだけの理由を、こちらに落ちるための理由を欲しがっている。

 ならば引きずり落としてやろう。彼女の前に手を差し出した。

「俺の手を取れ。お前の両親の仇を取った手だ。お前の事も救ってやれる」

 なんて卑怯な口説き文句だ。我ながら反吐が出る。それを悟られないよう目を細めて笑顔を作る。

 フランチェスカの大きな目が見開かれて、そしてくしゃりと顔を歪ませた。唇から震える吐息を吐きながら、彼女は今までの抵抗が嘘のように、ずるずるとこちらに落ちてきた。

「……分かった」

 諦めたようにも、何かを決意したようにも見える顔だった。

 口の端を吊り上げる。随分といやらしい笑みだったと思うが、彼女は俯いていてそれを見られることはなかった。

 後ろ手に手錠で拘束されているフランチェスカは、差し出された手を取る事ができない。その代わりに体をかがめて、彼女はこの指に頬を擦り付けた。

 彼女なりの降伏のような何かだったのだろう。しかしその仕草にクロードが感じたのは、背筋が跳ねるほどの嗜虐心だった。

 震えた指を誤魔化すように、彼女の頬を撫で金の髪を耳にかけてやる。

 その小さな耳にキスをしたい。いいや違う、噛み付きたいのかもしれない。どうしたいのか分からない。

 小娘の仕草ひとつでこんなにも体中が掻き乱される。こんな屈辱は初めてだ。

 フランを誘拐した犯人の気持ちが少し分かる。きっとこの魔性の女は、十やそこいらでもその天性の才能を発揮していたのだろう。

 彼女がこちらを見上げたのは、きっと乱れた呼吸に気付いたからだ。

「お前が女で良かった」

 誤魔化すように言って、訝しげに眉をひそめる彼女の唇に触れる。

「お前の表情や仕草が驚くほど俺好みでな。俺には男色の趣味があったのかとショックを受けていたから。女で本当に良かったよ」

 フランが体を固くして、指から逃れるように背中を柱に押し付けた。大人の色気があって出るところが出ている女が好みのはずだったが、まあ気に入ってしまったのだからしょうがない。

 固く結ばれた唇を撫でる。色のない唇は寒さで冷え切っていて、その体は小さく震えている。

「ああ、その顔、たまらないな」

 殺されるかもしれないと言う時にはあんなに気丈に振る舞っていたのに、どうしてこの程度の事で怯えているのか。この場でどうにかされるとでも思っているのだろうか。

「女扱いされるのに慣れていないな。怖い?」

「……うるさい」

「可愛い声。さっきまでわざと押し殺した声出してたな」

 フランは唇を噛んで黙り込んだ。顔に笑みを貼り付けたまま、彼女の髪を指で弄ぶ。もうすっかり女の顔になっていた。弱々しく睨みつけてくる涙を浮かべた目に、それはそれは興奮する。

「戦場にいる男には気をつけろ。男は女と違って、死を感じると子孫を残そうとする」

 彼女の左胸をこつこつと指で叩く。防弾衣は鉄板の上に革を貼った中々頑丈な物のようだ。

 もう少しからかいたかったが、時間切れだ。

 少し大げさな動作で彼女から離れる。

「まあ、冗談は置いておいて。いや、手篭めにしたいのは事実なんだが、今はそれも置いておいて。そろそろ下に降りようか。部下が心配する」

 少しホッとしたような、何とも言えない表情を彼女は浮かべる。その足の縄に触れた。

「すまんが手足はこのままだ」

「……構わない」

 もう血は止まっている肩の傷に服の上からガーゼを巻きつけていると、無線が鳴った。聞こえてきたのはクロードを心配する副隊長の声だった。

「すまんすまん、女を口説くのに夢中になっていた。……ははは、終わったからすぐに降りるよ。……、……そうか、了解」

 無線を切って彼女を振り返る。

「マデルナ国の来賓を乗せた車は無事王城に着いたそうだ。他の場所に潜んでいた反乱軍も、別の隊が確保した」

「そう」

 もう彼女には興味のない事柄のようだ。

「反乱軍は死亡三十二名、負傷四名。王国軍は死亡ゼロ、負傷三名。負傷者全員俺の隊だ。怪我人なんて滅多に出さないのに、なんたる屈辱だろう。俺にこんな思いをさせたのはお前が初めてだよ、フランチェスカ」

「……ざまあみろだ」

 はははと声を上げて笑いながら窓の外を見る。吹雪はだいぶ収まっている。今なら怪我人を担ぎながら、森の中に隠して停めている軍用車の元へたどり着けるだろう。

 フランの荷物を背負い、反対の手で彼女を肩へ担ぎ上げる。悲鳴が聞こえたが、抵抗はなかった。

 大荷物を持ちながら階段を降りて隊員達の元へ戻ると、彼らは擦り傷ひとつないクロードを見て安堵の息を付いたあと、連れている少女を見て眉をひそめた。

「狙撃手……ですか?」

「そうだよ。後で説明する」

 少し離れた場所にフランを下ろして、そしてその肩を押す。手も足も拘束されている彼女は、いとも簡単にその場に尻餅をついて動けなくなった。

 乱暴な手つきに、彼女の顔に浮かんだのは怒りではなく不安だ。なんて可愛らしいのだろうと思う。完全にクロードを信じ切っている。

 その顔から視線をそらして玄関ホールを見やった。

「さて、あちらさんは何人生きてる?」

「ひとりです」

 泡と血を吐いた死体の真ん中に、真っ青な顔で震える男がいた。男の目線は拘束されているフランに向いていて、その唇が「フラン……」と絶望に満ちた声を上げる。

 彼女がどうにかしてくれると思っていたのだろうか。囮にされていた事も知らずに。

「毒の容器は回収してあります」

「ふん、噛めなかったか。それでこそ人間だ。更生の余地がある。その男の拘束を解いてやれ」

 部下たちがぎょっとクロードを振り返る。

「反乱軍のお偉いさんに伝言を頼みたい」

 戸惑いながらも隊員のひとりが男の拘束を解く。

 クロードは銃を構えた。銃口が指すのは、尻餅をついたまま目を見開くフランだ。

 引き金を引く。

 銃声と共にフランが後ろへ仰け反った。

 背中から地面に倒れた彼女は、地面を転がって溺れたような声を上げた後、動かなくなった。

 近付いてその顔を覗き込んでから、生き残った男を振り返る。

「伝言を頼む。お前らの頼みの綱は死んだ。そろそろ降参の白旗を用意してろ、ってな」

 両脇に立っていた隊員が数歩後ろに下がって、男は悲鳴を上げ足をもつれさせながら、その場を逃げ出した。

「隊長、いいのですか?」

「いいよ、あんな下っ端」

 フランに歩み寄って、もう一度その顔を覗き込む。血色のない顔は苦悶に歪んでいた。

「ああ、可哀想に。裏切られたって顔してるな」

 クロードは顔を上げて、隊員達を見渡した。

「さあ、怪我人を連れて帰るぞ」










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